友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

桜は女の美しさである

2009年03月31日 23時26分40秒 | Weblog
 桜はまだ満開にならない。今年の開花は早かったのに、一体どうしたことなのだろう。私は桜が好きだ。桜は妖艶な感じがする。桜は女性に通じるものがある。華やかであるし、満開ともなれば美の絶頂にあるように思うし、散り始めていく桜もまたきれいだ。4月から中学3年になる孫娘は「私はチビデブだからきれいじゃない」と言うけれど、いやいやどうして、最近では何気ない仕草の一つひとつに女らしさを感じる時がある。

 男性雑誌はもちろんのこと、女性雑誌にはヌードはないが、ほとんどの雑誌に女性のグラビアがある。男性の私にはどんな女性も美しい。女性は美しいかもっと美しいかの2通りだと思っている。いつだったか、80代の女性が着物姿で自転車に乗って来るのに出会った。風が吹いて着物の裾がチラッと捲り上がった。足袋と裾の間に白い足が見えた。なんでもないふくらはぎが見えただけなのに、見てしまった自分が恥ずかしかった。

 女性の美しさはどこにあるのだろう。それは曲線と柔らかさだろうと思っている。身体の線はどこもかしこも優雅な曲線を持っている。男にはない美しい曲線だ。その肌は滑らかで柔らかい。そっと触れたくなる柔らかさだ。触ってみたなら、安心できる気持ちよさを与えてくれるから、男たちは女性の肌を触りたがるのだろう。

 田口ランディさんという女流作家の『蝿男』を読んだ。かつて、新聞の対談を読んで、田口さんという作家に興味を持った。考えた方や価値観が似ていると思ったけれど、どうもそれは私の勝手な思い込みだと最近になって気が付いた。それでもブログの「お気に入り」に入れていて、時々日記を読ませていただいている。そのブログで、『蝿男』のことを「腐純愛小説」と自ら紹介していたので、どんな小説なのかと興味が湧いた。

 どうも田口さんは死後の世界に関心があるような気がする。「私の小説は、平安で充実した人生を送っている人には必要のないもので、(略)愛や平和やエコロジーを求めている人には向かない」と書いていた。どういう人が好きになる小説かというと、「わきの下の匂いとか、汚れた靴下の匂いをついくんくんしてしまうようなタイプの人」とあったから、余計に読んでみようと思った。

 「老いを意識している男にとって、その若い女との出会いは奇跡だった」という書き出しから、とても心惹かれた。もう女を抱くことはないとあきらめていた老人が、男運がわるいきれい女と偶然に出会い、そして二人はSEXする。ところが、男は女の身体に執着し、死後も「女の体に念として付着したのだ。つまり、男は女の体に残り地縛霊となってしまった」。女は男運のなさを悲観して首吊り自殺する。女の魂はその優雅な肉体から抜け出していくが、男はなおも女の肉体に執着し、やがて蛆虫となり羽化して蝿になるという奇妙な小説である。

 なるほどと思う反面で、その気味悪さがゾッと広がってきた。
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