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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

もう限界だと思う

2019年08月21日 18時22分44秒 | Weblog

 小4の孫娘にどう接したらよいのだろうかと、長年の友だちにメールしたところ、なかなか返事が来なかった。忙しい彼女のことだから、どこかに出かけているのだろうと思っていたら、今朝、パソコンに丁寧なメールが届いていた。ところが、どういう訳か分からないが、突然、画面の上の10センチくらいが横線になってしまい、動かなくなってしまった。その時、彼女から電話が入った。

 パソコンが新しくなってから、どういう訳か何度か動かなくなる。パソコンの自動修復が働いて真っ暗になってしまう気がするが、本当のところは良く分からない。私はアウトルックで通信ができ、ワードで文章が書けて、ブログが更新できればいい。それで十分だが、今朝のように全く動かなくなると、全てがどうでもいい気になってくる。

 今日の午後、施設に入っている姉を妹夫婦と一緒に見舞に行って来た。いつもなら嬉しそうな顔をするのに、私たちを見た時の姉は眉間にしわを寄せ厳しい表情だった。カミさんは真っ先に名前を呼ばれるのに、いきなり「あんた、誰?」と言われてしまい、かなりショックを受けた。それ以上にキツかったのは姪っ子の方だ。母親から「あんた、誰?どこの人?」と言い出され、「あんたはバカだね」と決めつけられる。

 「お父さんはどこ?」と何度も言うので、両親の写真を見せて父の隣の母のことを尋ねるが、「知らん」と言う。「お父さんはいい人。どこ?」としつこく聞くので、「お父さんは死んでしまったよ」と答えると、「私も死ぬでね。バイバイ」と言う。「もう充分生きたから、死んでもいいんだよ」と私が言うと、隣のカミさんが「そんなことは言うことではない」と怒る。死ねずに苦しんでいるのなら楽にしてあげたい。

 こんな姉は見たくない。姪っ子が余りにも可哀想だ。私は姪っ子に、「そんなに見舞う必要はないよ。あれではあなたの方が参ってしまうよ」と話す。症状はますますひどくなる。これでは周囲が耐えられない。元気で溌溂としていた母親を知っている娘は、私たちの想像以上に辛いだろう。姉の中にそれを理解する力はないが、姉のためにも、両親たちのいる世界に旅立つようにと私は願う。

コメント
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