中学3年の担任の家には何度か行ったことがある。先生が作ってくれたクラス誌『麦の歌』の1号・2号・3号の復刻版が完成した時、クラス会の出席者に渡すことしか考えていなかった。真ん中の2号が最後に印刷できたが、そこには、先生の1歳半の長男の写真と中学校の先生方の近況が掲載されていた。私は先生の長男に、先生がどんなに生徒思いだったかがよく分かるこのクラス誌を届けたいと思った。
しかしもう、先生も奥さんも亡くなられていたので、先生の親戚の方で長男の住所を知っている人を探してもらおうと思い、先生の家の近くに住む同級生に電話したが、すぐにルス電話になってしまう。仕方ないのでその旨を書いてFAXを送ったのに何日経っても全く連絡がない。彼女のことも心配になって、中学からの友だちに車に乗せてもらってまず先生の家を訪ねた。奇跡の出会いはあるもので、私が記憶していた先生の家を覗いていると1台の軽トラが近づいて来て止まった。
友だちが地元の人らしいその方に、「この家は」と担任の名を告げ、「先生のご親戚の方をご存知ありませんか?」と聞くと、「私だが‥」と言われる。私はクラス誌を見せ、「これを長男に届けたいのですが、ご住所は分かりませんか?」と話すと、先生の奥さんの「実家の電話ならウチのが知ってるから」と老人会の集まりの場所に連れて行ってくれた。さらに、「同級生が近くに住んでいるのですが」と言うと、その家までも案内してくれた。友だちが最初に声をかけた人のおかげで、課題が一気に解決できてしまった。
先生のお父さんは長男だったが、家を継がずに学者になった。私たちが出会った人は後を継いだ弟の息子だったのだ。電話を入れてもFAXを送っても連絡がなかった謎も解けた。「知らない人からの電話には出ないし、今はスマホでなんでもやり取りできるから」と言うことだった。写真の同好者と全国を飛び回っていることも分かった。最後にクラス会の幹事にも会い、「おお、必ず開くから」と言ってもらえた。担任の親戚を探し求めた今日の旅の終わりは酷い花粉症の来襲だった。クシャミの連発と鼻水で、ゆっくり話も出来ずゴメンナサイ。