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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

昔話に花が咲く

2018年04月09日 18時47分10秒 | Weblog

  マンションの友だちが4組、チューリップを見に来てくれた。その中で初めて我が家を訪れた男性は元大学の先生で、玄関で「履物は持ってお上がりください」とある紙を見て、怪訝な顔で連れ合いの方を見られた。「ああ、すいません。バルコニーに履物が無いものですから」と私が事情を話す。応接間に使っている私の部屋を通り抜け、バルコニーへ出てもらう。

 すると、新緑のアジサイやバラが目にいっぱい飛び込んでくるので、「きれいですね」と言ってもらえる。そして、バルコニーの南側に色とりどりのチューリップが見える。こんな屋上の狭い所に500球のチューリップが咲いているのだから、思わず「わぁー、きれい」と声も出る。まだ蕾が小さなものや、既にこのところの強風で花弁が痛んだものもあるが、全体としてはこれから1週間くらいが見頃だろう。

 先生が、「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」と小野小町の歌を詠まれた。先生の実家は東京神田の生花店ということで、「花には関心があります」と狭い庭の花を見て回る。小町が詠んだ「花」は何だろう。平安時代の後期は愛でる「花」が、梅から桜に代わってきたし、「桜」の方が歌に似合っている。それにしても、うまいこと作ると感心する。

 バルコニーは余りにも寒かったので居間に移動して、コーヒーを飲みながら皆さんが持って来てくれたお菓子をいただく。そしていつの間にか、戦時中の話になった。私たちは実際を知らないが、先輩たちは意外に詳細に覚えているようで、疎開先での話や母親たちが割烹着姿で竹槍を藁人形に突き刺していた話、食べ物が無かった話など、いつの間にか2時間ほどが経ってしまった。人の時間はアッと言う間だ。「あれでもし、日本が勝っていたら、今頃は北朝鮮と同じだっただろう。負けて本当に良かった」と先輩がしみじみと言う。その通りだろう。

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