友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「苦あれば楽あり」

2015年07月13日 20時15分34秒 | Weblog

 蒸し暑い一日だった。それだけでも気持ちが萎えるのに、井戸掘りが成功しなくてさらに落ち込んだ。良い日があれば、悪い日もあるさ。そんな風に生きてきたつもりだったけれど、上手くいかない日々が続くと意外に落ち込むことがよく分かった。ギリシアやイタリアそしてスペインなどの南欧の人々は「人生は楽しむためにある」と言い、「夜がくれば必ず朝がくる」「影があるのは光があるから」「別れは出逢いの始まり」「ピンチもあればチャンスもある」と極めて楽天的に受け止める。

 「苦あれば楽あり」と、物事はすべて表裏一体のワンセット。しかし、順番を逆にしてしまうと絶対に落ち込む。「朝がくれば必ず夜がくる」「光があれば影がある」「出逢いは別れの始まり」「チャンスの後はピンチ」と暗くなってしまう。物事はすべて表裏一体であったとしても、どう捉えるかでかわってしまう。南欧の人々のように楽天的に考えれば明日は今日よりももっとよい日になるだろう。鴨長明のように「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」までなら無常ですむが、『別れの磯千鳥』にあるように「逢うは別れの初めとは」となると無情に変わってしまう。

 このところ井戸掘りは成功していないのに、「この辺りならちょっと掘れば水は出るでしょう」などと先輩は気楽に言う。「出るとは思いますが、掘ってみないと何とも言えません」くらいの言い方にして欲しいと頼むと、「イヤに慎重だねえ」と言われてしまった。過剰な期待を持たせて、水が出ればよいが、出なければかなり落胆させることになる。「後ろ向き」かも知れないが、それで水が出ればその時は大いに喜べばいいと思う。いずれも相手のことを思ってのことだが、その表現はいろいろだ。

 言葉は重すぎても軽すぎても相手を傷つけてしまうことがある。慎重になり過ぎると伝わらない。相手がどういうタイプかによっても受け止め方は違ってくる。ユーロ圏首脳会議でギリシア支援が合意されたという。どんな言葉が行き交い、合意に至ったのだろう。「恋愛なんてめんどくさい」という人は何が大切なのだろう。こんなこと考えてもどうにもならないのに‥。

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