友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

なでしこ決勝戦へ

2015年07月02日 18時05分32秒 | Weblog

 サッカー女子ワールドカップ大会の準決勝戦を見た。今朝8時から試合開始で、初めはちょっと押され気味だった。イングランドの選手は身体も大きく、走るのも速く、足も長い。なでしこのパスが通らない。イングランドの長いパスに冷やりとする。前半の半ばに、なでしこにペナルティキックのチャンスがやって来た。キャプテンの宮間選手がゴールを決め、一気に盛り上がった。これで優勝決定戦に進めると思った。

 ところがその直後、今度はなでしこが反則し、イングランドにペナルティキックを与えて、1対1となった。後半戦も互いに点が取れない。延長戦になるのかなと思っていた時、思わぬチャンスがやってきた。長いパスが通って、なでしこがイングランドのゴールへ向かう。相手はふたりで押さえ込もうとする。イングランドの選手の方がわずかに足が出て、ボールをキーパーに返そうとした。

 こういうことってあるのか。ボールは高く、ゴールの枠に当たった。イングランドの選手が日本のゴールに向かって蹴った時は、枠に当たって外に弾かれていたのに、守りのために蹴ったボールは枠の内に落ちた。ウオンゴールだ。これが決勝点となって、なでしこは決勝戦に進めることになった。ウオンゴールほど悲しいものはない。イングランドの守りの選手は泣き崩れていた。監督はじめ選手が集まってきて慰めていたけれど、本人は地獄の苦しみだろう。

 痛快な勝ち方ではなかったけれど、勝ちは勝ち、なでしこの選手たちは大喜びだった。古参の澤選手の目にも涙があった。「澤選手にすれば、みんな子どものようなもの、活躍が嬉しいのよ」とカミさんは言う。澤選手は先輩だが、お母さんではないから、そんな風に言うのは可哀相じゃーないの。それに母親は子どもの活躍を喜ぶけれど、子どもにとってはプレッシャーということもある。

 「少年Aの父母の手記」を読んでも、下重暁子さんの『家族という病』を読んでも、互いを知り合うことは難しい。良かれと思って行うことが、相手には伝わらないばかりか重りになる。スポーツのチームプレイならアイコンタクトで伝わるのに、どうして人は心を伝えることが上手く出来ないのだろう。伝わって当然という思い込みが災いしているのだろうか。

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