友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

虐殺は人間の本性なのか

2015年07月30日 19時10分28秒 | Weblog

 「人を殺す時は夢中だった」と、戦地に行った人は言う。殺していいのか?などと考えていたら逆に殺されてしまう。何も考えずに手当たり次第殺してしまったのだろう。人はどうして人を殺すことが出来るのだろう。殺すほどの憎悪はどこから来るのだろう。大量殺戮はなぜ止められなかったのだろう。そんなことが頭の隅にあり、日本モンキーセンターの講座『サルに学ぶ、人間の不思議』を聴きに行った。

 今日は、中部学院大学の公開講座で日本モンキーセンター所長の松沢哲郎教授の『知の探検 虐殺の成り立ち』を聴いて来た。松沢先生はいろんなサルの話とともに、実際に行って来たというアウシュビッツ、ルワンダ、クメールルージュの大量殺戮の写真などを見せ、「これは実際にあったことです」と前置きした後、虐殺がどうして行なわれるのかを推論していった。夏季の集中講義の1つなのか、大勢の大学生が聴講していたし、特別に県立高校の生徒も何人か聴きに来ていた。

 松沢先生の話は若い人たちにもよく分かるように、淡々と事実を見せながら、一挙に核心に迫る。私たちの仲間でもあるチンパンジーは仲間を殺さないかと言うと、実は縄張りを越えて入ってくるヨソのチンパンジーを7・8匹のチンパンジーが襲いかかり、喉を噛み切って殺してしまう。自分の血を受け継いでいない赤子も殺してしまう。人間が進化したものであるなら、その残虐性も受け継いでいると松沢先生は言う。

 人の殺戮には4つの要素がある。1)殺す人 2)殺される人 3)殺せと煽る人 4)傍観する人。1)と2)はチンパンジーに見られるが、3)と4)は人間社会だけに見られる特徴である。殺戮を「いじめ」に置き換えてもいい。煽ることと傍観することが、チンパンジーと違う人間の本性といえる。ところが同じ、仲間でもボノボはヨソの群れと争わないばかりかSEXしてしまう。ボノボも人間の仲間だから、ここに希望がある。

 松沢先生は、煽ったり傍観したりがなくなれば、殺戮もなくなるのではと考える。感情を伝達することや想像する力を高めることなど、人が持っている能力で虐殺を押さえ込むことが出来るだろうと結論する。教育と想像力こそが新しい世界を作り上げると私も賛同する。

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