友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

言葉は面白い

2015年07月04日 19時31分49秒 | Weblog

 言葉は面白い。この辺りの方言に「づつない」という言葉がある。「手の施しようがない」というような意味で使われる。その語源は「術がない」だったとは知らなかった。準備しておくことをこの辺りでは「まわす」と言う。「ごはん、まわしといて」といえば、ご飯の準備をしておくことだが、「まわす」が「根回し」からきているとは知らなかった。「かんこうしておいて」という言葉もよく聞く。よく考えておくという意味で使うけれど、秀吉の手紙に「勘考するように」とあるそうで、文字を見ればなるほどと思う。

 名古屋で出版社と古書店を経営する舟橋武志さんは独学の郷土史家だ。私が初めて舟橋さんと出会ったのは、彼が主催した小牧での古墳巡りだった。尾張の歴史を丹念に調べ上げていた。金にならないことをよくまあやっている人だと感心した。大和塾の講師探しの時、ふとどうしているのだろうと思った矢先に、中日新聞で舟橋さんを見つけた。名古屋弁について、講演している記事だった。早速、尋ねて行き、大和塾第44回市民講座の講師を引き受けてもらった。

 舟橋さんは岩倉の生まれ、祖母は西春の人。3世代同居の大家族だったというから、尾張弁の中で育ったのだろう。それぞれの地域にそれぞれの言葉が存在していたが、国が統一されれば言葉も統一される。それでも明治になる前は、各地に大名がいて統治していたから、地方独特の言葉が存在した。薩摩藩などは密偵を見つけやすいので、薩摩言葉を大事にした。書き言葉は同じでも話し言葉は全く違った。それではダメと考えた明治政府は全国統一の国語を確立した。

 その過程で方言の研究もされたようで、舟橋さんは柳田国男の「方言周圏論」を紹介した。京都の言葉が長い時間をかけて地方へと広がったという説である。だから意外にも尾張と同じ言葉が岡山にあったりする。また江戸時代の国替えで言葉が換わったり、参勤交代で江戸の文化が地方へまた逆の場合もあって、言葉は留まるよりも伝播していった。今日の講演にはなかったけれど、江戸文化を象徴する花魁ことばも、意思疎通を図るための共通語であったという説がある。

 なるほど言葉は面白い。

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