goo blog サービス終了のお知らせ 

友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

花の命は短いけれど

2013年11月05日 18時30分52秒 | Weblog

 朝夕、すっかり冷えてきた。井戸掘りの仲間が「今日はチューリップの土の入れ換えに専念していいよ」と言う。「4月の『チューリップを愛でる会』を楽しみにしているからね」と付け加える。井戸掘りは4日でケリをつけるつもりでいたのに、依頼主が「何とか掘れんかね」と言うので、結局もう1つ掘ることになった。ここの地質は2メートルくらいから下がドロ状態で、どんなに掘ってもドロばかりである。水は見えるのだが、汲み上げても汲み上げてもドロ水で、これではとても井戸として使えない。

 私の勘では、この家のどこを掘っても変わらないと思うけれど、依頼主から頼まれたならもう一箇所だけ掘ってみることに異論はない。そこで4日の午後から2本目を掘り始めたが、やはり2メートル辺りからドロが出てきた。明日、さらに深く掘ってみて、同じ状態なら諦めていただく以外ない。頼まれたのに期待に応えられないというのは辛い。何とかして応えたいと思う。けれどもやはり、出来ないことは出来ないと結論を出すことも大事だ。

 それにしてもと思う。鉢の土を出して、残っている根を取り除き、バーク堆肥と赤玉土を加えて混ぜ合わせて、鉢に戻す作業を黙々と続けながら、「楽しみにしている」の言葉を思い出して笑ってしまった。「花の色は うつりにけれな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに」の小野小町ではないけれど、花を楽しめる期間はわずかでしかない。チューリップも桜もヒガンバナも1週間楽しめればいい。アッという間に終わってしまうことに、どうしてこんなに時間を費やすのだろう。

 人生も同じだ。輝いているのはアッという間に過ぎてしまう。花は誰かが「美しい」と言ってくれるけれど、人生の輝きは自分でも分からない。花を楽しむためには、種を蒔いたり水をやったり、それなりの苦労が必要だ。「必要以上に手をかけないこと」が植物には大事だが、放っておいては見事な花にはならない。花を見たければその前の作業を怠ってはならない。人生と花と似ているようで似ていない。人生は何をどう努力すればいいのか、分からないまま終わりそうだ。

 そんな馬鹿げたことを考えながら、スコップで土をかき混ぜる。井戸掘りの時の腕の痛みがさらに増したように感じる。明日こそ、ケリをつけたいと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする