ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

初夏の大原、三千院へ。修学旅行では感じなかった何かが、静寂の山里の寺に。

2011-06-23 | 旅行
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梅雨の合間をぬって、ミモロは、京都洛北の大原へと向かいます。

大原は、かつて都人が、世俗の雑踏から離れ、静かな時を過ごした場所。
京都の中心部から、車で30分ほどで到着する大原の山里には、今も、ひっそりとした時が流れています。


「なんかすごーく久し振りに来たみたい・・・何見たのかなぁ」という私。

三千院といえば、修学旅行のメッカのひとつ。中学や高校のときに訪れたことがあるという方も多いのでは?

「でも何も覚えてないの?」とミモロに聞かれ、「うーん、何にも覚えてない・・・・」
確か、ここに来るのは、3度目なのに・・。
建物や庭の雰囲気は、もちろん覚えているのですが、私のいう覚えていないという感覚は、
そこで何を感じ、何を思ったかということ。

旅をするとき、一番面白いと思うのは、そこを訪れて、ただ、史跡や建物を見るという行為だけではなく、それが一体どういうもので、それを作った当時の人たちが、どんな思いでいたのか・・・・。そういうことを想像するのが、最近、とても面白くなっています。

「それって、年齢のせいじゃないの?」と、鋭いミモロの突っ込み。

年齢を重ねて、人生でいろいろな経験をしてから、旅をする・・・。
若い頃の未知なるものへの湧き出るような好奇心とは、違う、
静かで、より深い思いが、旅をする楽しみにプラスされるのです。

三千院は、天台五門跡(青蓮院、毘沙門堂、曼殊院、妙法院、三千院)のひとつで、
天台宗の宗祖、最澄上人(767~822年)が、比叡山延暦寺建立の際、草庵を結んだのが始まりとされます。
その後、京都市内の各地を移転し、現在の地に至ったのは中世になってから。また「三千院」の名は、明治以降
称されるようになったそう。(詳しい歴史に興味のある方は、三千院のホームページで)
また、仏教音楽の声明の発祥の地でもあり、浄土信仰の聖地として崇められている寺です。

山に抱かれたように、およそ2600平方メートルの敷地の中にある寺は、いつ訪れても、どこかしっとりとした気の流れと
静寂の中にあります。




ミモロもしばし静寂に身を置き、深い杉木立を渡る風の流れ、静寂に響く鳥の声に耳を済ませます。

ただ、そこにじっとしている。そんな時間が心に沁みます。


境内のほぼ中央に位置するのが、往生極楽院。平安時代の佇まいを今に伝える建物です。
国宝の阿弥陀三尊像が、納められている御堂です。そこにミモロは向います。


「この中に阿弥陀様がいらっしゃるんだよ」(残念ながら撮影は禁止)

ご本尊の阿弥陀三尊像は、お堂の大きさに比べ、かなり大きめ。
そのため、建物の天井の船の底を引っ繰り返したような船底天井に。
天井、壁面、柱のありとあらゆる部分には、極彩色の絵で埋め尽くされ、人々が憧れる極楽浄土を映しています。

中央に鎮座される阿弥陀様は、とても穏やかな面持ち。あらゆる人の心を包み込んでくださるようなお姿です。
「大きな阿弥陀様だね。どうぞミモロも将来、極楽にお連れ下さいませ・・・・」
ミモロは、深々と頭を垂れて、お祈りしました。

お堂を出たミモロが、赤い門を見つけます。
「あそこから、どこかに行けるのかな?」



あれは朱雀門。かつてここは、本堂であった正門で、残念ながら、現在は、閉鎖されています。

ちなみに、これが外から見た朱雀門。江戸時代に再建されたもので、ひっそりと佇んでいました。

苔むした階段が、閉ざされてからの長い時間を物語っているようです。

広大な敷地の境内には、自然がいっぱい。初夏の今、散策に気持ちよさは、いっそうです。


「ここには、山の精がいるね・・・」小さな滝など、清き水のせせらぎが、散策路に。


山野草の可憐な姿にも心癒されます。



ご本尊の阿弥陀三尊像は、必ず見ているはずなのに、今まで、なんの記憶もありませんでした。今回、再び、お姿を拝見し、その眼差し、面持ちの穏やかさ、そして逞しさを強く感じ、しばし、その前から動くことができないほど。ただ御前にいることに、
心の安らぎを覚えました。私のそばでは、中学生らしいグループが、「デカイ!」と言って、ペコリとお辞儀をして、さっさと立ち去って行きました。昔は、きっと私も彼らと同じ。年月は、さまざまな経験と同時に、多くの後悔や悲しみをももたらすもの。
あの中学生たちが、将来、再び、この仏の前に訪れたとき、どのような思いで眺めるのでしょう。今、再びここにいられる事。
それだけで、多くの感謝と喜びを感じずにはいられません。

散策路を歩いていたら、50代くらいの女性が、「京都、大原三千院、恋に疲れた女が・・・」と、あの名曲「女ひとり」を
口ずさみながら、しんみりと歩いていました。
確かに、ついここに来たら、あの歌が浮かびますね。(う、歳がわかる?)YOUTUBEで配信されています、聞いてみて・・・。
私は、ずっと恋に破れた女だと思っていて、疲れた女だと改めて知りました。






















コメント
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