蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

足掻き(あがき)

2021-03-08 | 暮らし
台所の流しにボールを置いたところ、スマイルピース模様になった。
きゃあ、かわいい!と小学2年男子の孫に見せたところ、無反応。
まあ、そんなものである。
で、ブログ先の皆様に見ていただこうと、空中無重力一人遊びしている。

さて、断捨離、姑。
彼女は家をリフォームをするにあたり、晩年、断捨離をした。
わたしが夫の実家に置いていた、独身の若い頃の、洋服箱に入れた綺麗なままの洋服も、要るか要らないか見てほしいと言われた。
お出かけ着にしていたので、汚れもせず本当に綺麗だったが、いくらなんでも体型も変化しているし、泣く泣く見送り手放した。
姑は自分のモノも断捨離チェックをするにあたり、当時手伝ってくれていた女性のアドバイスを受けた。
「今、正確な意識があるうちに大事なモノは大事な人にあげるといいですよ」と。
わたしは、大事な人のうちの一人(末席?)だったようで、美しいスカーフやら新古品エプロンやら、なんやらかんやらをもらった。

しかし、わたしは、もらうのがとことん好きなようで、なんでもかんでももらった。
だから断捨離すると、ほとんどはもらいもののような気がする。
基準がはっきりしているから捨てやすいというものだ。
しばらく要らないからと夫の実家に30年近く置いている実用品も、最近持ち帰ったりして、過去の自分から現在の自分への新古品プレゼントだ。
本当にモノが大好きなようだ。
家まるごとトランクルーム。
私設プライベート民俗資料館。

わたしが居なくなれば全て廃棄。
それなら自分が元気なうちに廃棄しておけばよい。
ところで、、、
KLMオランダ航空グッズの陶器のヨーロッパのお家シリーズが、老人介護施設の自室前に飾られているのを見た。
わたしの場合、チョイスしないと玄関に置ききれない。
ダンボール箱玄関用3箱ぐらい?
なら、まあ良しとしよう。

断捨離の話になると筆の進みが遅い。
こころが弾まない。
やはり、モノはわたしに癒しや活力を与えてくれているのだろう。
無理矢理引き剥がすこともないかと、、、
正常な判断で思うわけだが、、、それはどうやら正常ではないらしい、、、。
何が正常で、何が正常ではないか?
思うに、自分の身に降りかかることでマイナスなら正常ではなく、なんともないなら正常で、プラスに作用するなら正常でも異常でもなく、どうでもいい、なんでもいいのかも知れない。
要は自分との利害関係によるのでは?
遺品整理、断捨離させられるのは鬱陶しい。
だから迷惑をかけないよう、高齢にならないうちに棄てろ、ということか。
自分以外の人、家族に迷惑をかけないため。
一度に断捨離すると大変だから少しずつ。
全ては自分のためではなく、遺された人に迷惑をかけないため。
自分軸ではなく他人軸。

ではあるが、、、
自分のしたいように人生を送れないの?
残す時間も少しになってきて、わずかな貴重な時間を捨てたくないものを無理矢理捨てる作業に当てるのか?

そんなに家族に迷惑になるなら、お金をついでに残しておくから、モノも残す。
そのお金で遺品整理業者に依頼してほしい。
だめなのだろうか?
自分の家、近隣にまでゴミが溢れてゴミ屋敷化して虫がわくわけでもない。
自分の家に自分の好きなものを置いておくことがそんなに別居している遺された家族に迷惑なのか。
苦しんでなかなかあの世に行けず家族の手を煩わせるよりは、気分良くご機嫌で旅立てると思うのだが。
しかし、すんなり逝ける保証はない。
山もりガラクタどっさりに加えて、家族に世話してもらう期間が長く、なかなか旅立てない、ということもあり得る。
せめて、モノだけでも片付けておく?
終活。
そんなにまでして迷惑をかけないことに、こころを砕かなければならないのは憂鬱だ。
もう天国は間近だというのに。
最後まで優等生を演じなければならないのか?
自分の人生なのに。

立つ鳥跡を濁さず。
濁しまくりは、美しくないことも確かではある。
見苦しい足掻きによって、明らかに濁っている。

ちなみに、濁っていてはだめなのか?
(延々と続く、往生際の悪い足掻き論、、、)



断捨離

2021-03-06 | 暮らし
電車の改札口手前、激昂するビジネスマン。
大声で電話相手を怒鳴る。
だんだん罵声、怒号になる。

「いつまで待たせるねん!」

これはよくある話。
だが、後に続く言葉は深刻。
「お前とこなんか、潰れてもええんや!このカス!」
みたいな暴言が耳に否応なしに入ってくる。
28日、最終回を迎えた4部作のNHKテレビドラマ「6畳間のピアノマン」の原田泰造演じるパワハラ上司がオーバーラップする。
このストーリーは、小説「逃げ出せなかった君へ」が原作らしい。
ピアノマンを演じていた青年役は、古舘伊知郎さんのご長男のようだ。
この人、初めて知ったが、愛くるしい顔をしておられる。
私のアタマの中にピアノマンの音楽がしばらくヘビーローテーションで流れていた。

と、まあそれはいいとして。
コロナ渦で世の中の皆さん、余裕がないのかなあと。
自分はといえば脳内楽園で、これまた笑えないが。

ちなみに、ダイナミックな断捨離をされている方がいる。(ジャズ屋さん)
ブログで拝読した。
芸術家は潔いなあと感心する。
わたしは子供たちの幼稚園の時の作品さえまだ捨てていないものがある。
自分のモノも然り。
家に遺されたモノも然り。
NHKテレビで遺品整理の特集を見た。
また、別番組では津波で流されたモノを持ち主に還す運動も紹介されていた。
モノが、こころの傷を癒してくれることがあるそうだ。
喪失感を埋めてくれる少しでも助けになるとか。
何でもかんでも捨てるのがベストであるとは限らない。
当然ながら不必要なモノを何でもかんでも置いておくのもいかがなるものか。

歴史の物証として当時の記録の実物、ホンモノを見せられると力強く訴えるものがる。
データもさることながら、そのモノずばり、物理的に残っているものは雄弁に語る。
自分自身は歴史とはまた別のところで生きているから、日本史とは違う場所になるが。
歴史が作られた当時の、その他大勢の一人ではある。
自分が生きた証は、一番わかりやすいところでは、DNAの継承。
無から人間が創造された。
それだけでも十分だ。

長男を産んだ時、わたしの全ての使命は達成されたと感じた。
あとは余生である。
が、長男、、、といっても、世の中の流れというものがあり、、、
後継は長男とは限らない。
(次世代、皇室後継も保留のままだし)
血が繋がっている人とは限らない。
あとを継がない選択だってある。
立派に負の遺産を清算する役割の代だってある。
何でもScrap & Bildで、歴史は繰り返される。
戦争がその最たるものだが、愚行は人類のDNAに刷り込まれているとしても、絶対に避けたい。
平和な市民デモ隊が銃撃を受ける国もある事実。
その様子が毎日のニュースで否応なく流れて来る。
ぺらぺらと解説したりコメントしたり、自分は安全な場所にいて対岸から無力さを露呈するだけなら、何も書かないほうがいいのだろうか。

と、断捨離には残酷な側面がある。

その一方で、平和な断捨離、、、さて、わたしの断捨離。
まだここ当分は引越ししないから、切羽詰まってない。
しかし、だんだん、モノを遺すということはどういうことか、身をもって体験し始めている。





事実は小説より奇なり

2021-03-01 | 日々のこと
全くアカの他人の人生を知るのは、作家が書く小説なり自伝なりを読むようなものか。
事実は小説より奇なり、で感情移入する。

私立探偵を生業にしている人から聞いた話。
詐欺師や嘘つきは、一つだけ本当のことを混ぜるそうだ。
そうすることによって、嘘にリアリティを持たせる。
探偵や警察は、その一つだけの真実を手掛かりに、嘘を解明していく。
これはなかなか面白いことだと感心した。
この探偵さんをまたまた師匠にしたいぐらいだ。
プロにはプロの経験と勘がある。

小説や映画で見ていることが実際に起こると、まずは自分の事としてピンと来ない。
作り事かと思う。
しかし、事実だとわかると、「想像」と「創造」は仲間、仲良しグループで、「真実」もそのグループの一員なのではなかろうかと、、、。
どれが真実でどれが嘘で、もはやボーダレス。
国会答弁でも、前日、言っていたことを舌の根も乾かないうちに否定、取り消したり、は、まるで普通の日常。
国民も麻痺する。
何を信じていいのか、どこまで信じていいのか。
信じられるのは自分のみ!であるのにもかかわらず、わたしの場合、自分が一番信じられない。
いつも白昼夢を見ている副作用、弊害か?
いや、老化で脳が楽園に?

現実逃避を繰り返すと、アタマがおかしくなるのでは?
しかし、わたしは、もう一人の自分がいて、検事と弁護士を行ったり来たりしているから、そう偏らないと思っている。
が、いつも両極端なため、真ん中ドンピシャあたりの感覚が掴めない。
だから、普通の一般的ゾーンだけを持っている人とは分かり合えないように思う。
仕方ない。

真ん中がない不幸せ。
いや、幸せかも?
どちらもだろう。
無理矢理、中間を取って、真ん中ゾーンに位置しているが、理性と打算と社会人としての自覚でそうさせている。
常識というものを自分の尺度で作っている。

ところで、、、
ごくごく最近、限りなく不快なものを見た。
電車の内外で。
内臓が口から出そうなほど気分が悪かった。
それは、弱者とされている人が駅員さんや他人にお世話になっておきながら、感謝どころか、横暴な振る舞いをして怒鳴り威嚇する。
わたしも、された経験がある。
彼らの生きづらい事情はわからないでもないが、仕事や善意で手を貸してくれている一般の人々に噛み付くのは、許されるのだろうか。
ごく一握りのそういう人の蛮行のせいで、多くの弱い立場の人々が同じような目で見られては、あまりにも気の毒だ。
自分を自分で律せないのは仕方ないにしても、周りや社会への影響が大きい。
が、全部の人がそうではなく、一個人の特徴と捉えて、わたしは気分の悪さを押し殺している。


ちなみに、、、
裕さん、それわかりますよ、針いっぱいヤマアラシ。
ウニも外はイガイガですが、中は思ってもみないほど、とても美味しいです。
(あ、食べたらダメか)