蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

唯一無二の無価値

2021-06-21 | 日々のこと
一人住まいをしていた次女が戻ってきた。
いつも(夫不在の時は)一人で思いっきリラックスし、思いっきり手抜きの服装、食事で、思いっきり自堕落な生活を満喫していたが、、、
そうはいかないようになってしまった。
わたしのだらしないダラダラ生活、、、大好きだったのだが、、、

今は、二人でいつまでも顔を突き合わせて喋っているわけにもいかず、口だけでなく手を動かして掃除をしたり、何らかのことをせざるを得ない。
別にしなくてもいいのだが、二人でずっと動かないでいると息が詰まるから、停滞した空気を打破させる手段だ。
で、働き者になってしまい、疲れている。
気疲れするあまり、身体を動かして身体が疲れている。
本末転倒?
いや、人間は、最低限のことはしなければならない、動ける間は働かなくてはならないということを身をもって体験している。
自主的なので、自分勝手にやっている。

謎の部分が多いわたしなのではあるが、謎に迫られると、例え最愛の娘であっても、距離を取りたくなる。
これはなにも嫌いだから、とか、理解不能だから、受け入れられないからとか、分裂、分断、破綻の成れの果て、ではない。
どんな好きなものでも、美味しく食べられる量やタイミングがある。
それに似たようなもの。
大好きな状態を作る、キープするには、最上の質を継続するための方法がある。
好きなら好きなほど、それは必要不可欠だと思っている。
料理だって、塩を入れ過ぎたり、煮込み過ぎたりして、よかれと思って欲を出して、やり過ぎて失敗することはよくある。
お互い自然に距離感を設けると、楽しい時間はいつまでも続く。

というわけで、彼女が自室に戻っている今は、一人の時間が確保されて、ああ、やっとブログタイム。
家族でわいわいも好きだけれど、一人タイムも好き。
関わり合いには程よい距離感を求める。
過度ではなく、適度な依存し合いが心地よい。
が、いつも理想通りには行かないのがまた妙味、スパイスになる。
アップダウン、良い時も悪い時もある。
楽あれば苦あり。苦は楽の種。


ちなみに、iPhoneウォッチ、どうにか相棒として働いてくれている。
長女が、昨日、我が家に訪れた時、「なんで家で時計つけてるん?」と驚いていたが、新品のピンクの美しい時計を家の中で肌身離さず着けるには少々抵抗がある。
が、スマホと連動する万歩計が欲しくて手に入れたものなので、着けないと意味がない。
雨に濡らすのが嫌で新品の傘を使わないようなもの。

しかし、この美しいピンクの美女(iPhoneウォッチ)に、振り回されている。
美しいのだが、手強い。
なかなか思い通りにならない。
次女が見るに見かねて、スマホを一旦、強制終了して、あれこれ設定に手を加えてくれた。
「これは苦心している老人に対するボランティアやで」と、余計な一言付き。
まだ、未解決なこともあるが、美女には謎がお似合いなので、とりあえずはあまりムキにならず、これで行く。

しかし、使うに従って、iPhoneウォッチの、今までは思い浮かばなかった自分が求めている潜在的な理想の機能に気づき、定まってきた。
それは、今回のiPhoneウォッチの機能とは違うもの。
が、一昨日、手に入れたばかりなのにそんなに早くに買い換えるわけにはいかず、兎にも角にもここ数年はこれで行く。
使ってみないと自分の潜在的欲求は見えないものだ。
明確に自分の要望をはっきり自覚して捉え、外に表すことが出来なかったわたしが、未熟。
自分のこころの声を聞くステップの一つだろう。
精神的な声は年がら年中、小さい頃から自問自答して聞いているわたしだが、機器に関しての要望に耳を傾けたのは初めてだ。
わたしの要望、ウォンツを自分で拾い上げるのに時間がかかり、やがてニーズになって買う頃には改善され、もっと進化した商品が並んでいることだろう。
逆に、そんなものは売っていないかも知れない。


話はころっと変わる。
英語がちんぷんかんぷんの知人。
我々の学生時代は英語は受験には不可欠。
国公立・私立大には、文系理系も必須。
だから、英語を必要としない学校へ。
当時の日本では、一生安定した大手企業に就職するには、そこに入れる条件を必要とした。
帰国子女枠なら別なのだろうけれど、英語である程度点数が取れない時点で、大企業や研究者、教育者などへの道の第一ステップの入り口に入れなかった。
と、前置きが長い。

しかし、絵に描いたような模範安定志向枠外の人は大勢いる。
むしろ安定コースはエリートと呼ばれ、少ないのかも知れない。
英語はエリートコースには必要不可欠だったと感じた。

長々と前振りばかりが続くが、
その英語がちんぷんかんぷんの知人は、英語なんか出来なくても、いずれ英会話アプリや翻訳アプリが出回るから、大丈夫と豪語し、呑気に構えていた。
海外旅行に行くわけでもないし、日本にいる限り、生活手段として英語は必要ではない。
外国人とコミュニケーションを取るにも、日本に来る外国人は日本語をわかろうと努力するから、日本にいる日本人が必死で身につける切迫感はない。
島国のこういう状態が、英語後進国になったわけだが、今は小学校、いや、保育所でもネイティブスピーカーの先生を雇って英語教育に力を入れる。

それはそれとして、
その英語ちんぷんかんぷんの知人は、一生、英語を使う機会もなく、不便も不満もコンプレックスも抱かず、生涯を終える。
幸せだと思う。
安定した大企業にしか幸せを見出せなかった人も、時代が変わると共に価値観も変わる、、、はずなんだけど、やはり、大きなものは、そう簡単には変わらない。
時代は変わっても未だ社会の壁となって立ちはだかる。

英語ちんぷんかんぷん知人の肩を持つつもりで書き始めた今日のブログだが、、、
英語に触れずに生きていく、周りと関わる、その人の生き方や価値観は、その人の生きてきた軌跡から形成される。
(外国で現地人と結婚するケースもある)
人には人の背景があるので、皆、同じではない。
お互い、理解できなくて当然だ。
だが、「理解できない」ということがわかればよい。

ところで、
昨夜の林修先生のテレビ番組で、ドラマ「ドラゴン桜」の続き時間に、東大に16歳で合格した韓国人男性(28歳)がインタビューされていた。
こころに刺さる名言の数々があった。
「手間を惜しむためにすることには、手間を惜しみたくない。
=手を抜くためにすることには、手を抜きたくない」
「『唯一無二の価値』と、『唯一無二の無価値』は違う。
役に立たないものは例え唯一無二でも価値はない」
そう言っていた。痺れた。
わたしは、正に、手間をかけないために、最大の手間をかける、典型的人間だ。
そして哀しいことに、「唯一無二の無価値」を自負している。
自分の価値は世界共通に価値があるわけではなく、自分一人にだけ価値がある。
それ、悪い?
自分にも価値がなく、他の人にも価値がないより、自分だけには自分が価値がある、って、明るく楽しい世界観だと思う。
唯一無二の無価値の自分に、最大の価値を置く自分。
自分を救うのは自分。
他の誰でもない。

※蛇足
自己肯定一直線に妄信、猛進して開き直るのも一つの道ではあるが、そこでもう一踏ん張りして、自分にだけではなく他の人にも価値があるよう頑張り努力すれば、世の中の役に立つ人になるんだろうけれど。
器も色々ある。



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1 コメント

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あらっ (はるのとり)
2021-06-24 08:45:30
こちらにコメントしたつもりでした。
https://blog.goo.ne.jp/mildmind2/e/d0e68914afb7b391b39f3b97bb3d03ff

ちょっぴり間違え。すみません。(_ _)*

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