私は、コワいもの知らずだった。
なんでも、自分の実力を考えないで、どんどん進んでは、ぺちゃんこに大破。
恋もそうやって、勝手に一人で発火し、木端微塵(こっぱみじん)、
やけ酒を飲んで紛らわそうとしたこともあった。
結局、紛れないし、体がしんどいだけなので、お酒路線は、やめた。
というより、自分本位の考え方を見直した。
そもそも見直すのが遅すぎる。
乳幼児は、ストーブに近寄ろうとすると、母親が、危険なものは回避できるよう教えてくれる。
私は、母親の存在を知らずに、直にストーブを触るタイプなのだろう。
その割には、子供の頃にはヤケドもしていない。
今、コワいもの知らずの初心者を見ると、お元気だなあ・・・と感心する。
そして、自分の苦い思い出が蘇える。
昔、英語を習った。
学生時代は、全ての教科、どれも大嫌いな中で、英語も嫌いだけれど、
無理に選ばなければならないとすると、英語かな、という、超・消極的選択から、
英語だけ、マジメに勉強した。
さして、いい成績ではないけれど、他の科目と比べると、まだマシだった。
希望校受験には、英語は不可欠だったし、人並み程度に学習した。
(「人並み」の基準は、自分本位で実にいい加減だけれど)
言っておきますが、
今の私の英語の実力は、地を這っている。
コミュニケーション能力は、言語をほとんど介さず(言葉を発しているが、理解してもらえず)、
ジェスチャー、ボディーランゲージ、時には筆談で、
相手のボランティア精神、熱意に頼る。
昔、昔、アメリカにほんの短期間、滞在した。
その時に思った。
「わたし、この国では、生きていけない」
語学の壁に、ぶち当たっていた。(当然だ)
介添え者や、ナビゲーター、親切な案内人がいないと、一人では、ただの彷徨える人。
ホームレスと、遊び人の中間ぐらい。
現地では、私をヒスパニック系だと思った人もいた。
言葉が出来ないから?
仕事もせずに、日中、ふらふら。
フィリピーナと間違えられることもあった。
現地で、ちゃんと地に足つけて、しっかり勉学に励んだり、働いている風情は、ゼロ。
かといって、さすらいの旅人、牧歌的雰囲気もゼロ。
ただの、へんな人だったんだろう。
私が切に感じたこと。
私には、絶対的ボキャブラリーが不足している。
話をするにも、幼児程度の語彙では、大人の会話はできない。
しかも、発音、ヒアリングがダメだから、外で昼食もまともに食べられない。
「ねえ、連れてって」と、結局、知り合いに、ぴたり寄り添い、頼ってしまう。
帰国後、一念発起して、語学をやり直す、目的意識もなかった。
根気、熱意もなかった。モチベーションも低かった。
自分の生活設計を、日本国内に絞るという、安易な選択で、お茶を濁した。
ちょこっとかじっては、あれも、だめ、これも、だめ。
ハナシは、社交ダンスのことになるが・・・
ダンスの初心者の方が、大きなことに挑戦するのを目の当たりに見て、
とても複雑な心境だ。
気持ちは、気持ちとして、挑戦する内容が、気持ちだけではどうしようもない、
練習の時間、絶対量や、鍛練、先生との相性、いろんなことがクリアーできて、大きな大会に出られる。
それを、まだハシリの段階で、挑戦するのは、どう見ても無謀だ。
私は、自分の実力も顧みず、いろんな無謀な失敗を数々繰り返してきた。
客観的に実力を知った上で、それからの努力が勝負だというのに、
その、そこからが、脱落。
入口近くでウロウロしている人は、ゴマンといる。
その苦しさを乗り越えてこそ、ある程度のどころまで行けるのに、肝心の頑張りが出来ない。
今までの人生、自分の中で、思い出したくない汚点をいっぱい残している。
それを挫折というのだろう。
挫折だらけの人生って、カッコ悪い。
なにごとも習得するには、苦労が不可欠だ。
(→残りの人生も短いのに、肩肘、張りすぎ)
もっとリラックスしよう・・・
・・・言っていることが、バラバラだ・・・
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なんでも、自分の実力を考えないで、どんどん進んでは、ぺちゃんこに大破。
恋もそうやって、勝手に一人で発火し、木端微塵(こっぱみじん)、
やけ酒を飲んで紛らわそうとしたこともあった。
結局、紛れないし、体がしんどいだけなので、お酒路線は、やめた。
というより、自分本位の考え方を見直した。
そもそも見直すのが遅すぎる。
乳幼児は、ストーブに近寄ろうとすると、母親が、危険なものは回避できるよう教えてくれる。
私は、母親の存在を知らずに、直にストーブを触るタイプなのだろう。
その割には、子供の頃にはヤケドもしていない。
今、コワいもの知らずの初心者を見ると、お元気だなあ・・・と感心する。
そして、自分の苦い思い出が蘇える。
昔、英語を習った。
学生時代は、全ての教科、どれも大嫌いな中で、英語も嫌いだけれど、
無理に選ばなければならないとすると、英語かな、という、超・消極的選択から、
英語だけ、マジメに勉強した。
さして、いい成績ではないけれど、他の科目と比べると、まだマシだった。
希望校受験には、英語は不可欠だったし、人並み程度に学習した。
(「人並み」の基準は、自分本位で実にいい加減だけれど)
言っておきますが、
今の私の英語の実力は、地を這っている。
コミュニケーション能力は、言語をほとんど介さず(言葉を発しているが、理解してもらえず)、
ジェスチャー、ボディーランゲージ、時には筆談で、
相手のボランティア精神、熱意に頼る。
昔、昔、アメリカにほんの短期間、滞在した。
その時に思った。
「わたし、この国では、生きていけない」
語学の壁に、ぶち当たっていた。(当然だ)
介添え者や、ナビゲーター、親切な案内人がいないと、一人では、ただの彷徨える人。
ホームレスと、遊び人の中間ぐらい。
現地では、私をヒスパニック系だと思った人もいた。
言葉が出来ないから?
仕事もせずに、日中、ふらふら。
フィリピーナと間違えられることもあった。
現地で、ちゃんと地に足つけて、しっかり勉学に励んだり、働いている風情は、ゼロ。
かといって、さすらいの旅人、牧歌的雰囲気もゼロ。
ただの、へんな人だったんだろう。
私が切に感じたこと。
私には、絶対的ボキャブラリーが不足している。
話をするにも、幼児程度の語彙では、大人の会話はできない。
しかも、発音、ヒアリングがダメだから、外で昼食もまともに食べられない。
「ねえ、連れてって」と、結局、知り合いに、ぴたり寄り添い、頼ってしまう。
帰国後、一念発起して、語学をやり直す、目的意識もなかった。
根気、熱意もなかった。モチベーションも低かった。
自分の生活設計を、日本国内に絞るという、安易な選択で、お茶を濁した。
ちょこっとかじっては、あれも、だめ、これも、だめ。
ハナシは、社交ダンスのことになるが・・・
ダンスの初心者の方が、大きなことに挑戦するのを目の当たりに見て、
とても複雑な心境だ。
気持ちは、気持ちとして、挑戦する内容が、気持ちだけではどうしようもない、
練習の時間、絶対量や、鍛練、先生との相性、いろんなことがクリアーできて、大きな大会に出られる。
それを、まだハシリの段階で、挑戦するのは、どう見ても無謀だ。
私は、自分の実力も顧みず、いろんな無謀な失敗を数々繰り返してきた。
客観的に実力を知った上で、それからの努力が勝負だというのに、
その、そこからが、脱落。
入口近くでウロウロしている人は、ゴマンといる。
その苦しさを乗り越えてこそ、ある程度のどころまで行けるのに、肝心の頑張りが出来ない。
今までの人生、自分の中で、思い出したくない汚点をいっぱい残している。
それを挫折というのだろう。
挫折だらけの人生って、カッコ悪い。
なにごとも習得するには、苦労が不可欠だ。
(→残りの人生も短いのに、肩肘、張りすぎ)
もっとリラックスしよう・・・
・・・言っていることが、バラバラだ・・・
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