彼女は日々(ひび)の生活(せいかつ)に味気(あじけ)なさを感(かん)じていた。何の変化(へんか)もなく、楽(たの)しいことや幸(しあわ)せを感じることもなかった。彼女はひとりだ。彼氏(かれし)がいるわけでもなく、仲(なか)のいい友(とも)だちも存在(そんざい)しなかった。そんな彼女の前に、一人の男性が現(あらわ)れた。そして、唐突(とうとつ)に言うのだ。
「僕(ぼく)と契約(けいやく)を結(むす)びませんか? あなたの人生(じんせい)を覗(のぞ)かせてほしいんです」
どうやら彼は作家(さっか)のようだ。新作(しんさく)の題材(だいざい)を探(さが)しているのだ。でも彼女は、
「あたしの人生なんてつまんないですよ。何もないですから…」
「失礼(しつれい)ですが、お金(かね)に困(こま)ってますよね。今の派遣(はけん)の仕事(しごと)も今月(こんげつ)で終(お)わりなんでしょ」
「ど、どうして…そんなこと…。あなた…、何なんですか?」
「僕と契約を結べば、毎月(まいつき)謝礼(しゃれい)をお支払(しはら)いします。家賃(やちん)も払えますよ」
「だから…。あたしには何にもないって言ってるじゃないですか。会社(かいしゃ)とアパートの往復(おうふく)だけで、面白(おもしろ)いことなんか…」
彼は笑(え)みを浮(う)かべて言った。「それは、大丈夫(だいじょうぶ)ですよ。何の問題(もんだい)もありません」
彼女は警戒(けいかい)するように、「あたしのこと、欺(だま)そうとしてるんですか?」
「とんでもない。欺そうなんて…。あなたは何もしなくていいんです。僕と契約を結んでいただければ、波瀾万丈(はらんばんじょう)の人生をお約束(やくそく)します」
彼は微笑(ほほえ)んで手(て)を差(さ)し出した。彼女はまだ迷(まよ)っていた。彼は、
「何の心配(しんぱい)もいりません。楽しい人生が待ってますよ。さぁ、始(はじ)めましょ!」
<つぶやき>彼女は契約しちゃうの? 波瀾万丈の人生って、ほんとに大丈夫なのかなぁ。
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彼女は待(ま)っていた。その時(とき)が来るのを…。彼女には分かっている。彼が、自分(じぶん)に好意(こうい)を持(も)っていることを…。これには、確信(かくしん)があった。
彼女は、彼が告白(こくはく)しやすいように画策(かくさく)する。二人だけになれる機会(きかい)を増(ふ)やし、そして彼女からも話しかけて告白しやすい雰囲気作(ふんいきづく)りにつとめた。
しかし、それでもだ…。機会(きかい)はいくらでもあったはずなのに、彼は告白に踏(ふ)み切(き)らない。なぜだ! 彼女は思い悩(なや)んだ。まさか、私の勘違(かんちが)いだったのか?
彼女は即座(そくざ)に否定(ひてい)した。彼女の確信はこんなことでは揺(ゆ)らがない。
そうよ。彼は、私に惹(ひ)かれている。それなのに…。きっと何かあるはずよ。告白を妨(さまた)げていることが…。まさか、他(ほか)に狙(ねら)っている女がいるのか? いや、それはないはずよ。彼の女性関係(じょせいかんけい)は調(しら)べがついている。特定(とくてい)の女性と付(つ)き合っている形跡(けいせき)はなかった。
こうなったら、こっちから告白して――。
しかし、彼女にはそんな勇気(ゆうき)はなかった。こっちから告白するなんて…そんな恥(は)ずかしいこと…。彼女は見た目(め)よりも小心者(しょうしんもの)なのかもしれない。でも、そんなこと言ってられなくなってきた。昨日(きのう)のことだ。彼の前に可愛(かわ)いらしい女が現(あらわ)れた。どこから湧(わ)いて出たのか知(し)らないが、やけになれなれしく彼と会話(かいわ)を交(か)わしていた。
彼女に、もはや猶予(ゆうよ)はなかった。いま決断(けつだん)しなければ、彼はどんどん離(はな)れて行ってしまう。ただの友(とも)だちで終(お)わってしまうのだ。ここは行動(こうどう)あるのみだ!
<つぶやき>その自信(じしん)はどこからくるのでしょうか? ここは素直(すなお)な気持(きも)ちを伝(つた)えましょ。
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死(し)を目前(もくぜん)にしたとき、人は何を思うのでしょう。走馬灯(そうまとう)のように人生(じんせい)を振(ふ)り返るのか、それとも…しょうもないことしか思い浮(う)かばないのかもしれませんね。
ここに、その場面(ばめん)に直面(ちょくめん)した人がいます。彼は自宅(じたく)のキッチンで夜食(やしょく)を食(た)べようとしていました。そこへ、どこから入って来たのか男が姿(すがた)を現(あらわ)します。彼は、その男の顔(かお)を見て、同じ会社(かいしゃ)の同僚(どうりょう)だと気(き)がつきました。男は手にナイフを持っています。そして、彼に向かって走り寄(よ)ってきました。彼にはその光景(こうけい)が、まるでスローモーションのように見えていました。
彼は思いました。<こいつ、俺(おれ)が仕事(しごと)をかすめ取(と)ったと思ってるのか? それは違(ちが)うだろ。課長(かちょう)が俺に引(ひ)きつげと言ったからで、恨(うら)むなら課長だろ>
彼には突然(とつぜん)のことで逃(に)げることも、抵抗(ていこう)することもできませんでした。男は、彼の身体(からだ)にぶつかってきました。お腹(なか)の辺(あた)りに痛(いた)みが走ります。
<俺、死ぬのか? せっかくレンジで温(あたた)めてるのに…。もう食べられないのかよ>
彼は崩(くず)れ落(お)ちました。男は彼のそばに立ちつくしていましたが、満足(まんぞく)したのか不気味(ぶきみ)な笑(え)みを浮かべて去(さ)って行きます。彼は薄(うす)れる意識(いしき)の中で、
<誰(だれ)か気づいてくれるかなぁ? もし、レンジの中でカビが生(は)えたりしたら…>
そのとき、レンジが<チン>と声(こえ)をあげました。
<つぶやき>こんな死に方はイヤですよ。せめて好(す)きな人に看取(みと)られて逝(い)きたいものです。
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他人(ひと)が何を考(かんが)えているのか手に取(と)るように分かってしまう。そんな能力(のうりょく)をサキは持っていた。これは生(う)まれつきのもののようだ。だからサキは、子供(こども)の頃(ころ)は誰(だれ)もがみなそうなんだと思っていた。他人(ひと)の考えていることを口に出してはいけないと、暗黙(あんもく)のルールがあると思い込(こ)んでいた。
サキは他人(ひと)との接触(せっしょく)を避(さ)けるようになった。自分(じぶん)の心(こころ)の中を覗(のぞ)かれたくないというのもあったが、母親(ははおや)との関係(かんけい)がぎくしゃくしていたというのもある。母親が思っていることを何度(なんど)も口にしてしまったので、気味悪(きみわる)がられたのかもしれない。
サキは身体(からだ)が弱(よわ)かったので入院(にゅういん)することが多かった。そこに研修(けんしゅう)で来ていた先生(せんせい)と仲良(なかよ)しになった。その先生は心の中もとっても暖(あたた)かかった。だからこの人なら自分を受(う)け止めてくれるかもしれないと思った。自分の心の中にある妬(ねた)みや嫉妬(しっと)、欲望(よくぼう)をさらけ出せると…。でも、話しているうちに、これは自分だけの能力だと気がついた。
サキはホッとした。もう他人(ひと)を避けなくてもいいんだ。何を考えていても気づかれることはないし、自由(じゆう)なんだと…。サキは今まで自分を押(お)さえ付けていたものがなくなったので、世界(せかい)が広(ひろ)がったような感覚(かんかく)を覚(おぼ)えた。
サキは病院を抜(ぬ)け出した。もう彼女を引き止めるものは何もなかった。それから数年間、サキがどこでどんな暮(く)らしをしていたのか…。誰も知(し)る人はいないようだ。そしていま、サキは中央公園(ちゅうおうこうえん)にその姿(すがた)を現(あらわ)していた。
<つぶやき>誰か信頼(しんらい)できる人がそばにいたら、彼女は別(べつ)の人生(じんせい)を歩(あゆ)んでいたのかも…。
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警察(けいさつ)の取調室(とりしらべしつ)。刑事(けいじ)を前にして、憔悴(しょうすい)しきった男は誰(だれ)に言うでもなく呟(つぶや)いた。
「俺(おれ)がやった。あいつは悪魔(あくま)だったんだ。俺が止(と)めなきゃとんでもないことに…」
「どういうことだ?」刑事は柔(やわ)らかな口調(くちょう)で話しを促(うなが)した。男は俯(うつむ)いた顔をあげると、
「あいつは…山木早紀(やまきさき)って言うんだが…。本名(ほんみょう)かどうかは分からない。でも、あの女は…人の心(こころ)が読(よ)めるんだ。今まで何人もの男を死(し)に追(お)いやった。俺は…手を貸(か)すしかなかった」
「人の心が読めるって…。それはどういう…」
「相手(あいて)が何を考(かんが)えてるのか分かるんだよ。だから俺は…、偶然(ぐうぜん)に任(まか)せたんだ」
刑事はため息(いき)をついて、「どうも、お前の言ってることは…。分かるように説明(せつめい)してくれ」
「そうだな。俺も最初(さいしょ)はそうだった。あいつと出会(であ)ったのは、中央公園(ちゅうおうこうえん)だった。あいつはひとりでベンチに座(す)って通り過(す)ぎて行く人を眺(なが)めていた。俺は職(しょく)を失(うしな)って金(かね)もなかったから、そいつの鞄(かばん)を盗(ぬす)んでやろうとしたんだ。だが、あいつは俺の手をつかんで言ったんだ。<お金が欲(ほ)しいんなら、あたしと手を組(く)まない>ってな…。最初は小銭(こぜに)を稼(かせ)ぐ程度(ていど)だったんだ。それが、どんどんエスカレートして、いらない人間(にんげん)を消(け)してしまおうって…」
「現場(げんば)にあった毒薬(どくやく)はそのためのものだったんだな。どこで手に入れた?」
「あいつが用意(ようい)したんだ。俺は、あいつが飲(の)んでいた薬(くすり)の中に紛(まぎ)れ込ませた。いつ死ぬかは神(かみ)のみぞ知(し)るだ。二、三日して戻(もど)ってみると……。安(やす)らかな死に顔(がお)だっただろ」
<つぶやき>彼女はほんとうに悪魔だったのか? 他(ほか)の生き方はなかったのでしょうか。
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