goo blog サービス終了のお知らせ 

わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

スイーツの威力に違いない話。

2012-05-16 01:13:30 | カイシャ・シゴト
昨日は体制変わって初の役員会でした。
グループのガバナンス体制が変わって、当社は取締役会非設置会社となったので、正確には「ボード会」といいます。ただ、これがまた複雑で、親会社の執行役員の最終承認が必要なので、ボード会で決議、審議した内容は、執行役員(当社の前社長でもある)に答申に行かねばならないのだそうだ。

ま、そんな話はさておき。


昨日は、収支計画の承認やら、前半期の業績報告並びに賞与月数の確定やら、今期の業績目標の設定やら、なかなかにヘヴィな案件が目白押し。


だから、ってわけではなく、最近はデフォルトになっているスイーツ差し入れ。
今回は初夏を意識し、枝豆、で行ってみました。
ずんだ餡にして、ケーキを焼いてみた、ちょっと余ったのでレアチーズケーキも。


資料を配布し、お菓子をお一人ずつの席に配置。
着席したおぢが「お!この会議はお菓子が出るのか!?」とびっくりしていた。そりゃそうだ。フツウ、役員会なんてぴりぴりしたムードのところにスイーツは出ないよねー。お茶は出ても。


今まで出席していたおぢにとってはアタリマエになりつつあるんだけど、こんなチャンスもないので、「役員会も”場”のひとつなので、わたしなりのしつらえなんですよ。季節を意識したお菓子になってます」と説明。
今日は何?と訊かれたので、「ビール飲みながら閃いたんですけど、枝豆を餡にして一緒に焼いてみました。ただ、あまりにもなじんでしまって、枝豆の味はどこかに行っちゃったんですけど」とお答え。
「へぇ~、次も出るのかな?これからも続けてほしいなぁ」と言われちゃ、社交辞令でも嬉しいよねー。


あらためて、
手作りスイーツを差し入れてるのは、あたしなりの場作り、でもある。単に甘いものを出すだけ、小腹を満たすため、ではなくって、そこには「季節」や「意外性」も取り入れてる。
そして手作りにこだわっているのもの、「お!」という驚きと「手間をかけている≒だいじに思っている」というアピールからでもある。


それでも殺伐とした役員会がスイーツひとつで「ありがとな」からスタートして、場がいい感じで緩むのは悪くない。もちろん審議はガチだけど、重箱の隅をつつくような議論はなくなった(気がする)。少なくとも、「敵対」みたいな構図はない。


スイーツで役員会の場が変わるのか?審議に影響あるのかと問われればそんなことはない。議論はガチで敗訴!なときもたくさんある。
直接的な効果は着席したときの『お!』というサプライズ感、それだけなんだよな。


けど、差し入れに『もてなし』を感じてくれると、起案者や事務局と距離が近くなることは間違いない。
決める⇔決めてもらう、の関係から、役員会という場に『集う』仲間(という表現も青臭いですが)に変わるような気がするよ。


手間ひまもかかるし、コストもそれなりにかかる。酔狂だよなーと思うけど、なんでやってるのかって言われたら、役員会をスムーズに進行させる、という使命感ももちろんあるけど、おぢらのことが好きなんだよなー。喜んでくれる、ありがとな、って言ってくれると次もがんばろ、って思っちゃう。単純なんだよね、動機なんて。


というわけで、次回もがんばりますー。


そうそう、おまけな話として。
差し入れに直接結び付くわけじゃないんだけど、しゃちょー秘書にインタビューをしたいので紹介いただけないかと依頼され、当社の前社長(親会社における執行役員)秘書にかくかくしかじか、と相談したらば、その方からは「わたしなんて役不足です」と断られちゃったんだけどね、周り回って親会社の前CEO(現相談役)の秘書のYさんにお受けいただけることになりました。なんでも、あたしが依頼した秘書のOさんが、前社長のSさんに相談したらしく、Sさんが直々にYさんに依頼してくださったそうです。Sさんにお願いされたら断れませんよ、と。いやー、びっくりですわ。
確かに前しゃちょーには可愛がって(女子的な意味合いでも)もらってたけど、めっちゃお忙しい方が仕事以外のことで、あたしなんぞの依頼を働きかけてくださったなんて感激ですよー。
これは差し入れの効果に違いない、と思っておりまする。そう、今までもこの手のことを突撃的に役員にお願いしているんだけど、皆さん、ひめが言うならなぁ、的に動いてくださる。決して見返りが欲しくて差し入れてるわけじゃない。だからこそ、なのかもしれないねー。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真摯に謙虚に。労働とは尊いものなのだ。

2012-05-03 14:45:01 | カイシャ・シゴト
違和感感じてる話もういっちょ。調子に乗ってます(^_^;)


直線的なキャリアに違和感があること、将来や未来を考えることがとても苦手なこと。
労働は尊いと思うこと。


震災から1年経って、いろいろあれこれ考えた。
ちょうど、社員総会の講演で復興支援活動をしている方にいらしていただいたこともあって、自分ごと化して考えるようになったこともある。


その中で、強く強く思うこと。


労働の尊さと謙虚さ。


あのね、誤解を恐れずに言うと、あたしも含め多くの文系ホワイトカラーは、あの震災の直後、言いようのない無力感を感じたと思うのですよ。
仕事はキャンセルになったり、自宅待機になったり。現地に行って何かしようとしても手段もなければ、ノウハウも技術もない。自分にできることってなんだろう?とつつましい節電と募金くらいしかできなかったと思うのですよ。


一方で、普段、ホワイトカラー文系にとって、”仕事”と捉えてなかった(ゆーしゅーな大学生がシューカツするときによもやその職につくとは夢にも思わない、という意)輸送業や建設関係などガテン系の仕事や、自衛隊のなんとたくましく頼もしかったことか。


よく言うじゃない?
労働とは時間の切り売りで生活のため、仕事はその人自身の生きざま、とか。
労働はやらされるもの、仕事は主体的に取り組むもの、とか。


その点ではガテン系の肉体労働も、労働ではなく仕事なわけですが、多くのホワイトカラーはガテン系を「労働」だ、と認識していると思うのですよ。上から目線っていうかね。


あえて、今、思うのです。
労働は尊いし、あたしたちは無力だ、ということを謙虚に受け止めたい。のど元過ぎれば、じゃないけど、グローバルだなんだと切った貼ったな世界にいて、有能感満載な人の中にいると、毎日を愚直に過ごすことをおざなりにしている感じする。
あのときの謙虚な気持ち、真摯な気持ちでいたら、やわらかくてあたたかい世の中になる気がするよ。自信満々なキラキラ☆エリートに囲まれていると、ことさらにそう思う。


労をいとわないでいたい。
労働することに感謝できる人でありたい。


そう、だから、目の前のことを愚直に真摯に取り組むうちのメンバーはすごい!って思うのです。おぢからしたら物足りない、って思うのかもしれないけれど、労をいとわないその姿勢はホント素晴らしい。世の中にはそういう人たちがたくさんいて、そういう人たちに支えられている、とそう思う。


謙虚に真摯に。そして愚直に。今だからこそ敢えて意識したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目標を持てって言うけどさ。

2012-05-03 14:28:20 | カイシャ・シゴト
ここ最近、ネガティブモードに突入しとります。
つい先日も「迷ったら行かない」と言って、驚かれました。180度転換です(笑)
理由はある程度明確です。ちょっと自分の気持ちの整理のためにしたためてみます。


直線的にゴールを目指すこと、目標持てって言うことの違和感
ポジティブであることを強要されることの違和感
「労働」よりも「仕事」がエライ、立派、すぐれてると思いがちな風潮への違和感


でもその根底にあるのは、労働の尊さ、というか、優秀でない人たちへの尊重が欠けてるんじゃ?ってことです。
当社は障害者雇用を行ってます。プロパー社員の8割は何らかの障害を持っていてみんな優秀だし、フツウの仕事をしています。それはそれで素晴らしいことだけど、でも、そこにはあらがいようもないハンディキャップがあります。
障害が故に経験できないこと、仕事もたくさんあります。進学といった教育の機会だって、健常者の我々と比較したら少ないでしょう。


彼らは一様にステキな存在です。


でも、おぢらは、彼らをフツウと捉えて育成、配置しようとします。ここで言う、フツウは、健常者としてフツウの教育を受け、親会社のプロパー社員のように、自分で自分のキャリアを切り開いていくようなそんなスペシャルなフツウです。 それはわかります。そのくらいの期待をかけても余りあるほどの可能性を持った人もたくさんいます。


けどね、あたしが感じる違和感は、世の中、そんなに優秀で頑丈な人ばっかりじゃないよ、ってこと。


あたしのしゅーろんは、自社版キャリアアンカーを作る、というものでした。実践論文だったので、そういうテーマになったわけだけど、このテーマにたどり着いた発端は、一人のメンバーへのインタビューと彼の仕事ぶりを見て、のことでした。


彼は、業務を粛々とこなすレギュラースタッフとしてはとても優秀で、生産性も高く、品質も高い。多少、ムリな納期や難易度の高い仕事でもきちんとやり抜く。そんな彼を見込んで、カイシャは、彼にリーダー職を任命しました。自分がやるのではなく、チームのメンバーに働きかけて仕事をする。直線的なキャリアで行けば、その仕事のアサインの仕方は適当だったんだと思う。けど、彼は潰れてしまった。


どんなに納期が短くて量が多くて大変な仕事でも、自分に降りかかってきたことは一生懸命やる。それが自分の仕事の仕方だった。でも、人に働きかけて、統制を取っていくという仕事の仕方はどうしてもできなかった。


自分に合わない仕事をしていることが認識できたら、ちょっとはラクだったかもしれない。合わない仕事をさせている、ということを上司が認識できたら、もっと違った働きかけができたかもしれない。
今、彼は、レギュラースタッフとして、人よりも多くの仕事を確動性高く行っている。彼自身はココロ穏やかに、でも仕事は仕事として厳しく遂行している。


それでいいじゃん。


ココロのそこからそう思う。


けど、カイシャってやつはそれを許してくれない。うちみたいなカイシャは許してくれていいのに、それでも、少しでも角度をつけて「成長」していないと許されない。しかもここで言う「成長」はカイシャが意図する「成長」ね。


息苦しい。
自己ベストを尽くすってそういうことなの?今までやったことない新領域に取り組むこと、あらたな世界にチャレンジすることを「是」として、今の領域で一生懸命やることは「非」なの???


先日、おぢCとメンバーのキャリアとか育成とかをテーマに議論をした。対話でなく議論ね。
共感すること多数だったけど、違和感満載。
その中のひとつが、彼が考えるキャリア、育成が「今ある仕事を納期、品質を守って納品するための教育」であったこと。
教え方、関わり方などは、その人が本来持つパーソナリティによって固定化されているから、開発することは難しい。だから、教える側にインストラクションの教育や知恵を授けるのは無意味で、マニュアル見ればできる、システムを使えばできるように環境を整える方が先だ、とおっしゃる。


理屈はわかる。


けど、それって、その人固有のパーソナリティ、ポテンシャル以上のものはこれから先、期待できないってことじゃないの? そしてそのときにおぢCに言われたこと。おぢCが考えるキャリア、育成とは、目指す姿・ゴールを設定して、それに向かって進むこと、達成したことでの充実感こそがキャリアだ、と。違和感満載だったので、「すべての人がゴールや目標を持って進むってかなり難易度高くないですか?動きながら、進みながら定めていく、ではダメですか?」と質問したら、「小さいことでもなんでも、●か月後、●年後にこうしてたい、こんな暮らしがしてたいってあるだろ?お前が学校行ったり、いろんな人と交流するのはそういう●年後の自分に近づきたいからだろ?」と。


ちょー違和感。


なんで、ゴールを設定しなきゃならないんだ? 見つける過程こそが、キャリアであり、学びなんじゃないのー?迷ったり、寄り道したりした路地裏にステキなレストランが見つかるかもしれないじゃん。歩き疲れたら止まったっていいじゃんねー。


寄り路できる余裕、迷子になったときに景色を味わうゆとり、そういう生き方したいぞ。そして、そういう生き方をしてもらいたいと思う。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社長にやってほしいことは?全社表彰懇親会もワークショップなのだ、な話。

2012-04-25 00:38:13 | カイシャ・シゴト
4月はあれやこれやイベント盛りだくさん。


今日は前下期の全社表彰者の表彰式&懇親会。
表彰は多くの企業が取り組んでいるけど、当社も半期ごとに業績をあげた人、他者の模範になるような行動や実績を行った人、を対象に新人賞やら社長賞やら4つの賞が選定されている。今回は17人/団体。


あたしが経営企画室に異動してきて最初の表彰式は、事務局でもなんでもなく単なるお手伝い。
当時は(今も)全社のマネジャーが集まる四半期ごとの会議の後半に表彰式を行い、親会社本社ビルの41階のおされなダイニングでマネジャーも一緒に総勢50名くらいの所帯で宴会をしていた。


で、次の期から、なんとなーく成り行きで幹事/事務局をやることになったんだけど、上司とあたしの中でこれまたなんとなーく共通して思っていたことが、主役は誰なの?ってことだった。
そうマネジャーが集まる懇親会は、表彰者が主役で、表彰者が誉めたたえられ、労われなければならないのに、マネジャー同士の内輪受けがメインで、表彰者はぽつーんと寂しそうにしていた。そりゃそうだ。同時期に表彰された、ってだけで普段のつながりなんかないんだもの。
いっそのこと、社長以下役員、部長職だけにしてしまって、表彰者へのおもてなしをメインにする会にしちゃどうだろうか?って運びになって今回でちょうど3年。計6回。


最初は、おぢらがちゃんと表彰者を接待、おもてなしできるようにと席の配置を工夫したり、おぢをいじって表彰者に笑ってもらったり…ってことくらいの仕込みしかしてなかったけど、あたしもいろんな場を経験し、生来のおせっかいがむくむくと顔を出し、いかにおぢらが心地よく表彰者におもてなしができるか、そして表彰者が楽しんでくれるか、ってことに注力して企画するようになったわけです。
ちなみに、今回は席札をこんな感じでウェルカム感を出してみました。おぢらの札には「ホスト」「今宵はおおいにおもてなしください」と書いて。



意識的に場を作り始めたのはちょうど2年くらい前で、その時には聴覚障害のメンバーがたまたま3名いた。さてー、どうやって通訳する?コミュニケーション取る???とちょっと悩んで、いっそのこと彼らを主役にしちゃえばいいじゃん!と彼らから手話を教わることをメインコンテンツにした。当時はスケッチブックプレゼンの技術は持っていなかったので、聴覚障害のフォロー用に、パソコンにその場で打ちこんでプロンプター・・・スマステ方式にしたり。ちょうどその日お誕生日を迎えるメンバーがいたので、お店にお願いして(なぜかあたしの手作りケーキ)を人数分に切り分けてもらったりと、サプライズなんかも仕込みはじめた。
その後も、チームビルディング的な要素を取り入れた仕掛けを毎回毎回行っていて、表彰者が「愉しかったです」「こういう場っていいですねー」と言ってくれるのに味をしめてました(笑)


で、今回。


しゃちょーも交代してはじめての場。実質の権限者であるおぢもはじめて。表彰者も互いにあんまり接点ない。となったら、お互いを知る、ってのがいんじゃね?と思い、自画持参簡易版を導入。自画持参は長岡先生と慶應SFCの加藤先生が開発されたワークショップのこと。詳しくはこちらを見てね。




この際だから訊きたいこと、をちょっとひねって、「質問」と「答えてほしい人」を別々の紙に書く。BOXに入れる。引いて当たった人が答える。
これ、ポイントは「質問」から先に引くこと。うぅ、あの人に答えてほしいなぁ、とか、あたしに当たったらいやだなぁ、っていう適度な緊張感がイイわけです。


最初、「人」は均等になるようにあらかじめ名札を入れておこうかと思っていたんだけど、ええい、どーせならギャンブル的要素を多くしてしまえ、この人の話聞いてみたいなー、と思ったら「人」をたくさん書いて投票しちゃえば当たる確率が高くなるわけで、オーディエンスのニーズにも合致するし。問いと答えが合致しない妙も生まれるわけで。


結果、異常なほど盛り上がりました。
もっと質問がエロに偏るかな―と思ったら、意外とマジメなものが多かった。
ただ、「人」は組織票というか、陥れというか、一部の人に偏っちゃったけどね。それはそれでいいのです、その人が人気者だってことで。問題は一票も入らなかった人。あくまでもくじ運の問題です、って体にはしたけど、あとで見てみたらホントに一票も入ってない人がいた(+o+) まぁ、仕方がないし、その人自身はこの企画をえらく楽しんでいたからそれでいいか。


何度か書いているけれども、ワークショップをやるときにあたしが気をつけているのが、参加者を平等に、ってこと。
もちろん、今回の表彰懇親会はワークショップではなく、単なる飲み会ではあるけれども、どーしたってしゃちょー以下おぢたちが幅を利かせ、ベテラン勢が大きな顔をしがちな場なのだから、普段こういう場で出会えないような人にスポットを当てたい、と思っていたし、自分が喋らなくても、誰かの話を聞いて笑う、でもいいと思ってる。そう、スポットを当てる、ってするとすぐにかくし芸的なことをやらせたがるけど、それって負担でしかないわけです。聞いてることが愉しいことだってあるわけですよ。


たかが飲み会でここまでやる?と言われるし、こんなにやっちゃったら後任がやりにくくて仕方がないだろうな、とも思うけど、奇をてらった企画はいらないけれど、参加者に喜んでもらう、楽しんでもらうってキモチは忘れちゃいけない気がする。参加者が喜んでくれるならやれることはなんでもやりたい。


帰りに、「ひめさんの企画はいつもおもしろい!」と女子会に出てくれた25歳女子(←ここポイント)や、「次も呼んで欲しいなぁ」と10月から分社化で違うカイシャになってしまうおぢBや、おとなしくてこういう場は苦手な男子が「愉しかったです」って言ってくれた。もうねぇ、それだけでじゅうぶんですよ。


タイトルは、最初に引いた質問。これに答えた男子(組織票大量投票ないじられ愛されキャラ)の答えが泣かせた。うちのしゃちょーは、親会社の役員が兼務するならわしで、今回もそう。だからどうしたって親会社の人、な印象はぬぐえない。
「○○(親会社)からではなく、中に入ってぼくらを見てほしい、一緒に作っていきたい。」
その思いはしゃちょーに絶対に届いたよ。ありがとう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チャンスと思って進むだけ

2012-04-09 02:47:54 | カイシャ・シゴト
3ヶ月間に渡る超ビッグなお仕事、社員総会が終わりました。この準備のため、最後の2週間は毎日11時くらいまで残業、家に帰ってもしこしこせっせと資料やらムービーを作り、”越境”もせずに仕事漬けww


3部構成の社員総会は、例年、総務担当マネジャー以下4~5人のメンバーで企画、運営していたのですが、今年は、まぁ、いろいろあって、実質ひとりでやることに。
しかも、グループのガバナンス体制変更≒要は分社化なんつーせんしちぶな話をしゃちょーにしてもらうべく仕込んでいたのに、しゃちょー交代、実質の権限者である取締役のおぢが退任と、しゃんしゃん、な第一部の社員総会までプログラムの変更やら、しゃちょーへのインプットやら仕事は膨らむ膨らむ。


2部には、ゲストによる講演。これは去年、鉄道整備の矢部さんにお話しいただいたのがとてもよかったので、その後も講演型のワークショップを開催し、今回の総会も、という運びに。


3部は懇親パーティー。今までは仮装大賞やモノマネ歌合戦的なゆるいイベントだったけど、4年ぶりに全社の社員が集まる場だし、分社化によってこの体制で行う最後の総会なわけだし、“交流”をテーマにしたい、とずっと考えていた。


それぞれの部を振り返ってもきっと6000字以上のだらんだらんリフレクションになると思うので、今日は第2部について振り返っておこうと思います。


ついったーで「思いってだいじ」的な意味不明なことをたくさんつぶやいていかと思いますが、すべてはこの第2部に通じていました。


第2部の講演ゲストは、遠野を拠点に被災地復興支援活動に従事されているNPO遠野まごころネットの代表、多田一彦氏。


もともと、講演をやろう、という話は決まっていて、誰を?何を?をいくつか提案したところ、おぢBから「震災から1年経ったわけだし、そういう活動している人はどうだ?現地で活動している人のバイタリティにはすごいものがある」と提案あり。するとおぢAが「被災地ではこんなに大変な思いをしている人がたくさんいる、それから比べたらお前ら恵まれているんだからもっとしっかりしろ、といいたい」と。


むむむ?と思ったことは言うまでもない。


震災、復興支援に対して、まだまだ自分ごととして向き合えていなかったあたしにとって、この仕事はとても辛いものでした。おぢAが言うようなメッセージにはどうしても賛同できなかったし、そのことをオブラートに包んで「どういうメッセージを社員に発信すればいいのか、自分自身がピンと来ていない」と言ったらおぢBから「そこから説明しなくちゃダメか?」と呆れられたりもした。おぢBは親会社が主催するボランティアツアーに参加して、実際に被災地に行っているし、被災して復興している事業主の話を聞いているから、あたしの反応がもどかしかったんだろうと思う。


去年の鉄道整備さん、そして、そのあとお呼びした方すべてに共通しているのは、あたしが「この人の話は絶対にいい、みんなに聞かせたい!聞いたら絶対に元気になる!」という確信。
自分が誰よりもその人、その話にほれ込んでいなければお薦めなんかできない。


親会社のボランティアツアーでお世話になっているご縁で、CSR推進室にご紹介/仲介いただいて、多田さんにお話しいただくことになった。


この仕事にどう向き合っていくか、あたし自身、ものすごく葛藤した。


やれ、と言われてやっている仕事でもあり、おぢAが言うような「お前らもっとがんばれ」にはどうにも違和感があったし、どんなメッセージを伝えればいいのか、悩みに悩んだ。


自分ごとにしないとできない。
「てきとーに喋ってください」でもそこそこな場はできたんだと思う。けど、相手はガチに復興支援に関わっている人。そして、その先には被災し、そこから復興に向けて行動している人たちがたくさんいる。自分ごとにしないと、多田さんと対峙できないと思った。多田さんに対して、被災地の皆さんに対して失礼だと思った。


遠野まごころネットに個人ボランティアとして行ったのは、そんな理由からです。上司に「行ってきたい」と言ったら(ちょうど親会社のボランティアツアーで遠野にお世話になるコースがあって、よかったら参加しませんか?とおっしゃっていただいたりもした)、
「気持ちはわかるし、そうしたいと思う気持ちは至極自然だとも思う。けど、行かない/行けない自分たちだからこそ、聞ける話もあるんじゃないか?」とアドバイスしてくれた。ガチガチになっていたあたしの気持ちをほぐしてくれた、ホントありがたいです。


それでも、やっぱり行ってみないことには始まらないような気がしたから行ってきた。


そのほかにも、復興に関わる活動、イベントにはできる限り足を運んだ。いろいろ調べたりもした。まだまだ不十分だけど、そうやって自分ごとにしていくことで、多田さんの活動や思いに近づけたし、実際にお話しをお聞きして、人柄に触れて、これは絶対に聞いて欲しい!と強く強く思った。


企画者側としては思惑もたくさんあったわけです。
愚直に活動すること、ひとつひとつの作業は点でも全部繋がっている、それは仕事も一緒で、いかに線や面を意識するか、が大事。どんなことにも当事者意識を持って取り組むこと…そんなメッセージを伝えようとしていた。


今回は親会社のCSR推進室のモリトミさんに多田さんとの仲介や、当日の進行、そのほかいろいろな資料の提供などなど全面的にご協力いただいたんだけど、これがなかなかに厄介で。とーぜん、多田さんにとっては講演よりも「現地」なわけでお忙しいわけだから、打ち合わせなど事前準備は最低限の労力にしたいわけです。でもなかなかアポも取れない・・・モリトミさんにとっても、彼は復興支援担当なので仕事でもあるわけだけど、関連会社のイベントなわけで、そりゃー優先度は下がるわけです。しかも3・11もあり、みんな現地に行ったり、イベントがあったりしたわけでさらに忙しい。


実際に多田さんにお目にかかったのは、本番の10日前。ひやひやです。
そのあとは超濃縮。モリトミさんと、あーでもないこーでもないと進行の打ち合わせをしたり、ムービーを作ったり、資料やデータをもらいに行ったり。まさに夜討朝駆けな状態www


多田さんのお人柄、いろいろな場面で語られるコトバ。もう既にあたしの中では、何を話してくれても絶対に伝わる!という確信があったので、講演そのものはそんなに心配はしていなかった。


当日。
多田さんは、その時に一番話したいこと、伝えたいことをお話しになるスタイルなので、多少の脱線はあったけど、震災直後に被災地に入ったときのリアリティのあるお話しや、福島のことなど、突っ込んだ話、現地ならではのエピソードをお聞きすることができた。


多田さんのお話しで印象的だったこと。

「この状況をチャンスだと思って、進んでいくしかない。」

そんなに前向きに捉えられる人ばっかりじゃないかもしれない。それでも、こうもおっしゃっていた。「日本の課題の縮図が東北にある。」
誤解を恐れずに言うと、震災があろうとなかろうと東北も日本も瀕死なことには変わりなくて、そこからどう立ちあがるか、は手なりの生活をしている中ではなかなか踏み出せない。東北だけの、被災地だけの問題じゃない、日本全体が抱えてる問題なんだ。だから、被災地のこと、と思うのではなく、これは自分自身のことなんだ、と思って行動できるかどうか、ただそれだけなんだと思う。


そして、
「やるかやらないか、ではなく、どうやるか」
ドゥエック先生の言うところのしなやかマインドセットだ。How Can I do it? これはどんなことにも共通だと思う。


昨日のうちに集まった感想レポートは参加者の3割程度。これからメールでも受け付けるのでまだまだたくさん集まってくると思うけど、ホント、読みながら泣きそうになった。


  「何のために、誰のためにやっている活動なのかを考えることが大事
 がれき撤去が復興につながる、点の作業も線に、すべてつながっている
 これは自分たちの仕事(経理、総務などのバックオフィス業務)にも
 同じことが言えると思う」

と自分たちの仕事に投影して感想を述べていたり、


  「やるかやらないかではなく、どうやるか
 この状況をチャンスと考えて、先に進むしかない」
 
という多田さんの言葉に感動し、勇気をもらったという感想

 
  「小さなことでも何かできることはあるはず
 何か自分ができることをやろう、と思うきっかけになった」

と、“踏み出す”後押しになったという感想などなど…


えげつない言い方すると、こちらが想定していた以上に、狙っていた気付きや感想が引き出せた。
でもね、あらためて思った。もちろん、企画者としては意図はあるし、こういうメッセージを伝えたい、というのはある。そのために活動紹介のDVDを流したり、ここは絶対に喋って欲しいことを引き出す/仕向ける質問を設定したり、最後に「今わたしたちができること」と題したボランティアツアーに参加した親会社従業員の感想をコピーワークしたムービーを上映したりといろいろ仕込んだ。そこまでやる?くらいに仕込んだからこそ、だったのかもしれない。それでもまだ、あれやっておけばよかった、これも準備しておけばよかった、とおもうことはたくさんある。
けど、場は生きているし、受け取り方は人それぞれ。多田さんのお人柄、場、エピソード、そういったものがすべて融合して、いろんな気づきがそれぞれに生まれたんだと思う。


昨日、第4部(というマネジャー中心の送別懇親会があってそこにも参加していた)が終わってからカイシャに機材を持ちかえって、残務しつつ、アンケートの抜粋を添えて多田さんや関わってくださった方お礼のメールをお送りした。


今朝、多田さんからステキなお返事をいただいた。

  
  御社のチームワークの良さは、ひめさんの努力が礎となっているのだと思います。
  私のような者の話でお役に立てるかどうかと思いましたが、そのように受け取っていただき光栄に思います。


そこまでやる?と言われるくらいやってちょうどよい。特に今回のようなテーマには、そのくらいの覚悟と気概で臨んでちょうどよい。


もちろん、ネガティブな感想や反応もたくさんあった。そのこと自体はあたしを十分に凹ませる。それでも、”復興”は東北だけのことじゃない、自分ごとなんだ、とあらためて気づけたことは意味があったと思う。


集まってきた感想レポートには、何かやらなくちゃ、というコメントが非常に目立った。多田さんからのお返事を読みながら、この「何かやらなくちゃ」をそのままにしちゃいけない、と思った。昨日のできごとを「いい話が聞けた、何かやろうと思います」で終わらせちゃダメだ。何か行動しないと。ひとりではできないかもしれないけれど、図々しくあたしが声を上げることでできることもあるかもしれない。


今、いちばんだいじだと思うことを真剣にやる。それしかない。それしかできない。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

What are you passionate about?

2012-02-06 00:20:56 | カイシャ・シゴト
ちょっと前に中原先生がツイートしていたコトバ。


仕事、家庭、趣味、そのほか、いろんな対象があるけれど、ここはひとつ仕事に絞って考えたい。


仕事っていうか、労働することは好きだ。自分の「はたらき」が誰かに作用して、レスポンスがあるってことが楽しい。それは新卒で入った小売業の時から、対象は異なるけれどずーっと同じ思いでいる。小売のときには、店内のディスプレイを変えたり、コーディネート提案をすることでお客様に喜んでもらう、売上が上がるっていうのが嬉しかったし、今のカイシャに入ってからはちょこっとシフトや作業動線、業務フローを見直すことで生産性が○%上がるってことが楽しかったし、ひめさんとまた一緒に仕事したい、って言ってもらえる人たちに出会えたことが嬉しかった。
そうやって、小さなレスポンスを喜びに仕事してきたような気がする。


今の仕事は楽しい。趣味と実益兼ねてる、って言ったら言い過ぎだけど、場作りやコミュニケーション誘発の仕掛け、”研修”や日々の業務を通して関わった人の変容・・・そうしたことは楽しいと純粋に思う。
ちょっといやらしいけど、親会社のロゴマークと特例子会社であること、あたし自身のワークショップデザイナーやプロボノワーカー、社会人大学院卒、という経歴は、今の仕事をしていく上ではとても有用に作用している。


カイシャも好きだ。
20周年誌を作るときに、いろんな人にインタビューして、設立したときの思い、20年間の変遷、うちのカイシャに寄せる期待・・・いい会社だな、って思う。現実は厳しいことも多いけど、でも、設立時の崇高な意思は今でも続いている、と思っている。


でも、一方で健常者としてこのカイシャに関わっていくことのプレッシャーを感じ続けていて、いつもそれに押しつぶされそうになる。これはあたしが勝手に思っていることで、誰に強要されたわけでもないし、きっと、他の人から見たら十分に役割果たしている、と思ってもらえてる、と思う。


なんどか、このブログでも書いているけれど、あたしは、特例子会社で健常者が果たす役割は2つあると思っている。
・事業運営のために余人をもって代えがたい能力を持っていること(体力も含め)
・メンバーの力を引き出し組織運営をしてカイシャを導いていけること
どっちの役割も担えるような存在でいたい、と思っている。
ひめさんの研修は楽しい、とか、企画のことだったらひめさんに相談したら、と言われたり、それなりに価値は発揮できているのではないかと思っている。
まだまだ、全然、力不足だけど。


そして、思い。


20周年誌を作ったときに、尊敬するおぢに(入社するときに最終面接で圧迫面接されたけど、そのときに「この人に認められたい」って思っちゃったんだよねー)
「自分がいちばんこのカイシャのこと、障害者雇用のことを考えている、と言える自信があるか?」と問われた。
おぢは、「5年前なら、俺がいちばんだと言えたけど、今は自信がない」と言っていた。
あぁ、こういう思いなんだ、と思った。
あたしは、このときに、あたしがいちばんこのカイシャのこと、グループ全体でいちばん障害者雇用のことを考えている、思っている人でありたい、と素直に思った。
もちろん知見も含めて。あたしにはまだまだ経験が足りないけれど、思いと知識はいくらでも付けることができる。


特例子会社をはじめとして、障害者雇用に関わっている人たちは、熱い思いを持っている人が多い。そりゃ、アタリマエっちゃアタリマエ。当社を作った方もそう。
この方が立ちあげられた発達障害や精神障害の職域拡大のための研究会の末席にお邪魔させてもらっていて、カイシャは老舗だけど事業会社としてフツウに存在してしまっていてこのあたりの知見に乏しい。そしてあたし自身もまだまだひよっこ。それでも当社に期待してくださっているし、あたしにも期待してくださっている。


この研究会、非常に肩身の狭い思いで参加しているんだけど、とても勉強になるし、”楽しい”。熱い思いを持つ人たちが集まる場だから、だと思う。


前回の研究会のときのこと。1年前にとある特例子会社の社長に着任された方。1年前には「何もわからないんですよ」とおっしゃっていたのに、今やいろんな取り組みを社内でもされていて、こうした研究会でもどんどんと発信される。そして、社員のことが可愛くて仕方がない、彼らの成長が嬉しくて仕方がない、そんな話し方をされる。
特段、障害者雇用に関心があったわけでもなく、辞令一枚で着任されたんだろうけれども、この熱さ。あたしはなんだかとても感動したし、何やってんだ?自分?と自分自身が情けなくもなった。


特例子会社だから、と入社したわけじゃないけれど、今、ここにいるのは紛れもなく自分の意思。
うちのボスは確かに辞令一枚で来た人で、相変わらず思い入れは持てていないけれど、それを責めたって仕方がない。


たまたまなんでしょうが、お付き合いのある特例子会社の社長たちが退任を迎えられています。皆さん、立ち上げに関わられた方々。そして皆さん、必ず「次」に行かれる。支援する側に回る方もいれば、別の企業で同じように障害者雇用に関わる方、形は違っても、障害者雇用に関わり続けている。
とても神々しい。まさにパッションを持って、この領域で仕事をされている。


あたしはパッションはあるけど、まだまだ覚悟は持ち切れていない。
そうは言っても一人ひとりに向き合っていくのはしんどい。加齢による障害の進行、特に知的障害や進行性の障害を持つ人にとってはリタイアを促すことをしなければならなくなる。そうなったときにどこまでカイシャは責任を持つのか、あたし自身はどんな心持ちでそれに向かうのか。
けど、次の学びは覚悟を持って始めます。あたし自身のために、カイシャのために、カイシャのみんなのために。
これが、あたしなりのパッションなのだ、と信じて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男子は何にモティベートされるのか?

2011-12-26 01:35:38 | カイシャ・シゴト
先週、全社の女子会をやりました。基本、自分が楽しくて企画してますが、この件に関しては使命感も持ってたり。で明けた月曜日、参加した人から、楽しかった、また企画してください、なんだかすごく元気になった、自分もがんばろって思った…というまさにキラキラなメールをたくさんいただきました。


そう、この元気になった、自分もがんばろって思った、というキモチになることが女子会の醍醐味というか目的というか…これがあるから女子会にはまるわけです。


Facebook上でもちょこっと議論しましたが、女子がキラキラ元気になれるコンテンツはたくさん思いつくのですが、これって男子にもあてはまるんだろうか?というのが目下のあたしの悩み。


あー、女子会ってそもそもなんでしょうね?
女子が集まって飲み食いすれば、それで「女子会」なんでしょうし、世のおぢたちは、どーせ誰がイケメンか?なんてくだらないこと話してんじゃないの?とおっしゃるやもしれませんが、いえいえどーして、前向きな会ですよ。少なくともあたしが参加したり、企画した場は。


それで思いだした。女子会って言葉がこんなにブームじゃなかった頃、もうかれこれ10年以上も前から、部門の女子集めて、「女子飲み」やってたなぁ。単に飲み会なだけではなく、事前にアンケートとか仕込んでとにかく楽しく笑い飛ばして明日からがんばろ、って思う場だった。「○○さんと△△さん、どーしても抱かれなきゃいけないとしたらどっち?」とか「パンツ丈がマイケル並の短さの◎◎さんと、ベルトが下っ腹の下にある◆◆さん、どっちが許せる?」とか、まー、今考えると相当お下品ですね(^_^;) でも、そんな楽しい人たちが集まるカイシャって楽しいなーって思って帰っていっていたと思います。
三つ子の魂なんとやら、ですね。やってることはあんまり変わらんなぁ。


閑話休題。


女子は女子だけで集まって、なんらかのテーマ(それはゆるくて全然OK)があって、喋るだけでなんらかのヒントやキーワードを自分なりに持ち帰って、自家発電的に元気になっていく。
ハナジョブ女子会なんてまさにそう。明確な悩みや迷いがあってそれを解消しに来ている人もいるかもしれないけど、100%解決はできなくても、そうか、そういう考えもあるんだ、キモチが軽くなりました!って帰っていく。


男子は?


Facebookに投稿したら、おもしろい意見がたくさん!

・男はプライドが高いので、自分が尊敬してる人だったら素直に聞けるけど、そうでないと学びや気づきはないかも

・バカ話(下ネタ含む)して楽しいけどキラキラ元気になるという表現は存在しない

・共通言語があればいける?音楽や芸術、歴史、アキバ系…

・男子はソリューション志向が強いから問題解決したくなるからゆるーい会話はできにくいんじゃん?

・男子は知らない人とゆるく語る欲求ないんじゃ?設定されたテーマについてならありだけど

・女子には助け合いの精神があるんじゃ?嬉しいことはみんなで分かち合い、苦しいときには助け合う、みたいな。


なるほどーーーー。
ソリューション志向ってのは納得。男社会っていうか、ビジネスではゴールまで最短距離で行くことが求められるから、対話?何ぬるいこと言っちゃってんの?ってことになりがちだし、最近、あたしが社内でやってるワークショップも「拡散して収束させる、自分で考える、答えは自分で見つける、は浸透してきたし、答えは自分で見つけるのが正なんだけど、でもそろそろみんなは答えを欲しがってるぞ」と言われてるし。


でも、ゴールまで最短距離で一直線じゃあつまらんし、新しい考えや発想は生まれない気がするなー。(これ、まったくの私見)
遊び心大事。


オトコ・オンナというジェンダーの差にしてしまうのは本意ではないんだけど、そうかも、と思うこと多数。
女子の方が適応力があるとも思わないけど、意外とどこに行っても気後れせずに振る舞えるのかもしれないねー。肩書きみたいな社会的な仮面を持っていないってこともあるかもしれないけど。
全社の女子会も、「女子」というだけで集まり、そこで何が起きるかはよくわかんないけど、とりあえず参加してみたらおもしろかった、っていう感覚なのかもしれない。


実は、あたしの仕事のひとつに全社のタテ・ヨコ・ナナメのコミュニケーション施策、ってのがあります。ゴールの明示も何もないやりやすいんだか、やりにくいんだかわかんない仕事なんですけどね、行きがかり上、乗りかかった船的にあたしの仕事になっております。


あたし的には飲みニケーションに代表されるゆるいコミュニケーション施策ってちょっと疑問で、メンバーは結構ガチなことを望んでいるし、コミュニケーション取ろう!と飲み会企画するだけ?って冷めてる人もいるわけで。
女子会や大学院のOB会もそうだけど、「場」はきっかけでそこから何かが始まったり、新たなつながりが生まれたりすることがゴールなわけです。ワンストップ、一回限りの楽しい場を作るだけではもったいない。


で、いくつかコンテンツを考えていく中で、どーにもわからないのが男子は何にモティベートされて、何でキラキラするんだろ?ってこと。


これ、大まじめに上司に相談したら
「つるみたくないもん」と一蹴。
いや、あなたはそうかもしれんけど、でもタテ・ヨコ・ナナメのコミュニケーションを誘発せい、不足してるよね、不足してるからリテンションができないんじゃないの?ってあたしにアサインされたんじゃないのかい?www


でも、そうかも。
女子が働く上ではいろいろと不便なこともあって、そのたびに助け合ったり、それこそ傷をなめ合ったりしてきたんだと思う。愚痴も弱音も言っただろうし、立ちあがったこともあっただろう。
でもそんなことしなくても男子はカイシャ、組織の中で「働く」上では不便は感じなかったんだと思う。誰かとつるまなくても、課題は自分で解決できたんだと思う。


だからと言って、タテ・ヨコ・ナナメのコミュニケーションがなくていいってことはない。だから場作りする。幸い、あたしの研修やワークショップを体験した人が「ひめさん、いろいろおもしろいことやってくれるよ」って言ってくれるのでそれを追い風に。
いくつかコンテンツ思いついたので、年明け早々リリースしまっす。がんばろ。


余談ですがね、そのあと、かなりまじめにおぢたちとぶっちゃけトークしたんだけど、男子を引っ張るには女子を呼び水にするのが常套じゃん、でも当社の男子でそれに引っ張られるのは某おぢくらいだろってな話になり。若い男子の超草食化、止まりませんwww




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全社女子会が終わった。 なんで女子会ってキラキラ☆元気になれるんだろ?

2011-12-17 15:04:09 | カイシャ・シゴト
全社女子会が終わった。
20名を越す女子が参加。これ、大体全社女子の3割くらい。
250人くらいのカイシャで、派遣スタッフさんが多いので意外と女子が多く見えるけど、「社員」ってことになると60人くらいしかいない。


おともだちの江頭センセにお越しいただいて、OL時代のおもしろくもためになって元気になるお話しをお伺いしたり、自己紹介を媒介にしたネットワーキングタイムやったり、と、「話す」ことが肴、な会。


取締役のおぢにカイシャの会議室つかっていい?とおねだりしたら、「カイシャの施策としてやればええやん」とバックアップ。あ、でも、カイシャの施策にしちゃうとお酒NGとか、好きなことできないから、フレーム作ってカイシャの施策にできそうだったらそうします、って流しておいた。


クリスマスらしくシャンパンで、ちょっとおしゃれしてきてねーと伝えておいたら、サンタの格好してきたり、猿の格好してきたりwww


ものすごーく盛り上がった。えとーセンセのお話しがよかったのは当然のことながら、あらためて思ったのは、みんな人の話が聞きたいし、自分のことを喋りたいってこと。大抵あたしが企画するワークショップや研修では冒頭にネットワーキングタイムと称して自己紹介のワークを行うんだけど、単なる自己紹介なのに、話し足りない!って状態になる。
自己紹介の効力ってあるんだよね。話す、っていう外化する作業で自分が何者かを知れるし、「うんうん」って聞いてもらえることで承認欲求を満たされる。おぢたちはいつも、うちのメンバーを指して「人前で喋れない」と言うけれど、未だかつてお話しできなかった人なんかいないもん。むしろ、あいつは全然ダメだ、的に言われてる人のほうが饒舌。そう、やっぱり人の話を聞いてあげられていないんだなーと猛省。


えとーセンセには、もともと社内の研修のゲストスピーカーにと画策していました。これはこれで実現したいんだけど、センセの話が仕事をしていく上での示唆というか、仕事を愉しむ、楽しく仕事するってエッセンスに溢れていて、この話は絶対に女子たちの元気になるし、何かひとつでもふたつでも、明日からがんばろ、って思えるはず!って思ったから。
うん、これ大当たり。センセの話が呼び水になって、いろんなことをみんなが話していた。ラーニングバーでもそうだし、センセには申し訳ないけれども、ゲストの話はきっかけで、そこから話が出来ることがポイントなんだなー。


昨日の女子会で嬉しかったこと、印象に残ったこと。
終わった後、所属を越えて自然発生的に飲みに行ってた。なんか嬉しい。このまま去りがたい、まだまだ話しがしたいっていう欲求とまだまだ知り合いたい、繋がりたいって思いだったんだろうな。なんだかすごく嬉しかった。これがあたしの目指していたこと。あたしが作った場なんてきっかけで、そこに集まった人が好き勝手繋がってくれることの方がステキだもの。


あたしも一緒に行きたいキモチはおおいにあったけど、なんだか一人でしんみり振り返りたい気分だったので一人飲み。
以前、【ちゑや】夜会が終わった後、店主がまったりとしてたいんだよねーと残れる人と一緒にゆるゆる振り返りをしていたけど、なんかそのキモチ分かる。大学院のOB交流会終わったあともそうだったけど、その場が盛り上がれば盛り上がるほどに一人でしんみり振り返りたいってキモチが強くなる。そう、それだけステキな時間だったんだよねー。


コピー機おたくのオーシロちゃんが言ってたこと
「これからは手に職と人脈とチャネルなんですよ。でも手に職だけじゃダメだし、人脈だけじゃダメで人柄が大事なんですよ!」と。
深いー。
ヨン様の追っかけをして今やコミュを運営しているカゴタさまは、
「今やヨンは単なるツール、ヨンを媒介に出会った人がステキだから、ヨンから離れられないの」(ちなみに、ヨン「様」と呼ぶのはもう一部で、みんな「ヨン」と呼び捨てなんですって(笑))
これまた深いー。


Facebookがこれだけ発展した影には、何人知っているかではなく、誰を知ってるかが大事って言われてるけど、さらに、誰を知っていて何を一緒にしてるか、が重要な気がするよ。


全社女子会で目指していたのはこれ。社内に知り合いがいる、ってだけでもOK。でもどうせなら、共通な楽しみや話題を見つけられてそれを媒介につながれたらもっともっとステキなはず。


基本、自分が楽しくてなんでも企画してるけど、全社の女子会に関しては勝手に使命感も持ってやっていました。
冒頭にも書いたけど、当社は250名のうち、女子が60名。2割強。
障害者って男女比は半々なんだけど、就労実績でいうと、75:25くらいなんだって。理由は憶測でしかないけれど、社会保険の加入状況なんかから見ると、どーやら誰かの扶養になっているケースが多い。
当社でも1年半前にヘルスキーパー(マッサージ施術師)が一人入社して以来、女子の障害を持つメンバーの入社ってないんだよね。女の子がいると職場も明るくなるし、個人的にも女子を応援したいキモチが強いので、だいじにしたい、って思ってた。横つながりもないので、結構孤独だし。


そして、当社には親会社並びに関連会社の連結決算等々をつかさどる「経理部」の機能がそっくりそのままある。その部署はいわゆる経理、会計のプロの健常者、親会社からの兼務出向が大半。障害者職域ではない。障害者職域は、その部署から再委託されたいわゆる事務処理部門になる。
この経理部門には当社籍(親会社出向ではない)メンバーが中途採用で何人も入社しているけれども、激務ゆえか大抵1年程度で次々と辞めていく。性質の違う部門なのでなかなか人事的な交流もなく、リテンション施策も部門に委ねられているけれど、これってどうにかできないもんかなー、と思っていた。


そう、20代~30代前半の女子は、「仕事は楽しいし、成長感もあるけれど、この生活をずっと続けていくのは・・・・」という思いを持っている。いわゆるケッコン、シュッサンという女のシアワセ的な生き方とは一線を画してバリバリやってる人もいて、ああはなれないわーと距離を置いていくわけです。意外と当社のおぢたちは封建的とゆーか、女性の活用ってことに対して能力でしか見ていないわけで、生活含めて彼女らは仕事やカイシャを捉えてるんだよ、ってことが理解できないらしい(やや乱暴に見てます)。


カイシャの施策として女性のキャリア的な研修ができないかなーとも模索しているんだけど、おぢにはわかりにくいので、ならば勝手にやっちゃおう、と思ったのもきっかけ。
若いやる気に満ちた女の子が、Lifeをデザインしていくイメージが持てないからって辞めていくって悲しすぎるじゃん。それをカイシャが、あたしが支援することはできないけれど、せめてつらくなったときにいろんなことを話せる存在が他部署にいたらちょっとは違うと思うんだよね。なんていう崇高な使命感も持っていたのです。


参加してくれた経理部門の女子が
「この前ひめさんの研修に参加して、すごく楽しかったから、今日も絶対楽しいはずって思ってきた。社内に知り合いがたくさんできてよかった」って言って帰っていった。
さらにえとーセンセが「次はひめと一緒に企画しちゃいなさい」ってけし掛けてくれたりと、あぁ、こういうネットワーク、支援がだいじなんだよなーって思った。


とは言え、課題もたくさん。
1)無反応かつ、冷めてシニカルに見ている層。
2)忙しくってとても参加できない層。
3)楽しい会に行くっていうメンタリティではない層。


2)はやっぱり組織全体として仕事の設計や働き方を見直さなきゃならないと思うし(金曜の夜に打ち合わせを入れる無粋さってどうよ?)、1)は特に管理職として部下を持つ立場ならば、役割意識も含めてなんとかしたいわけで。3)は永遠の課題。OB会やったときにも思ったけど、楽しい場には自分が元気でないと参加しにくいわけで。仕方がないとは思うけど、もっと参加するハードル低くしたり、少人数にしたりと働きかけていくことは怠っちゃいかんなと。


とにもかくにも、無事に大盛況のうちに(自分で言う?)終わった女子会。
これっきりにせず、2回3回と続けていきたい、もちろん、次からはあたしが全部企画するのではなくって後輩に引き継いで。
前のめりに参加してくれた皆さん、手伝ってくれた皆さん、ホントにホントにありがとう!


で、これは「男子」にも適用できるのか?については、あらためて記したいと思います。これまた、今のあたしのテーマでもあるので。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈何かの参考になれば〉 地震発生から全員帰宅まで (障害者が多く在籍している企業の事例です)

2011-03-14 01:14:43 | カイシャ・シゴト
災害時に「もっと大変な思いをしている人がいるのに、私は何もできない」と自分を責めてPTSDになる人がいる、という話を聞きます。そのキモチはおおいに分かる。あたしも今、同じように無力感と自分が何もできなかった罪悪感を抱えています。


でも、そのキモチのままでいるのは不健全なので、震災直後のことから時系列に、当社で起きたことを書き残しておこうと思います。障害者を多く抱える会社にとって、また、当社にとってのこれからの参考になればと思います。
また、あらかじめお断りしておきますが、あたしが行動したことだけじゃないです、総務担当マネジャー、メンバーなどが行動したことも記載していますので、姫すごい、とヘンな感嘆はしないように!
(Facebookには企業名や固有名詞を入れてアップしましたが、こちらでは匿名とさせていただきます。)


******************************************************

震災時、ちょうど、半期に1度の知的障害メンバーの親御さんたちをお招きして会社の概要の説明、個別面談、職場見学を行っていました。今回から、私がほぼ1人で全面的に取り仕切っていました。
いつもは、個別面談のスケジュールの関係上、前半、後半に別れて、また3拠点を移動しての職場見学と、集合⇔移動に多少の混乱が生じていました。
11日は14家族中11家族が参加。皆さん定刻にお集まりいただいたこともあって、すべてのプログラムが順調に終わり、東京駅隣の親会社本社ビルにタクシー移動の2家族+所属マネジャーを見送り、残りのご家族にいったん会議室に集まっていただこうとしていた矢先に地震が発生。
ご家族のみなさんに、机の下にもぐっていただくよう指示。


総務担当でBCP (business continuity plan)担当でもあるので、いったん部屋に戻り、様子を確認。メンバーは動揺しつつも全員無事。
揺れが収まった頃、総務マネジャーの指示のもと総務メンバーが、ビル内の様子をチェックしてくれて、ひとまずけが人はいないこと、壁にいくつかの亀裂を確認してくれました。



■地震後
多少の混乱が生じていましたが、先月、BCP本部訓練をしたばかりということもあって、どんな情報を収集しなければならないかは洗い出せていたので、あるだけのホワイトボードを室内に持ち込んで
 ・本社ビル
 ・別ビルA 2F /9F(徒歩3分の別ビル 約200名の社員、派遣スタッフが勤務)
 ・親会社本社ビル
 ・別ビルB 親会社向けサービスとしてマッサージルームが入居

各ビルの様子を確認。ケイタイや固定電話は不通だったようですが、親会社の広域内線システムが生きていたので、連絡を取り合うことには苦労しないですみました。


親会社本社ビル/別ビルBはビルの指示に従い、本社ビル/別ビルAは本部指示で動くことにしていたので、情報収集を開始。
経営企画室内のテレビを付け、ラジオもオン。セキュリティを解除してドアオープンに。
地下駐車場は通常稼働、エレベーターは不通、電気、水はOK。
外出中のメンバーは移動中のものはおらず、親会社本社ビル41階にて打ち合わせ中。
交通網をチェック。
震度5以上の場合には、安否確認システムが携帯メールに送られることになっていたが、作動せず。(その後2時間遅れで配信。ただし返信しようにも回線パンクしており返信できない状態)


その後も余震は続いていましたが、意外と事業メンバーは平静で通常通り打ち合わせを行ったり、業務を遂行中。
一方、知的障害メンバーの親御さんたちは多少パニック。まだ揺れもありますし、交通網も混乱しています、お子さんたちは全員無事です、とお伝えしても、連れて帰りたい、お昼を食べていないので外に出たい・・・など。通常の管理下にないので、統制がきかずとほほ・・・な感じ。
大きな余震の最中にトイレに行く人までいて、揺れの中、無事ですかー?とトイレに走るわたくし・・・。



■15時半~
透析が必要なメンバーを先んじて帰宅させる。BCPでは個別対応は原則せずに、本部からの指示で帰宅もしくは会社で待機、としていましたが、本人からの申し出があって助かりました。
別ビルA2Fのマネジャーの判断で、津波の心配があるため(2Fといっても導入階)、9Fに全員で避難。
別ビルA9Fにいた知的障害メンバー2名に本社ビル会議室まで移動してもってご家族と合流、逆に別ビルA2Fのメンバーは親御さんにそこまで移動していただきそこで合流、家族とともに帰宅。
だし、親会社本社ビルに移動したご家族は見学を終えられて帰ってしまったとのことで、お子さんたち2名とはご一緒できず…(たまたま親会社本社ビルの見学から合流した1名の重度知的メンバーは現地で面談していたため一緒に帰ることができた)



■16時~
引き続き各方面の情報収集。
うちのフットワークの軽い取締役は「ちょっと晴海通り見てくるわ―」と出かけてしまい、これは大失敗だったとあとから後悔。判断くだす人を不在にさせたのはまずかった。健常メンバーに「見て来て、15分で戻ってきて」と指示するべきでした。



■16時半~
被害の様子や状況が分かり始めたので、帰宅させるのか、残らせるのか?帰るなら早く広報した方がよいのでは?と総務Mgr⇔ 取締役と協議。
車通勤者に近隣に住む人を割り振って同乗して帰ってもらったらいいのでは?という意見も出たが、何かあったときの心的負担を思うと会社が指示することは得策ではないとし、指示はしないことに。(結果、乗り合って帰って行きましたが)
その間も「知的メンバーが不安がってるけど、どうしたらいいですか?」などの問い合わせ。部屋の中で協議していたので、協議の過程を知ることになる経企室メンバーは良かれと思って「じゃあ、そのように返事しちゃいます」と言ってくれたけど、不確定な情報を個別に流すと我も彼もと不安をあおることになるので、本部からの連絡をすぐに流すので個別対応は一旦ストップしましょうと落ち着かせる。
別ビルBは避難指示(帰宅指示)がビルから出たので、マッサージルームの施術師はここで帰宅。
帰宅支援物資の準備。水と乾パンを会議室に運搬し、梱包を解く。
青森出身の聴覚障害メンバーがパニックとの情報入る。実家に帰りたいと訴えているそう。その後じっくり話を聞いたら携帯メールで安否は確認できたそうで、落ち着いて、みんな心配なのは一緒だよ、と周りの人がなだめてくれたそうです。
東北(宮城、福島)にご家族のいるメンバーの洗い出し。全員の無事が判明したのは0時ごろでしたが、多くは7時くらいまでには無事が確認取れました。



■16時50分
骨子固まる
・帰宅できる人は帰宅する 帰宅困難、不安なのでとどまりたい、と言う人はそのまま会社に残ってOK
・水1本+乾パンを支給する
・なるべく集団で帰ること
・Mgrは残る
・知的メンバー(5名が会社に残っていた)は家庭と連絡を取り、迎えに来るまで待つ/朝まで待機など家庭の意思を尊重する
を広報。事前に各拠点長に電話で概要を説明した上で、メール本文を作成し、Mgr宛に広報



■17時
一斉広報
実際に帰宅を開始し始めたのは17時半過ぎからで、18時までの間に帰宅したのは、派遣スタッフ、業務委託スタッフなどがメインで当社の従業員はほぼ残っている状態でした。



■18時
ビル1階にある公衆電話がテレホンカードなしでも使えることがわかったので、経企室のスタッフHさんが知的メンバーを連れてご家族に電話をしに行ってくれた。結果、今日は会社に残ることに。幸いだったのは残っていた知的メンバーが比較的軽度でパニックにも陥らずに過ごしてくれたこと。
この間、夜明かしをすると決めたメンバーが食事を取りに行ったり、近くのコンビニに買い出しに行ったり。本部として買い出し部隊を組織してもよかったかも。
ビルは壁面にいくつか亀裂あり。そのほかは無事。ビル管理室はビルとしての方針はなく「協力することがあったら協力します」のこと。トイレは濁り水。水道水はキレイ。

ちょうど、月曜日に見学&訪問に行くことになっていた鉄道整備の矢部さんから「新幹線の状況が分からないので対応に追われることになりそう。キャンセルに」とメールいただく。それどころじゃないはずなのに連絡くださったことに感謝。そして、一日も早く復旧して、皆さんがまた「新幹線劇場」の一員として活躍されることを心の底から願っています。

余談ながら、この日、自動販売機の入れ替え作業があり、16時に撤去、17時に新自販機搬入というスケジュールになっていましたが、律儀に商品回収に来た。夜明かしすることになれば水分は必要になるので、申し訳ないが今日はそのまま残しておいてもらえないか、必要であれば残りは買い取ることにしてもよい、と話したら、なんと補充までしていってくださった。感謝。



■19時
徒歩で帰宅し始める人、車で帰宅する人が出始める。車で帰宅する者は全員が車いすだったため、イーバックチェアという避難器具で3階もしくは4階から地下の駐車場まで4往復。経企室の健常メンバーMさんがメインで降ろしてくれた。同乗するメンバーと一緒に車いすを降ろしたり、荷物を持ったり、他のフロアの方に「先に抜かして行ってもらっていいですか?」と声をかけたりしながら対応。



■20時
大江戸線が動き始めるらしいとの情報が入ったので、近隣のメンバーは帰宅し始める。
またまたフットワークの軽い取締役が夕飯買うてくる、と近所のコンビニめぐり。もう何にもなかったわ~とバナナ、カップラーメンなどを差し入れ。バナナ1本を2人で分け合って食べる。おいしかったです。
安否確認システムの返信状況を確認してもらう。業務時間中に起こった災害なので、返信率は40%。休職中の方からも返答あり。無事でよかった。コメント欄チェックしていたら車いすメンバーの「自宅エレベーターが止まっていて部屋に入れない」とあり。え?降ろしてないけど・・・ってことは今日休みだったの?一人?と慌てて連絡取る。その後、復旧を待って部屋に戻れていたことが判明、一安心。
また、経企室スタッフのDさんが、周辺状況を記録してくれていた(コンビニは品薄になる、公衆電話は無料開放など)。感謝。

私ごとですが、この時間になってやっとトイレに行った。そして、実家に電話が通じる。ケータイも不安定ながらメール受信。Twitter、Facebook上で心配いただいた方へ返信する余裕が出始めました。



■22時
メトロも一部開通始める。
先月、BCP訓練をしたときに作成した都内路線図の白地図A2サイズを貼って、開通した路線に色を塗り、それをもとに情報提供。ドアオープンにしているため他室のメンバーがテレビを見に来たり状況を確認誌に来たりし始める。
この時間帯になると、帰宅しようかどうしようか悩んでいる人が「帰るのか」「残るのか」が判明する。
結果、
 親会社本社ビル 10名 
 別ビルA 15名(その後、車で帰ったものの大渋滞で戻ってきた人5名)
 本社ビル 15名
が残る。
保健室を開放し、横になりたい1名が就寝。
残りのメンバーは仕事したり、だべったりして過ごす。
親会社本社ビルは33階に入居しているので41階にいた車いすメンバーを降ろして一緒に待機。同フロアにセブンイレブンがあったため、そこで食料を確保してくれたらしい。
別ビルAにトランシーバーを届けがてら経企室のIさんが状況を見に行ってくれる。
総務担当は取締役とマネジャー、Iさんと私、計4人が残る。



■23時
本社ビル4Fの親会社経理部隊、別ビルA2Fメンバーは全員帰宅。親会社・グループ会社経理を担当している取締役もここで帰宅。
メンバーが全員帰宅した場合にはマネジャーも帰宅OKとの指示が出される。



■1時~2時
家に着きました、とメンバーから連絡入り始める。多少家の中が散乱している人、無事な人それぞれ。無事に帰宅できてホントよかったです。
ビルのエレベーター復旧。これで車いすや重度下肢障害メンバーで車通勤者は帰宅可能になったが、自宅マンションのエレベーターが開通していないため部屋に帰れない人もいて、引き続き会社に残ることに。
災害対策本部としては特にやることもなく、引き続きテレビ、ラジオをつけっぱなしにして情報収集。
この際だから、と仕事しようかな?と思うものの、やっぱりそんなに仕事もはかどらず、TwitterやFacebookで知り合いの安否を確認しつつ、時折うとうとしながら過ごす。



■4時前
長野を震源とする大きな地震が発生。



■5時
夜が開け始め、始発が動き始めるので、交通網の情報収集を開始。
京急再開、東武も一部開通、JRは7時くらいから再開予定とのことで、全員帰宅できそうな目途がつく。



■6時
知的メンバーのご家庭と連絡取れる、皆さん、一人で帰ってくるようにとの指示だったので、連絡先を控えさせ、支援物資を持って帰宅させる
別ビルAに残っていた室長が状況を知らせに来てくれる。今日明日(土日)も昨日(11日夜)のような余震が続く場合には日曜に取締役、室長が協議するとして、今今の状況では特に週明け対応(出社するしない)は決めなくてもよいのでは?との結論に落ち着く。




■7時
本社ビル、別ビルAに残っていたメンバーは全員帰宅。あとは親会社本社ビルのみ。



■8時
親会社総務部に連絡。
無事であることを伝え、今回の地震に対する親会社の見解を聞く。東京は被災地ではない、との判断で月曜からは通常稼働。東北方面が被災地扱いで不要不急業務は停止とする判断とのこと。



■10時
なぜか親会社本社ビル組は東武沿線など遠距離メンバーが多く、通常ルートでは帰宅できないのと、下肢障害のため階段利用が難しいことで帰宅を躊躇していたみたい。リモートだとちょっとまだるっこしい。23階まではエレベーターが開通したそうですが、そこまでは自力で降りないといけないのでまたまたしばし待機。結局、貨物用のエレベーターを特別に動かしてくれるとのことで、帰宅できることに。
もう1名車いすのメンバーが残っていたが、「寝ている」と。お疲れだったとは思うが、彼はその後もこんこんと10時まで寝ていたそうで、ある意味うらやましい(笑)
彼の自宅付近は液状化が激しいらしく、帰ったはいいけど駐車場が液状化していたら部屋に戻れないしなぁ・・・と思っていたら、ちょうどよいタイミングで同地区内に住む車いすのマネジャー(11日は午後半休をとり、車いすバスケのため大阪遠征をしようとしていた矢先に被災、自宅にいらしたので難をまぬかれた)から電話があり、道路は大丈夫、もしかしたら駐車場がNGかもしれないが、自宅マンションのエレベーターは動いている、とのことで、「帰る(帰らせる)」判断がやっとできる。
なのに件の彼は仕事を始めたそうで…これには取締役が激怒し「今は仕事どころじゃないだろ、家族もいるのだから帰れ」と。ま、この手の優先順位間違ってるじゃん?ってエピソードは結構ありましたね。



■11時
全員が帰宅したのを見届け、私たちも解散。会社を出たのは11:20。


長い長い一日でした。大江戸線も京浜東北線も比較的スムーズに動いていて、申し訳ないくらいさくさくと帰宅。12時半には家にいた。車で松戸まで帰ったMgrは3時くらいに家についたそうです、本当におつかれさまでした。



反省や課題はあらためてするとして、忘れないうちにあたし自身の行動のまずさを含めていくつか。
・帰れないメンバーが大多数(自宅エレベーターが止まっていたら結局部屋には入れない)
 →会社にとどまる前提での物資の手配が必要 
  備蓄品にカップラーメンやレトルト食品も入れる (早めに判断してスーパー、コンビニに走る、なども検討)
  毛布やブランケットなど仮眠用のグッズも必要
・周辺の様子を見に行く役割は必要(取締役とかMgrとか判断できる人は行かせない)
・別ビルへの連絡 特に拠点にいるメンバー数が少ない場合には指示が効かないことを前提にしないといけない
・知的メンバーへの対応 →たまたま軽度の知的障害メンバーだけが残っている状況だったものの重度の場合にはパニック状態になることが予想されるし、意思表示も難しい人もいる。どうすることが一番いいのかよくわからないけれど、まじめに考えていかなければならない。
・特別な配慮が必要な障害部位を持つ人への対応 ※透析
あと、今回はパニックに陥る人もいなくて意外とみんな平静ではいたけれど、それがフツウと思わない方がいいのかもしれない。
あらためてBCPに組み込みたい。



あたしは、フットワークの部分でも判断の部分でも未熟すぎた。おろおろする、というよりも、動けなかった、鈍くさかった、というのが当たってる。判断できないなら、なんでもいいから動くべきだった。様子を見に行くとか、買い出しに行くとかいろいろあったはず。


あと、これはすぐにできるので早速やろうと思う。職場に運動靴置いておく!ヒールで階段移動はきつかった。


ひとまず、今日、振り返れるのはこれが精いっぱい。また思いだしたら書き残します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会社が楽しいから がんばって治す

2010-12-30 11:21:10 | カイシャ・シゴト
リツコさんがFacebookの企画に立ちあげてくれた「今年最後の課題!仕事と学び、2010リフレクション&2011の抱負」を書く前に自分の中で整理しておきたいことがあるので(いつものことですが・・・)、非常に個人的な内省だけど、振り返っておきたいことがあります。


あえてブログには書かないでいたけれど、今年とても思い出深い方にお会いしました。


あたしが今のカイシャに入ったときの最初の部下に重度の心臓疾患を抱える男子がいました。当時はまだその部門はそれほど障害者雇用が進んでいなくて、多くの派遣スタッフさんのなかに当社の障害を持つメンバーがぽつりぽつりといる状況。受け入れる側もおっかなびっくり・・・どんな仕事をしてもらえばいいのか、どんな指導(それこそ生活態度的なことも含めて)をすればいいのかを決めあぐねていて、外から来て何の先入観もなかったあたしにとっては「なんでそんなに遠慮してんの?」が率直な感想。


とても優秀なのに、体にハンディキャップがあるだけで、補助的な業務しかできないのはおかしいじゃん、もっと仕事ってつながりがあるし、しんどいことも多いけど楽しいこともあるよ、って伝えたい思いもあって、周りの人にはびっくりされたけど、彼らをリーダー的な存在に仕立てて、当時取り組んでいたプロジェクトの残課題の整理を行うことにした。しんどそうだったけどね、派遣スタッフさんに相談に行ったり、まとめの資料を作ったりして、それなりに楽しんでやっていたように思う。


もともととても社交的で人懐こいタイプだったので、派遣スタッフさんにもかわいがられて、部署のムードメーカーとしてがんばってやってくれていました。


今でも、あたしは「障害」に対する知識や理解が乏しくて、ときにデリカシーのない対応を取ってしまったりするんだけど、当時はもっと無知で、「障害」を取り除いた彼のスペック、キャラクターでしか見ていなかった。


『仕事が楽しい、だから、がんばる』
これって、アタリマエのことなんだけど、重度の障害を抱えていた彼にとっては、その先には「体調を崩す」という方程式があった。そして体調を崩すと、あたしたちのそれなんかとは比較にならない事態に陥る。聞けば普段から、常に息切れしている状態で、平衡感覚もあまりないとか。そんなこともわからないで、あたしはあまりにもフツウに接してしまっていた。


それまでも体調を崩して休むことは多かったけど、桜が咲く頃、ムリが祟ったのか、その時は違った。
体調が悪いと言って帰って、即入院。そのままICUへ。結局、彼が職場に戻ってくることはなかった。


彼が亡くなる前日の夕方、ほんの10数時間前にあたしは、彼に会っていた。意識も朦朧としていて、本当ならば部外者に会わせるような状態ではなかったんだろうけど、彼のお母様のはからいで会うことができた。

 みんな待ってるからね、ゆっくりでいいからね

と声を掛けたら、うなずいた気がした。



   「会社が楽しいから、頑張って治して、絶対に戻る」



ずっと、そう言っていたそうです。そのくらいカイシャが楽しかったんだって。1歳まで生きられないと生まれたときにお医者様に言われた彼が25歳まで生きて、仕事をして、楽しいって言えた人生は悔いがないと思うとお父様がおっしゃっていましたが、それでもやっぱり残された者としては、悔いが残る。80まで生きられなかったとしても、もうちょっと楽しいこと、厳しくても楽しいことをカイシャで、仕事で、経験してもらえたんじゃないかな、って。


「会社が楽しいから、頑張って治して、絶対に戻る」
このコトバは今でもあたしを捉えて離さない。
彼が楽しいと思ったカイシャ・・・今のカイシャはそうだろうか?あたしはそんな楽しいカイシャを作れているだろうか?
今、彼が生きていたら、今のカイシャを楽しいと思ってくれるだろうか?


そして、障害を持ちながら働くという過酷さ。普段は全く意識しないし、させない働き方をするのが当社の方針でもある。けど、この現実はある。明日の命が分からない人もいる、ということ。
ラーニングイノベーション論の最終課題でも書いたけど、あたしはまだここを乗り越えられていない。やっぱりびびっている。軽々しく「将来を考えなさい」とか「彼の将来を考えたら、○○を経験させて・・・」みたいなことが言えない。いや、言えるだけの覚悟を持てていない。


今年の春、機会に恵まれて、彼が眠る富山に行くことができた。
亡くなって5年、その間、思い出すことはあっても、なかなか行動に移せないでいた。これも縁かもしれない、このタイミングを逃したらまたずるずるとしてしまう、と思いきってお母様に連絡したら、とても喜んでくださった。


彼の妹さんがデザインしたという墓石に手を合わせ、ご両親と妹さんと思い出話をした。ちょうど20周年誌を作った頃だったのでそれをお渡ししたら、知っている名前がたくさんある、と懐かしんでおられた。
小さいときから病弱なお兄さんをそばで見ていた妹さんは、お医者様になるとの宣言通り、今年6年生で、いよいよ国家試験を受けるそうです。なんと去年生まれた男の子のママでもあり、パートナーは高校時代の同級生で一足早く大阪でお医者様になっているとか。
5年間、いろいろな変化があったけど、でも、やっぱり彼はまだまだそこに生きていました。


  カイシャではどんな様子でしたか? 
  お昼ごはんには何を食べていましたか? 
  スーツ着て通ってたんですか?


そんなたわいもない会話が家族にはかけがえがないんだな、って。そしてそれこそが生きてきた証なんだな、って。


  いつもカイシャが楽しいって言ってた、
  障害に関係なくちゃんと働いて、一人で生活できる分のお給料がいただけて、
  いい会社に入れて本当によかったって思ってます。
  短かったけどいい人生だったと思います。


そうご両親が言ってくださった。お兄ちゃんが住んでた東京は私たちにとっても故郷みたいなものなんですよ、とも。


会いに行って本当によかった。
ご両親と妹さんとお話ししたことで、何かの確信が得られたわけじゃないし、今でもやっぱりまだまだ怖いし、乗り越えられてない。けど、彼が楽しいと思ってくれたカイシャを作れているんだろうか? 今、彼がいたら、楽しいと思ってくれるんだろうか?っていうのはあたしにとっては最上級のDriving Questionで、この答えを探す、実現するためにまだカイシャにとどまっているような気がする。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする