オードリーと戦争
一九三三年、アドルフ・ヒトラー率いるナチス党が政権を奪取した。
それは、戦火の前触れでもあった。
そして、一九三九年。いよいよ戦争の火の粉がまわりにおよぶようになると、エラはオードリーをロンドンからオランダのアルムヘンに戻ってくるように命じた。
ヒトラーがロンドンに侵攻すると思ったからだった。
「オランダに戻ったとき、ほかの子からからかわれたことを思い出すといまでも胸が痛くなるの」オードリーはいう。「以前オランダに住んでいた頃も言葉がよくわからなかったし、家では英語を使っていたから、この国に戻るころにはオランダ語をすっかり忘れていたの。それでもがんばってしゃべろうとすると、もの凄い訛りになった。そういうときの子供って意地悪で情け容赦ないのね。わたしは文字どおりひとりぼっちだった」
エラとアレクサンデルとヤンは、一家でオランダのアルンヘムで暮らしはじめた。
両親の離婚というショックを、オードリーはなかなか受け入れられずパニックになることもあったという。オードリーはある対談でいう。
「オランダに戻ってからは泣いてばかりいたわ。椅子に座ってべそをかき、チョコレートを食べながらオランダ語を覚えようとがんばったの。でも、怠けていても言葉は覚えられた。気の散るようなことはなにもなかったし、他にやることもなかったから」
母親のエラはかわいそうな娘のために何か楽しいことがないか考えたが、戦火が近付くなかではなにも手にはいらない。娯楽どころではないのだ。
オードリーは外出するかわりに、バレエの本に夢中になり、バレエを習うことを生きがいとまで感じるようになっていたという。
オードリーはすっかりバレエ・ファンになり、しんと陶酔していった。
体型がバレエ向きになってきたことも幸いした。彼女はバレエの基礎や知識、伝統などを勉強していった。完全にバレエに嵌まった。
戦火はオランダにも迫っていた。
一九四〇年春、ヒトラー率いるナチス・ドイツ軍はオランダ侵攻のため軍隊を送り込んできた。この頃、母・エラは非公式にレジスタンス活動(反政府活動のこと)に関わっていた。もはや、きらきらした時代ではなかった。
エラは地元のリーダーとなっていた。ナチズムに浸透した前夫へのあてつけか?それは誰にもわからない。エラの屋敷はレジスタンス運動家の秘密のアジトになり、エラは仲間を増やそうとやっきになった。別れた夫への反発の気持ちもあった。
アジトでは、大人たちが暗号で話していた。
オードリーはその会話を耳にすることになるのだが、彼女はとんな気持ちだっただろうか?「そういう暗号の意味はもう覚えてないわ」オードリーはいう。
エラにとってナチスは憎っくき前夫と同じことだった。
母は、父親の悪口をいうことを禁じていた。そのかわり、アドルフ・ヒトラーを激しく憎むようにいった。
父親のジョセフは最初、悪名高い黒シャツ隊に資金援助をするだけだった。が、この頃からはデモに参加するまでになっていた。
オードリーは身をきられる思いであった。ある対談で、彼女はいう。
「当時わたしはまだ十一歳だったけど、ヒトラーが悪魔だということは知っていたつもりです。でも父はそのヒトラーを応援しているし、わたしは父を愛している。わたしは神様にお願いしたわ。お父さんが気持ちを変えてくれますように、そしてできることなら家族がまたひとつになりますようにって。わたしは生涯を通して、家族がひとつになれるようにと祈りつづけたんだと思う」
エラは娘をバレエ公演に連れていった。
しかし、目的は娯楽ではなく、エラにとってはレジスタンスの同志集めであった。会場にはナチス・シンパの男たちも大勢いて、彼らはドイツ寄りの貴族というエラの仮面に疑いの目をむけていた。そのことに気付いていたエラは、ナチスが到着するまでバレエ団をとどめておくように働きかけた。そうすれば、自分はドイツ寄りだと思わせられると考えたからである。
バレエ団の不安は募る。しかし、エラはとどめた。オードリーはエラの命令に応じ、舞台にあがりダンサーのフォンテーンとド・ヴァロアに花束を渡した。ふたりはつぶらな瞳の美少女に興味をもった。
「わたし、ダンサーになりたいんです。ずっと夢みてます」
オードリーは、フォンテーンとド・ヴァロアにきらりといったという。
ドイツ軍がけたたましい音とともにアルンヘムに侵攻したのは、バレエ団のバスが街を去ってから数十分後のことであった。空襲警報が鳴り響き、銃声が響く。パラシュートが夜空の飛行機からいっぱい降りてくる。
オードリーと母は家に戻り、地下室で寝たという。地下室にはすでにアレクサンデルとヤン、それに乳母が避難していたそうだ。
オードリーと家族の生活は、ドイツ軍の侵攻によって一夜にしてがらりとかわってしまった。ラジオは「市民は家にこもり、鎧戸や鍵をしめ、外出しないこと」とさかんに放送していた。オードリーは窓から外を覗きこみ、興奮した。
「わたしは兄たちと一緒に、窓の隙間からドイツ兵の姿をのぞき見たわ。軍服を着て銃をもった兵士たちは、灰色の海みたいだった。恐ろしい光景だったけど、彼らを打ち負かすことができるような気がした。子供らしいあどけない発想ね。ゲームみたいな感じになったの」
ある対談で、オードリーはいう。
たが、同時にヴィルヘルミナ女王と家族が国外へ脱出したときは(女王と家族は戦争終結まで英国に滞在したという)ゲームがつまらなくなった……と感じた。
リーダーがゲームから抜けたら、ゲームにならない。
”アルンヘムはドイツ第三帝国の支配下になった”
とラジオが伝えたのは、侵攻後の翌朝だった。
オードリーの家族は経済的に厳しくなった。財産をナチスに没収され、抵抗運動をしていた貴族たちは無一文になった。エラと一緒にレジスタンス運動をしていたメンバーのうち、捕まったひとは”見せしめ”のために殺されたという。
が、オードリーを打ちのめしたのは、母の兄であるヴィレムが逮捕され、処刑されたことだった。なんでも街の広場で、レジスタンスたちとともに銃殺されたのだそうだ。
肉親を失ったエラだったが、抵抗運動はやめなかった。
エラは肉親の死に号泣し、何日も泣きはらしたという。しかし、それでも抵抗運動はやめなかった。戦火は拡大し、エラたち一家は貧しくなった。
オードリーは、まるで赤毛のアンのように幻想と想像の中に逃げ込んだ。
配給される食料も、日に日に質が悪く、少なくなってきた。
オードリーらは、僅かな食料で飢えを凌いだ。
水と黒パンだけ、という日もあったという。
ある対談で、オードリーはいう。
「占領状態はすぐ終わるだろうとみんな思っていたの。戦争という悲劇がゆっくりといつまでも続き、日ごとに恥辱を増していくとは思っていなかった。どんなに落ち込んでも、明日はすべてが終わると信じてたから。どんなに惨めな日も、こんなことはいつまでも続かないって信じてたし、わたしは心のどこかで、自分は飢えてるんじゃない、戦争終結を願って断食してるんだって言いきかせていたわ」
しかし、日々の生活は悪化していく。
アルンヘム音楽学校(オードリーが通っていた)では、オーストラリア人とドイツ人の作曲家以外の作品を勉強することを禁じられ、ユダヤ人教師は解雇された。
ユダヤのひとは収容所に送られ、虐殺か……
オードリーは反逆者となった。
母・エラの活動を密かに手伝い、自ら資金集めもした。バレエでピルエット(爪先旋回)するのもレジスタンス活動の資金集めであった。喝采もなかったし、スタンディング・オベーションもなかったが、そのほうが良かった。
しかし、オードリーに危機が迫る。
彼女はオランダ語がよく話せなかったため、ドイツ兵から「よそ者の反体制分子」とみられかねなかった。何代か前にユダヤ人の血も混ざっている。エラは平時には混血だらけの家系を自慢していたが、戦時下にそのことを声高々と主張するのは自殺行為だ。
しかたなく、オードリーは自宅で勉強せざるえなかった。
エラは娘を気の毒だと思った。
週に一度、家庭教師がやってきて数学の特訓をする。初めは嫌々だったが、しだいにオードリーは数学に興味を示した。生活に関する応用問題などを好んだともいう。
戦火は益々拡大していく。
そんななか、オードリーの義兄・アレクサンデルが労働キャンプ送りになった。ナチの青年団であるユーゲントへの参加を拒否したためであった。
「小さかったころ、アレクサンデルはおもしろい冒険の本をたくさん教えてくれた。キプリングのものが多かったように記憶してるわ。わたしはよく、兄さんの『なぜなぜ物語』の本を地下室に持っておりては、ふたりで登場人物になったつもりで遊んだの」
オードリーは、集団からリンチを受けるひとや、連行されるユダヤ人や反体制派の人々、銃でこずかれて殺される人々をみて、恐怖したという。もちろん、やっているのはナチス・ドイツ軍の兵士たちだ。「怖かったわ」オードリーはいう。
児童七十人がナチスに捕まるという事件もあった。ナチスの電線とガス管を爆破しようとして捕まったのだ。それを知ったオードリーは、レジスタンス活動を積極的に行うようになったという。
恥ずかしがりやの内気な少女という正体に仮面をし、オードリーは広場を明るくあるいた。世界情勢など知りもしない…という態度を装って……。でも、すりきれた靴の底には、レジスタンス活動家宛ての暗号メッセージが忍ばせてあるのだ。
オードリー危機一髪という場面もあった。
ドイツ兵の落下傘がおちて、兵士がオードリーに近付いてくるのだ。…怖がってはいけない。と思ったオードリーは、明るく無邪気な演技で、足元のヒナギクを摘み始めた。そして、兵士がやってきた頃には両手は花でいっぱいになった。
兵士がくると、オードリーは雛菊を兵士に差し出してにこりと笑った。兵士は受け取ると、彼女の頭を撫でたという。そして、去った。
もし、逃げたり、なにかしてたら射殺されていただろう。
オードリーはしんと祈った。
……神様、ありがとう、わたしはまだ生きています…。
戦火は拡大していった。
状況はますます悪くなる一方であった。一九四三年になると、ナチスはユダヤ人を収容所に次々と送り、ガス室で大量殺戮していた。オランダのユダヤ人も次々と連行されていっていた。それでも、オランダ人たちはユダヤ人を匿ったり、別の身分証を出したりして匿っていた。
しかし、希望をつぶされるユダヤ人も多かった。
戦争終結まで、ナチスは六〇〇万人もユダヤ人やジプシーたちを殺戮したという。
アンネ・フランクなどもそうした被害にあったひとりであったといえる。
ナチスの暴行、虐殺、レイプ、略奪……。
ナチスへの恐怖は、人々を恐れさせ、しだいにヒステリーにしていった。エラも、恐怖から鬱病になり、不眠が続き、食欲も減退したという。しかし、食べるものなどほとんどないのだから、食欲は関係ないかもしれない。彼女は熟睡できずに狭いベットで寝返りばかり打ち、夢が波をなして襲いかかってきた。あざやかであると同時に不吉な夢。何かが追いかけてくる、あるいは追いかけている夢。それが自分を幸運にするのかか、傷つけるのかもわからなかった。まったくわからない。朝六時頃、ようやく目がさめた。
戦火が拡大する中、オードリーは女子児童にバレエを教えるアルバイトをしていた。少しでも家計が楽になれば、という、しんとした考えからだった。しかし、食べるものなどない。ほんのスープと黒パンひと切れぐらいだ。オードリーは飢えていた。
いや、この時代、みんな飢えていた。
しかし、そんなオードリーに再び危機が迫る。
ゲシュタポが、オードリーの腰にライフルをつきつけて少女たちの列に並ぶように命令したのだ。町並みではゲシュタポが労働力確保のため、少女たちを連行するところだった。運悪く、それを眺めてかわいそうに思っていたオードリーにもナチスが目をつけたのだ。「将校がすぐうしろでライフルを突き付けていた。でもわたしは頭をしっかり上げて、威厳を失うことなく歩いていった」
オードリーがほかの女性たちと一緒になると、彼女を捕まえた将校と兵士は、もっと”獲物”をたくさん集めようとひとりを残してその場を去った。
残された兵士はとても若くて、女に囲まれて居心地が悪そうだったという。そして、煙草を吸い始めた。オードリーは今がチャンスと思ったという。
飢えで腕も足をやせ細っていた少女は、自らの命のために駆け出した。鈍感な兵士が気付く前に、オードリーは角を曲り姿を消し、路地に飛び込んでいた。そして、使われてない地下室のドアを押し開けた。
その地下室には、空箱や黄ばんだ新聞紙があるだけだったという。いたるところにネズミがいて、たえずゴソゴソと音がしたという。オードリーは一ケ月近くもその地下室に潜んでいた。
「…こうなったらネズミでも友達のようなものだったわ」オードリーはいう。
「……かばんのなかにはリンゴ一個と小さなパンがあるだけ。食料はそれだけだった。飢えと恐怖をごまかすため、とりあえずたくさん眠ることにしたの。外の様子を除き見ることはなかったけど、頭の中で楽しい音楽をハミングしたわ。戦争のせいでわたしの体は自由をうばわれていたけど、心はまぎれもなくわたし自身のものだった」
いよいよ銃声が近付いてきたとき、オードリーは地下室から飛びだして、家に戻ったという。「…どうやって家まで辿り着いたか覚えてないの」
家につくと、エラはびっくりして涙を流した。
娘は死んだものと思っていたのだ。「わたしは幽霊みたいだった。まっ黄色な幽霊だったわ」
オードリーは肝炎をわずらい、喘息になっていた。一ケ月にもおよぶ隠遁生活が災いしたのだ。肌には”おうだん”もでていた。もともと代謝は早かったほうだったそうだが、病気やストレスでオードリーは食事を受けつけなくなっていた。
アルンヘムでは市街戦になり、オードリーたちは地下室で身をふせて暮らしていた。
長く辛い日々が続く。
それでも、連合軍が次々とナチス・ドイツ軍をやぶり、戦況は連合軍優位にたっていた。それが、救いではあった。
オードリーたちは街の中心から離れていたところで暮らしていたが、あるときその家に爆弾が落ちた。不幸中の幸いか?エラもオードリーたちも隣の家にいたため無事であった。が、家はこっぱみじんに爆破され、なにもかもなくなった。一家は着のみ着のまま逃げた。 身をよせた家の三階にドイツ軍の発信機が取り付けてあったときは、ヴァン・ヘームストラ一家は最悪のあやういところに置かれた。
「まえにも話したように、母は戦争中ずっとナチのシンパのふりをしてきたの。イギリス軍が荒々しくやってきた長い銃を突きつけたとき、私は落ちついて事情を説明したわ。すると兵隊は、『きみの英語はすばらしい。きみのいうことなら信じよう』と言ってくれたの。彼らはタバコを出して火をつけた。イギリスタバコは自由の香りがしたわ」
オードリーはある対談でそう語って笑顔を見せたという。
一九四五年五月五日、ドイツは降伏した。
アドルフ・ヒトラーは自殺。ゲッベルスら幹部も自殺したという。イギリス軍はアルンヘムの地雷を撤去しだし、オードリーは場所を指示しさえした。そして、
「わたしたちを救ってくれてありがとう!」
といい、喜びのあまり兵士にキスさえしたという。
やがて、労働キャンプからアレクサンデルが解放されて戻ってくると、一家は喜びと勝利にわいた。でも、オードリーは戦争のトラウマ(心の後遺症)からか、戦争の忌ま忌ましい光景を悪夢としてみるのだった。
「自分でも以外だったわ。あんな夢をみるようになるなんて。わたしは戦争を克服できなかったのね」
なんにしても、こうして戦争は終結した。
そして、オードリーは生涯、このトラウマを引き摺るようになるのである。
一九三三年、アドルフ・ヒトラー率いるナチス党が政権を奪取した。
それは、戦火の前触れでもあった。
そして、一九三九年。いよいよ戦争の火の粉がまわりにおよぶようになると、エラはオードリーをロンドンからオランダのアルムヘンに戻ってくるように命じた。
ヒトラーがロンドンに侵攻すると思ったからだった。
「オランダに戻ったとき、ほかの子からからかわれたことを思い出すといまでも胸が痛くなるの」オードリーはいう。「以前オランダに住んでいた頃も言葉がよくわからなかったし、家では英語を使っていたから、この国に戻るころにはオランダ語をすっかり忘れていたの。それでもがんばってしゃべろうとすると、もの凄い訛りになった。そういうときの子供って意地悪で情け容赦ないのね。わたしは文字どおりひとりぼっちだった」
エラとアレクサンデルとヤンは、一家でオランダのアルンヘムで暮らしはじめた。
両親の離婚というショックを、オードリーはなかなか受け入れられずパニックになることもあったという。オードリーはある対談でいう。
「オランダに戻ってからは泣いてばかりいたわ。椅子に座ってべそをかき、チョコレートを食べながらオランダ語を覚えようとがんばったの。でも、怠けていても言葉は覚えられた。気の散るようなことはなにもなかったし、他にやることもなかったから」
母親のエラはかわいそうな娘のために何か楽しいことがないか考えたが、戦火が近付くなかではなにも手にはいらない。娯楽どころではないのだ。
オードリーは外出するかわりに、バレエの本に夢中になり、バレエを習うことを生きがいとまで感じるようになっていたという。
オードリーはすっかりバレエ・ファンになり、しんと陶酔していった。
体型がバレエ向きになってきたことも幸いした。彼女はバレエの基礎や知識、伝統などを勉強していった。完全にバレエに嵌まった。
戦火はオランダにも迫っていた。
一九四〇年春、ヒトラー率いるナチス・ドイツ軍はオランダ侵攻のため軍隊を送り込んできた。この頃、母・エラは非公式にレジスタンス活動(反政府活動のこと)に関わっていた。もはや、きらきらした時代ではなかった。
エラは地元のリーダーとなっていた。ナチズムに浸透した前夫へのあてつけか?それは誰にもわからない。エラの屋敷はレジスタンス運動家の秘密のアジトになり、エラは仲間を増やそうとやっきになった。別れた夫への反発の気持ちもあった。
アジトでは、大人たちが暗号で話していた。
オードリーはその会話を耳にすることになるのだが、彼女はとんな気持ちだっただろうか?「そういう暗号の意味はもう覚えてないわ」オードリーはいう。
エラにとってナチスは憎っくき前夫と同じことだった。
母は、父親の悪口をいうことを禁じていた。そのかわり、アドルフ・ヒトラーを激しく憎むようにいった。
父親のジョセフは最初、悪名高い黒シャツ隊に資金援助をするだけだった。が、この頃からはデモに参加するまでになっていた。
オードリーは身をきられる思いであった。ある対談で、彼女はいう。
「当時わたしはまだ十一歳だったけど、ヒトラーが悪魔だということは知っていたつもりです。でも父はそのヒトラーを応援しているし、わたしは父を愛している。わたしは神様にお願いしたわ。お父さんが気持ちを変えてくれますように、そしてできることなら家族がまたひとつになりますようにって。わたしは生涯を通して、家族がひとつになれるようにと祈りつづけたんだと思う」
エラは娘をバレエ公演に連れていった。
しかし、目的は娯楽ではなく、エラにとってはレジスタンスの同志集めであった。会場にはナチス・シンパの男たちも大勢いて、彼らはドイツ寄りの貴族というエラの仮面に疑いの目をむけていた。そのことに気付いていたエラは、ナチスが到着するまでバレエ団をとどめておくように働きかけた。そうすれば、自分はドイツ寄りだと思わせられると考えたからである。
バレエ団の不安は募る。しかし、エラはとどめた。オードリーはエラの命令に応じ、舞台にあがりダンサーのフォンテーンとド・ヴァロアに花束を渡した。ふたりはつぶらな瞳の美少女に興味をもった。
「わたし、ダンサーになりたいんです。ずっと夢みてます」
オードリーは、フォンテーンとド・ヴァロアにきらりといったという。
ドイツ軍がけたたましい音とともにアルンヘムに侵攻したのは、バレエ団のバスが街を去ってから数十分後のことであった。空襲警報が鳴り響き、銃声が響く。パラシュートが夜空の飛行機からいっぱい降りてくる。
オードリーと母は家に戻り、地下室で寝たという。地下室にはすでにアレクサンデルとヤン、それに乳母が避難していたそうだ。
オードリーと家族の生活は、ドイツ軍の侵攻によって一夜にしてがらりとかわってしまった。ラジオは「市民は家にこもり、鎧戸や鍵をしめ、外出しないこと」とさかんに放送していた。オードリーは窓から外を覗きこみ、興奮した。
「わたしは兄たちと一緒に、窓の隙間からドイツ兵の姿をのぞき見たわ。軍服を着て銃をもった兵士たちは、灰色の海みたいだった。恐ろしい光景だったけど、彼らを打ち負かすことができるような気がした。子供らしいあどけない発想ね。ゲームみたいな感じになったの」
ある対談で、オードリーはいう。
たが、同時にヴィルヘルミナ女王と家族が国外へ脱出したときは(女王と家族は戦争終結まで英国に滞在したという)ゲームがつまらなくなった……と感じた。
リーダーがゲームから抜けたら、ゲームにならない。
”アルンヘムはドイツ第三帝国の支配下になった”
とラジオが伝えたのは、侵攻後の翌朝だった。
オードリーの家族は経済的に厳しくなった。財産をナチスに没収され、抵抗運動をしていた貴族たちは無一文になった。エラと一緒にレジスタンス運動をしていたメンバーのうち、捕まったひとは”見せしめ”のために殺されたという。
が、オードリーを打ちのめしたのは、母の兄であるヴィレムが逮捕され、処刑されたことだった。なんでも街の広場で、レジスタンスたちとともに銃殺されたのだそうだ。
肉親を失ったエラだったが、抵抗運動はやめなかった。
エラは肉親の死に号泣し、何日も泣きはらしたという。しかし、それでも抵抗運動はやめなかった。戦火は拡大し、エラたち一家は貧しくなった。
オードリーは、まるで赤毛のアンのように幻想と想像の中に逃げ込んだ。
配給される食料も、日に日に質が悪く、少なくなってきた。
オードリーらは、僅かな食料で飢えを凌いだ。
水と黒パンだけ、という日もあったという。
ある対談で、オードリーはいう。
「占領状態はすぐ終わるだろうとみんな思っていたの。戦争という悲劇がゆっくりといつまでも続き、日ごとに恥辱を増していくとは思っていなかった。どんなに落ち込んでも、明日はすべてが終わると信じてたから。どんなに惨めな日も、こんなことはいつまでも続かないって信じてたし、わたしは心のどこかで、自分は飢えてるんじゃない、戦争終結を願って断食してるんだって言いきかせていたわ」
しかし、日々の生活は悪化していく。
アルンヘム音楽学校(オードリーが通っていた)では、オーストラリア人とドイツ人の作曲家以外の作品を勉強することを禁じられ、ユダヤ人教師は解雇された。
ユダヤのひとは収容所に送られ、虐殺か……
オードリーは反逆者となった。
母・エラの活動を密かに手伝い、自ら資金集めもした。バレエでピルエット(爪先旋回)するのもレジスタンス活動の資金集めであった。喝采もなかったし、スタンディング・オベーションもなかったが、そのほうが良かった。
しかし、オードリーに危機が迫る。
彼女はオランダ語がよく話せなかったため、ドイツ兵から「よそ者の反体制分子」とみられかねなかった。何代か前にユダヤ人の血も混ざっている。エラは平時には混血だらけの家系を自慢していたが、戦時下にそのことを声高々と主張するのは自殺行為だ。
しかたなく、オードリーは自宅で勉強せざるえなかった。
エラは娘を気の毒だと思った。
週に一度、家庭教師がやってきて数学の特訓をする。初めは嫌々だったが、しだいにオードリーは数学に興味を示した。生活に関する応用問題などを好んだともいう。
戦火は益々拡大していく。
そんななか、オードリーの義兄・アレクサンデルが労働キャンプ送りになった。ナチの青年団であるユーゲントへの参加を拒否したためであった。
「小さかったころ、アレクサンデルはおもしろい冒険の本をたくさん教えてくれた。キプリングのものが多かったように記憶してるわ。わたしはよく、兄さんの『なぜなぜ物語』の本を地下室に持っておりては、ふたりで登場人物になったつもりで遊んだの」
オードリーは、集団からリンチを受けるひとや、連行されるユダヤ人や反体制派の人々、銃でこずかれて殺される人々をみて、恐怖したという。もちろん、やっているのはナチス・ドイツ軍の兵士たちだ。「怖かったわ」オードリーはいう。
児童七十人がナチスに捕まるという事件もあった。ナチスの電線とガス管を爆破しようとして捕まったのだ。それを知ったオードリーは、レジスタンス活動を積極的に行うようになったという。
恥ずかしがりやの内気な少女という正体に仮面をし、オードリーは広場を明るくあるいた。世界情勢など知りもしない…という態度を装って……。でも、すりきれた靴の底には、レジスタンス活動家宛ての暗号メッセージが忍ばせてあるのだ。
オードリー危機一髪という場面もあった。
ドイツ兵の落下傘がおちて、兵士がオードリーに近付いてくるのだ。…怖がってはいけない。と思ったオードリーは、明るく無邪気な演技で、足元のヒナギクを摘み始めた。そして、兵士がやってきた頃には両手は花でいっぱいになった。
兵士がくると、オードリーは雛菊を兵士に差し出してにこりと笑った。兵士は受け取ると、彼女の頭を撫でたという。そして、去った。
もし、逃げたり、なにかしてたら射殺されていただろう。
オードリーはしんと祈った。
……神様、ありがとう、わたしはまだ生きています…。
戦火は拡大していった。
状況はますます悪くなる一方であった。一九四三年になると、ナチスはユダヤ人を収容所に次々と送り、ガス室で大量殺戮していた。オランダのユダヤ人も次々と連行されていっていた。それでも、オランダ人たちはユダヤ人を匿ったり、別の身分証を出したりして匿っていた。
しかし、希望をつぶされるユダヤ人も多かった。
戦争終結まで、ナチスは六〇〇万人もユダヤ人やジプシーたちを殺戮したという。
アンネ・フランクなどもそうした被害にあったひとりであったといえる。
ナチスの暴行、虐殺、レイプ、略奪……。
ナチスへの恐怖は、人々を恐れさせ、しだいにヒステリーにしていった。エラも、恐怖から鬱病になり、不眠が続き、食欲も減退したという。しかし、食べるものなどほとんどないのだから、食欲は関係ないかもしれない。彼女は熟睡できずに狭いベットで寝返りばかり打ち、夢が波をなして襲いかかってきた。あざやかであると同時に不吉な夢。何かが追いかけてくる、あるいは追いかけている夢。それが自分を幸運にするのかか、傷つけるのかもわからなかった。まったくわからない。朝六時頃、ようやく目がさめた。
戦火が拡大する中、オードリーは女子児童にバレエを教えるアルバイトをしていた。少しでも家計が楽になれば、という、しんとした考えからだった。しかし、食べるものなどない。ほんのスープと黒パンひと切れぐらいだ。オードリーは飢えていた。
いや、この時代、みんな飢えていた。
しかし、そんなオードリーに再び危機が迫る。
ゲシュタポが、オードリーの腰にライフルをつきつけて少女たちの列に並ぶように命令したのだ。町並みではゲシュタポが労働力確保のため、少女たちを連行するところだった。運悪く、それを眺めてかわいそうに思っていたオードリーにもナチスが目をつけたのだ。「将校がすぐうしろでライフルを突き付けていた。でもわたしは頭をしっかり上げて、威厳を失うことなく歩いていった」
オードリーがほかの女性たちと一緒になると、彼女を捕まえた将校と兵士は、もっと”獲物”をたくさん集めようとひとりを残してその場を去った。
残された兵士はとても若くて、女に囲まれて居心地が悪そうだったという。そして、煙草を吸い始めた。オードリーは今がチャンスと思ったという。
飢えで腕も足をやせ細っていた少女は、自らの命のために駆け出した。鈍感な兵士が気付く前に、オードリーは角を曲り姿を消し、路地に飛び込んでいた。そして、使われてない地下室のドアを押し開けた。
その地下室には、空箱や黄ばんだ新聞紙があるだけだったという。いたるところにネズミがいて、たえずゴソゴソと音がしたという。オードリーは一ケ月近くもその地下室に潜んでいた。
「…こうなったらネズミでも友達のようなものだったわ」オードリーはいう。
「……かばんのなかにはリンゴ一個と小さなパンがあるだけ。食料はそれだけだった。飢えと恐怖をごまかすため、とりあえずたくさん眠ることにしたの。外の様子を除き見ることはなかったけど、頭の中で楽しい音楽をハミングしたわ。戦争のせいでわたしの体は自由をうばわれていたけど、心はまぎれもなくわたし自身のものだった」
いよいよ銃声が近付いてきたとき、オードリーは地下室から飛びだして、家に戻ったという。「…どうやって家まで辿り着いたか覚えてないの」
家につくと、エラはびっくりして涙を流した。
娘は死んだものと思っていたのだ。「わたしは幽霊みたいだった。まっ黄色な幽霊だったわ」
オードリーは肝炎をわずらい、喘息になっていた。一ケ月にもおよぶ隠遁生活が災いしたのだ。肌には”おうだん”もでていた。もともと代謝は早かったほうだったそうだが、病気やストレスでオードリーは食事を受けつけなくなっていた。
アルンヘムでは市街戦になり、オードリーたちは地下室で身をふせて暮らしていた。
長く辛い日々が続く。
それでも、連合軍が次々とナチス・ドイツ軍をやぶり、戦況は連合軍優位にたっていた。それが、救いではあった。
オードリーたちは街の中心から離れていたところで暮らしていたが、あるときその家に爆弾が落ちた。不幸中の幸いか?エラもオードリーたちも隣の家にいたため無事であった。が、家はこっぱみじんに爆破され、なにもかもなくなった。一家は着のみ着のまま逃げた。 身をよせた家の三階にドイツ軍の発信機が取り付けてあったときは、ヴァン・ヘームストラ一家は最悪のあやういところに置かれた。
「まえにも話したように、母は戦争中ずっとナチのシンパのふりをしてきたの。イギリス軍が荒々しくやってきた長い銃を突きつけたとき、私は落ちついて事情を説明したわ。すると兵隊は、『きみの英語はすばらしい。きみのいうことなら信じよう』と言ってくれたの。彼らはタバコを出して火をつけた。イギリスタバコは自由の香りがしたわ」
オードリーはある対談でそう語って笑顔を見せたという。
一九四五年五月五日、ドイツは降伏した。
アドルフ・ヒトラーは自殺。ゲッベルスら幹部も自殺したという。イギリス軍はアルンヘムの地雷を撤去しだし、オードリーは場所を指示しさえした。そして、
「わたしたちを救ってくれてありがとう!」
といい、喜びのあまり兵士にキスさえしたという。
やがて、労働キャンプからアレクサンデルが解放されて戻ってくると、一家は喜びと勝利にわいた。でも、オードリーは戦争のトラウマ(心の後遺症)からか、戦争の忌ま忌ましい光景を悪夢としてみるのだった。
「自分でも以外だったわ。あんな夢をみるようになるなんて。わたしは戦争を克服できなかったのね」
なんにしても、こうして戦争は終結した。
そして、オードリーは生涯、このトラウマを引き摺るようになるのである。