長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

緑川鷲羽「一日千秋日記」VOL.122日中首脳会談実現「中国はつかってナンボ」安倍晋三×習近平

2014年11月10日 15時38分03秒 | 日記





 日中首脳会談実現「中国はつかってナンボ」

 安倍晋三総理大臣(日本国)と習近平国家主席(中国)による日中首脳会談が実現した。まずは安倍氏一歩前進で、ある。
日本にとって、「反中反韓」などというヒステリーめいた感情は、何も生まない。
財布も胃袋もデカイ中国は「つかってナンボ」ということだ。
それから歴史問題に関してはいろいろな戦略があるが、大事なのは朝日新聞のような誤報をそのままにする愚をさけることだ。確かに日本帝国軍部時代に、日本軍は中国人や韓国人の無辜の民を何万人も虐殺したのかも知れない。
だが、中国人だって馬鹿じゃない。一番の虐殺をしたのは中国人民解放軍であり、毛沢東の『大躍進政策』『文化大革命政策』である。毛沢東はそれらの政策で世界一何千万人もの中国人を殺したのだ。それに、日本に勝利したのは中国共産党軍ではない。蒋介石の中国国民党軍である。
中国国内の中国人はそれらを知らない。だが、気付き始めている。国外海外の中国人は知っているのだ。これは心強い。
中国国内の中国人は「井の中の蛙」かも知れない。が、日本人の政治家や官僚がそのことをハッキリ真面目に忠告するのはあまりおすすめできない。国際政治学上、短絡的すぎるし、非常に繊細な問題で、ストレートにぶつける話題ではない。
たぶん、日本人政治家がそれをそのまま言うと、中国共産党は「日本の政治家が大嘘を言っている」「問題発言なので報道禁止」となっておわり、だろう。もっと頭をつかうことだ。まずは民間ベースでネットや海外旅行中の中国人たちに”真実”に触れてもらい”拡散”を促す。勿論、中国共産党はサイバーポリスを何万人もつかって監視しているのは知っている。
だが、人の口にガムテープは貼れない。中国のひどさ、共産党のやっているあくどさを知れば、中国中が現在の香港状態になるだろう。韓国だって同じ事だ。韓国人だって馬鹿じゃない。朴おばさん(朴大統領)の大嘘ぐらい、海外生活をする韓国人なら皆知っている。そこでここでは軍略として『トロイの木馬作戦』でいいのだ。民間ベースでどんどん交流を重ねれば『(嘘で重ねられた)反日ムード』になどの嘘を、中国人も韓国人も見破れるようになる。後は中国はドイツのような各省が自治区のような「連邦制度の中華人民共和国」で、いいのではないだろうか。もう、中国共産党の時代はおわった。すみやかに連邦制度に移行せよ!

緑川鷲羽(みどりかわ・わしゅう)・44・フリージャーナリスト・

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おいどん!巨眼の男 西郷隆盛アンコールブログ連載小説<西郷の明治維新>4

2014年11月10日 06時41分40秒 | 日記







  勝海舟が突然、慶喜から海軍奉行並を命じられたのは慶応四年(一八六八)正月十七日夜、のことである。即座に、麟太郎は松平家を通じて、官軍に嘆願書を自ら持参すると申しでた。
 閣老はそれを許可したが、幕府の要人たちは反対した。
「勝安房守先生にもしものことがあればとりかえしがつかない。ここは余人にいかせるべきだ」
 結局、麟太郎の嘆願書は大奥の女中が届けることになった。
 正月十八日、麟太郎は、東海道、中仙道、北陸道の諸城主に、”長州は蛤御門の変(一八六四 元治元年)を起こしたではないか”という意味の書を送った。
 一月二十三日の夜中に、麟太郎は陸軍総裁、若年寄を仰せつけられた。
「海軍軍艦奉行だった俺が、陸軍総裁とは笑わせるねえ。大変動のときにあたり、三家三卿以下、井伊、榊原、酒井らが何の面目ももたずわが身ばかり守ろうとしている。
 誰が正しいかは百年後にでも明らかになるかもしれねぇな」
 麟太郎は慶喜にいう。
「上様のご決心に従い、死を決してはたらきましょう。
 およそ関東の士気、ただ一時の怒りに身を任せ、従容として条理の大道を歩む人はすくなくないのです。
 必勝の策を立てるほどの者なく、戦いを主張する者は、一見いさぎよくみえますが勝算はありません。薩長の士は、伏見の戦いにあたっても、こちらの先手を取るのが巧妙でした。幕府軍が一万五、六千人いたのに、五分の一ほどの薩長軍と戦い、一敗地にまみれたのは戦略をたてる指揮官がいなかったためです。
 いま薩長勢は勝利に乗じ、猛勢あたるべからざるものがあります。
 彼らは天子(天皇)をいただき、群衆に号令して、尋常の策では対抗できません。われらはいま柔軟な姿勢にたって、彼等に対して誠意をもってして、江戸城を明け渡し、領土を献ずるべきです。
 ゆえに申しあげます。上様は共順の姿勢をもって薩長勢にあたってくだされ」
 麟太郎は一月二十六日、フランス公使(ロッシュ)が役職についたと知ると謁見した。その朝、フランス陸軍教師シャノワンが官軍を遊撃する戦法を図を広げて説明した。和睦せずに戦略を駆使して官軍を壊滅させれば幕府は安泰という。
 麟太郎は思った。
「まだ官軍に勝てると思っているのか……救いようもない連中だな」
  麟太郎の危惧していたことがおこった。
 大名行列の中、外国人が馬でよこぎり刀傷事件がおこったのだ。生麦事件の再来である。大名はひどく激昴し、外人を殺そうとした。しかし、逃げた。
 英国公使パークスも狙われたが、こちらは無事だった。襲ってきた日本人が下僕であると知ると、パークスは銃を発砲した。が、空撃ちになり下僕は逃げていったという。
 二月十五日まで、会津藩主松平容保は江戸にいたが、そのあいだにオランダ人スネルから小銃八百挺を購入し、海路新潟に回送し、品川台場の大砲を借用して箱館に送り、箱館湾に設置した大砲を新潟に移すなど、官軍との決戦にそなえて準備をしていたという。
(大山伯著『戊辰役戦士』)

  宮中で、天皇の御前で会議がひらかれた。世にいう『宮中会議』である。
 参加したのは公家と薩長藩や土佐、肥後藩で、幕臣は”蚊帳の外”であった。当然ながら薩長藩は「徳川幕府をつぶし、新政権をつくる」という主張である。
 それに反対の意見を述べたのは土佐藩主山内豊信だった。徳川をひとつの藩として残して新政府にとりこもう、というのである。
 それに反駁したのは公家の岩倉具視だった。徳川幕府を根絶やしにし、新政権をつくるのが最上の策といきまいた。しかし、両者は噛み合わず、議論が前にすすまない。
 大久保一蔵は会議から抜け出し、外で篝火を炊き、陣をひいている吉之助にいった。
「西郷どん! これじゃ議論にならんでごわす!」
 吉之助は策をさずけた。
 ……土佐藩主山内豊信に、もしものときがある、岩倉具視がそちを斬るかもしれない、と知らせた。もしものとき……?! 今まで息巻いていた山内豊信が急に静かになった。
 いつの時代も人間は利より恐怖に弱い。
 岩倉は徳川家康の話までもちだして”倒幕の命令”を天皇より授かることに成功する。 すべては吉之助の策通りにすすんだ。


  薩長の官軍が東海、東山、北陸の三道からそれぞれ錦御旗をかかげ物凄い勢いで迫ってくると、徳川慶喜の抗戦の決意は揺らいだ。越前松平慶永を通じて、「われ共順にあり」という嘆願書を官軍に渡すハメになった。
 麟太郎(勝海舟)は日記に記す。
「このとき、幕府の兵数はおよそ八千人もあって、それが機会さえあればどこかへ脱走して事を挙げようとするので、おれもその説論にはなかなか骨がおれたよ。
 おれがいうことがわからないなら勝手に逃げろと命令した。
 そのあいだに彼の兵を越えた三百人ほどがどんどん九段坂をおりて逃げるものだから、こちらの奴もじっとしておられないと見えて、五十人ばかり闇に乗じて後ろの方からおれに向かって発砲した。
 すると、かの脱走兵のなかに踏みとどまって、おれの提灯をめがけて一緒に射撃するものだから、おれの前にいた兵士はたちまち胸をつかれて、たおれた。
 提灯は消える。辺りは真っ暗になる。おかげでおれは死なずにすんだ。
 雨はふってくるし、わずかな兵士だけつれて撤退したね」

  旧幕府軍と新選組は上方甲州で薩長軍に敗北。
 ぼろぼろで血だらけになった「誠」の旗を掲げつつ、新選組は敗走を続けた。
 慶応四年一月三日、旧幕府軍と、天皇を掲げて「官軍」となった薩長軍がふたたび激突した。鳥羽伏見の戦いである。新選組の井上源三郎は銃弾により死亡。副長の土方歳三が銃弾が飛び交う中でみずから包帯を巻いてやり、源三郎はその腕の中で死んだ。
「くそったれめ!」歳三は舌打ちをした。
 二週間前に銃弾をうけて、近藤は療養中だった。よってリーダーは副長の土方歳三だった。永倉新八は決死隊を率いて攻め込む。官軍の攻撃で伏見城は炎上…旧幕府軍は遁走しだした。
 土方は思う。「もはや刀槍では銃や大砲には勝てない」
 そんな中、近藤は知らせをきいて大阪まで足を運んだ。「拙者の傷まだ癒えざるも幕府の不利をみてはこうしてはいられん」
 それは決死の覚悟であった。
 逃げてきた徳川慶喜に勝海舟は「新政府に共順をしてください」と説得する。勝は続ける。「このまま薩長と戦えば国が乱れまする。ここはひとつ慶喜殿、隠居して下され」
 それに対して徳川慶喜はオドオドと恐怖にびくつきながら何ひとつ言葉を発せなかった。 ……死ぬのが怖かったのであろう。
 勝は西郷を「大私」と呼んで、顔をしかめた。

 西郷隆盛は「徳川慶喜の嘘はいまにはじまったことではない。慶喜の首を取らぬばならん!」と打倒徳川に燃えていた。大きな眼の男、吉之助は血気さかんな質である。
 鹿児島のおいどんは、また戦略家でもあった。
  ……慶喜の首を取らぬば災いがのこる。義朝の例がある。平家のようになるかも知れぬ。幕府勢力をすべて根絶やしにしなければ、維新は成らぬ……
  江戸に新政府軍が迫った。江戸のひとたちは大パニックに陥った。共順派の勝海舟も狙われる。一八六八年(明治元年)二月、勝海舟は銃撃される。しかし、護衛の男に弾が当たって助かった。勝は危機感をもった。
 もうすぐ戦だっていうのに、うちわで争っている。幕府は腐りきった糞以下だ!
 勝海舟は西郷隆盛に文を送る。
 ……”わが徳川が共順するのは国家のためである。いま兄弟があらそっているときではない。あなたの判断が正しければ国は救われる。しかしあなたの判断がまちがえば国は崩壊する”………
  官軍は江戸へ迫っていた。
  慶喜は二月十二日朝六つ前(午前五時頃)に江戸城をでて、駕籠にのり東叡山塔中大慈院へ移ったという。共は丹波守、美作守……
 寺社奉行内藤志摩守は、与力、同心を率いて警護にあたった。                    
 慶喜は水戸の寛永寺に着くと、輪王寺宮に謁し、京都でのことを謝罪し、隠居した。
 山岡鉄太郎(鉄舟)、関口ら精鋭部隊や、見廻組らが、慶喜の身辺護衛をおこなった。   江戸城からは、静寛院宮(和宮)が生母勧行院の里方、橋本実麗、実梁父子にあてた嘆願書が再三送られていた。
「もし上京のように御沙汰に候とも、当家(徳川家)一度は断絶致し候とも、私上京のうえ嘆願致し聞こえし召され候御事、寄手の将御請け合い下され候わば、天璋院(家定夫人)始めへもその由聞け、御沙汰に従い上京も致し候わん。
 再興できぬときは、死を潔くし候心得に候」
 まもなく、麟太郎が予想もしていなかった協力者が現れる。山岡鉄太郎(鉄舟)、である。幕府旗本で、武芸に秀でたひとだった。
 文久三年(一八六三)には清河八郎とともにのちの新選組をつくって京都にのぼったことがある人物だ。山岡鉄太郎が麟太郎の赤坂元氷川の屋敷を訪ねてきたとき、当然ながら麟太郎は警戒した。
 麟太郎は「裏切り者」として幕府の激徒に殺害される危険にさらされていた。二月十九日、眠れないまま書いた日記にはこう記する。
「俺が慶喜公の御素志を達するため、昼夜説論し、説き聞かせるのだが、衆人は俺の意中を察することなく、疑心暗鬼を生じ、あいつは薩長二藩のためになるようなことをいってるのだと疑いを深くするばかりだ。
 外に出ると待ち伏せして殺そうとしたり、たずねてくれば激論のあげく殺してしまおうとこちらの隙をうかがう。なんの手のほどこしようもなく、叱りつけ、帰すのだが、この難儀な状態を、誰かに訴えることもできない。ただ一片の誠心は、死すとも泉下に恥じることはないと、自分を励ますのみである」
 鉄太郎は将軍慶喜と謁見し、頭を棍棒で殴られたような衝撃をうけた。
 隠居所にいくと、側には高橋伊勢守(泥舟)がひかえている。顔をあげると将軍の顔はやつれ、見るに忍びない様子だった。
 慶喜は、自分が新政府軍に共順する、ということを書状にしたので是非、官軍に届けてくれるように鉄太郎にいった。
 慶喜は涙声だったという。
 麟太郎は、官軍が江戸に入れば最後の談判をして、駄目なら江戸を焼き払い、官軍と刺し違える覚悟であった。
 そこに現れたのが山岡鉄太郎(鉄舟)と、彼を駿府への使者に推薦したのは、高橋伊勢守(泥舟)であったという。
 麟太郎は鉄太郎に尋ねた。
「いまもはや官軍は六郷あたりまできている。撤兵するなかを、いかなる手段をもって駿府にいかれるか?」
 鉄太郎は「官軍に書状を届けるにあたり、私は殺されるかも知れません。しかし、かまいません。これはこの日本国のための仕事です」と覚悟を決めた。
 鉄舟は駿府へ着くと、宿営していた大総督府参謀西郷吉之助(隆盛)は会った。鉄太郎は死ぬ覚悟を決めていたので銃剣にかこまれても平然としていた。
 西郷吉之助は五つの条件を出した。
     
 一、慶喜を備前藩にお預かり
 一、江戸城明け渡し
 一、武器・軍艦の没収
 一、関係者の厳重処罰
 西郷吉之助は「これはおいどんが考えたことではなく、新政府の考えでごわす」
 と念をおした。鉄舟は「わかりました。伝えましょう」と頭を下げた。
「おいどんは幕府の共順姿勢を評価してごわす。幕府は倒しても徳川家のひとは殺さんでごわす」
 鉄舟はその朗報を伝えようと馬に跨がり、帰ろうとした。品川宿にいて官軍の先発隊がいて「その馬をとめよ!」と兵士が叫んだ。
 鉄舟は聞こえぬふりをして駆け過ぎようとすると、急に兵士三人が走ってきて、ひとりが鉄舟の乗る馬に向け発砲した。鉄舟は「やられた」と思った。が、何ともない。雷管が発したのに弾丸がでなかったのである。
 まことに幸運という他ない。やがて、鉄太郎は江戸に戻り、報告した。麟太郎は「これはそちの手柄だ。まったく世の中っていうのはどうなるかわからねぇな」といった。
 官軍が箱根に入ると幕臣たちの批判は麟太郎に集まった。
 しかし、誰もまともな戦略などもってはしない。只、パニックになるばかりだ。
 麟太郎は日記に記す。
「官軍は三月十五日に江戸城へ攻め込むそうだ。錦切れ(官軍)どもが押しよせはじめ、戦をしかけてきたときは、俺のいうとおりにはたらいてほしいな」
 麟太郎はナポレオンのロシア遠征で、ロシア軍が使った戦略を実行しようとした。町に火をかけて焦土と化し、食料も何も現地で調達できないようにしながら同じように火をかけつつ遁走するのである。


  官軍による江戸攻撃予定日三月十四日の前日、薩摩藩江戸藩邸で官軍代表西郷隆盛と幕府代表の勝海舟(麟太郎)が会談した。その日は天気がよかった。陽射しが差し込み、まぶしいほどだ。
 西郷隆盛は開口一発、条件を出した。
   
 一、慶喜を備前藩にお預かり
 一、江戸城明け渡し
 一、武器・軍艦の没収
 一、関係者の厳重処罰
  いずれも厳しい要求だった。勝は会談前に「もしものときは江戸に火を放ち、将軍慶喜を逃がす」という考えをもって一対一の会談にのぞんでいた。
 勝はいう。
「慶喜公が共順とは知っておられると思う。江戸攻撃はやめて下され」
 西郷隆盛は「では、江戸城を明け渡すでごわすか?」とゆっくりきいた。
 勝は沈黙する。
 しばらくしてから「城は渡しそうろう。武器・軍艦も」と動揺しながらいった。
「そうでごわすか」
 西郷の顔に勝利の表情が浮かんだ。
 勝は続けた。
「ただし、幕府の強行派をおさえるため、武器軍艦の引き渡しはしばらく待って下さい」 今度は西郷が沈黙した。
 西郷隆盛はパークス英国大使と前日に話をしていた。パークスは国際法では”共順する相手を攻撃するのは違法”ときいていた。
 つまり、今、幕府およんで徳川慶喜を攻撃するのは違法で、官軍ではなくなるのだ。
 西郷は長く沈黙してから、歌舞伎役者が唸るように声をはっしてから、
「わかり申した」と頷いた。
  官軍陣に戻った西郷隆盛は家臣にいう。
「明日の江戸攻撃は中止する!」
 彼は私から公になったのだ。もうひとりの”偉人”、勝海舟は江戸市民に「中止だ!」と喜んで声をはりあげた。すると江戸っ子らが、わあっ!、と歓声をあげたという。
(麟太郎は会見からの帰途、三度も狙撃されたが、怪我はなかった)
 こうして、一八六八年四月十三日、江戸無血開城が実現する。
 西郷吉之助(隆盛)は、三月十六日駿府にもどり、大総督宮の攻撃中止を報告し、ただちに京都へ早く駕籠でむかった。麟太郎の条件を受け入れるか朝廷と確認するためである。 この日より、明治の世がスタートした。近代日本の幕開けである。          
         7 廃藩置県と新政府




         
  薩摩隼人、川口雪篷は西郷家を守っていた。
 西郷吉之助(隆盛)に留守役をまかされたのだ。只でさえ、西郷は薩摩の代表として忙しい。幕府はつぶしたが、残党が奥州(東北)、蝦夷(北海道)までいって暴れる始末の悪さ。彰義隊にも手をやいた。
 西郷は、勝海舟との間で『江戸無血開城』をなしとげたあとも激務におわれた。
 そんな中、川口は奄美大島へ向かった。
 西郷吉之助の島妻と子供を引き取るためだ。
 それは、吉之助の願いでもあった。
「愛加那はんいとっとか?」
 川口雪篷は舟でつくと、暑い中、島村を訪ねた。「わたくしですけんど…」
 愛加那は答えた。   
「西郷どんのつかいできたでごわす。あんさんと子らを鹿児島に連れてきゃりぇせと」
「ほんてごつですか?」
 愛加那は笑みを浮かべた。やっと……旦那さんにあえる…
「…愛加那!」それをとめたのは彼女の母・石千代だった。
「なんでごつ? 母さま」
「わかっとう?! あんたは島の愛人にすぎなか! 鹿児島にいってもやっかいものになるだけじやなかが!」
「…そ……そげんこつなか」
 愛加那はわかっていた。母のいう通りである。自分は只の愛人に過ぎない。
 だが、吉之助との間に子がふたりもいる。
「……わしは先にいっちょりますきに。舟でいきまそ」
 川口雪篷がそういって遠ざかると、愛加那はハッとして子を連れて駆け出した。
「…愛加那!」
 石千代は叫んだ。
「おいといきもうそ」川口雪篷が笑顔でいうと、駆け寄ってきた愛加那は息をきらしながら、すがるような目をした。
「どげんしたど?」
「…こ……この子だけ連れていきもうそ!」            
 愛加那はそういって川口に菊次郎少年だけを託すと、悲痛を堪えて家に駆け戻った。
 そして、号泣した。
 もう、旦那さんにも菊次郎にもあえない。そうわかっていたからだ。
「……愛加那、あんさんは偉きことしよっちょぞ。それでよか。それでよか」            
 石千代は娘・愛加那の肩を抱き、涙で嗚咽をもらし、崩れる娘を褒めた。
「いつかきっとでん。吉之助はんも感謝しもうそ」
 石千代は涙声でそういった。


  勝海舟は旧幕臣たちの説得につとめていた。
  幕臣たちは何をおもってか、奥州や蝦夷にいきたがる。会津(福島県)でもひともんちゃくあったという。「俺が新政府と戦っても無駄だっていってもきかねぇんだ。馬鹿なやつらだよ。薩長は天子さまを掲げてんだ。武器や兵力、軍艦にしても勝てねえってことぐらい馬鹿でもわかりそうなのに………まったく救いようがねぇ連中だ」
 山岡鉄太郎は「勝先生がすすんで”裏切り者”役をかってでていただいたおかげで、江戸は火の海にならないですんだんです。先生がいなければこの国はどうなっていたか…」「てやんでい。俺に感謝せず、このかたに感謝しろ」
 いままで黙ってきいていた西郷吉之助が巨眼を見開いた。                    
「じゃっどん。幕府にしても慶喜公の隠居にしても……勝先生がいたからでごわそ?」
 勝麟太郎(海舟)は笑って、
「西郷先生、あとはあんたらの出番だ。幕府は腐りきって滅んだが、新政府はそういう風にならねぇことを願うねぇ。あとはあんたらがこの日本の舵取りをしていくんだ」
「……舵取り?」
「そうさな。政もそうだが、まず経済だな。どんな国でも経済がいい国は豊かな国だぜ。それと諸藩から広く人材を集めるこった。それでなきゃならねぇと俺は思うんだ。
 西郷先生はどうでい?」
「おいどんも賛成でごわす。国というのは経済が潤ってこそ政もうまくいくのでごわす。国の基礎は経済でごわそ」
 勝はにやりとして「そういうことでい! 西郷先生、あんたわかってるじゃないか!」 ふたりはがっちりと握手をかわした。
 維新二大英雄の握手である。
「日本国を頼むぜ、西郷先生!」
 勝海舟は強くいった。
「わかりもうした」吉之助も笑顔をつくった。……これからはおいたちの出番でもそ。
「わかりもうした! わかりもうした!」   
 吉之助は念仏のように何度もいい、頷いた。

  勝海舟との会談から五ケ月後、越中で「官軍」として戦っていた西郷吉之助の弟・吉二郎が戦死した。その訃報が吉之助の元に届いたのは夕方だった。
 陣で指揮をとっていた吉之助は驚き、思わず手にもっていたものを落とした。
「……吉二郎が……あの吉二郎が死んだでごわすか…」
 大きな溜め息が巨体から漏れた。
 その夜、吉之助はちょんまげを斬りおとして、机におき「こいを吉二郎の墓に一緒に葬ってごわそ」といった。
 幕府は崩れ、新選組の局長・近藤勇は官軍にとらえられ処刑された。幕臣・榎本武揚は、新選組副長・土方歳三とともに蝦夷にいき、臨時政府をつくるも敗退。土方は戦死し、榎本は捕らえられた。     
 そして、明治元年九月二十日、会津鶴ケ城が落城し、ここに戊辰戦争は終結した。

   
 西郷隆盛は「維新後」、二千石の賞典禄を与えられた。
 大久保利道(一蔵)と、木戸孝允(桂小五郎)は千八百石。後藤象二郎、小松帯刀、岩倉具視が千石で、西郷隆盛は正三位に叙されたという。
 薩摩の殿様島津が従三位……家臣が殿より偉くなった訳である。
 西郷は終戦となるや薩摩兵をひきいて鹿児島へもどった。維新後の勢力は当然ながら薩摩と長州藩主体だった、が、土佐、肥後といった藩も新政府に参加していた。
 しかし、諸藩の反発もすごくて「薩長だけで維新がなったと思ってるのか?!」という不満も渦巻いていた。
 吉之助(隆盛)は鹿児島湾から海を眺め、
「おいの役目はおわりもうした。あとは百姓にでもなりもんそ」と呟いた。
 新政権ではドタバタ劇が繰り広げられ、吉之助の弟子の横井楠山が、自決するまでにいたった。西郷吉之助は、
「みな、おのれのことばかり考えちょる。こげんでは新しい世とはなりもうさん。駄目じゃ。いかんど」
 と、頭を抱えてしまった。
 吉之助はいう。
「万人の上に位する者は己をつつしみ、品性を正しくし、おごりをいましめ、節倹をつとめ、職務に勤労して人民の標準となり、下民、その勤労を気の毒に思うようならでは、政令はおこなわれがたし」
 西郷隆盛は『召還』に夢中になるようになる。
 つまり、特使として朝鮮にいかせてくれ、ということである。
 吉之助は弟の西郷従道(慎吾)と話しをした。従道は立派なすらりとした男に成長して陸軍に勤務していた。
 従道は吉之助に「なにごて兄さんは朝鮮にこだわっとでごわすか?」と問うた。
「なにごてて?」             
「兄さんは朝鮮攻っとですか?」
 吉之助は珍しく顔をしかめ「そげんこつでなか!」と強くいった。
「じゃっどんなにごて朝鮮にこだわるでごわす?」
「朝鮮を攻めるなんぞとおいはひとこともいっとらん。誤解じゃ誤解! 朝鮮とこの国をよくするためにいきたいだけじゃっどん。それが誤解されちょる。まるでおいが朝鮮攻めよというとるみたいじゃなかど。そげんこつひとこともいうとらんに…」
「…そうでごわすか」西郷従道は制服の襟をなおして頷いた。
 山県有朋はプロシア(ロシア)、西郷従道は英国に留学していた。従道はイギリスで、『スコットランドヤード(英国の警察組織)』を拝見していた。
 一方で、日本には職を失った浪人士族があふれている。
 かれらの就職先が当面の課題だった。
「兄さん。近代的な軍と警察が必要でごわそ?」
 吉之助は頷いた。
「おいもそう思っとうた。日本には職を失った浪人士族があふれてもうそ。そいたちを雇えば雇用は確保できるばい」
        
  西郷従道はその夜、東京の邸宅で妻・清子にすべてを話した。
 すると清子は「やっぱり義兄さんは朝鮮を攻めるといってるのではないのですね?」
 と笑顔になった。訛りはない。       
「そうでごわそ。やっぱり兄さんは兄さんじゃ。立派じゃ」
 西郷従道は笑顔でシャンパンを開けた。

  一足先に東京の国会議事堂にいた西郷隆盛(吉之助)を追うように、アメリカNY号という船に乗り木戸や大久保、板垣退助らが東京にやってきた。
 明治四年一月三日のことである。
 西郷ら参議が命がけでとりくんだ最初の難題は『廃藩置県』であった。
 大久保も木戸もはやく日本国を共和制の国にしなければとあせった。
 そこで、まず薩摩、長州、土佐、肥後の藩を「藩籍奉還」として朝廷に献上し、領土を新政府にかえすという方法をとった。
 藩主をその県の主として残すということは、結局減らないではないか……ということにもなるかも知れない。が、まず都道府県に別けて、そののち旧藩のすべてを解体して、かわりに県をおく。県を治めるのは新政府が思いのままに動かせる知事を任命する。
 これが『廃藩置県』の大改革である。

  東京では軍事パレードが行われた。
 明治四年二月十八日、新政府は近代的な軍隊をつくったのである。
『廃藩置県』で殿でも藩主でもなくなった島津久光は、深夜、鹿児島湾に屋形船を浮かべ、何発もの花火を打ち上げさせ、ヤケ酒を呑んだという。
「わしをなめよってからに……西郷め! 大久保め! せからしか!」
  西郷隆盛が新政府へ迎えられると、新政府は組閣をした。

関白   三条実美
 参議   西郷隆盛(薩摩)板垣退助(土佐)大隈重信(佐賀)
 大蔵卿  大久保利道(薩摩)    
 文部卿  大木喬任(佐賀)    
 大蔵大輔 井上馨(長州)
 文部大輔 後藤象二郎(土佐)
 司法大輔 佐々木高行(土佐)      
 宮内大輔 万里小路博房(公家)
 外務大輔 寺島宗則(薩摩)
            他

 この組閣に、長州は怒った。
「長州から取り上げられたのは井上馨だけではないか!」というのだ。
 薩摩兵をひきいて東京にいた西郷隆盛は東京の邸宅を購入した。ときに明治四年春だった。
 この年年末、大久保利道らは『欧米視察』をすることになった。
 西郷はいかない。
「一蔵どん。無事にもどってくるんでごわすぞ!」
 西郷隆盛はいった。
「西郷どん。おいの留守中はこの国を頼みもんそ!」
「わかりもうした」
 親友でもあるふたりは堅い握手を交わした。……なんにしてもこれからが勝負だ。
  そして、大久保利道、木戸孝允、岩倉具視らは十二月一日『欧米視察』のため艦船で海原へと旅だった。西郷は見送ったあと、一時鹿児島にもどった。
 久光へ『詫び状』を届けるためだ。
 薩摩藩城では島津久光が顔を真っ赤にして、激昴して上座にすわっていた。
 吉之助は下座で座り、平伏した。
「吉之助! おのれが!」
 島津久光は開口一発怒鳴った。「お前たちが藩をつぶしたのだ! 薩摩藩は八百年もの歴史ある藩ぞ! そんれを『廃藩置県』なごてもうして……潰しおった!」
「久光公……もうこの国に殿様はいりもうさん」
「なにごて?!」
 吉之助は頭を上げた。「この国は東京を首都とした近代国家となりもんそ。もう殿様はいらなかです」
「せからしか! 吉之助! 首をはねてくれるわ!」
 島津久光は怒鳴りっぱなしだった。刀を鞘から抜いた。
「日本国は民のもの。どうぞ! おいの首をはねとうせ!」
「いいおったな! 吉之助!」
 久光は刀をふりあげた。そして、はねる真似をして、それからぜいぜいと荒い息をしてコンクリートのように固まった。吉之助はいささかも動じるところがない。
 久光は頭の中が真っ白になった。
「さ……さがれ! この外道!」
 吉之助は去った。
 すると久光は眩暈を覚えて、放心状態になり畳みに崩れた。
 ……せからしか! せからしか! ……もう声もでない。

  明治三年十二月十七日、朝廷令が発せられた。
 六月五日、西郷隆盛(吉之助)は日本で初めての陸軍大将に任命された。中将はない。   次は少将で、それには薩摩の桐野利秋が任ぜられている。桐野は前名は中村半次郎で、維新の動乱のとき「人斬り半次郎」といわれた剣豪で、維新後まで生き残った最後の剣豪である。

 大久保たちが視察にいく前に会議が開かれ、やがて『征韓論』が浮上してきた。
「朝鮮を征伐してこの国の領土としよう」
 西郷は反対し、「おいどんは反対でごわす。まずおいを朝鮮に特使としてつかわせてくれもんそ」と頼んだ。
「しかし、西郷先生にもしものことがあったら大変じゃ。それは出来ん」
「正常な外交なら軍隊はいらんでもそ?」
 一同は沈黙する。

  西郷は野に下った勝海舟と話をした。
「なに? 西郷先生は朝鮮を攻めるのかい? そんなんでなんになるってゆうんだい?」 勝は深刻な顔の西郷隆盛にいった。
「おいは…」西郷は続けた。「おいは朝鮮を攻める気はなか。只、門戸を開こうとしとるだけでこわす」
「西郷先生、そりゃああんたのいうことはいちいちごもっともだ。しかし……抵抗勢力に邪魔されてんだろ?」
「そいでごわす」西郷は素直に答えた。
「西郷先生! これからが大事だ。この国が栄えるも滅ぶも危機感をもって望む決意が重要だぜ。俺はもうあんたらにとっては必要ない者だ。あとは自分らで決めてくれ」

  大久保は朝鮮との交渉に反対した。     
 大隈は「参議以外は発言を控えよ」と慇懃にいった。
「だまれ!」江藤新平は怒鳴った。
 大久保は議論に激昴して退場した。
『征韓論』は失敗した。
 西郷はいった。「おまさんら、維新で大勢の血が流れたことを忘れおったか? わずか五年前のことじゃっどん」
 一同はまた沈黙してしまった。
 二月四日閣議が開かれる。
 朝鮮との交渉に賛成したのは、西郷・板垣・後藤・副島、反対は岩倉・大久保・大隈・木戸であった。
 木戸孝允(桂小五郎)は「朝鮮より樺太と台湾が先である」と息巻いた。
 議論は空転し、やがて大久保と大隈と木戸は辞表を提出し、参議から去った。
 閣議は続く。西郷は公家の三条に迫り、「天子(天皇)さまにご決断をば!」といった。 三条実美も辞任した。
 西郷は、公家の岩倉具視に迫った。「天子(天皇)さまにご決断をば!」
 岩倉具視は押し黙ったままだ。
 西郷はさらに「朝鮮にばいき国交を開きまそ」と提案した。
 岩倉は「戦になるかも…」と恐れた。
「樺太も同じでごわそ。朝鮮は”かませ犬”じゃなか! 朝鮮に使者を派遣せねばならぬごて。そいがわからんでごわすか?」
「士族のため?」
「そうではごわさん」西郷は首をふった。「このまんまでは国家百年の計あやまりおこるでごわす」
 吉之助は岩倉の袖をひっぱった。「はなせ!」
「岩倉どん! わからんでごわすか?!」
 そんなひともんちゃくがあったあと、西郷隆盛は馬車で帰宅した。
 弟の従道とその妻清子がきた。
  西郷吉之助は大きな溜め息をもらし、「鹿児島にもどりもうそ」と独り言のように呟いた。彼は疲れていた。吉之助には一晩の熟睡と熱い風呂が必要だった。
 ……つかれたばい。つかれたばい…
「岩倉は天子さまに反対のこというじゃっとろう。西郷は朝鮮に戦しかけると思われるじゃなかど」   
「……兄さん」
「月照どんと海に落ちておいだけが助かった……それもなにかの縁じゃ。鹿児島にもどり百姓にでもなりもんそ」
 吉之助はずいぶんと疲れていた。なによりも彼を迷わせたのは思い通りに政ができないことだった。西郷隆盛には大久保利道のような政治の才がない。     
「兄さん! おいも鹿児島にもどりもうそ!」
 弟の従道は強くいった。吉之助はそれを断った。
「そげんこつは駄目じゃ! あんさんがいのうなったら誰が国守るど?」
  二十三日、再び閣議が開かれた。吉之助は参議を辞任した。四参議も辞任し、結局、参議は誰もいなくなった。
 東京は雨が降っていた。
 陸軍少将・桐野利秋(中村半次郎)、近衛陸軍少佐・別府晋介は激怒した。
「西郷どんのような維新の功労者を辞めさせるごて、そげな政府ならいらんでごわす!」     
「薩摩の者はみなやめて鹿児島に帰りもうそ!」
 陸軍少将近衛局長官・篠原国幹は「まて! はやまるな!」と彼らをとめた。
 しかし、無駄であった。篠原国幹ものちの辞めて、鹿児島へと向かっている。
 大久保利道は残念がった。
「……西郷どんには政治にはむいとらん」
  鹿児島で、西郷隆盛は犬を連れて散歩した。彼のまわりには薩兵十万の軍隊が集まった。「先生! 西郷先生!」
 桐野や別府、篠原は西郷隆盛(吉之助)を慕ってついてきていた。
「……国のことは大久保どんにまかせるばい」
 西郷隆盛は自分にいいきかせるように、いった。                  
         8 鹿児島私塾




  明治六年十二月、鹿児島の西郷隆盛を頼って士族(元・武士)たちが大勢やってくる。 酒場でも鹿児島市内でもお祭りのような大騒ぎである。
 桐野利秋は酒を呑みながら「西郷先生をたてて、新政府つくりもんそ」と笑った。
 別府晋介も「そうでごわす」と頷いた。         
「そいでよかごわそ」篠原国幹は酒をぐいぐいと呑んだ。
 明治七年十二月、岩倉具視が暗殺されそうになって河に飛び込んだ。大久保は「土佐か?」と尋ねたという。犯人は斬首になった。
 政府は「廃刀令」を発した。廃藩置県いらいの大改革である。
 それからは、失業した士族(元・武士)たちが次々と乱をおこした。         
 熊本に「神風連」を結成した不平士族の挙兵。
九州の秋月の乱。
 長州士族たちによる萩の乱
 佐賀の乱…………
 政府は猛然と乱がおこる度に鎮圧のため海陸軍を総動員して立ち向かった。
 乱がおこるたびに、西郷吉之助は「さそい」をうけているが、
「よしなはれ」
 というだけだったという。首謀者たちは捕らえられ、斬首の刑になった。
 西郷隆盛は「このままでは佐賀や熊本の二の舞でごわす」と危機感をもった。
 しかし、同時に
「もう内戦だけはごめんでごわす。維新で大勢の血が流れたのはわずか五年前ではなかが。こん以上、血はみたくなか」とも思った。
 ……自給自足の、政府に頼らない地方政治……
 いつしか、西郷の頭にはそれだけが浮かぶようになっていった。
 明治七年四月、西郷は仮設の学校に有志たちをよんだ。
「どげんしたでごわす? 西郷先生」
 桐野利秋がきいた。
「いよいよ戦でごわすか?」とは篠原国幹。
 別府晋介は「いよいよ新政府樹立でごわそ?」と興奮した。
 西郷は黙って首をゆっくり横にふった。
「利秋どん、晋介どん、国幹どん………はやまってはだめでごわすぞ」
「先生!」       
「おいは…」吉之助は続けた。「おいはこの鹿児島に学校をつくるつもりでごわす」
「……学校? どげなです? 西郷先生」桐野利秋がきいた。
「私学校でごわす。今、東京にいる兵はだめでもんそ。政府に頼らず、自給自足の私学校         
をここ鹿児島でつくるでごわす」
「私学校? そいはよいでごわすな!」
 桐野利秋たちは賛成した。「それで自給自足せば、政府などいらんでもうそ」
「校長らは利秋どん、晋介どん、国幹どん………おんしらでごわす」
「え?!」桐野たちは驚いた。「校長は西郷先生でごわそ?」
「いんや。利秋どん、晋介どん、国幹どん…おんしらど」
「なら…規則を」
 西郷は笑って「こん学校はおんしらが規則ど。学校では兵学、砲学、経済などを教える。そして開墾もしもうす。おんしらでなければだめでごわそ」
「それはいい西郷先生! おいもそん学校設立に力貸しもうす」
 鹿児島県令・大山綱良がサポートを約束した。
 西郷は顔をしかめ「世間では士族(元・武士)たちのために西郷がたつなどとばいうて……おいは困っとりもうす。じゃっどん、学校なれば文句はないもうそ?」
 やがて、米国に留学していた吉之助の子・菊次郎と村田新八の子・村田岩熊の両青年が戻ってきた。「おお! 菊次郎! 岩熊!」
 吉之助はおおいに喜んだ。
 菊次郎は米国で測量などを学んでいた。開墾にはかかせない人材になる。
「米国では男女平等というのがあってごわす」菊次郎青年は西郷家の晩食でおおいに自慢した。「この国みたいに女子が失礼にあつかわれない。むしろ女子は大事にされるとです」       
 イトが「ほんてごて? 女子が?」ときいた。
 西郷吉之助はにこりとしたまま御飯をほうばって何もいわない。
「そうでごす。女子にはレディ・ファーストといって先にすわらせるとか、踊り…ダンスも女子が優しくされるでごわす」
 菊次郎青年は続ける。「それに米国には汽車というのがあって、それで移動するんど。蒸気で動いてそりゃあ早いでごわす」
 団欒には西郷隆盛の妹・市の子・市来亮介青年と従兄弟・大山巌の子、辰之助の姿もあった。みんなはわきあいあいと食事を食べた。
 西郷吉之助はひとことも発せず、只、にこにこと食べ続けた。
 吉之助とイトは寝室で話した。
「旦那はん」
「……何ごて?」
 イトは言葉につまりながら「あ…愛加那さん? 奄美の……文でも書いてあげたらどげんです?」といった。
「おんしが気をつかうことなか」
 吉之助は諭すようにいった。
「でも、菊次郎も無事にもどったことですから…」
「文ならいつでん出せもうそ?」
「そげんこつ……」      
「何ごておんしは愛加那に拘るでごわすか?」
 イトは言葉をのんだ。そして「そりゃあ……菊次郎が…」と何かいいかけた。
「そげんこつ気にすることなか!」
 吉之助はそう強くいった。イトは抵抗をあきらめた。旦那のいう通り、気にすることはないのだ。島妻はしょせん愛人の域をでない。自分が本妻じゃなかか。

  私学校生徒の希望で開墾がはじまった。
 開墾の測量には菊次郎たちが役だった。生徒たちの自発的行動に西郷吉之助も喜び、
「おいも力を貸しもそ」
 といい、開墾地へむかった。
「若い者が、百姓に苦しみ、よろこびを共にするのはもっとも大切でごわす」
  共に泥まみれになって鍬をふるい、西郷を神のごとく敬う青年たちの感動はひとしおのものがあった。学生の数はしだいに増え、ピーク時には二万人にまでなったという。
 西郷と桐野利秋たちの話しの中で「ナポレオンの話」が話題にのぼった。
 すると西郷が「革命をおこし、領土を広げたのはよかばってん。最後に自ら皇帝になりもうしたのは晩節を汚したことでごわす」
 と顔をしかめた。
 別府晋介も「そうでごわす」と頷いた。
「西郷先生はナポレオンみたいにならんでごわそ」篠原国幹はいった。
「……国幹どん。おいはナポレオンみたいにならんでごわす。おいには野心などごわさん」 吉之助は謙虚にいった。                           
 陸軍少将西郷従道(吉之助の弟)はマラリアを理由に、鹿児島へ船で向かっていた。
「兄さん……馬鹿な連中に御輿にのせられておかしなことせんでもうせよ」
 従道は軍服のまま遠くに見えてきた桜島をみて、呟いた。
 彼は遠くをみるような目になった。不安は隠せない。
 しかし、そんな不安も、吉之助と再会して消し飛んだ。             
「兄さん! ひさしうござる!」
「おお! 慎吾(従道)! 慎吾じゃなかが!」
 ふたりは抱き合った。
「……兄さん。馬鹿なことしよっとじゃなかと心配しよったとでごわすぞ」
 吉之助は笑って「馬鹿んごつて?」
「士族たちに御輿に乗せられて戦ばしよっとばってん。東京中のうわさじゃ」
「そげなことなか!」吉之助は強くいった。「おいは学校つくって開墾しておるだけじゃ。生徒の中に士族たちもおるが……戦なんとぞ馬鹿らしか」
「そんでごつか? そげんこつきいて安心したでごわす」
「くだらんこと心配しおって…」
「やっぱり兄さんは兄さんじゃ。よかばってん。偉きひとじゃ」

                     
  西郷従道(吉之助の弟)はイトといるとき、ごほごほと咳をした。  
「風邪でごわすか? 従道はん」
 イトは、風邪薬もっときますか? といった。
 が、従道は断った。
「従道はんは陸軍少将でごわそ? 重要な人材なんでごわすから体には気いつけとうせ」 イトの優しい言葉に、兄を疑っていた自分が恥ずかしくなった。
 なぜか、涙腺が潤んだ。
 従道は涙を、上を向いて堪えた。
「学校で開墾して…この薩摩を日本一の豊かな国にするばってん」
  深夜、ふとんの中で、息子の辰之助がいった。おいっ子の菊次郎も「おじさん。みててくれもうそ。薩摩は日本一になるでごわす」といった。
 暗くてわからないが、ふたりと村田亮介青年たちは笑っている気がした。
 従道は「そいはよか。そいはよか」といった。
  翌朝、西郷従道は帰京することになった。
「慎吾(従道)……あんさんは国を背負っちょる。体に気いつけて頑張りもうせ」
 吉之助は励ました。
「……兄さん」
 市は土産をさしだした。「これをもっておいてくれやす」
「そげん気いつかわんでもよかとに」
「気持ちですけぇ」
「……ありがたく頂きもうそ」
 西郷従道は頭を下げた。そして、菊次郎たちに「おいの分も兄さんを助けてもうせ!」 と、頼んだ。
 これが、西郷吉之助と従道兄弟の最後の別れとなる。

  明治三年四月、ふたたび開墾が始まった。
 菊次郎の妹・菊草少女が五年ぶりに鹿児島にやってきた。「菊草! 菊草じゃなかが!」「兄さん! 兄さん!」菊草少女が手をふってやってきた。
 愛加那はこなかった。
 私学校では竹刀での稽古もあった。
 多くの青年たちが竹刀で稽古をしている。そこに現れたのが出羽(山形県)元・庄内藩の青年ふたりである。名を篠原政治と伴兼之といった。
「おんしら一緒に稽古できるがか?」薩摩の青年たちは山形県人を笑った。
 伴は「稽古ぐらいでぎる!」といった。
「伴ちゃん! 挑発にのっではだめだで…」
「んだども! こいつら俺らを馬鹿にしでるぞ。俺らもでぎるって示すんだず」
 薩摩隼人たちは、純朴な東北の青年に興味を抱いた。   
  明治九年七月、大久保らは閣議を開いた。「鹿児島は火薬庫じゃ」
 大久保利道(一蔵)や木戸考允らは危機感をもっていた。
「西郷どんがいるかぎり……本当の維新はおわらん。鹿児島で戦でも起こりゃあどげんすっとか?」
  鹿児島県令・大山綱良は「おいは辞めもうす。鹿児島にもどって西郷先生とともに開墾するばってん」といった。  
 木戸考允(桂小五郎)は苛立った。
「私には長州士族を征伐した苦い経験があります。薩摩のことは薩摩だけで片付けてもらいたい!」  
「……木戸どん」大久保が諫めた。
 すると、日頃の激務が祟ってか、木戸考允(桂小五郎)はふらりと倒れてしまった。
「木戸どん! 木戸どん! 誰か医者じゃ!」
  全国で次々と乱が起こる。
「西郷先生、たってくだされ! われらの頭に!」
 明治政府に不満をもつ士族たちが、しきりに西郷隆盛(吉之助)に「さそい」をかける。 東京では、西郷隆盛のいとこ・大山巌(弥助)が、鹿児島征伐長官に任命される。
 大山巌は、
「西郷さんは本当にたつじゃろか?」と西郷従道にきいた。
「兄さんは馬鹿ではなか。たつ訳ありもさん」
 従道は強くいった。
「しかし、従道どん……西郷先生は人がよすぎるところがありもうそ?」
「…じゃっどん…」
「勢いに乗せられて、御輿に担がれてってこともありもうそ?」
「たつことはなか! 兄さんは馬鹿ではなか! たつ訳ありもさん!」
「なにごてそういいきれもんそ?」
「わしは兄弟じゃ。兄さんのことは一番よく知っちょる」
 大山巌は、頷いた。
「確かじゃな? 西郷先生は立たぬのじゃな?」
「そげんこつ心配するだけ杞憂というもんじゃで」
 西郷従道は強くいった。
 ようやくわかりかけた大山巌は、心配ないとわかりながら、

 ……”サイゴウセンセイ タツナ”……

  と、鹿児島の西郷吉之助の元に電文を打った。

  西郷吉之助はそれを見て、「おいはたたん!」と強くいった。
 西郷と桐野利秋たちの話しの中で「明治維新の話」が話題にのぼった。
 すると西郷が「維新をおこし、幕府をつぶしたのはよかばってん。まだ維新はおわっちょらんでごわす」
 と顔をしかめた。
 別府晋介も「そうでごわす」と頷いた。
「西郷先生はナポレオンみたいにならんでごわそ」篠原国幹はいった。
「……国幹どん。おいはナポレオンみたいにならんでごわす。おいには野心などごわさん」 吉之助はまた謙虚にいった。
「まだ明治政府のおもいどおりの近代国家にこの国はなっとらんじゃなかが?」
「そうでごわす。まだ士族たちが暴れまくっちょりもうす」
 別府晋介は吉之助の言葉に答えた。
 篠原国幹は「ハネっかえりどもはおいが叩き潰しもうそ」といった。
 すると桐野利秋は「それはこの”人斬り半次郎”の役目でごわそ?」とにやりとした。 一同は笑った。
 しかし、全国の士族たちの熱気は冷めることはない。
「おいはたたん!」
 西郷吉之助は強くいった。
「おいはそげな簡単に御輿に乗せられるような馬鹿ではなか!」
 しかし、時代は西郷吉之助を暗黒の渦の中へ巻き込んでいく。
 ………おいはたたん!
 西郷吉之助は、そののち「西南戦争」へとまきこまれていく。
 それは、維新の英雄・西郷隆盛が時代に捨てられるプロローグでも、あった。

         9 蜂起





  東京の警視庁では、その夜、決起集会が開かれていた。
 杯をふるまう警視官……
 当時の警視庁大警視は川路利良だった。皆、警察の服装で整列している。            
「みな、鹿児島の問題のこと頼みもうそ!」
 川路利良は酒をつぎながらいった。
「ありがとうございます!」
 酒をついでもらうだけなのに皆恐縮している。
 そんな警視官の中に、のちに”西南戦争の火つけ役”とまでいわれた警視庁少警部・中原尚雄の姿があった。
 中原尚雄は髭の濃いたちで、中肉中背、顎ががっしりとしている。
「頼むぞ」
 警視庁大警視・川路利良に酒をついでもらうと、中原は「おいは西郷どんに恩がありもうす」
 と神妙な面持ちになった。
「せからしか!」
 川路利良は叱った。
「……じゃっどん」
「西郷先生と士族を引き離すのが恩に報いるということじゃなかか?」
 中原は「……じゃっどん。西郷先生を見張れいわれても…」
「おいも」川路利良は続けた。「西郷先生には恩がある。じゃけんど、これはお国のためぞ」
「………お国?」
 川路利良は深く頷いた。「そう。国のためじゃ。祖国のな、どげんことしよっても西郷先生と士族を引き離すのが恩に報いるということじゃどん」
「はっ!」
 中原尚雄は敬礼した。「了解しました!」
 中原尚雄は同じ鹿児島出身の西郷隆盛を尊敬していた。なんといっても維新の英雄である。しかし、彼は西郷私学校生徒のように神のようには尊敬していなかった。
 というより、中原には嫉妬があった。
 皆が西郷、西郷といっている。……自分だって何かでかいことができるはずだ。
 それが、たとえ西郷隆盛をおいおとす結果となってもかまわない。
 なんとしても歴史に自分の名を残したい。
 屈折した思いが、中原尚雄の心の中にあった。
 鹿児島県伊集院には、中原尚雄の妹・香と弟・中原武雄がすんでいる。
 明治九年から十年にかけて、西郷隆盛に『決起』をうながしに、熊本隊の佐々友房、池辺吉十郎がやってきていた。
「いまこそ西郷先生に決起をば!」
「日本国中の士族が立ち上がれば腐りきった明治政府を倒せもんそ!」
 佐々友房、池辺吉十郎が挑発しても、西郷隆盛は黙ったままだ。
「現政府に不満はあるけんど……決起ばは…」
 村田新八は複雑だった。    
 西郷は黙って目を瞑ったままだ。
「日本をいまいちど回天(革命)させもんそ!」
 いくら、佐々友房、池辺吉十郎が挑発しても西郷隆盛は動かなかった。
「西郷先生は重要な人物ばってん。犬死にみてぇなことばではどけんとすっと?」
 別府は注意した。
 西郷は黙ったままだ。
「樺太、朝鮮、台湾。その後ろには清国、プロシアがある!」
 佐々友房は手をオーバーにふって大声でいった。
 それでも西郷隆盛は黙ったままだ。
 池辺吉十郎が、
「軍事力をつけるば、西郷先生の力しかなか!」
 といやに強気だ。
「いまこそ西郷政権を!」
 いくら、佐々友房、池辺吉十郎が挑発しても西郷隆盛は動かなかった。

              
  

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