長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

プロローグ『昇り竜の如く <米沢藩士>雲井龍雄伝とその時代』プロローグ

2014年04月01日 18時35分12秒 | 日記

プロローグ
昇り竜の如く
<米沢藩士>雲井龍雄伝とその時代

<のぼりりゅうのごとく よねざわはんし くもいたつお でん とそのじだい>
~米沢藩に咲いた滅びの美学~
米沢藩の不世出の「米沢の坂本竜馬」詩吟「棄児行」誤伝論
       「幕末史に埋もれた歴史的・偉人」究極の伝 米沢藩士・雲井龍雄伝説
                ノンフィクション小説
                 total-produced&PRESENTED&written by
                  MIDORIKAWA washu
                   緑川  鷲羽
         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.

        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ

          あらすじ・まえがき

「「若者の感懐 人はみな 命をかけて信ずる途に進まれよ それが服従でも反抗でも 損得は別として その人の生き甲斐というものである その典型的実践者が 米沢の人 雲井龍雄である その生涯のはかなさは 次の 良寛和尚の辞世と同じである <散る桜 残る桜も 散る桜>」 平成三年(一九九一年)夏 煙雨にけむる斜平山を眺めつつ 田宮賢山(雅号・本名・田宮友亀雄氏)」
<「序に代えて」国士舘大学教授文学博士 安藤秀男氏>幕末の志士・明治の書生、それは共通した心情を持っている。すなわち、「富貴も淫する能(あた)わず。貧賤(ひんせん)を移す能わず。威武も屈する能わず。」(『孟子』滕(とう)文公章)といった独立特行の精神と、輝かしい明日の来たるを信じて挺身し、国家の礎(いしずえ)となるのを辞せぬという殉国の精神である。私は中野好夫さんに知遇を受けたが、中野さんは「私は最後の明治書生でした。雲井龍雄の詩は、私の胸に深く沈殿した感があります」と言われたことがある。杉浦重剛も、「青年期には何もこわい者がない。天下横行すべしという元気であったから、雲井龍雄の詩などは開いた口に牡丹餅だった」(『杉浦重剛座談録』岩波書店)と述べている。雲井の詩を知らぬ学生は一人もなかったと言っていい、と記している。
雲井の詩はペダンティック(学者ぶったもの)ではあるが、壮志と悲調とロマンチシズム(浪漫主義)を織りまぜて、復興期・明治の青春にふさわしい情熱を発散している。これによって有為の青年がいかに希望に胸をふくらませ、志を引き立てたかは歴々として証拠がある。しかるに平成の現代、雲井龍雄の名を知る者は少なく、その詩もほとんど吟じられない。バブル経済の濁流の中で、世は拝金万能となり、「義」を軽んじ「利」を貪(むさぼ)るの風が、蔓延したことと関連がありはしないか。
 雲井は政治家であるよりは詩人であり過ぎ、詩人であるよりは政治家であり過ぎた。明治四年春に西郷南洲(西郷隆盛つまり西郷吉之助のこと)が上京し、明治の政治に着手するまでは、新政府は反動そのものであった。五か条の誓文は空文に帰し、三権分立を主義とする機構は一掃的に廃止され、王朝時代の大宝令さながらの官僚専制に改められた。これに絶望の感をいだいた雲井が、集議院(のちの衆議院)を脱退して兵を挙げようとしたのは、憂国の至情に出でたものである。歴史をひもとく者は、成敗の跡をのみをもって人を評価してはならない。邪にして正名(せいめい)を負い、正にして邪を冠せられるもの、決して少なくないのである。中野好夫さんは、かつて雲井の詩の「国を護るの人は、多くの国を誤るの人」の句をひいて「思い当たることが多大ですね」と言われたことがある。すべからく活眼を開いて、活史を読むべきである。
<まえがき 「雲井龍雄 米沢に咲いた滅びの美学」田宮友亀雄著作まえがきより>
 明治三年十二月二十六日、米沢の人、雲井龍雄は判決を下され、その日のうちに小伝馬町(こでんまちょう)の獄で斬首され、その首は小塚原(こつかばら)に晒された。また龍雄の胴体は大学に下付され、医学授業のために切り刻まれた。昔の未開地域ならいざ知らず、近世、世界の文明国に於いて、裁判の判決と同時に死刑執行などという行為は、歴史上にその類例を見ないのではないか。
 当時、諸官庁の年末御用仕舞(御用納・仕事納めのこと)は二十六日である。そのため、処刑を新年に延ばさず年内に実施したのである。すなわち、明治政府にとっては、雲井龍雄が生きている、そのことが恐怖であった。それほど政府に脅威を与えた龍雄の罪状は何であったのか。今もって定かではない。ただ最近の歴史的な見方は「西郷隆盛のように雲井龍雄も「挙兵」しようとした」あるいは「あまりもの明治政府にとって義に生き藩閥政治をおわらせようと主張する龍雄は「厄介者」だから」と斬首になったと、いう説が有力であるという。
ただ、龍雄にとって、その胸中を去来したものは、新政府という美名にかくれ、朝権(ちょうけん)をかさに着た薩長ら雄藩の策動、これでは幕府専制に代る藩閥専横(はんばつせんおう)を招くという憂いであった。一日も早く藩閥の芽を摘まなければ国家百年の災いを招くという、龍雄の義侠(ぎきょう)の精神を政府は恐れたのである。新政府は成立以来まだ日も浅く、人心収攬(しゅうらん)も定かでないとき、龍雄一党には厳罰主義をもって臨み、これをもって天下不平の徒への見せしめとする意向であった。
かつて、龍雄は政府の選抜により、上杉藩代表として唯一人、国会の前身集議院(現・衆議院)に籍をおき、天下の論客として活躍した。名誉あるこの地位は、政界であるなら政党領袖か国務大臣、官界ならば府知事か各省次官、軍人なら将官以上という、輝かしい将来が予約されていたのである。それにもかかわらず龍雄は、すべての栄達を投げ捨てて政治の理想を求め、同志を率いて内乱の罪に坐し、その魁首(かいしゅ)として葬られた。
これを極刑に処した政府は、その威信を保たんがため、龍雄一党の軌跡については極力消滅を期した。龍雄の郷里米沢においても、龍雄の名を口にすることさえ、絶えてタブーとされ続けたのである。龍雄の行為は、外形的にはいずれも挫折であった。龍雄の苦悩と、決断にいたるまでの道筋をさぐり、龍雄の精神をいくらでもご理解いただきたく、米沢における滅びの美学を追及するものである。
 平成三年(一九九一年)夏     田宮友亀雄著作遠藤書店「まえがき」より
 ちなみに私こと緑川鷲羽の拙書「昇り竜の如く 雲井龍雄伝とその時代」は幕末の出来事を頻繁にこれでもか、これでもか、と幕末明治維新の世界観とその時代を、歴史上に埋もれてしまった米沢市(米沢藩)の偉人・雲井龍雄氏、を主人公のひとりにその時代背景とともに描いていくまさに「大河ドラマの原作」のような作品である。この書で、雲井龍雄が、直江兼続公、上杉謙信公(いずれも著者が小説の主人公として小説作品にものしている)のように有名人になれれば、緑川鷲羽は「「坂本竜馬」を有名にした作家・司馬遼太郎氏」のように「「上杉鷹山公」「雲井龍雄」「耶律楚材」「杉原千畝氏」を有名にした作家・緑川鷲羽」と呼ばれるかもしれない。そうなれば大河ドラマ化確実だ。米沢市の為にも粉骨砕身するしかない。2016年の大河ドラマは緑川鷲羽原作「米沢燃ゆ 上杉鷹山公」その次々回作大河ドラマは本書緑川鷲羽原作「昇り竜の如く 雲井龍雄伝とその時代」でお願いしたい。2015年のNHK大河ドラマが発表され、幕末の長州藩士で思想家の吉田松陰の妹・文(ふみ)が主役のオリジナル作品「花燃ゆ」に決まり、女優の井上真央さんが主演を務めることが分かった。井上さんが大河ドラマに出演するのは初めてで、NHKのドラマに出演するのは11年のNHK連続テレビ小説「おひさま」で主演を務めて以来、約4年ぶりとなる。萩市の野村興児市長は「大河ドラマは萩観光の起爆剤になる」と期待を高めている。もう一つのドラマの見所として、松下村塾での教育のあり方も興味深い。「学は人たる所以を学ぶなり」(学問とは、人間とは何かを学ぶもの)「志を立ててもって万事の源となす」(志を立てることがすべての源となる)「至誠にして動かざるものは未だこれ有らざるなり」(誠を尽くせば動かすことができないものはない)松陰が語りかける言葉の一つ一つに感銘を受ける若き玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、品川弥二郎ら。人間形成にとって教育とはいかなるものか。われわれに問いかける。黒船来航…幕末、伊藤博文は吉田松陰の松下村塾で優秀な生徒だった。親友はのちに「禁門の変」を犯すことになる高杉晋作、久坂玄瑞である。高杉は上海に留学して知識を得た。長州の高杉や久坂にとって当時の日本はいびつにみえた。彼らは幕府を批判していく。
 将軍が死んでしまう。かわりは一橋卿・慶喜であった。幕府に不満をもつ晋作は兵士を農民たちからつのり「奇兵隊」を結成。やがて長州藩による蛤御門の変(禁門の変)がおこる。幕府はおこって軍を差し向けるが敗走……龍馬の策によって薩長連合ができ、官軍となるや幕府は遁走しだす。やがて官軍は錦の御旗を掲げ江戸へ迫る。
 勝は西郷隆盛と会談し、「江戸無血開城」がなる。だが、榎本幕府残党は奥州、蝦夷へ……
 しかし、晋作は維新前夜、幕府軍をやぶったのち、二十七歳で病死してしまう。晋作の死をもとに長州藩士たちはそれぞれ明治の時代に花開いた。       おわり

…………続く

 皆さんご覧いただいてありがとうございます。只今、私緑川鷲羽は時代小説『昇り竜の如く 雲井龍雄伝とその時代』を執筆中です。執筆終了後にブログ連載と文壇に上程し、次回作は『大前研一艸風伝』となります。その次に『絢爛たる慶次 -花の前田慶次郎烈伝ー』を大幅に原作漫画・劇画『花の慶次』を参考にエンターテインメント作品に加筆していちから作り直し、面白い前田慶次伝の小説としてブログにも連載して、文壇にも上程する次第です。いましばらくお待ちください。 緑川鷲羽2014年4月1日

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絢爛たる慶次 -花の前田慶次郎烈伝ーかぶき者・傾奇者のススメ連載小説<お知らせ>

2014年04月01日 16時13分16秒 | 日記




  インターネットや私緑川鷲羽のブログのユーザーの皆様にお詫び申し上げます。
 漫画・劇画『花の慶次』を参考文献とした、拙著『絢爛たる慶次 -花の前田慶次郎烈伝ー』はもう少し加筆してから、十分な完璧な小説形態となり次第ブログで連載いたします。
 次回は『「花燃ゆ」とその時代 吉田松陰の妹の生涯<維新回天特別編>』を木曜日より、土曜日、火曜日に連載したいと思います。『花の慶次』の面白さに近づける小説に加筆したいので、どうぞご理解願います。
             緑川鷲羽2014年4月1日

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする