長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

沙弥2(さや2)。特別寄稿ブログ連載小説 1

2010年11月03日 08時02分04秒 | 日記





緑川沙弥<沙弥2>


         みどりかわ さや     さや2


                    total-produced&Presented&written by
                     midorikawa Washuu
                             緑川 鷲羽


1



  愁いを含んだ初夏の光りが、米沢市の河川敷に照りつけていた。五月三日、米沢では「上杉祭り」で、「川中島の合戦」が繰り広げられていた。白スカーフ姿の上杉謙信役が白馬に跨がり、武田信玄の本陣へ単身襲いかかる。そして、太刀を振るう。軍配で防ぐ信玄(三太刀七太刀)…。それは、米沢市で行われる上杉祭りのハイ・ライトであった。
 緑川沙弥は、その模様を大勢の観客とともに、眺めていた。
 沙弥は合戦をみながらも、もどかしさを隠し切れず、唇を噛んだ。作家として認められない。そう思うと、寒くもないのに、身体の芯から震えが沸き上がってくる。沙弥の身体は氷のように硬直した。「…どうしたの?沙弥……具合悪いの?」母の良子が問うと、沙弥は「なんでもない…」と言った。
 それは、きらきらした輝くような表情だった。






         あらすじ


  物語は東京から始まる。この物語のストーリー・テラーの黒野ありさは、東京のある大学に通う女子大生だ。そして、彼女のふるさとにはひとりの友達がいた。それは、緑川沙弥という女の子だった。沙弥は文学賞に受かり、作家デビューが決まったラッキーな娘。 確かに、沙弥はいやな女の子だった。
 意地悪で、自分のことしか考えず、病弱なくせにいつも憎まれ口ばかりたたく。でも、だからといって沙弥はブスではなく、とても綺麗な外見をしていた。そんな外見とヤクザのような言葉使いは、とてもギャップがあった。
 ある日、作家を目指す沙弥が文学賞をとる。そして、上京。しかし、パティー会場で待ち受けていたのは、のちのライバル、朱美里(しゅ・みり)だった。在日韓国人の朱は、学歴のない沙弥をバカにする。対立する沙弥だったが、日本の文学賞の最高峰・青木賞を先にとったのは朱美里のほうだった。緑川沙弥は頑張って執筆を続けるが、まったく売れず、鳴かず飛ばずの日々。失意の彼女の元に、弟子になりたいという美少女が現れる。それから死んだ彼女の恋人・小紫哲哉にそっくりのボーイ・フレンドまで出来る。作家としてはイマイチだったが、緑川沙弥は努力を続ける。
 そして、遂に、沙弥は、日本の文学賞の最高峰・青木賞を取る。至福の時を迎える沙弥。だが、彼女は学歴がないために日本文壇から拒絶されてしまう。華やかな歓迎はただの儀礼で、沙弥を招待したのは地方の弱小学校や講演会のみだった。学界レベルで招待したのはひとつもなく、大学からの招待などひとつもなかった。学歴がないため…日本はそういうシステムになっていたのだ。
 緑川沙弥は努力を続ける。しかし、執筆する作品はまったく売れず、悔しがる沙弥。そんな中、彼女の病気は進行していく。そして彼女はついに長編作品を執筆する。「やりましたね、先生。これでノーヴェル文学賞よ!」「そりゃあいいな…」「乾杯といきましょう」。しかし………沙弥はそのまま倒れて、病院に担ぎ込まれて、志なかばで死ぬ。希望の光りが消える時。沙弥は死んでしまう。珠玉の作品を残して。

 影をひきずりながら常に光をもとめ、上を見つづけた緑川沙弥。その姿は、沙弥を拒絶した日本の姿と、しばしば重なって見えるのである。

                                   おわり




         沙弥のライバルと弟子



 私は、東京のある大学に通う、女子大生だ。
 この物語は、私こと黒野ありさがストーリー・テラー…つまり語り部となってストーリーが展開するファンタジー風少女小説である。例えば、赤毛のアンとか若草物語とかみたいな、ね。そして、主人公は、私のふるさとの米沢市に住む、緑川沙弥である。
 確かに沙弥は嫌な女の子だった。
 病弱なくせに憎まれ口ばかりたたき、気に入らないことがあると暴れる。まったくもって嫌な娘、そんな感じなのだ。「バカヤロー!」「死ね!」「くそったれめ」などと汚い言葉を平気でいう沙弥。でも、彼女には特技がある。それは作家としての能力だ。まぁ、わかりやすくいうと文章がうまい。その結果、なんとか努力して文学賞に当選したくらいだ。私はうっとりと思う。沙弥は天才だった。って。
 沙弥が書くのはおもに小説で、恋愛小説がおもだ。もちろんそれだけではなく、エッセイや国際ジャーナリズム関係のものも書いている。で、やっとこさ認められて賞をとった!……って訳。まぁ、やっとこれで沙弥も「作家先生」ってとこだ。でも、浮き沈みの激しい文学界、しかも最近の活字離れ、なかなかペイするのも容易ではあるまい。プロになったはいいが仕事がこないためにHな小説連載で食いつなぐ、などという作家先生にならなければいいが。『失楽園』とか『チャタレイ夫人』みたいな、どうしようもないエロ小説連載とか。まあ、沙弥はプライドが高いから、『失楽園』に対抗して『動物園』、などと書くことはないだろうけどね。でも、金に困ったら執筆したりして。
 なぜ私がこんなに彼女のことを知っているかというと、私は彼女の親友で高校の同級生だったらだ。(もちろん彼女のすべてを知っている訳ではないけどね)
 何度もいうが、私の名前は黒野ありさ。東京の某女子大学に通う女子大生だ。
 年は彼女と同じ十八歳。
 ルックスのことで言えば、私は沙弥に比べればあまりパッとしないが、それでもけっこう可愛い、と自分では思っている。自惚れかなぁ?
 そう、確かに沙弥は美しかった。
 黒色の長い髪、透明に近い白い肌、ふたえの大きな瞳にはびっしりと長いまつ毛がはえている。細い腕や脚はすらりと長く、全身がきゅっと小さくて、彼女はあどけない妖精のような外見をしていた。沙弥の嘆声な顔に、少女っぽい笑みが広がった。少女っぽいと同時に大人っぽくもある。魅力的な、説得力のある微笑だった。私はたちまち怪しんで、一歩うしろにさがった。なんであれ、沙弥の片棒をかつぐのはごめんだ。ただでさえ、私の魂はぼろぼろなのだ。ただ………沙弥は美人だわ。
 細い腕も、淡いピンク色の唇も、愛らしい瞳も、桜の花びらのようにきらきらしていて、それはまるでこの世のものではないかのようにも思えた。
 それぐらい沙弥は美しかったってことだ。
 沙弥は、観光と温泉でもっているような米沢市に住んでいた。米沢市で有名な人物といえば、越後の龍・上杉謙信、上杉景勝、智君・上杉鷹山、軍師・直江兼続、前田慶次、政宗そして町で美少女と有名だった『変人』の緑川沙弥。彼女は、しんと光る満月のようだった。私こと黒野ありさは、観光で静かに活動するような故郷・米沢市を離れて東京の大学に進学した。まぁ、父親の仕事の関係ってこともある。東京での生活もまぁまぁ楽しい。 しかし、一瞬だが、故郷が妙になつかしく恋しく感じることもある。そしてそこで暮らす、沙弥や緑川家の人々のことも。

 緑川沙弥が作家になろうと思ったのはいつ頃だったろう?
 私は前に聞いたことがある。すると彼女は、
「小学校の時に、図書館でゲーテの詩集を読んで、なにがしかのインスピレーションを受けてさ。それで「作家になろう!」って決めたんだ」
 と、にやりと言った。
「ゲーテ?」
「あぁ、そうだ」
 ゲーテの詩集を読んで「作家になろう」と思ったと平然と言ったのだ。だけど、私はそれはちょっと嘘っぽいと思う。だから、
「ゲーテって詩人(注・ゲーテは詩だけでなく小説、音楽、絵画、政治もした)でしょ?詩人じゃなくて作家ってどういうこと?」と尋ねた。
 すると沙弥は「詩じゃあペイしない」といった。
 だから私は「ペイって?」と尋ねると、
「ありさって馬鹿だねぇ。ペイっていうのは儲かるって意味の英語だよ。詩人では儲からないってことを私は言ってんの」
 といって沙弥は私をせせら笑った。
「作家ならペイするの?」
「まぁな」
 沙弥はにやりとして言った。

 しかし、あの病弱な沙弥が作家なんて、なんともピッタリきて笑ってしまう。
 病気がちであるからいつも部屋にいるかベットで横になっている。で、原稿用紙に向かってセッセと小説やらを執筆する、なるほど!って感じがする。
 彼女はちょっとしたことでもすぐ病気になる。冷たい風にちょっと吹かれただけでも、少し気温が高くなっただけでも、冷たい雨に濡れただけでも……すぐに具合が悪くなる。 そのため彼女の母親の良子おばさんは苦労を惜しまず何度も病院につれていき、ちやほやと甘やかし、沙弥はニーチェばりの薬づけで生意気な女の子に育った。しかし、なまじっか普通の生活ができる程度には体が丈夫なので、彼女は本当にわがままで生意気な女の子に育った。わがままで、甘ったれでズル賢い……といったところだ。ひとの嫌がることばかりして、自分のことしか考えない…と、まるで悪女のようだった。
 でも、だからといって彼女はブスではない。それは前述した通りだ。
 私の母は、緑川家の経営するペンション「ジェラ」の隣の家に住んでいた。
 良子おばさんのご主人、つまり沙弥たちの父親はもうすでに亡くなっていて、ペンションはおばさんがひとりできりもみしている。私の父親は東京に単身赴任しているエリート銀行マンだった。が、何を思ったのか、突然脱サラして東京で食堂を始めた。それで私だけでなく、母も東京にきていまでは三人で忙しくやってる、って訳。
 まあ、私は平凡な娘って訳である。
 しかし、沙弥は違う。彼女は平凡ではない。というより少し異常だ。
 緑川沙弥はよく暴れる、きれる、部屋のものを壊したりガラスを割ったりもする。たんに気にいらないといってだ。良子おばさんや彼女の妹のまゆちゃんほどではないが、私も緑川沙弥に被害にあったほうだ。ものを投げられたり、頭をゴツンとやられたり…。それで私が「なにすんのよ!」と怒ると、
「私の機嫌がわるい時に目の前にいるほうが悪い!」
 などとのたまう。どういう理屈だか。こういうのを『屁理屈』というのだ。
  私はよく故郷の米沢市を思い出したりもする。
 私の住んでいた家の自分の部屋の窓からはきらめくような風景がみえたものだ。
 すごく眺めがよくて、窓からはきらきらと輝く湖がみえる。湖は昼には太陽を浴びてきらきらと輝き、夜は月明りが映って輝くような、美しい湖だ。
 私はよく米沢の光景を思い出す。きらきらとした朝日が差し込んで湖が輝く光景を…。それはしんとした静けさの中にあったっけ。
「あたしが死んだら骨は湖にまけ!」といつだったか沙弥は言ってたが、気持ちはわかる。 彼女はよく男の子を騙して湖の前を散歩した。散歩というよりデートだ。とにかく「外ヅラ」だけはいい沙弥はよく男の子と仲よく歩くことが多かった。
 夕暮れ。セピア色が空や森や山々を真っ赤に染め、きらきらと輝く。沙弥はゆっくりゆっくりと歩く。そして、細く白い腕を伸ばす。男の子が彼女の手を取り、沙弥は白い歯をみせてにこりと微笑む。その光景は私にはなんだかとてもかけがえのないものにも思えた。彼女の本性を知っているはずの私の胸にさえ、深いところに響くような、しみわたるような、そんな光景にも思えた。
 緑川沙弥から電話がきたのは、ちょうど私が東京の自宅でそんな物思いに耽っている時だった。ある日、電話がリーンとなった。で、私は「はい、黒野です」と出た。
 すると病院から彼女は電話でいった。
「おい!驚け、ありさ。受かったんだ!」
「え?何に?」
「バーカ、決まってんだろ!文学賞だよ、文学賞にうかったんだ!」
「文学賞?」
「そう、『文学新人賞』だ!出版だよ、出版までが決まったんだよ!賞とってさ……これで作家デビューだ!」
「ほんとう?!おめでとう!」
 私は思わず嬉しくなって言った。声がうわずった。
 そうか!あの緑川沙弥もとうとう作家か。作家先生か…。なんだか胸にこみあげてくるものがあった。自分が賞をとったわけでもないのに、なんだか嬉しかった。
 そうか!あの緑川沙弥もとうとう作家か!彼女の努力が遂に実ったのだ!
「それでさ……ありさ」
「なあに?」
「東京なんていったことないから……駅に出迎えにきてくれよ」
「東京駅に?」
「あぁ。『つばさ』でいくからさ」
「いいけど、大丈夫なの?」
「なにが?」
「あんた病弱なんでしょ?途中で死んだりとかしない?」
「バーカ、何いってんだよ。………とにかく、出迎え頼むぜ。そしたらお前んちの汚ねえボロ食堂も見てみたいな。後、文学賞の受賞パーティにも付き合ってくれ」
「いいわよ」
 私はそう言った。
 なにが、「お前んちの汚ねえボロ食堂」よ!と言いそうになったが、やめた。私は無駄なことはしない主義だ。冗談でいってるんだろうし、あの沙弥は絶対にあやまったりしない娘なのだ。それは私が一番よく知っている。
 だから私は、
「とにかく、気をつけて来てね」とだけいったのだ。
「あぁ。とにかく嬉しいな。賞とったのも……ひさしぶりにお前に逢えるのも、な」
 沙弥はそういってから「冗談さ」と照れくさそうに笑った。
 まぁ、冗談でしょうよ、私も笑った。

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