ある人が大学教授に尋ねました。
「先生、学問の研究とは限りがないのですか?」
「そう、自分は恩師からこう言われた。課題の答えはひとつだけ。
それをもとめていくと限りがない。次から次へと課題があらわれてくる。」
昨年末より、日本で最初の器械製糸所「藩営前橋製糸所」について調べている。
何年も前から、だいたいの事は調べてわかっており、製糸所のあった場所も特定でき、
昨年の製糸所跡の碑の建立までたどり着いている。
しかし、ここにきて前橋製糸所についてしっかりと書いてまとめる作業をしていると
文献や資料の内容にかなり矛盾があることに気がついた。
群馬県前橋市にあった製糸所なので、『群馬県史』と『前橋市史』が
とりあえず一般の人が最初にあたる資料であるが、このふたつがかなり違っている。
なにせ、明治3年の出来事であり、残されている一次史料がきわめて少ない。
すべてを取り仕切った速水堅曹の日記は最も重要な史料といえる。
私は最初から日記しか見ていないので、いままで矛盾していることに気がつかなかった。
県史と市史ではそれぞれ執筆者が違うし、引用している文献や資料がちがう。
出版の年はだいたい同じ1980年代である。
古い出版物を参考にしたり、引用したりしているが、それのまた元になる資料があるのである。
例えば、最初の製糸器械の造作一つとっても、方式や台数が違っている。
あまりに矛盾していたり、堅曹の日記や資料ではわからない事柄については
その参考にしている元の文献まですべて読んで検討してみることにした。
結局明治30年代の出版物や公文書、そして蚕糸業に関する資料がまだ豊富にあった
昭和の戦前までに書かれた蚕糸関係の専門書にあたった。
そこには現在はもうない「堅曹の手記」から引用されている内容も載っていた。
それらは一字一句が貴重で、これが本当のことだろう、間違いないだろう、と確認していった。
100年以上も前の出来事を書くにはどうしても資料の孫引きになりやすく、
それは伝言ゲームが少しづつ内容が違ってきてしまうように、どこか一箇所まちがえて引用すれば、
それが次にまた間違ったまま引用されるという具合である。
今回はそれを逆にたどるような作業になった。
冒頭に書いたことば、「課題の答えはひとつだけ」
それをこの作業をしながら噛み締めていた。
2つの説はいらない。
真実はひとつ。
それでもどうしても確認のとれなかった事柄については、まとめの文章にいれなかった。
それが最善であり、誰も見ないかもしれないが、後世に私の文章から
まちがったことが伝わらないようにしなければいけない、という強いおもいがあった。
その作業も今日やっと終り、ひとつ肩の荷がおりた。
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