ぽかぽか陽気になった23日の午後、
「群馬の絹」展をみたあと、前橋市へむかいました。
明治3年(1870)に堅曹さんら前橋藩がつくった「藩営前橋製糸所」が
日本で初めての器械製糸所になります。
スイス人のミューラーーを4ヶ月間だけ雇い入れ、イタリア式の器械製糸をはじめました。
まだ日本人ではだれも習ったことがなく、堅曹さんはこの4ヶ月の間に寝る間も惜しんで、
必死で技術を学びました。
これがその後「器械製糸のスペシャリスト」といわれる基礎となります。
このとき、一緒に習ったのが、姉の梅さんです。
対外的な仕事に忙殺される弟に代わって、
実際に製糸所で工女たちに技術を教える師婦となり、中をまとめていきました。
まさに日本の製糸の教師第一号といって間違いないでしょう。
そのようにして始められた6人取りの小さな前橋製糸所ですが、
最初は前橋市の中心を流れる広瀬川のたもと、
現在の住吉町一丁目の交差点のあたりにつくられました。
ここには「明治3年日本最初の機械製糸場跡」という記念碑が建っています。
イタリア式は水力で器械を動かすので、川のそばに製糸所がつくられます。
このあと明治5年(1872)に作られる富岡製糸場はフランス式で動力は蒸気です。
そこがすぐに手狭になったため、2ヶ月ほどで観民の地に移ったと日記に書かれています。
この観民(かんみん)というのは、最初の場所から1キロほど中に入った場所です。
地名でいうと大渡(現、岩神町)となります。
そのため前橋製糸所は大渡製糸所ともいわれます。
その大渡製糸所のあった場所を探しにいきました。
風呂川沿いにあるということで、前にも何回か探しています。
ただ、車で近くまでいくと狭い道がおおく、ちょっと止めるのもむずかしい。
本には地図が書いてあるが、実際はどの辺なのかは、いつもついでに探しにくるので、
時間切れや本をもってくるのを忘れたりで今まできちんと調べがついていない。
共愛学園の跡地に車をおき、近くを歩いてみました。
すぐそばに風呂川が流れています。そこにかかっている小さな橋が「岩神橋」となっています。
そばに昭和58年改修記念の碑がたっている。
狭い一方通行の道が小さな橋の上で五叉路のように交差している。
風呂川をたどって、改修されたコンクリートの岸の先のほうにいくと、古い石積みの岸となっている。
よくみるとその急激なカーブを描いた川筋はいつか見た大渡製糸所の写真の地形とよく似ている。
その地にはひときわ大きな木が1本そびえ立っており、それすらも写真に写っていたような気がしてきた。
新聞に載った大渡製糸所の写真 手前の川のカーブに注目!
大木はなかったですね。
たぶんここだ!とおもい、民家の建っているぎりぎりのところまで行き、
川筋をたどり、その先はぐるっと大周りをして、また川を探し、
そのあたりをぐるぐる歩き回ってみた。
風呂川は幅が2mにも満たない小さな川ですが、その流れの勢いは力強く、
水量の豊富さを感じさせます。
水力を使うには適した地だったことがよくわかります。
石積みの 風呂川の流れ 水鳥が2羽いました、つがいでしょうか。
本に載っていた地図とも合いそうです。
そうか、ここだったのか!
車で走れば、あっという間に通り過ぎてしまう何の変哲もない住宅地です。
でも川の流れが決め手となってみつけることができました。
よかったよかった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます