堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

「速水堅曹と製糸業」

2010-02-08 08:24:01 | 本と雑誌

先日のブログにも書きましたが

1月に発売された『近藤義雄先生卒寿記念論集』 群馬県文化事業振興会 発行 に

今井幹夫氏の書かれた「速水堅曹と製糸業」という論文が載っています。


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戦後、近代の製糸業や富岡製糸場関連の論文のなかで速水堅曹が論じられることはあっても、

正面きって速水堅曹をとりあげた論文は、はじめてです。



富岡製糸場の研究においては右に出るものがない、といわれている今井幹夫氏が

4年前に私が蚕糸業界誌に掲載されていた堅曹の自叙伝『六十五年記』を発見し、

そのコピーをお渡ししたものと、

すでに群馬県史に掲載されている日記『履歴抜粋甲号自記』を中心に読み解いて、

堅曹の製糸業に関する業績を検証しています。



私も日記と自叙伝をここ4年間かかって歴史ワーキンググループで詳細に読み解いているので、

昨年、今井氏より執筆にとりかかっていることをお聞きして、

たいへん楽しみにしていました。

堅曹さん個人を取り上げた論文を書いてくださるなんて、なんてうれしいんでしょう。



内容は

堅曹が明治元年から前橋藩の藩命として製糸にかかわるようになったところから順に

 ・横浜で藩の売込問屋の開設

 ・スイス人ミュラーを雇いいれての日本で最初の器械製糸所の創設

 ・福島の二本松製糸会社の設立

 ・堅曹が構想した日本の製糸業を推進するための壮大な計画の実現にむけた努力と挫折

 ・富岡製糸場との関係として1回目の所長となる経緯

 ・2回目の所長時代では民間への払い下げまでの経緯

を取り上げて、

最後に「まとめ」となっています。

全20頁の論文です。



総体に堅曹の経歴を丹念に追って

彼の製糸業への考え方の変遷をみていく流れとなっています。

したがって、こういうことがあったから堅曹はこういう考え方に変わっていった、

という記述がいくつかでてくるのですが、それが私の意見と違っていました。

いろいろな見方があるのだとおもいました。


細かい部分は、全く同じ資料を読み解いているので、

あっ、ここはこう解釈しているのか、とか、ここはどうしてそうなのか、などと、

一言一句検証しました。

大先生の論文なのに、大変におこがましいことをしています。



しかし、今回速水堅曹の業績を取り上げてくださり、その論文が発表され、

それによって堅曹さんのことを知る人が増えるのですから、

こんなにありがたいことはありません。

感謝のみです。




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