今朝の朝日新聞be面の
コラム「この人、その言葉」(茨城大准教授の磯田道史氏執筆)に
横井小楠が取り上げられていた。
横井小楠は誠に開明派の先駆けといえる人物で、その見識はすごかった。
坂本龍馬の思想は実は横井小楠と勝海舟の受け売りで
例の「日本をせんたくする」というのは、
小楠の口癖だった「天下一統人心洗濯希(ねが)うところなり」というのを聞いて
姉の乙女へおくった手紙に書いたのである。
磯田先生、最後に
「龍馬ブームに惑わされて本筋の歴史理解を忘れてはならない」と
歴史学者らしく、テレビドラマが本当だと信じてしまう日本人に釘をさしているのはさすがです。
ちょっとあまりのブームになんだかな~とおもっていた私は溜飲がさがった。
実は先月 徳永洋著 『横井小楠』を読んだばかりで、
ブログに感想書こうとおもっていて日にちがたってしまった。
この本たいへんにおもしろかった。
読んだきっかけは、
速水堅曹の思想を追っているうちに、九州熊本の長野濬平との共通点をさぐろうとおもったのです。
一生付き合うことができる人物というのは、その思想的なことに共鳴できているはずです。
ましてや、あの明治初期の混沌とした時代に「器械製糸」という
全く新しいことをはじめようということで一致したというのは、
よほどしっかりした考えがあってのことでしょう。
その長野濬平が横井小楠の弟子であるということから、小楠について知りたいとおもったのです。
横井小楠は幕末時、福井藩の松平春嶽に招かれ政治顧問をつとめ、
「国是三論」」を著し、開国通商、殖産興業による富国強兵を提唱している。
多くの幕末の志士達とも交わり、維新後には新政府の参与となり、活躍が期待されていたが、
明治2年暗殺される。
勝海舟は『氷川清話』で小楠のことを
「その思想の高調子な事は、おれなどは、とても梯子を掛けても、及ばぬと思ったことが事がしばしばあったヨ。」
と言っている。
一を聞いて十を知る、という人で、政府のブレーンとしては、
何を問われても卓越なる見解をしめせる人物だった。
小楠はアメリカに留学する甥にこんな言葉を送っている。
堯舜孔子の道を明らかにし
西洋器械の術を尽くさば
なんぞ富国に止まらん
なんぞ強兵に止まらん
大義を四海に布かんのみ
小楠の唱える富国強兵は、単なる「西洋文明の輸入」ではなく、
「西洋文明はあくまで技術として優れているのであって、そこに徳はない。
日本は東洋の徳ある文明をもとに、そこに西洋の科学文明を取り入れるべきだ」と考えた。
そして実学を奨励し理想の改革を唱え、弟子達は小楠亡き後、熊本で実行していった。
堅曹は幼少時より中江藤樹の実学と陽明学の思想を学んでおり、
日本が文明国となるには
東洋の無形的(精神)を経(たていと)とし
西洋の有形的(物質)を緯(よこいと)とすべし
といっていた。
これらは小楠の考えと相通じる。
この本の著者は30年余りにわたり市井の一研究者(本人の弁)として
横井小楠を研究、顕彰活動を続けてきた方で、
長年の研究の途中での新資料発見や、関係者の子孫の方たちとの出会いなども
文中に盛り込まれており、
そこも読んでいてたいへん惹かれた。
私もこんな風に速水堅曹のことをまとめられたらいいな、と思って読んでいた。
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