昨日青山墓地にある速水家本家の墓参りにいってきた。
速水堅曹夫婦の墓は、取手のお寺にあるが、
その他の方々は堅曹が生前に求めた青山墓地におさめられている。
4年前に亡くなられた本家のご当主も青山である。
生前先祖調べでお世話になり、命日も近いので、お参りさせていただいた。
奥様は現在95歳になられ、時々電話でお話しをさせていただく。
とてもお元気でいつもこちらのほうがパワーをいただく。
あのように生きられるなら私も長生きしたい、とおもうほどである。
さて、久しぶりの青山墓地。
東京都の整備事業がだいぶ進んだとみえて、全体にきれいになってきた。
でもお陰で明治初期に建てられ、現在は継承者のいない外国人の墓などが処分されて、
歴史的意味のあるものがなくなったことは大変残念で、胸が痛む。
墓を掃除し、花を手向け、線香をあげてお参りさせていただいた。
それにしてもこのお墓の位置は、いろいろな事を考えさせる。
尊敬していた大久保利通の墓からまっすぐ裏のところである。
この場所を選んだ堅曹のおもいを想像してみる。
ひときわ大きい大久保公の墓にいってみた。
なんと墓前にある大きな一対の燈籠が先日の大地震で倒れていた。
この燈籠は当時の勧農局員たちが寄進したものである。
台座のところに堅曹さんの名前も刻んである。
はじめて見つけたときはとてもうれしかった。その時のブログ
地震でこんなふうになってしまったとは。。。
台座は残っているので、なんとか修復してほしいとおもう。
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