13日は用事があって、相棒Tさんと群馬県富岡市に行きました。
暑い暑いまるで真夏ですね。
メインの用事の前に富岡製糸場の北にある「龍光寺」に行きました。
ここには官営時代から明治30年代までに働いていた工女さんのお墓が30基あります。
何度も来ていますが、今回はTさんが確認したいものがある、というので一緒に来ました。
工女さんたちの墓
堅曹さんが建てたお墓も3基あります。
一つは彼の腹心とも言うべき人物で、明治12年製糸場で若くして亡くなった長野親蔵さんのお墓です。
墓の竿石のまわりにぐるっと堅曹さんの追悼文が彫られています。
長野親蔵の墓と作業中の相棒Tさん
最後に漢詩があり、それをTさんは一文字一文字確認しました。
東西奔走 拮据十年 有志不遂 一朝斃顛
嗚呼男児 生則有造 斃而后巳 有合古道
君身雖死 君功不捐 九泉之下 可以瞑焉
明治十三年二月
内務省御用掛准奏任 速水堅曹 撰文
高橋信貞 書
長野さんのお墓のうしろには、堅曹さんが明治26年の民営引継ぎのときにそれまでに亡くなった工女さんの連名のお墓を2基つくっています。
それぞれ13人と14人の名前が刻まれています。
墓碑の裏には
表面列記之人名者元富岡製絲所工女也
明治二十六年十一月建之
元富岡製絲所長正六位速水堅曹
と彫ってありました。
次に製糸場の東南にある「海源寺」に行きました。ここにも官営時代の工女さんのお墓があります。こちらは初めて行きます。
ちょっと奥まった場所にあり、自動車だとわかりにくく、通りがかった人に聞いたりして着きました。
門の中に入って、わ~と視界が開けます。
鏑川の川沿いの高台になるのでしょう、遠くに山並みが見え、とても眺めがいいです。
工男、工女のお墓が門を入って直ぐのところにありました。3基です。
墓地を整理して、この位置に移動してきたようです。
お参りをしてから、墓地のなかを歩き景色を眺めました。
このあと、二人で本来の用事をすませました。
そして富岡市立図書館に寄り『川越藩士速水家の墓』を寄贈しました。
製糸場にも寄り、お世話になっている方に小冊子を謹呈させていただきました。
いろいろ用事をすませ、ポツリ、ポツリ、夕立が降り出すころ帰路につきました。
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