東京で真夏日を記録した5月24日(土)、谷中と青山でお墓参りをしました。
谷中は堅曹さんの甥にあたる、遠藤謹承(きんしょう)さんのお墓まいりです。堅曹さんのお姉さん梅さんの息子さんです。
夢酔い人Kさんが、昨年暮れに突撃訪問で謹承さんのご子孫宅を発見。そこから謹承さんのお墓が谷中のお寺にあることをお聞きして、他の親戚のかたも一緒に今回お参りすることになりました。
朝9時に日暮里で待ち合わせて、遠藤宅へ訪問。少しお話をお聞きして、お墓に案内していただきました。
謹承さんは堅曹さんの日記にも出てきて、甥っ子になりますが、家族のように面倒をみています。
彼は明治10年(1877)の西南戦争に軍人で出兵していて、その従軍記が2冊残されています。
それを見せていただいたときは、歴史のなかの出来事だった西南戦争がすごく身近に感じました。貴重な史料です。
謹承さんのお参りをしてからは、近くの谷中霊園へ向かいました。
ここから毎日五重塔をながめ、あの『五重塔』を書いたという幸田露伴の家のあった場所をとおり、昭和32年(1957)に焼けてしまった幻の五重塔跡を見に行きました。
五重塔跡
ウロウロと霊園の中を歩いて、有名人のお墓はどこにあるのかな~などと探していたら、「どこが見たいのですか?」と声をかけてくれる方がいました。
渋沢栄一!、阿部正広!などというと直ぐに教えてくれ、なんと連れて行ってくれました。しかもくわしい歴史の解説付きで。
そしてその後も、折角だから徳川ご三卿のお墓も、そしてよかったら寛永寺の篤姫のお墓も案内しますよ、とどんどん教えてくれます。
皆で顔を見合わせ、驚くやら、うれしいやら。ご好意に甘えて、たっぷりと案内してもらいました。
寛永寺 篤姫の墓は非公開
こんなこともあるんだ、きっとご先祖様のお計らいだね、などと思ってしまいました。
途中、上野桜木でK’s Green Galleryも併設しているクマイ商店(私の姉の家)に寄り、姉から街づくりの話などを聞かせてもらいました。
「谷根千」としてこの界隈は近年人気があり訪れる人も多く、でもここまで来るには10年以上の地元の活動があってのことだそうです。一線でがんばってきた具体的な話は、富岡の街づくりにも参考になるような話ばかりでした。
さて、上野で昼食をとり、次は青山霊園です。
現在堅曹さん夫妻は取手の瑞法光寺のお墓に入っていますが、その他の速水家の本家の方たちは青山霊園のお墓に入っています。先日のモニュメントになった川越のお墓以降はこちらです。
皆でお参りさせていただきました。
そのあと、すぐ近くの大久保利通のお墓を見学。いつみてもすごく立派です。
その墓前にある石燈籠に彫られている「速水堅曹」の名前を皆さんに見ていただきました。
ここは堅曹さんが確かに大久保利通の下で仕事をしていたという、目にみえる証拠のような気がして、お参りにきていただいた方には紹介しています。
暑いなか、何時間も谷中から青山とお墓ばかりみてしまいましたが、本当にこの両方の明治初期につくられた官営の墓地は広くて、かつ、今の墓地のように整然と区画ができていないので、見て回ると一日あっても足りないくらいです。
でもご先祖のお墓参りを縁のある方たちと出来たことは、とてもうれしかったです。
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