案内してくださる方がいて、10月11日に横浜外人墓地にある
エドモンド・オーギュスト・バスチャンのお墓参りをしました。
E.A.バスチャンは、富岡製糸場を設計したフランス人建築技師です。
フランス・シェルブール出身の彼は慶応2年(1866)、横須賀製鉄所の
ヴェルニーに雇われ、船工兼製図職人として来日します。
明治3年(1870)12月に彼は富岡製糸場の設計図を完成させ、
工事監督をしました。
製糸場が完成して操業を始めると横須賀にもどり、その後上海で結婚をして、
再び日本にもどり、明治21年(1888)横浜で亡くなるのです。
120年も前に建てられた墓ですが、とてもしっかりとして傷みもすくなく、
皆で草むしりをして、水をかけ、手をあわせました。
考えてみれば、富岡製糸場の開業にあたって日本は
多くの外国人の力をかりたわけですが、
唯一日本に残り、お墓があるのはバスチャンだけです。
自分が設計した製糸場が130年以上経っても、ほぼそのまま残り
世界遺産として登録されるかもしれないような建物になるとは
思ってもみなかったのではないでしょうか。
他のお墓も案内してもらい、幕末から明治にかけて遠い異国の地で亡くなった
多くの外国人のお墓をお参りさせてもらいました。
その後、港の見える丘公園にむかい、公園内にある「大佛次郎記念館」に
行きました。
ちょうど「大佛次郎とフランス」という企画展が行なわれており、見てきました。
開館30年も経ちますが、とてもステキな内装で、ご遺族から寄贈された蔵書や
再現された書斎の立派さに目を見張り、著書の多さに驚きました。
元町にもどり、昼食をとってから午後は、毎月の勉強会、原三溪市民研究会に
向かいました。
『原三溪翁伝』の出版に向けての準備が本格的になってきて、
今日は初稿の校正の作業に入りました。
この原稿が本になるのかとおもうと、間違いのないようにしなければと
緊張してしまいます。
市民研究会も丸一年がたち、ここまできたんだ、とおもうと
とても充実したものを感じ、また、がんばる意欲がでてきました。
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