第84次座り込み行動 12月21日 12時~13時
2023年1月(第73次)~12月(第84次)に結集された延べ178団体・375名の参加で話合い解決を求めてきました。2016年1月(第1次)からのトータルは、7年間で延べ1814団体・3910名、130時間を積み上げてきました。
この間、2009年に明治製菓と経営統合、相乗効果を上げることなく事業再編に追い込まれ、資産の売却で株主配当維持を図るも減収・減益の経営不振、挙げ句に株価の4割減から株の再分割で凌ぐも浮上せず。
正に、争議を抱えていられる経営状況かと、改めて、声を大にして訴えていきたい。
この一年64名団員の中に、新たに4名を失い、25名に。その想いを胸に人道的見地からしても待ったなし。国の機関・中央労働委員会が指し示す解決への道筋に、直ちに応えよ!と叫びつづけます。
主催者挨拶
明治乳業争議支援共闘会議・松本議長
明治乳業争議解決のためこのエドグランに入っている株式会社明治と親会社の明治HD川村和夫社長に対し、争議解決への一点で話合い解決を求めにまいりました。
さて、ご通行中の皆さんいま何が起きているのですか。物価高で市民が苦しんでいるのに自民党政権、自公政権どれもこれも政治と金、裏金、大企業から裏金もらって、そして懐に入れる。そして大企業のための政治をやる。そのために、物価が上がり賃金が上がらない。年金も上がらない。市民は大変な思いで暮らしています。もう一度賃金を上げて、年金を上げて、消費税を下げて景気を良くすることが経済を回すことにつながることではないでしょうか。
さて皆さん、この争議の本質というのは、もの申す労働組合、働く者の人権、消費者の食の安全を求めるまともな労働組合が邪魔になり、儲け本意に暴走するがために、その人たちたたかう労働組合の人たちに、赤組のレッテルを貼り、10年間で一千万円の賃金差別をした、こういう労働事件、不当労働行為事件です。
背景は、当時多くの大企業もデモ行進をしたり賃上げを求めたりしたり、真っ当な活動をしていた。そうゆう労働組合をつぶすためにケネディライシャワー路線に基づき、国家ぐるみのユニオンジャックで、ほとんどの大企業の労働組合、もの申す労働組合を潰し、労働組合の組織率が5割を超えていたものを16%台に落ち込め、そして低賃金、派遣労働、そうゆう労働者を物扱いにする社会にしたのです。その結果、購買力が落ちて経済力が回らなくなったということではないでしょうか。
皆さん、いま賃金を上げることこそ、労働者の人権を守ることこそ、お年寄りの年金を引き上げ、消費税を減税することこそが求められているのではないでしょうか。
国連はビジネスと人権と云うものを採択しました。すなわち企業の中で、人権侵害や差別をする企業は、国際的に通用しない。しかし、明治は引き続き賃金差別や人権侵害に対して、中央労働委員会までがその事実を認め、殊に会社に対し話合いで解決をしなさいと言っているにもかかわらず、裁判所の言うことも一切耳を傾けない。国連の言うことに正に違反をしている大企業です。
その結果どうなりましたか。明治乳業と明治製菓が統合をして売上高を1兆5千億円にする、海外に展開をするといって合併をしました。ところが売上げは下がり1兆円ぎりぎり。海外売上高比率は6%とか7%、全く世界に通用しない企業になり、今日の株価は3千2百円台に下落して、株主からも怒りの声が寄せられている。
働く皆さん、こうゆう状況を放置したままでいいのでしょうか。経営が不振になると労働者に対する賃下げ、リストラがやってきます。
私たちと一緒に声を上げて、働く者の人権が守られる社会、長期にわたるこの争議を話合いで解決していく思いを一緒に共有して運動をしていただきたいと思います。
皆さん、直近では牛乳からあるいはヨーグルトからあってはならない抗生物質が含まれていた。このことに対し、検査をしたのかしないのかも解らない。もちろん社長は謝罪もしない。ただ牛乳もヨーグルトも回収しましたと言うだけです。こんな消費者に責任を持たない企業、消費者の皆さん声を上げて下さい。食の安全は命にかかわります。
社長、これに対し機密経過と説明を求めます。
・・・・・。
市川事件・額賀申立人
いつもご支援いただきありがとうございます。額賀と申します。経験談を少し話させていただきます。昭和39年に市川工場に入社をしまして出荷事務所に配属されました。仕事は、製造された牛乳を販売店に届ける様々な業務をする職場でした。
職場の環境は、当時冷暖房はないので最低、最悪の職場でした。3年ほど経ってから主任に飲み屋に連れて行かれて、あいつら赤組と付き合うんじゃないと何度も何度も言われ、その後、突然職場移動を命ぜられ、理由はハッキリわからず飛ばされそこは倉庫でした。
その後、また元の職場に人手が足りないからと云って戻された。以前の主任、係長は代わっていましたが、その係長から応接間に来いと呼び出され、転勤工作でした。
職場の中に白組、赤組があり、白組の先輩と非常に仲がいいことを出しにして、○○さんも転勤してもいいよと言っているので、どうだ、一緒に行かないかと誘いかけられた。
私は行く必要もないし行く気もないと断りました。すると何で工場にこだわるのだと、なんでそんなに仲間が大事なのかと言われました。なんでこんなことを言われるのかといろいろ考えると、あれが出てきた、職制連絡会議という議事録が、それは赤組対策と云われているものの中で私のこともあった。工場から追い出そうとしたこと、私は絶対に許すことはできません。長い争議になっていいますが、もう少しがんばろうと思います。
市川事件・平木申立人
皆さんこんにちは、私は昭和37年に市川工場に入社しました。翌年、組合員になりインフォーマル組織明朋会に執行部が取られる以前は、支部主催の各種集会や学習会、メーデーや春闘など諸行動、各種諸会議などに積極的に参加してきました。
特に、明乳労組関東地区卓球大会、市川地区労の大会には市川支部の代表選手として参加し、他支部の仲間と交流を深めてきました。戸田橋支部の吉田さんの解雇事件、キューピー労組の解雇闘争支援、国鉄闘争支援など参加してきました。
支部執行部が明朋会に取られた後も要求で団結し会社の介入を許さない民主的な運営で団結して、支部役員選挙での工場門前で要求、政策ビラを配布に参加し支持拡大する活動をしてきました。会社・明朋会のひどい妨害もありました。有期転勤に対する反対の家庭訪問等の署名活動などをしてきました。
この様な活動を嫌悪した会社は、基幹職2級の下位職分に21年間も据え置く差別をしてきました。
市川事件で38年、全国事件でも29年・・・・・。
私は昭和51年4月基幹職2級に格付けになり平成9年4月にやっと基幹職1級に昇格するまで21年間も基幹職2級の下位職分に据え置かれました。・・・・・。
職場の仕事はそれぞれの職分が交代で仕事に当たり、職場を9回も交代させられた中でも同じように仕事をし、人一倍仕事をやってきました。
特に、提案活動に於いては優秀個人賞を7年連続で当時の中山悠社長名で表彰を受けてきました。明朋会の人たちと比較しても何ら劣ることはありません。
昭和62年妻を肺ガンで亡くし、妻が経営していた美容院も廃業になり、私一人の賃金で2人の子どもを育てることになり、長男の大学の入学金、次男の専門学校の入学金など、兄弟親戚より借金をして支払ったこともありました。
また、卑劣な転向工作もありました。昭和62年妻が肺ガンで入院生活をしていたが11月43歳で亡くなりました。その一ヶ月前の10月、製造課長が私の職場にやってきて、奥さんが病気で大変だろう病状はどうだと気遣うそぶりで、奥さんが病気で争議団の活動をやっていて大変だろう。いい機会だから申立を取り下げないか。君の家庭の状況を話せば争議団も受けることは納得してくれる。後のことは俺に任せろ。会社も悪いようにはしないからとこういう陰湿な転向工作をやってきました。
私はこの様なことは聞き流すことはできず、門前ビラで全組合員に知らせ工場に対しても争議団名で抗議文を提出し、当時の吉田工場長に抗議・申入れをおこなった。
その後、私を気遣うことは一切ありませんでした。
私は差別、人権侵害は許さないと奮闘しています。本日はありがとうございました。
シンガーソングライター・大熊啓さん
未来をかけて ♫♬♪♩
行動参加の皆さまお疲れ様でございます。そしてこの明治HDの前にご通行中の皆さん、そして社内で働く皆さん、私たちは、この明治乳業この会社の中で行われた人権侵害、これを許せない。人権を取り戻すそういった思いで座り込み行動をずっとつづけております。隣の明治屋さんには名前が似ているためにいつもご迷惑をお掛けするなと思いながらやらせていただいております。明治屋さんにご迷惑をかけないためにも早く争議を解決する、そのためにも会社は判断をするべきだと云うふうにも思います。
そしてこの12月というのは、いろいろとこの人権について考える時期でもあります。
つい先々週ですか12月4日から10日迄が国際的な人権週間ということで、人権について考える時期でもありましたし、12月10日は国際人権デー。この人権というのは偉い人が下々の者に与えるものでは決してありません。
私たちは、生まれ落ちたその瞬間から人として尊重される全てが平等に扱われるというこの人権を私たち人間が持っているというのが人権という考え方です。私たちがこの日本国憲法を・・・人権説、人権は誰かが与えたものではない、生まれたときから備わっている考え方にもとづいてこの憲法が制定されています。
この人権侵害と云うものは、人権を踏みにじる行為であり、そういうことでは憲法を踏みにじることでもあります。決してこれを許してはいけません。
皆さん、あーこの人たちは差別を受けて座り込みをしているのだな、大変だな、私は差別されていないから良かったな、もちろん差別をされていない方が良いよと思いますけれども、それで良かったなと通り過ぎるだけじゃだめなんです。この人権侵害を放っておくとどんどんどんどん悪化していきます。
以下、略・・・・・。
勝利の朝を信じて ♫♬♪♩
争議団歌・星霜 ♫♬♪♩
争議団お礼と決意・小関団長
年末のお忙しい時期に、私どもの今年最後のこのエドグランに入っている株式会社明治の社前座り行動にご参加いただいている皆さん、本当にありがとうございます。
今日の行動は、84回目の座り込み行動になります。この行動のスタートは、2017年中央労働委員会の指揮によって重要な局面を迎えた、あの会社に和解の提起をするという重要局面でのスタートでした。残念ながらその道は閉ざされたのですが、継続は必ず力だとこう信じて毎月重ねてきました。丸7年が今日の行動です。
皆さん、明治乳業の事件本当に長くなっております。市川工場事件が都労委に申し立てられてから39年目を迎えているわけです。日本一長い差別争議と評されている訳ですが、一緒にたたかっている額賀団員、そしてこの争議の中でがんばっていた奥さんを亡くした平木団員がどの様な仕打ちをこの会社から受けたのか、その一端でありますが告発しました。
私たちはこの受けた様々な攻撃、これは歴史的事実なのです。年を取れば年数が過ぎれば消滅することは絶対にないのであります。このままでは人生は終われない。一人一人の団員がその様な思いで長期に及ぶたたかい、困難を乗り越えながら耐えて皆が持っている力、可能な力を寄せ集めながらこの株式会社明治、そしてその上にいる親会社である明治HD、ここに運動をつづけているのです。
皆さん、私たちは今年も二つの角度から全面解決への道筋を必ず切り拓く決意で運動を進めてまいりました。一つはこの株式会社明治、そして親会社の明治HDの異常企業体質の告発、包囲する運動であります。
11月に発生した明治の宅配用牛乳、ブルガリアヨーグルトに食品衛生法違反の抗菌剤が混入していた、回収命令が出て4万5千本、ブルガリアヨーグルト12万個に回収を云いましたが、ほどんとの製品が子どもからお年寄りまでの身体の中に入っているわけであります。
この様にこの一年も、残念ながら不祥事が絶えないという企業体質が露わになった一年でした。私たちは、この企業相手に長いたたかいを進めているわけでありますが、もう一つの角度からの運動を強めてきました。それは東京都労働委員会に残っている39事件、この差別争議本来の審査方法にもとづいて進めるそのためのたたかいでありました。
この間、残っている39事件の審査の方法と審査の枠組みをめぐる激しい攻防が、11月5日迄つづき確定しました。39事件のたたかいの集大成として、この種の事件、労働委員会の努力で作り上げられてきた大量観察方式にもとづく集団間比較、申立人らの集団とその他の集団にどの様な格差が存在するのか、それを一年や二年で見るのではなくて、昭和40年代からここに至る20年、30年のスパーンで格差の実態を判断させる。先ほども告発されていました10年間で見ても1千万円を超える格差があるのであります。
この後、この事件の解決への道筋を明確に示している中央労働委員会の内容を示しながら、明治乳業の不当労働行為、格差の事実認定等々を紹介し・・・・・。
来年の早い時期に全面解決を勝ち取る大運動を展開する決意と奮闘することを述べて締めくくりました。
シュプレヒコール
一、明治牛乳とブルガリアヨーグルト回収事件、食の安全・安心を消費者に提供する企業として、
検査体制を明確に公表せよ!
一、都労委残留39件の審査を待つまでもなく、直ちに争議を解決せよ!
一、(株)明治は、格差と人権侵害を認めた中労委命令と「付言」で示された解決の道筋に応えよ!
一、赤組集団と分け隔てた、年間106万円からの差別を直ちに是正せよ!
明乳争議とすべての争議の早期全面解決に向け、団結して頑張ろう、頑張ろう、頑張ろう