海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「テロとの戦いは、文明の衝突か」と題する『ツァイト』紙の評論。

2007年09月02日 | テロリズム
最初は、表題の後にまた遠慮がちに疑問符がつけられていた。その論文の表題は「文明の衝突か?」で、アメリカの政治学者サミュエル・ハンチントンが1993年の夏に雑誌『フォーリン・アフェアーズ』に発表したもので、一撃で、この著名な研究者を広い世間で有名にした。実際、このハーバード大学教授は、世界の置かれた状況を説明する鍵を見つけたように見えた。21世紀には、古い国家間の紛争は「文明の衝突」によって取って代わられるだろうと彼は主張した。彼の同僚のフランシス・フクヤマがまだ、うれしそうに、『歴史の終わり』と市場経済と自由主義の無血の勝利を叫んでいたのに、ハンチントンは、世界の歴史を紛争と戦闘と戦争という暗く仄めく光に浸したのだ。将来、七つか八つの文明が地球という闘牛場で互いに角を突き合うだろう。それは、西欧文明・儒教文明・日本文明・イスラム文明・ヒンヅー文明・スラブ文明・ラテン=アメリカ文明そしてたぶんアフリカ文明である。この大きな統一は、言語・歴史・宗教によって、根本的に区別され、互いに折り合わず、すべてアメリカの敵である。「残りはすべて反西欧である。」
ハンチントンの著書の反響は、圧倒的だったが、分かれていた。多くの人々は、彼を米国のオスヴァルト・シュペングラーだと歓迎した。彼は、黙示録の騎士を送り出し、覇権国家アメリカをその快楽主義的なまどろみから叩き起こしたのだ。他の人たちは、彼の中に根拠のない文明論で世界支配に対するアメリカの要求を石に刻むイデオロギー的な督励者を見た。ハンチントン自身は、迷わされることなく、彼の主張から分厚い本を作り出した。『文明の衝突』は、ドイツ語版では、後ろに疑問符がついていなかった。
この著作は、予想通りの反響を呼んだ。イスラム過激派のテロ、特に、9.11事件の後で、世間は、ハンチントンが正しく、「文明の衝突」が始まったのか、と自問した。奇妙なことに、この戦闘的な学者は、この自分を予言者だとは言いたがらない。ワールド・トレード・センターへのテロを彼は「文明の衝突」だとは考えず、「全世界の文明社会に対する下劣な野蛮人のテロ攻撃だ」と見なした。特に、ハンチントンは、イラク戦争をしないように強く警告した。その理由は、この戦争は西欧がそう簡単には片づけられない霊を呼び出すだろうということだった。「このような攻撃は、全く別種の戦争に導くだろう。それは現在、反テロの国際的連合を支持しているイスラム世界の住民と政府の大部分を憤激させるだろう。」
 だが、なぜ、突然、控えめな態度をとるのか、それは魔法の呪文に対する徒弟の不安なのか。ハンチントンが、その間に彼を誇らしげに引き合いに出したかなり多くの人たちよりも、利口になったということはあり得る。宗教は、しばしば、その助けをかりて、残酷な承認と配分をもとめる紛争を偽装する仮面にすぎないということを彼は理解したように見える。ひょっとしたら、ハンチントンは、原理主義が全く現代的な現象で、植民地化とともに成立したということを見抜いたのかもしれない。だから、イスラムの殺人者は中世から来たのでもなく、全く別の文明から来たのでもない。彼らは、現代の世界社会のど真ん中からやってくるのだ。このことがわれわれを一番深刻に脅かしているのだ。
 ハンチントンは、反テロ戦争を文明という地雷地帯に移してはならない、たとえば、悪に対する善の戦いだとか、闇に対する光の戦いだとか言ってはならないと言う。反テロ戦争を文明の戦いと考えてはならない。「文明社会に対するテロ組織の戦争をイスラムと西欧の間の文明の戦争にすることは、オサマ・ビン・ラディンの目標だ。もし、彼がそれに成功したら、それこそ大いなる災厄だ」とハンチントンは述べている。
コメント (1)
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