海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「イスラム教国でのキリスト教徒の運命」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年12月07日 | イスラム問題
イスラム世界は、またもやショックを受けた。モハメッドの戯画、レーゲンスブルクでのローマ教皇の説教、そして、今度はスイスにおけるミナレットの禁止というわけだ。宗教的に動機付けられた憤激のキャンペーンがいつでも発動可能である。トルコの外務省は、先週火曜日に、国民投票で人権と基本的権利とを傷つけたとスイスを非難した。
トルコ大統領アブドラ・ギュルも、ミナレットの反対決定を「スイス人の恥じ」だと鞭打った。この投票は、「どれほど西欧世界のイスラム嫌いが広まっているか」を示したと彼は言う。レセップ・タイイップ・エルドアン・トルコ首相にとっては、国民投票は、「ヨーロッパにおける増大する人種主義的ファシズム的態度」の表現である。
「宗教と意見の自由は、投票にかけられてはならない人類の基本的権利である」とトルコ議会でエルドアンは述べた。
 キリスト教徒のアルメニア人に対する虐殺の否認を国是としている国を支配している政治家のこのような激しい発言をどれほど真面目に取ったらいいのか?しかも、トルコは、宗教的少数派に対して自由な宗教的実践を拒んでいる国なのだ。
 自由なスイスにゆがんだ鏡を突きつけているのは、最も不寛容なアラブ人国家である。サウディ・アラビアの「イスラム会議機構」は、スイスの国民投票の後で、直ちに「人種主義的極右の政治家たち」による「反イスラム的扇動」だと発言した。
 エジプトの最高の法律学者であるアリ・グマは、ミナレットの建設禁止の中に世界中のムスリムに対する侮辱を認識したがっている。イスラム化の大波に洗われているインドネシアでは、国民投票を「ムスリムに対するスイス人の憎悪の表れ」だと見なした。
 このヒステリーは、西欧に対する増大する優越感の表れか、それとも、イスラム原理主義の攻勢が始まっていることの警戒すべき兆候であるのか?
 イスラム世界では、キリスト教徒は、大きく差別されており、死で脅かされている。プロテスタント系の通信社が出版した『殉教者2008』は、イスラム教で形成された6っつの国をもっとも攻撃的な宗教的弾圧をする10の国家のうちに数えている。最悪の例は、イラクで、ここでは6年前のサダム・フセインの没落以来、数千人のキリスト教徒が殺され、何十万人かが急いで国外に脱出しなければならなかった。今年だけで、7つの教会への放火とキリスト教徒に対する襲撃によって、何ダースかの人間が命を落とした。
 このような暴力の行き過ぎから見ると、トルコにおけるキリスト教教区の状況は、あまり脅かされていないように見える。もっとも、過去数年間に、熱狂的なスンニー派による司祭や教団の尼僧や宣教師に対する残虐な殺害が重なっているのだが。
 公式には、トルコでは、宗教の自由が支配している。だが、あいかわらず、多数の差別が存在する。たとえば、牧師や宗教教師の養成は国家によって禁じられている。キリスト教徒の学生は、神学をイスラム神学科で学ばねばならず、牧師は、トルコ国籍を持っているか、外交官であることが証明できなければならない。古い教会の修復は、法的な措置で難しくされており、教会の財産の没収は日常茶飯事である。
 キリスト教徒は、宗教的儀式の自由を享受しているムスリムにたいして、根本的に差別されている。聖書や宗教的論文は、街頭で配布されてはならない。街頭での行列やキリスト教的祭りは禁じられている。役所はキリスト教系のラジオ局に基本的に認可を与えない。(後略)
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