海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「テロリストは、米国の旅券を所持」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』の記事。

2010年05月06日 | テロリズム
パキスタン出身のファイサル・シャーザッドは、アメリカの夢に到達する4車線の高速道路を走っていた。だが何時の時点でか、彼は行き止まりの道に入り込んだ。先週、土曜日、彼は多数の人々が往来するタイムズ・スクウエアで消火器と、ガスボンベと石油缶と肥料を載せた車を爆発させようとしたのだ。テロ攻撃は失敗だった。
明らかに不細工な寄せ集めの爆弾は、信管をはずされ、車は文字通りFBIの捜査官にとっては、宝箱だった。53時間後、テロ容疑者は、ニューヨークのJ.F.ケネディ空港発ドバイ経由イスラマバード行きの「首長国」航空会社の飛行機の中で、逮捕された。
ファイサル・シャーサッドは、テロの試みを認めたそうだ。彼は最初の尋問の前に、彼が選んだ弁護士と事前に相談せずに、黙秘権があることは聞かされていた。その点では、何人かの野党の共和党議員は、腹を立てた。結局、明らかに大量殺人をしようと決心し、イスラム教徒の憎悪に狩りたてられたテロリストが問題なのだから、普通の犯罪者とは違う扱いをするべきだったと彼らは言う。
シャーザッドは、「国内製テロリスト」の典型であり、それはアメリカ社会に対する明らかに増大しつつある危険を意味している。彼は、1979年にパキスタンのカラチで生まれたと書かれているが、彼の家族は明らかにパキスタンが支配しているカシミール地方のパッビの出身である。そこには悪名高いアルカイダの訓練センターがあった。父のベンハルイ・ハクは、パキスタン空軍の退職した地位の高い将校であり、後には航空局の局長代理として勤務した。パキスタンのエリートらしく、彼は息子に良い教育を受けさせた。ファイサルは、カラチの大学に入学する前に、パキスタンとサウディ・アラビアの私立学校を卒業した。カラチの大学は、ワシントンにあるその間に廃校となった「サウスイースタン大学」と連繋していた。1997年にシャーザッドは、ワシントン大学の援助で、米国の奨学金を受け、ワシントンで、情報科学とマーケッティングとを勉強した。(中略)
シャーザド事件は、幾つかの理由でアメリカ社会と専門家を不安にしている・イスラム教徒テロリストの戦略は、アメリカで「9.11」規模のさらなるテロ攻撃を行うことではない。そうではなくて、僅かな費用で、人出の多い広場や買い物場所のような「弱い目標」を当てることである。
その上、かなり以前からアメリカに住んでいるイスラム系移住民や彼らのそこで生まれた子孫が、役所や隣人が気がつかないうちに、過激化しているということは明らかだ。最後に、明らかなことは、容疑者の追跡の際、殆ど信じられない失敗があったということである。シャーザッドが既に5月3日に警察によって飛行機に乗せてはならない容疑者のリストに載せられたのに、
彼は航空会社「首長国」によって、ドバイ経由イスラマバード行きの航空機の乗客として搭乗出来た理由は、そのリストが明らかに航空会社に届いていなかったということである。乗客リストの手交が離陸30分前に初めてFBIに渡されたので、捜査員に警告された。共和党の下院議員であるピート・ヘクストラは、水曜日に、「運が良いということが、われわれの国家安全戦略であってはならない」と述べた。(後略)
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