海外のニュースより

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「アクマル・シェイクの軽率なビジネス計画とポップ・スターダムの夢」と題する記事。

2009年12月29日 | 人物
ロンドン北部での小型タクシーの商売から、中国北西部の離れた場所での死刑囚監房に到るアクマル・シェイクの旅は、東欧のギャングの一味から軽率なビジネス計画と国際的ポップ・スターダムの夢を含む迷宮のような物語だ。
それは、シェイクが彼の妻と子供達と一緒に住んでいたロンドン北部のケンティッシュ・タウンで始まった。夫婦はテクシと呼ばれる小型タクシーの会社を経営しており、生活は良いように見えた。
 シェイクの以前の弁護士であるブルース・ハイームは、『オブザーバー』紙に、シェイクは、かっては「魅力的なカリスマ的な男だった」と語ったが、合法的なキャンペーン・グループの「リプリーヴ」は、彼には「非常に奇妙な振る舞いの長い歴史」があると主張している。彼の兄のアクバルは、自分の弟は、彼の最初の結婚が終わった、2001年に精神的病気の兆候を示し、「年を取るにつれて、脱線するように見えた」と言った。2004年には、彼はスタッフの女性メンバーに対する性的嫌がらせの理由で告訴され、雇用裁判で未払いの賃金と損害に対して1万ドルの支払いを命じられたと地方紙は書いている。
 しかし、2005年には、シェイクの生活は、更に崩壊し始めた。彼は突然荷造りをして、ポーランドへ旅行し、そこで、彼はそうする資金がないのに航空機製造会社を設立するのだと言明した。金もビジネス計画もなく、航空産業での経験がないので、ベンチャーは、まもなく失敗したが、彼は懲りなかった。
 家族に背を向けて、彼はルブリンからワルシャワまで引っ越した。ある時点で、彼は女友達を手に入れた。彼女は、「彼の本当に馬鹿げたクレージーな行動を心配した」と『オブザーバー』紙に述べた。たとえば、ある時、彼は自分は100万ポンド(1億8千万円)を手に入れたということを示す偽の手紙を彼女に送った。
 それから、彼はEメールのキャンペーンを始め、彼が一度も会ったことのない有名人や政府の高官についての妄想を語り、72ポイントの大きな字体で書かれた無数の文書を打ち出した。2005年以来、ワルシャワにある英国大使館に送られた数百通の彼の手紙は、彼の精神状態を暴露している。「リプリーヴ」が受け取ったメッセージの中で、彼は天使ガブリエルに話しかけ、新聞記者会見を開くことを許されていたら、自分は2005年の7月7日の爆弾(ロンドンのテロ)を失敗させることもできただろうにと説明した。
 あるメッセージは、トニー・ブレア、ポール・マッカートニー、ジョージ・W・ブッシュとBBC放送の「トップ・ギア」を含む74の組織と個人にコピーが送られた。
 しかし、Eメールに含まれたナンセンスの中には、彼が彼の傷つきやすさを利用した犯罪者達に巻き込まれたことを証明する情報があった。あるEメールは、音楽産業で名をなしたいという彼の夢を達成するのを助けようととした、カルロスと呼ばれる人物に言及している。カルロスは、素晴らしいコンタクトを持ち、キルギスタンのプロデューサーを知っており、この人物は、ポップ・スターになりたいという彼の夢を叶えるのを助けるだろうと書かれている。(中略)
 今日、シェイクの歌を録音した二人の男は、シェイクが精神的に病んでいたということをよく知っていた。
 英国人教師であり音楽家であったガレット・サウンダーズは、「シェイクは自分の歌が世界に非常に肯定的なインパクトを与えるだろうと思っていた」と言った。(中略)
 中国の法律は、被告が重大な犯罪で告訴された場合でも、被告の精神状態は考慮に入れられると書かれている。しかし、中国当局は、シェイクを医師によって鑑定して欲しいという繰り返された要請を却下した。今年の五月に開かれた彼の第一回の審理で、シェイクは、法廷で長いとりとめがなく、筋の通らない声明を読むと言い張った。彼のパーフォーマンスは、非常に奇妙だったので裁判官達は笑った。(後略)
[訳者のコメント]この記事を読む限り、シェイクに必要だったのは、死刑ではなくて、精神病院での治療だったと思います。

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