杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

おむつゼロの計り知れないドラマ

2010-01-15 23:09:44 | 社会・経済

 昨年、『任侠ヘルパー』というドラマが放送されていましたね。結構面白く観ていたんですが、その中で、おむつを着けることに抵抗するプライドの高いおじいちゃんが登場しました。「最近のおむつって性能がいいし、着けたほうが楽なんじゃないの~」とノホホンと観ていて、ドラマでも主人公のヘルパーと心を通わせたおじいちゃんが「おむつもなかなかいいもんだ」と納得して終わってました。

 

 

 13日に取材した御前崎市の特別養護老人ホーム『灯光園』は、日本でも数えるほどしかない、入居者の日中おむつ着用率ゼロという介護力を誇る施設です。おむつゼロというのは、もともとおむつ不要の元気なお年寄りが多いというわけではなく、本人と介護スタッフの懸命の努力で、全員が全員、ちゃんと自分でトイレに行けるようになったという意味。尿もれパットは必要に応じて着用します。通所を含めた入居者約80名の平均要介護度は3.43。点滴チューブを常用する人も寝たきりの人もいますから、決して元気なお年寄りばかりじゃない。…よくよく考えると、とんでもなく凄いことですよね。

 

 

 おむつゼロの実践は、国際医療福祉大学大学院教授の竹内孝仁教授のメソッドによるものです。取材前夜、事前に竹内教授の講演録に目を通し、深い感動を覚えました。

 

 「32歳の時、初めて特養の指導に出掛けた東京足立区の施設で、玄関の50メートルぐらい手前からおむつの臭いがした。職員にそのことを言うと、自分たちは何も臭わないという。その施設は入居者の7割がおむつをつけていた。おむつをつけて活発に動く人はおらず、7割の人は天井を向いてボーっと寝ていた。

 ある日、お昼にカレーライスが出た。あるお年寄りの隣に行ったら、ぷ~んとウンチの臭いがしたので、おむつを取り替えようとした。枕元のカレーライスと、おむつを広げ、股の間から出てきたカレーライスそっくりの柔らかい便を同時に見せられ、これが人間の姿か・・・と無性に腹が立った。おむつの中で排便することが当たり前のことのように行われるから、こんな光景に出くわしてしまうのだ」

 

 「日本の特養は、昭和40年代、見習うべきものがなかった時、病院を見習い、入居者の枕元に食事を運んでいた。病院と違い、好きなものが食べられるから、枕元は常備食だらけになり、食事の置き場所がなくなって、ポータブルトイレの便器の上に平気で置くようになる。ふつうでは考えられないが、やがて本人もマヒし、職員もそんな風景に慣れてしまう」

 

 「なぜおむつゼロに取り組むか。聞くまでもない、誰も年を取っておむつをして暮らしたいなんて思わないから。おむつを使っているお年寄りの半分以上が、おむつかぶれを起こし、皮膚を傷め、不潔なお尻をつくってしまう。そういう不快感をお年寄りが感じているのを放置するのは大変罪深いこと。介護職員が実験的に1カ月おむつ体験すると、絶対的に精神がおかしくなる」

 

 「おむつを外すというケアをすることは、介護が初めて専門性を身につけるということ。介護の3要素―おむつ交換、食事の介助、入浴介助は、実際のところ素人にもできる。看護師と介護士が並んでいたら、多くの人は看護師をその道のプロだと尊敬し、介護士には“大変だね”と同情する。なぜ介護の仕事が尊敬されないか、低賃金なのか、離職者が多いかを探っていくと、根本原因は、専門的な仕事になっていないから」

 

 「西洋の医者が専門職として認められるようになったのは18世紀末ぐらいからで、それ以前は社会的地位は決して高くなかった。看護師は日本では昭和40年代は3K職種の代表で、“休暇が取れない”“結婚できない”“化粧のノリが悪い”等などいろんなKがくっついて、5Kとも7Kとも揶揄された。そういう時代から、看護職が今のような社会的地位を得たのは、看護師たちが自ら専門家を目指し、高い研修費や授業料を払ってでも必死で勉強したから。これからは介護の人たちの番である」

 

 ということで、竹内教授を講師に、おむつ外しのための専門知識を学ぶ研修会が、全国老人福祉施設協議会主催で毎年行われています。大変厳しい研修会のようで、参加するのは全国で200施設ほど。参加全施設のおむつ着用率ランキングというのが最下位まで実名で公表されるそうです。

Imgp1844  

 

 厳しい竹内メソッドを3年間受講した灯光園の施設長の澤島久美子さん(右)と、介護福祉士長若林佐登江さんは、「1回目の宿題は、脳梗塞以外の入居者は90歳でも100歳でも、何人がかりでもいいから歩かせること。下半身に関節炎のある人にも辛抱強くマッサージして温め、歩かせる。2回目の時、成果発表で満足な発表ができないと先生から激しく罵倒されます。それで途中で挫折する施設も少なくないし、私たちも、なまけていたわけじゃないのに、なんでそこまで言われるのかと腹が立つけど、成功している施設の取り組みを聞くと、知らないことは罪だと思えてくる」と振り返ります。

 

 

 おむつをしている人を、おむつなしの生活に戻すのに、一番の基本は水を飲ませることだそうです。お年寄りの体内の水分は青年期よりも少し減りますが体重の約5割。体重50kgなら25?です。人間は、体内の水分が2~3%減ると体温が上昇し、心臓の機能がおかしくなり、不整脈が起きやすくなる。5%減ると運動能力が落ち、7%減ると幻覚が生じ、10%減ると命を落とすといわれます。お年寄りだと、減少率1%ぐらいで意識障害が起きることもある。つまり尿意便意が判らなくなるのです。

 高齢者なら一日1500ccの水分摂取が必要です。水をちゃんと飲むということは、尿意便意が判るようになるということ。こういう生理学的知識をきちんと身につけることによって、介護に専門性が生まれてくる、と竹内教授は言います。

 

 入居者が水を飲む習慣を身につけ、尿意便意を感じやすくなったら、灯光園のスタッフはベッドから起こし、トイレまで歩かせ、何十分かかっても排泄が終わるまで根気強く見守ります。やがてスタッフの手を煩わせてトイレに行くことが、お年寄りの意識を少しずつ変え、一人で立ってみよう、歩いてみようという気持ちが湧いてくるといいます。

 

 「おむつをあててもいいじゃないか、性能のいいおむつが多いんだから、というのが今の高齢者を取り巻く風潮。介護の学校でもおむつ交換の方法を教えているんですよね」と苦笑いする澤島さんたちですが、入居者のおむつが取れるということは、「介護スタッフにとって、計り知れない自信につながる」と実感を込めます。その自信が、より高みを目指して専門性を身につけようという介護職のモチベーションにつながるんですね。

 

 

 

 おむつゼロのほか、灯光園ではパワーリハビリを取り入れ、負荷のないトレーニングを導入しています。マシン自体は一般のスポーツジムにあるものと同じで、当初は反対意見もあったようですが、毎週2回、規則正しいリハビリを受けるうちに、歩けなくなった人が歩けるようになり、介助なしでは動くこともできなかった人が芋拾いに出掛けられるようになり、「地面にちゃんと座れなかったから、来年は芋掘りで転ばないぞって目標を立てた」と意気込んだとか。

 

 「お風呂好きの人は、お風呂が楽しみで前日からトイレに定時に行く習慣を確認したりする。90歳でも100歳でも、明日や明後日や一年後の目標が持てるって素晴らしい。こんな小さな施設の中でもそういう実感を積み重ねてもらえるって、人の尊厳が何たるかを考えたら、本当に価値あることと思います」―そう笑顔でしめくくった澤島さんと若林さん。おむつが外れるまでの地道な努力は、ドラマには向かない設定なのかもしれませんが、この施設の中には、『任侠ヘルパー』の世界をはるかに凌駕する人間ドラマが宝物のように詰まっている気がする…。

 

 

 新年早々、介護の取材はちょっと重かったけど、素晴らしい取材対象に出会えて、今年の幸運を感じずにいられませんでした。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 意志ある美しき人 | トップ | 曽根さんの特派員伝 »
最新の画像もっと見る

社会・経済」カテゴリの最新記事