杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

曽根さんの特派員伝

2010-01-19 11:02:38 | ニュービジネス協議会

 昨日(18日)は(社)静岡県ニュービジネス協議会中部部会の新年賀詞交歓会があり、テレビ静岡の曽根正弘会長が記念講演の講師を務めてくださいました。

 曽根さんは私が一方的に“大人の酒友”としてお慕いしている方で、スコッチウイスキーの美味しい飲み方を教えてくださる師匠でもあります。ふだんはお酒の席でご一緒するばかりなのですが、今回は改めてうかがった曽根さんのキャリアにImgp1852 目がテン…!状態。国際ニュースの現場に居合わせたすごーい“生き証人”でらしたんですね。

 

 

●フジテレビに1964年入社

 

●1970~71年に米国ミシガン州立大学・MITでコンピュータ研修を受け、帰国後はニューメディア開発に従事。

 

●1974年から報道部。大蔵省番では昭和54年度予算の取材。当時の一般会計予算は38兆6千億円(平成21年度は102兆円)、公債発行残高は約56兆円(平成21年度は816兆円)だった。

 

●1979年には通産省番で江崎通産大臣の中東4カ国(イラク、クウェート、UAE、サウジ)“油乞い外交”に同行。イラク出国5日後に政変があり、バクル大統領が辞任してサダム・フセインが就任。日本の交渉相手だった前石油相や副首相が処刑されたと聞いてビックリ!

 

●その後、都庁番、俵孝太郎ニュースの番組デスクに。

 

●1982年から海外特派員に。モスクワ(82~85年)では赴任して半年後にブレジネフ書記長が亡くなり、アンドロポフ、チェルネンコ、ゴルバチョフの政権交代に立ち会う。ペレストロイカが始まったころ帰国。

 

●モスクワでの生活は24時間監視つき。KGB傘下の外交団サービス公社と称する組織から世話係が派遣され、親しくなった世話係から「毎週あなたの行動を上に報告しているんです」と明かされる。

 

●同じころモスクワに滞在していた日本人が事故を起こし、「シベリア送りかスパイになるか」と迫られ、スパイになることを選択した。曽根さん曰く「(ジャーナリストの)自分ならシベリア送りを選んだ。めったにない経験だから!」。

 

●ポーランド連帯非合法化の時代にワルシャワのグダニスク操船所に潜入取材し、ヤスナ・グラ(カトリック寺院)の僧侶からは「共産主義はたかだか数10年、1000年以上の歴史があるカトリックが負けるわけがない」。またワルシャワ市民からは「ワルシャワ文化宮殿(ソ連が造ったスターリンゴシック調といわれる建物)の景色は、宮殿の屋上から見るのが一番いい(=宮殿が見えないから)」「酒を飲むときは“ソ連の軍艦が沈没しますように”と祈って乾杯する」「日本とポーランドは(ソ連がなければ)本来は隣国同士だ」等など、ソ連共産主義に対する反骨精神みなぎる言葉をたくさん聞いたそう。

 

●1983年9月1日の大韓航空機墜落事件のとき、モスクワで「全員死亡と伝えられているが、実は全員死んでいない、真相が知りたいか?」とネタを売られそうになった。

 

●1985年、帰国後に朝の情報番組モーニングワイドのデスクに就き、早々に日航機御巣鷹山墜落事件。川上慶子さん生存・救出現場の独占スクープを果たす。

 

●1989年からニューヨーク特派員。ラジオシティ副社長とビジネスランチを取る最中に「ベルリンの壁崩壊」の一報を知る。エリツィンが初めての西側訪問としてニューヨークにやってきたときは、記者懇談でモスクワ滞在経験を伝えて握手。鋼(はがね)のような手だったと今でも記憶する。

 

●1990年~94年ロンドン特派員。サッチャー辞任後の初会見、後任のメジャーにも会見。

 作家ジェフリー・アーチャーに単独インタビューをしに自宅を訪問したとき、「日本人はどうして予定時間より早く来るんだ」と裏で怒鳴る声を聞く。日本人はアポイントの時間より前に着くのがマナーだと思っているが、イギリス人は正反対。早く行くのは先方の時間を余計に拘束するマナー違反という発想。

 91年からバルト3国の独立紛争が勃発し、モスクワで旧知の外務官僚からマルチビザをもらってスムーズに取材。8月にゴルバチョフが幽閉され、ヤナーエフ副首相の3日天下が終わって12月にソ連邦崩壊。

 

●フジテレビ本社に帰任し、社長室長、取締役国際局長を経て、98年からテレビ静岡移籍。専務、社長、会長(現職)に至る。*曽根さんは焼津市のご出身で静高OB。

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 私のようなローカルでチマチマとした取材活動をしているフリーランサーから見ると、あまりにもスケールがデカすぎて、スパイ小説の世界のお話を聞くようでした。これだけのキャリアのある方が、私のような者とも対等におつきあいくださるというのは、「酒の効能」に他なりません。私がふだんから「酒にはつなげる力がある」と力説するのも、自分のこういう実感からです。

  

 

 時間が出来たら、ぜひ曽根さんにモスクワ、ロンドン、ニューヨークでの酒の思い出話をうかがってみたいものです…!

 


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