杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

東京新聞暮らすめいと風岡編集長逝く

2015-06-28 19:55:48 | 本と雑誌

 東京新聞が首都圏40万世帯の購読者に発行する生活情報紙『暮らすめいと』。最新号(2015年7月号)の人物インタビューでは、東京谷中にある禅道場・全生庵の平井正修住職の言葉「坐禅とは放下着(ほうげじゃく)である」が紹介されており、興味深く読んだばかり。全生庵は山岡鉄舟が建立し、最近では安倍首相が参禅したことで話題になってます。

 

 

 そんな暮らすめいとの編集長として辣腕をふるっておられた風岡龍治さん(74)が肺栓ガンのため、6月26日にお亡くなりになりました。今日28日、名古屋での葬儀告別式に参列し、現役編集長のままジャーナリスト人生をまっとうされた風岡さんに感謝とお別れをしてまいりました。

 

 風岡さんは、中日新聞東海本社が制作を請け負っていた静岡県総合情報誌『MYしずおか』第2号(1999年秋)のスタッフライターに加えていただいたときからのおつきあい。初対面のご挨拶のとき、ご実家が名古屋の造り酒屋だったのにお酒は一滴も飲めないと聞き、私が酒の話を得意げにし始めると、「最近の地酒はそんなに美味くなったのか」と面白がってくださったのを今でもよく覚えています。記者時代はかなり硬派なジャーナリストだったそうですが、私が存じ上げている風岡さんはとてもダンディな渋カッコイイおじさまで、物腰もとっても軟らかな方でした。

 

 名古屋の本社へ戻られ、ご縁が切れたと思っていたところ、風岡さんから「東京新聞で首都圏の購読者向けに生活新聞を作るから、旅のコーナーで静岡の観光情報を書いてみないか」とお声かけが。それが暮らすめいとでした。創刊6号目にあたる2009年4月号(3月発行)から参加し、「悠遊・鉄道の旅」という巻頭コーナーで長泉町クレマチスの丘、09年5月号で小田原、09年10月号で伊東城ヶ崎海岸、09年11月号では人物インタビューのコーナーを人選からまかされて、樹木医塚本こなみさんを紹介しました。

 09年12月号では見開き特集をまかされ、満を持して日本酒を2ページがっつり。里見美香さん、土田修さんという敬愛する在京の酒通ジャーナリスト2人にも協力してもらい、下の写真ではちょっと欠けて見辛いですが、メインの仕込み写真には喜久醉の麹造りを使わせてもらいました。

 

 

 2010年1月号では旅コーナーで神奈川・真鶴を、2012年1月号では下田市を、そして2012年4月号では再び見開き特集をまかされ、〈地域密着〉とのリクエストで、ビオファームまつきの松木一浩さんを“スーパー農人”として紹介。同志として富士錦酒造の清信一社長を紹介させてもらいました。こちらにいきさつを書いたとおり、最初は松木さんメインの特集だったのが、清さんの話も面白いからと風岡さん判断でイーブン配置となりました。初対面のとき風岡さんが酒の話を面白がってくださったことが、こんなふうにつながったのかなあと嬉しくなりました。

 

 2012年6月号では人物インタビューコーナーで静岡県立美術館の芳賀徹館長を紹介。2015年の徳川四百年祭のグランドデザインについて興味深いお話をうかがいました。当時、京都大文字の送り火用に東北から送られた薪が被曝しているからと京都人が受け取り拒否したことを、たいそうご立腹されていて、「そのままちゃんと書いてくださいよ」と念を押されたことを覚えています(苦笑)。徳川四百年祭、芳賀館長が当時イメージされていた事業になっているのかな・・・。記事の内容はこちらをご参照ください。

 

 2012年8月号では旅コーナーで山梨・身延山を、12月号では清水・久能山を、2013年2月号では沼津港と御用邸周辺を、9月号では富士山世界遺産の旅を、11月号では箱根を、2014年1月号で南伊豆を紹介しました。風岡さんからお声かけをいただいたのは、これが最後でした。旅のコーナーは人気があるそうで、「自分が書きたい」という中日・東京のOB記者さんが増え、地方のフリーライターにお鉢が回ってこなくなったのが実状のよう(苦笑)。

 

 それでも私にとって暮らすめいとは、他にはない素晴らしい仕事が出来た媒体でした。風岡さんからはテーマや場所の指示だけを受け、ネタは自由に拾って取材し、書かせていただいたものばかり。変更や修正を受けることもほとんどなかったので、自分が好き勝手に書いたもので本当に良かったのかどうかいつも不安でしたが、名古屋―東京を往来される風岡さんが時折、静岡で途中下車され、機嫌よくご馳走してくださると、(口では決して褒めてはくれないけれど)今度の記事は及第点をもらえたのかな・・・と胸をなでおろしたものでした。

 

 

 葬儀場では、会葬の方々から「暮らすめいはタブロイドにしては読み応えのある新聞だ」「広告がすぐ埋まるらしい」「中日ひとすじで、最後まで現役で、いい仕事をしていたよなあ」という声を聞きました。“いい仕事”とは、いろいろな意味が込められていると思いますが、担当記者やライターの得意分野をちゃんと活かしてくださったこと、また大手メディアにあっても、地方のフリーライターに書くチャンスとやりがいを与えてくださったこと、いろいろな意味で書き手をよく育て、鍛えてくださったことが、新聞としての評価にもつながっているのでは、と思います(大手の中には、残念ながらフリーのライターを下に見る人も少なくないんですよね・・・)。 

 

 静岡では出棺・火葬の後に葬儀が行なわれることが多いのですが、今回は葬儀が先でしたので、直接お顔を見てお別れすることが出来ました。ダンディで渋カッコイイ風岡さんがひと回り小さくなってしまわれて、呆然としてしまい、このような恩師にめぐり合えた幸運と、こんなにも早くお別れしなければならなくなった悲しみに、どう、折り合いをつけようか、途方に暮れる思いでした。まっすぐ帰宅して、とりあえず今まで関わった暮らすめいとの記事を見直して、風岡さんの功績をこうして皆様にご紹介し、感謝の代わりとしたい、と思います。本当に今までありがとうございました。


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