杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

「増山たづ子 すべて写真になる日まで」を見て

2014-01-24 13:01:08 | アート・文化

 1月19日(日)、駿東郡長泉町にあるクレマチスの丘内のIZU PHOTO MUSEUM に行ってきました。クレマチスの丘は、以前、取材に行ったとき、ヴァンジ彫刻庭園美術館や井上靖文学館をじっくり見て感心しましたが、その後、2009年には写真専門のIZU PHOTO MUSEUM も新設され、複合文化施設としてますます充実しています。

 

 

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 IZU PHOTO MUSEUM では、昨年10月から「増山たづ子・すべて写真になる日まで」を今年3月2日まで開催中です。今回は染色画家の松井妙子先生が、懇意にされている写真家柴田秀夫さんから招待された「増山たづ子・すべてが写真になる日まで~トークイベント」に同行させていただきました。

 

 

 増山たづ子さん。名前だけは知っていましたが、作品を見るのは初めてです。増山さんはプロの写真家ではないので、「作品」という言い方は違うのかもしれませんが、大切なものを写真に撮って残すというカメラ本来の存在意義を、これほど強く実感した写真展は、初めてかもしれません。

 

 あらためて紹介すると、増山さんは、岐阜県徳山村で民宿を営んでいましたが、日本最大級のロックフィル式多目的ダム・徳山ダムの建設により、村は1987年に地図から消え、2008年のダム完成によって完全に水没。増山さんは、ダム計画が現実味を帯びてきた1977年、60歳のときに初めてのカメラ「ピッカリコニカ」を手にとって村を撮り歩き、87年に廃村となった後も村のすみずみまで撮影し、2006年に亡くなる直前まで消えゆく故郷を撮り続けました。

 

 

 前日、NHK土曜ドラマ『足尾から来た女』を見て、足尾銅山鉱毒事故を通し、100年前、国によって故郷を奪われた人々の痛みを知って、福島の現状に思いを寄せていたところ。徳山村も、ある意味、重なるところがあります。

 

 こういうテーマを取り上げると、一方に偏りがちになるおそれもあろうかと思いますが、増山さんの写真からは故郷を奪われた苦しみとか国への批判とか愚痴といったものは感じられません。70年代、中学~高校生だった私にとっては、写真の中にある制服姿の子どもたちや親や祖父母世代のたたずまいが、ただひたすら懐かしく、母の故郷である伊豆の田舎の光景が思い出され、温かい気持ちになりました。

そして、鑑賞後は、特別な村ではなく誰の記憶にもあるであろう故郷の姿が、水没という形で失われた、その哀しみが我がことのように押し寄せます。・・・偏りのない、純粋に故郷を撮って残したいと思った増山さんの写真の力なんだろうと感動しました。

 

 

 トークイベントで知りましたが、増山さんのご主人は第二次代戦中、ビルマ戦線で行方不明となったまま。70年代は横井庄一さんや小野田寛郎さんの帰還が相次いだため、「お父さんが帰って来たときのために、故郷の記録を残さなければ」という強いモチベーションがあったそうです。

 

 

 

 

 増山さんが遺したのは、10万カットにも及ぶネガと600冊のアルバム。誰に頼まれたわけでもなく、増山さんは自費で、年金のほとんどを写真代につぎこみました。被写体となった人々全員にプリントして渡しており、プリント代だけでも月に10万円は遣っていたそうです。

 現在、ネガやアルバムは、晩年の増山さんの活動を支えた野部博子さん(滋賀県立大非常勤講師・増山たづ子の遺志を継ぐ館代表)が保管管理しており、今回はその一部が展示されています。

 「写真を撮ったらプリントして相手に渡す。それが増山さんのコミュニケーション方法でした」と野部さん。デジカメのデータをメール送信するか、SNSにアップしてシェアして終わり、という昨今では想像できないアナログな方法ですが、そういう手間があってこそ、しっかりと記憶に残るんですね。

 

 

 この写真展を企画したIZU PHOTO MUSEUM のキュレーター小原真史さんは、小学生のとき、考古学者の父親に連れられて徳山村に滞在した経験があり、今回の展示写真を選ぶ際、自分の家のアルバムにあった写真とまったく同じ写真を見つけ、「増山さんからもらった写真だったのか」と驚いたそうです。いい展示会&トークイベントだなあと感じられたのは、キュレーター自身、それだけ深い思い入れがあったからだろうと思いました。

 

 

 60歳を過ぎてカメラを初めて手にしたおばあちゃんが、ストロボ内蔵コンパクトカメラの草分け的存在である「ピッカリコニカ」で撮った、日付入りのプリント写真。ホントに、どの家庭のアルバムにもある、ごくふつうの同時プリントサイズの写真。写っている村人の多くは、真正面から、もろ、カメラ目線で撮られ、そこにいわゆるプロ写真家のような作家性や造形性は存在しないのですが、松井先生と2人して、「素人がコンパクトカメラで撮ったとは思えないですねえ」とうなってしまいました。

 それほど被写体の表情が豊かで、風景を切り取った構図も素晴らしく、自分のホームグラウンドとはいえ、日常の変化をつぶさに観察し、違いを発見し、感動する天性の感覚をお持ちなのだと思いました。そして人々のあまりにも自然で純粋無垢な笑顔。・・・増山さんがいかに村人たちに信頼されていたかが伝わってきます。

 

 

 

 トークショーでは、野部さんをはじめ、増山さんを取材したNHKカメラマンや東海テレビの元ディレクターが、増山さんの思い出話に華を咲かせたのですが、印象に残ったのは、「プロの写真家に負けない3つの要素は、対象への観察力、知性、やさしさ」というコメント。

 

 

 振り返って、私自身、『吟醸王国しずおか』を撮るためには、本来、外部の人間をシャットアウトする酒蔵の内臓部分に踏み込んで、杜氏さんや蔵人さんの表情にどこまで迫れるかが一番の山場だと思っていました。カメラマンやパイロット版を見た酒友たちは「よくあそこまで撮れた」と言ってくれましたが、自分の中では消化不良なところがあります。

 20数年の酒蔵通いの間、カメラを向けていないときに時折見せてくれる杜氏さんや蔵人さんたちの表情は、もっと豊かで、喜怒哀楽の度合いも深い。増山さんの写真を見ていたら、相手との距離や時間の問題だけでなく、自分自身の観察力のなさ、つまりは、その“瞬間”をとらえる感性の鈍さを痛感させられました。自分にいくら酒の知識や、酒への愛情があろうと、冷静に、丁寧に観察する力がなければ、他者に何かを伝えることはできないのです。

 

 そんなこんなを、あらためて深く考えさせてくれた一日でした。

 

 

 『増山たづ子 すべて写真になる日まで』は、2014年3月2日(日)まで開催中です。こちらをご参照ください。

 

 


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