杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

芳賀徹氏インタビュー

2012-06-07 08:32:49 | アート・文化

 先月下旬に首都圏で発行された東京新聞の購読者向けタブロイド紙『暮らすめいと』6月号で、静岡県立美術館の芳賀徹館長のインタビュー記事を担当しました。芳賀先生には何度かお会いする機会がありましたが、サシでじっくりお話をうかがうのは初めて。やはり現代日本のトップクラスの知識人、1時間強のインタビューながら、本をまるまる1冊読んだくらいの充足感がありました。

 

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 徳川政権が築いた泰平の世の価値、西洋との比較文化論がご専門の先生の論説は複眼的で大変解りやすかったです。最近、江戸時代の社会や生活文化から、エコや共同体の在り方を学ぶテレビ番組が増えていますね。改めて、先生のメッセージを噛み砕いていただきたいと思います。

 

 

 

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200年余、独立と平和を守った徳川時代の歴史に学びたい

 比較文学者 芳賀徹さん<o:p></o:p>

 

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日本と西洋の比較文化論者として学界をけん引する芳賀徹さん。江戸時代の文化史に造詣が深く、徳川治世を「パクス・トクガワーナ」と評価。今年三月には、江戸が生んだ短詩型文学・俳句の海外との交流を研究した功績により、現代俳句大賞を受賞した。八十歳を超えた今も、静岡県立美術館長等の要職をこなし、地域文化の醸成に努める。現代人が歴史から学ぶ知恵や生き方についてうかがった。<o:p></o:p>

 

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<プロフィール>

 一九三一年東京都生まれ。東京大学大学院比較文学専攻修了。フランス・アメリカ留学を経て東西の文化交流史を専門に研究。東京大学教養学部教授等を経て九二年に国際日本文化研究センター教授、東京大学名誉教授。九八年岡崎市美術博物館長、九九年京都造形芸術大学学長、二〇〇七年同大学名誉学長、一〇年より静岡県立美術館長。八一年に『平賀源内』でサントリー学芸賞、八四年に『絵画の領分』で大佛次郎賞、九七年に紫綬褒章、〇六年に瑞宝中綬章受賞、一一年『藝術の国日本 画文交響』で蓮如賞、一二年三月、現代俳句大賞受賞。東京都在住。<o:p></o:p>

 

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「先生は長く日本と西洋の比較文化論を研究されてこられましたが、近年は岡崎市立美術博物館や静岡県立美術館の館長としてご活躍ですね」<o:p></o:p>

 

一七~一八世紀に泰平を築いた徳川時代を、パクスロマーナをもじって「パクス・トクガワーナ」と呼び、四十年来この時代の再評価に努めていましたので、徳川家とゆかりの深い岡崎や静岡で仕事をするのは楽しいですね。二〇一五年には徳川家康没後四百年を迎え、各地で顕彰事業が企画されています。私もこれまでの縁を活かして、東京、静岡、岡崎、名古屋を点と線で結び、徳川日本の平和と文化をテーマにした展覧会ができないものかと考えているところです。<o:p></o:p>

 

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「西洋列強の力による地理的拡大の時代、二百年以上も独立と平和を維持した徳川時代が、今、改めて見直されていますね」<o:p></o:p>

 

 徳川の泰平は、島国に自然発生的に醸成されたものではなく、家康から綱吉あたりまでの政権指導者たちの知恵と指導力の賜物です。

 たとえば外交。鎖国という言葉はネガティブに聞こえますが、今で言う出入国管理を徹底させたということ。キリスト教の影響を野放しにしていたら、九州などはおそらくポルトガル・スペインに分断・支配されていたでしょう。

 西洋の影響力を最小限に抑え、かといって完全に遮断はせず、比較的中立なオランダを唯一の窓口にした。そしてアジアを重視し、朝鮮や中国とは善隣友好関係を築いた。この時代、日本と朝鮮と中国は平和協定を結んだわけでもないのに、相互に独立と平和が維持されました。これは世界史の中でも特筆すべきことです。<o:p></o:p>

 

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「江戸時代は、俳句、歌舞気、浮世絵といった豊かな文化も育まれました」<o:p></o:p>

 

 徳川の幕藩制下では三百諸侯の地方自治がそれぞれの“お国柄”を育てました。今に伝わる地方の名産品や食文化の多くも、江戸時代に端を発し、その土地の風土に育まれてきた。領土争いや宗教戦争のない、平和で安定した時代であったからこそ、庶民が旅をし、俳句を詠み、雪月花を楽しみ、全国津々浦々に文化を浸透させることができたわけです。<o:p></o:p>

 

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「今、震災後の生き方として、この時代から学ぶ点はたくさんありそうです」<o:p></o:p>

 

 震災後のニュースで最も心を痛めたのは、昨年夏、京都五山の大文字送り火で、被災地から送られた薪が放射線の影響を心配する声に圧されて返却されてしまったことでした。被災地の人々に対する京都人の心ない仕打ち、その愚かさを一喝する仏教者が京都に一人もいなかったこと―実に悲しい、嘆かわしい醜態でした。個の欲の追求を良しとする戦後の価値観が行きつくところまで行った観がありました。最近、携帯端末だけが自分の世界、という人をよく見かけますが、あれも日本の末期が近いことを感じさせますね。<o:p></o:p>

 

徳川時代の日本には世界のどこにもなかった住民台帳がすでに存在し、共同体のつながりが強く、教育制度も整っていた。儒教の教えによって人々の暮らしには“知足安分”(足るを知り、分に安んず)の慎ましやかさがありました。日本人は今こそ足元を振り返り、歴史に学び、何百年もの間、磨き上げてきた「人間らしい人間」についての豊かな知恵を学び直すべきです。<o:p></o:p>

 

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「博物館や美術館が、そのような学習の機会を与えてくれる場になるといいですね」<o:p></o:p>

 

 最近の美術館では、古代文明展のような文明史の展覧会の人気が高いんですね。静岡でも大好評だったエジプト展では、ミイラの納棺が、日本のこけしやロシアのマトリューシカのような形でどこか親しみがあった。木彫りの女性像は片足をちょっと斜め前に出したポーズで、今のモデルみたいに自分のからだの美しい見せ方をしていました。

 エジプトは日本から最も遠い文明と思われているのに、出土品を見ると同じ人間の暮らしが確かにあったと思える。地図で見ると、ただ平たい世界が、広大な時間空間の広がりの中で、丸くつながっている地球なんだと実感できます。博物館や美術館が、そういう感覚と想像力の拡大と活性化をもたらす存在でありたいと思いますね。<o:p></o:p>

 

(聞き手・鈴木真弓、写真・浅野 恭)<o:p></o:p>

 

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1 コメント

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芳賀徹  この人こそ日本が世界に誇る本物の知識... (原田哲夫)
2013-06-09 21:01:20
       いつまでもお元気で。
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