杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

「驚きの介護民俗学」に驚き

2016-02-13 09:30:28 | 本と雑誌

 先の記事でお知らせしたとおり、昨年秋より受講していた介護ヘルパー初任者研修が修了し、アタフタしていた最後の筆記試験も終わり、無事、修了証をいただくことができました。真面目に受講していれば大丈夫、と言われていたものの、資格試験的なものは30数年前の運転免許証取得以来だった自分にとっては、久しぶりに緊張みなぎる数日間でした。SNS等で激励くださったみなさま、本当にありがとうございました。

 

 介護というまったくの門外漢の勉強も大変、学びがいのあるものでした。というか、「今まで知らないことを知る愉しさ」を、取材業務ではなく、いち個人として全身で受けとめることが出来て、非常に充実した数ヶ月間でした。心身に“錆び”を感じていた自分にも、未知のジャンルへの好奇心と行動力がちゃんと残っていたんだと、我事ながら嬉しくなりました。

 実は、この研修を始めたほぼ同時期にスタートした朝日テレビカルチャーでの地酒講座に、お一人で参加されている高齢の女性がいます。その女性から「お酒の勉強をずーっとしたいと思っていたけど、他のカルチャーは平日夜で男性講師が多いからどうにも参加しづらかった。女性の講師が日曜昼にやってくださってほんとうに嬉しかったの」と言われ、失礼ながらその御歳でも知識欲、しかも講座に通うほど日本酒に対する関心があるって素晴らしい!と思っていました。年齢に関係なく、知識欲を実際に行動に移す姿は大いに刺激になります。そういえばヘルパー講習にも70歳を超えた受講者がいました。10代20代の若い受講生と机を並べて学習する姿、眩しいほどでした。

 結晶性知能(学習や経験に寄って獲得できる理解力や判断力)は年齢を経ても衰えにくいけど、流動性知能(新しい環境に対して情報を獲得し、処理操作する能力)は早くも20~30代から低下する、とヘルパー教科書にありました。この、流動性知能を鍛え、働かせ続けることが、脳のアンチエイジングになるんだなあとしみじみ思います。

 

 いただいたヘルパー研修修了証を眺めていたら、これで終わりじゃモッタイナイなと思い、次のステップである介護福祉士や社会福祉士の資格取得方法をあれこれ調べてみました。ところが現場経験もしくは福祉系大学の卒業資格が必要だったりと、すぐにどうこう出来るものではなさそうで、今の仕事をやめて介護施設に勤める決心もつかない。・・・とりあえず独自に勉強を続けてみるかと、静岡県立図書館をフラついていたら、思いがけない本に出合いました。

 

 

 まず、「介護民俗学」という学問があるのか!と驚き、著者・六車由実さんのキャリアにも驚きました。

 六車さんは沼津のご出身で、静岡県立大学から大阪大学大学院に進み、民俗学の博士号を持ち、東北芸術工科大学准教授を経て、現在、沼津のNPO法人で介護職員として勤務。2003年には著書『神、人を喰う―人身御供の民俗学』でサントリー学芸賞も受賞されています。そんなキャリアの持ち主が介護職員に転身した、ということにも興味がそそられますが、それよりなにより、六車さんが、民俗学の聞き取り手法を活かして認知症を患った利用者一人ひとりに自分史を語ってもらい、記録をし、その人の人生の厚みを感じながらケアに臨む、という姿勢に心揺さぶられました。「介護民俗学」とは、民俗学者の肩書きを持つ介護職員・六車さんが提唱した、まったく新しいケアの考え方だったのです。

 

 日常のコミュニケーションがとりづらい認知症の高齢者でも、断片的な言葉の中に、その人の生活史につながるキーワードがあります。認知症患者の中には子どもから青年期の記憶がかなり鮮明な人も多い。沼津なら沼津の昔の町名、鉄道「蛇松線」の駅名、商店の名前、農耕儀礼など等。

 ターミナルケアが必要な状態のある利用者さんは、その昔、御舅さんがドブロクを密造し、役人に見つかって酒造道具を押収されたり、ドブロクにサッカリンを入れると味が断然よくなり、後年、寝たきりで呑めなくなった御舅さんに、酒を脱脂綿にふくませて口を湿らせてやると幸せそうな顔をしていた・・・なんて具体的なエピソードを延々話し続けたそうです。その人がもし、蔵元さんや杜氏のおやっさんだったなら、静岡県の酒造史上、貴重な証言が聞けるかもしれない!・・・なんて想像してしまいました。

 

 六車さんは「老人ホームは民俗学の宝庫」であり、「利用者は、聞き手(介護者)に知らない世界を教えてくれる師となる。相談援助やカウンセリングとは違う。介護民俗学での聞き書きは、利用者の心の状態や変化を目的としない。社会や時代、そしてそこに生きてきた人間の暮らしを知りたいという絶え間ない学問的好奇心と探究心により、利用者の語りにストレートに向き合う」といいます。そして「日常的な介護の場面ではつねに介護される側・助けられる側という受動的かつ劣位側にいる利用者が、ここでは話してあげる側、教えてあげる側という能動的かつ優位側になる。ターミナル期を迎えた高齢者の生活をより豊かにするきっかけになるのでは」と。

 

 介護の専門技術の中には、その人の人生の過去に傾聴し、今を生きるための心を支える“回想法”という技法があるようです。カウンセリングに近い方法でしょうか、言語以外の表現方法や感情に重点を置くことが多いそうです。技法である以上、マニュアルがあり、施術する方、される方という立場の優劣が生じる。マニュアルどおりにいかなければ問題アリと判断される。受講中は〈今の介護は欧米の考え方がベースだから、そんなふうに合理的に判断するんだろう〉と漫然と考えていました。

 ところが、六車さんの民俗学的好奇心と探究心によって相手に教えを乞うスタイルは、カウンセリングというよりも、私が経験してきた取材やインタビューに近い。とにかく相手の言葉をトコトン聞き込み、正確に記録する。こういうのも介護でアリなんだ・・・!とビックリでした。もちろん有効な場合とそうでない場合もあるでしょう。長い人生を背負ってきた人に対して、介護技法を選択する上では慎重さも必要だろうと想像します。しかし同時に、相手の人生経験を〈純粋に聞き書きする〉という作業がその人の尊厳を高め、よりよい介護につながるのなら、自分のキャリアも何かしら役に立つかもしれない・・・。どこか、光明を得た気がしました。

 

 介護ヘルパー初任者研修という最初の登竜門をくぐったばかりの未経験者の戯言ですが、とにかく、こういう開拓者が静岡県内にいらしたことに大いに刺激をいただきました。実になる仕事はサッパリなのに、学びたいことは次から次に湧いてきて、心身の錆磨きを怠ってはいけない、と焦るばかりです。

 



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