杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

ポニョと通信使の町

2008-09-24 20:34:15 | 旅行記

 青い壁が海に突き刺さっているようだ。その上に小さな庵がひとつ建っていた。鐘の音が空から響いてくる。一人の僧が、船を漕いで出迎えに来て、白い盆を渡した。盆の上には願掛けのおふだがあった。

 ここは海潮山盤台寺といい、往来する旅人の海上の安全を祈願する代わりに、米や食糧をもらっているという。前の通信使一行もそうしたので、我々も米一俵と紙、果物を与え送った。

 聞けば、この寺の僧は、西から来る人には西風を祈り、東から来る人には東風を祈るという。日本人はこれを「盤台寺祈り風」というそうだ。はなはだ都合のいい話である。

 

 

 

 夕方、鞆の浦に着いた。港の周辺には民家が密集していて、その数は700戸近くあった。港には絹の幕が張られ、埠頭には色鮮やかな船が並んでいる。見物人たちは街頭や路地を埋め、船に乗った一行が行ったり来たり、引きも切らないありさまである。弁当を持ったり、鍋釜まで乗せている船をあるところを見ると、ずいぶん遠くからも見物に来ていることがわかる。

 

 

 復路、日が暮れるときに鞆の浦に来て停泊した。正使が福禅寺を見学に行くというので副使とともに登って見学した。楼閣は鞆の浦の東南の崖の上にそびえ立つ。雲が通り過ぎ、月が上がると、蒼い波が絹を広げたようで、千百隻の帆かけ舟が岸の下に点々と灯火を掲げている。下界に星が光るようで、まるで仙人になって天に昇った気分になる。

 

 

 

 

 

 昨年、執筆した映画『朝鮮通信使~駿府発二十一世紀の使行録』の台本の一部です。昨日、ネットのニュースを読んでいたら、“ポニョの舞台でモメている”という項目を見つけ、急に思い出して読み返してみたのでした。映画では、林隆三さんが通信使になりきって朗読してくださった一文です。

 

 過去ブログでも書いたとおり、『朝鮮通信使』の中でとりわけ思い出に残ったロケ地が広島県福山市鞆の浦でした。地元の人々から、宮崎駿さんが家を借りてこの街を舞台に新作の構想を練っていたと聞き、宮崎アニメはあまり詳しくないんですが、鞆の古い町並みから想像して、千と千尋みたいな作品になるのかなぁと想像しました。

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 ニュースに書かれた“もめごと”とは、地元NPOが「ポニョの舞台になった町として鞆をアピールしよう」と頑張っているのに、なぜか福山市が及び腰で、「宮崎監督がこの街を舞台にしたなんて公表しているわけでもないのに、勝手にそんな町おこしはできない」と水を差しているとか。その背景には、江戸時代の遺構が残る鞆の港を埋め立てて高架橋を建設する計画があり、景観を守ろうとする市民と裁判沙汰になっていることを、不必要に注目されたくないというのがあるそうです。

 

 

 

 昨年2~3月の朝鮮通信使ロケ時には、「訴えを起こしている」、5月の公開時には「棄却されたので世界遺産登録を目指す」という話を聞き、今年3月、再び訪ねた時は、署名運動が始まっていて、NPO代表の方も「もうすぐ宮崎さんの映画が完成する。そうなれば鞆の価値を全国にアピールできる」と熱く語っていました。

 

 

 そんなこんなで、映画が公開されたら早く観にいかなきゃと思いつつ、なかなかタイミングがなく、ゆうべ、ネットニュースを見てすぐさま思い立ち、MOVIX清水までひとっ走り。やっと観ることができました。

 確かに市が言うように、実写じゃないので鞆の浦を舞台にしていると断定できませんが、港の風景や軽自動車じゃなきゃ通れない街中の入り組んだ細い道、海沿いに蛇行する道などは、鞆の浦そのものといった感じ。TOMOってスーパーの名前も、宮崎さんのペンサービスかしらと思ったりして・・・。

 

 

 『朝鮮通信使』では崖の上には寺があり、通信使がやってきて、日本の風習に戸惑ったり、雲上人になった気分で感動したりと、さまざまな異国体験をしたことを描きましたが、『崖の上のポニョ』では崖の上に住む人間たちに温かく迎えられたポニョが、人間になりたいと願うあまり、とんでもない天変地異を引き起こす。それでも人間たちは慌てず騒がず、自然に身をゆだねるような懐の深さを示します。大人はこうあってほしいという理想を、宮崎さんは描いたのかなぁと思いました。

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 鞆の浦でロケをしていた時、連日通った「おてび」という食堂があります。鞆の名物である小魚の干物がおいしく、塩ラーメンが絶品! おかみさんは地元の人も観光客も分け隔てなく迎えてくれます。しかも、ロケから1年以上経った今年3月、一人でフラッと入ったら、「今日は何の撮影?」とお馴染みさんを迎えるように、ごく自然に声をかけてくれたのです。

 

 

 店には、映画やテレビドラマのロケで来た有名スターやタレントのサインや写真がびっしり貼ってあり、私なんぞ“ギョーカイ人”の箸にも棒にも引っかからない薄~い存在のはずなのに、おかみさんはちゃんと覚えていてくれたんですね。「ああ、今日は雛祭りを観に来たんですよ」と、私もごく自然に、なじみ客みたいな顔で応えました。

 鞆の浦の郷土史家・池田先生のお宅へお邪魔したときも、地域の漁師さんや町の世話役の方々が、埋め立て問題では対立する立場ながら、一緒に飲んで騒いで、私も住民みたいな気分で楽しく過ごしました。瀬戸内らしい温かさと、風待ち港らしく外来の風をどっしり受け止める気質が、この街の人にはあるんだなと感じました。

 

 

 

 

 裁判がどうなるかは見当もつきませんが、ポニョを町おこしに生かし、景観を守る運動を盛り上げたいというNPOの気持ちはよくわかります。でも、ポニョの世界観を鞆の浦の実景に無理にはめようとしなくても、鞆には、歴史的に価値あるものがたくさんあります。私にとっては、おてびのおかみさんや池田先生のような、一度か二度立ち寄っただけの遠来の客を、家族のように自然体で迎えてくれる人も無形の価値。「また行きたくなる」と思う、最大の力って、こういった人の力じゃないかな・・・。

 もちろん宮崎アニメブランドの力はとてつもないパワーになるでしょうが、ゲゲゲの鬼太郎と鳥取県境港市みたいに作者と町が本当に密接なケース以外は、無理強いするのはどうかな、という気がします。宮崎アニメらしい無国籍感を大事にすべきではないかと。

 

 

 『崖の上のポニョ』は、異形の者や、見た目に危なっかしい子どもを自然体で受け止め、見守る大人たちの懐の価値を伝える作品だと思います。それは、私が鞆の浦で体験したことにも通じます。その意味で、この作品は、やっぱりこの町が舞台なんだなと実感できるのです。ポニョのモニュメントとか旗がなくても、誰もがそんな実感が持てる町になるのが理想なんですけどね。