あんだーせぶん

まゆ子「……異常気象なんじゃないの? 太陽が増えてるとか」
ニア  「その発想が異常だと思うよ」

時をかける少女をかけぬける

2006-07-29 23:09:02 | Diary_7
夏休みシーズンになり、アニメ映画がいくつも封切された。その中で一番の注目作品はなんと言ってもジブリ最新作、エコジュニア監督作品の「ゲド戦記」で・す・が…。俺はそんなものは無視して上映館がほとんどない、「時をかける少女」を見る。なんかネットでの評判良いものだから気になってね。で、映画を見るにあたって、「せっかくだから」名作と誉れ高い大林宣彦監督・原田知世主演の「時をかける少女」も見る。一日で2回も時をかけぬけた俺。実は今、筒井康隆の原作小説も手元にあり、3回目のタイムリープがいつでも出来る体制も出来上がっていたりする。

結論から言うと、アニメの「時をかける少女」と大林宣彦の「時をかける少女」はまったくの別物だ。アニメ版は原作の約20年後を舞台にした続編ということになってはいるが、繋がりは「タイムリープ」ぐらいしかない。しかもそのタイムリープだって使い方からしてまるで違う。早い話がタイトルは以外の接点はほとんどない。

一応、原作の主人公である芳山和子もアニメ版には登場するんだけど、これはファンサービスで登場させたぐらいの意味しかなく、物語の根幹部分にはほとんど関係がない。ただ、俺にはなんとなく細田守監督が意図したことが読めた気がするぞ。

芳山和子って作中で、主人公である紺野真琴からなぜか「魔女おばさん」って呼ばれているんだけどさ、これってつまり…

芳山和子

魔女おばさん

おジャ魔女どれみ

おジャ魔女どれドッカ~ン!第40話「どれみと魔女をやめた魔女」(細田守が演出を担当)

佐倉未来(その回のゲストキャラで、魔女をやめた魔女)

原田知世(佐倉未来の声をあてた)

大林宣彦監督版での芳山和子

たぶん、こういうことが言いたいんだろ。でなけりゃ、いきなり「魔女おばさん」だなんて必然性のない呼び方をさせないよ。

ま、そんなマニアックな考察はどうでも良いとして、個人的な感想なんだけど、アニメ版の方が面白い。大林版はやっぱり設定がちょっと古いな。現代向けにアレンジされているアニメ版の方が、「現代っ子」の俺にはしっくりくるよ。割と暗めで真面目な大林版に比べて笑いの要素も多く、明るいから見ていて疲れないし。主人公を比べてみても、紺野真琴の方が芳山和子より好きだなぁ…。

とりあえず、評判の良さは納得できた。普通に面白かったよ。まぁ「全米が泣いた」とか「脅威のSFX」とか、そういったキャッチコピーが当てはまる感じではなかったけどね。でも、ちょっと幸せな気持ちにはなれた気がする。

追記:
「時をかける少女」って極めてアニメ向きな作品だと思う。アニメにおいて、BANKと呼ばれる使いまわしカット。通常使いまわしカットは手抜きの代名詞であり、ネガティブなイメージを持たれるわけだが、本作品では違う。タイムリープによって過去を繰り返したりする場合に、使いまわしがむしろ効果的な表現になる。手抜きが出来て、しかもポジティブな効果を出せるわけだから最高じゃん。

パロマ社長と萩本欽一、良い大人?悪い大人?普通の大人?

2006-07-22 23:45:26 | Diary_7
パロマ社長と萩本欽一。不祥事(完全に責任があるとは言いきれない)から謝罪という共通する流れに身を置いた両者。一方は激しいバッシングを受け、もう一方は逆に応援されている。事件の重大さにかなりの開きがあるので、並べて論じるにはいささか無理があるが、メディア慣れの有無がその後の運命を左右した好対照ではなかろうか。

まずは、パロマ社長。彼は他の不祥事社長同様、とりあえず「私は悪くない」と開き直る。世間(メディア)から「ふざけんな!」という声が爆発した後、「ごめんなさい」。すると今度は「やっぱテメェが悪いんじゃん!最初にウソつきやがったな!」と、再度世間さまからお叱りの声をいただく。「一粒で二度おいしくない」最悪の対応だ。でもみんなこのパターンに陥る。社長だって人の子、「俺は悪くないって」言いたくなる気持ちも分かる。しかも怒りをぶつけてくる相手が直接被害を受けた人達だけならいざ知らず、ぶっちゃけ何の関係もない「世間」からくるからな。理不尽と言えば理不尽な話。おまけに不正改造が原因で起こった事故もあるわけで、本人的にはますます理不尽に思えたことだろう。

パロマはメディア対応で下手を打ったせいで、不正改造の話はどこかに飛んでしまい、パロマが全て悪いってことになってしまった。内心ほっとしている改造業者もたくさんいるでしょうな。逆にパロマは改造業者が負うべき責任までも背負い込んだ形になり、まさに踏んだけったり。

一方の萩本欽一。さすがテレビ慣れしてやがる。しかもかつてはお茶の間の視線を独占していた男、世間ってものを熟知している。山本圭壱の不祥事が出るや否やの球団解散発言。で、世間さまからの「解散しないで~」って声を背景に「やっぱ野球続けます」。なんか球団存続のために署名運動まであったらしいね。萩本欽一ってコントなどではアドリブを嫌い、台本通りに進むことを良しとしていた男らしいんだけど、今回の流れはまさに「台本通り」だったのではないか。萩本欽一がほくそ笑みながら「世間ってバカだなぁ」って言ってる場面が目に浮かぶようだ。ムカつくぜ。

萩本欽一の演出のおかげで、ゴールデンゴールズがまるで「ひとりのバカのせいでとばっちりを受けた、かわいそうな球団」ってことになってるけどさ、本当にそうか?ある話じゃ、他の選手も事件に混ざっていたって言うじゃん。実は同情の余地なく、解散してしかるべきなのかもしれないぜ。ま、世間の評価ではもはやゴールデンゴールズは「良い球団」ってことになってしまったから、そういう悪い情報は封印されてしまったけどさ。

球団にとって致命的になったかもしれないピンチを、逆に利用してビッグチャンスに変えてしまった。発足当初に比べて人気は落ちていたと思うが、今回の話題で再びメディア露出が増えた。人気も高まることでしょう。メディアもいつの間にやらゴールデンゴールズを持ち上げてるし。

俺は小さいころ、「ウソをついちゃいけません」って教わってきた。良い子はウソをつかない。悪い子がウソをつく。でもさ、大人になるとそうではないらしいね。自分に正直であった社長は悪い大人。巧みなウソをついた萩本欽一は良い大人。俺はどっちにもなりたくないなぁ。じゃあしょうがない。残された選択肢「普通の大人」になるしかないわな。うん、それでいいや。あ、「ひょうきん族」になるって選択肢もあるな。

ミューズの加護

2006-07-16 00:38:27 | Diary_7
ミュージックの語源であり、芸術を司る女神として有名なミューズ。「ミューズさん」という女神がいると思っている人が多いが、実は違う。ミューズとは芸術を司る9人の女神たちの総称だ。単数の場合はMusaととなり、それを英語表記での複数形(Muse)にしたものから来ている。ちなみに本場ギリシャ読みの場合、単数形が「ムサ」で複数形は「ムサイ」となるらしい。ムサイと言えばガンダムに出てくる、あの「ムサイ」しか思い浮かばないんだけど、もしかしてここから採ってるのか?あまり芸術的な宇宙戦艦には見えなかったがなぁ…。

さて、今日は音楽に縁のあった一日であった。家の中でも、外に出ても音楽との出会いがあった。「家の中」での音楽については、公に書いて良いものかどうか迷う部分もあるので、「家の外」での出会いについて書く。

今日、俺は中野に遊びに行ったんだけど、北口の広場で路上ライブをやっている二人組みを発見。あそこは路上ライブの有名スポットだから、その光景自体は別に珍しくもなんともない。俺も「今日もやってるな」ぐらいの気持ちで通りすぎるつもりだったんだけど、歩きながら聴いているうちにふと気づく。彼らの演奏してる曲がアニソンだったんだ。「面白いことをやってるなぁ」と思わず足を止めてしまった。

中野アニソン燃/萌ギター研究所

これが、その二人組みのバンド名。エレキギター二人でボーカル無しっていうストイックな構成だ。名前の示すとおり、燃え萌えなアニソンをメタル調にアレンジして演奏していた。曲目も、聖闘士星矢やデビルマンといったレトロ系、エヴァや、ナウシカなど萌えレトロ系、苺ましまろ・舞-乙HiMEなど萌え系、キングゲイナーみたいな燃え系、プリキュアのようなキッズ系と幅広いところからチョイスしている感じだ。

路上ライブで、アニソンを演奏するってだけでも面白いんだけど、彼らの演奏がまたメチャクチャ上手い。プロ級の腕前を持っていたね。あのギターテクニックは超絶技巧の部類に入ると思うよ。楽器が弾けない俺には、当然神がかって見えたんだけど、ギターを担いで街を歩いていたバンドマン風の兄ちゃん達も「マジかよ」って目で見てたから本当に凄いんだろう。とにかく指使いがものすごく速い。あんなのテレビでしか見たことなかったよ。

アレンジの仕方もまたカッコイイ。原曲の良さを生かしながら、絶妙にメタルアレンジしていた。ボーカルパートもギターで演奏するわけだが、ただ単に音を追うだけじゃなくて、ギターならではのアドリブも入っており聴衆を魅了する。最初は俺ぐらいしか立ち止まっていなかったんだけど、だんだん人が集まってきて、気がついたら20人ぐらいの人たちが回りを囲んでいた。

彼らの前には投げ銭箱が置いてあったんだけど、俺は思わず1000円札を入れてしまったよ。俺の投げ銭歴では、投げる額なんてせいぜい100円ぐらいだったので、記録更新だ。俺のほかにも結構多くの人が投げ銭していたように思う。チラッと見た感じではみんなそれなりのお金を投げていた。お土産に買ったと思われるミスタードーナツをそっくりそのまま置いていった人もいた。みんなそれだけの価値があるって評価したんだな。

とにかく楽しかった。思わぬ収穫に大満足。

「中野アニソン燃/萌ギター研究所、ありがとう。これからの活躍も期待しています。」

参考:彼らの演奏VTR

Akiba-Fun
中野アニソン燃/萌ギター研究所さんVTR

AKB48再び

2006-07-09 00:16:18 | Diary_7
以前、冷やかしで行ったAKB48の公演に再び行ってきた。

数日前から計画していた。最近、頑張るって気力が湧かず、精神的に落ち込み気味だったので、それを解消するための手段としてAKB48に行くことを考えたんだ。以前見に行ったとき特に印象的で感動的だったのは、メンバーの頑張っている姿。そのことを思い出してね。彼女たちの頑張ってる姿を見ることで、俺自身を見つめなおすことができるのではないか。再び立ち上がる気力が湧くのではないかと思ったわけよ。

金曜日の夜に事前確認のために、AKB48の公式HPを見てたんだけど、そこで驚くべき事実に気づく。俺が行こうと計画していた土曜日は、新しい公演演目の初日だったのよ。どうも公演初日ということで人気が過熱しており、金曜日の夜中から徹夜で並ばないとチケットが取れそうにないとの事。そのことに気づいたのは金曜日の深夜0:10。最寄り駅から秋葉原へ出る最終列車の発車時刻は0:22。

深夜1時、俺は秋葉原にいた…。着いたときは正直、少し後悔したよ。何を必死になってるんだってね。しかし来てしまった以上、少なくとも始発までは帰れない。威を決して行列のところまで移動する。びっくりしたよ。俺が行ったときで、すでに150人以上並んでるんだぜ。しかもその後も行列が伸びていくんだもんな。チケットの定数は240なので、始発で向かってもチケットが取れないって勢いよ。

こういう深夜行列なんて経験は過去にしたことがなかったので、どんなものやら心配ではあった。これから不毛な時間を永遠と過ごさなくてはならないかと思うとウンザリもした。ところがその心配は杞憂に終わったよ。たまたま近くにいた何人かと知り合うことが出来て、その人らとのトークに華が咲いたんだ。俺はもっと殺伐とした世界が展開されるのかと思っていたんだけど、目的が同じためか妙な連帯感が生まれるんだね。新しい発見だ。

俺が知り合った人はいずれも、AKB48の常連だったんだけど、面白い話を色々聞かせてもらったよ。ファンになった経緯や公演のみどころ、過去の公演でのエピソードなど。どんな事柄でもそうだけど、深く知っている人の話ってのは面白い。

そんなわけで、比較的楽しく行列することができた。

結局、電車が動き始めた5~6時ごろに定員に達して、購入予約権の配布が始まった。俺も無事もらうことができたよ。もらった後は駅に直行、家路について床につく。昼ごろに起きてからは、公演開始まで、家の雑事を片付けたりして過ごす。

肝心のライブについては、普通に良かったよ。前回のときよりもボリュームアップしている感じだったし、歌やダンスも面白かった。前回の経験があるので、ノリみたいなものも把握していたしね。行列のときに常連の人から教えてもらった、みどころ情報なんかも、役に立ったように思う。そして何より、目的の「頑張り」を見ることもできた。

今回のライブで、「もう少し頑張ってみるか」って気持ちになれたかな。下向きだった気持ちを、多少は上向きにできたと思う。「AKB48、ありがとう」。
あと、楽しい雰囲気っての見たことも良かったな。最近の俺は「この腐った世界」とか思ってしまってたんだけど、今回の経験で「この世も捨てたものじゃないな」って思いなおせるようになった。

追記:
今回は初日ってことで、公演の後に握手会が開かれることになった。「せっかくだから」俺も参加。ひいきの奥真奈美ちゃんと握手したよ。うれしいような、恥ずかしいような、馬鹿馬鹿しいような、ヤバイような…変な気持ちになった。なんせ小学生だからね…。しかしさすがプロ。小学生だけど、なんか大人だった。

仮面のアクトレス

2006-07-02 15:19:52 | Diary_7
人生の最重要事項として、マリみての最新刊「仮面のアクトレス」を読む。今回も、相変わらずの素晴らしさに酔いしれる。このあいだのタバコ値上げで、愛煙家からは、落胆とも諦めともつかないため息が聞かれるが、俺はマリみてワールドの美しさのあまり、思わずため息をしてしまったぜ。仮にマリみての値段が上がったとしても、俺はかまわない。値段が10倍に上がっても「禁マリ」はしない。

今回の巻で素晴らしいところ挙げればキリが無いので、特に印象に残った箇所をいくつかピックアップ。

まず、黄薔薇シリーズの最新版「黄薔薇、真剣勝負」。黄薔薇シリーズは毎回コメディ色が強いのが特徴なんだけど、今回はそんなでもなかったかな。それでも相変わらずな感じではあるけど。しかし、有馬菜々って剣道が弱かったんだ…。俺はてっきり田中四姉妹中最強だと思っていたから裏をかかれた。あと、前巻での由乃さんの自転車の背景が明かされたわけだが、なんか微笑ましかった。

次に、挿絵について。113ページに志摩子さんがバストショットで微笑んでいる絵があるのだが、これはビックリした。まさか、志摩子さんがこういう表情をするとはね。この絵に合わせてやはり志摩子さんらしからぬ、発言をするのだが、これもビックリ。作中の他の人物も同様に驚いていたのもうなづける。

あと、生徒会選挙の話。瞳子が選挙に立候補するんじゃないかなって、予想していたんだけど、これは当たった。ただ、その真意までは読めなかった。最後の締めの部分がクールだったぞ。マリみてらしからぬストーリー展開だったな。マリみてのオチは「柔らかく温かい」エンディングになることが多いように思うんだけど、このお話ではとんがっていたね。それはそれでGOOD。

最後に載っている「素顔のひととき」。最近、お姉さま方の卒業を意識した話がちょくちょく見られるけど、少し寂しいよね。やっぱりこの話を読んだあとは、俺もそんな感情になった。こういう話を最後に持ってくるところが演出の妙なんだろうなぁ。なんとも言えない読後感をもたらす。

全体を読んで思ったこと。俺は今まで、祥子様が卒業されたあとも最終回を迎えずに続けるんじゃないかと思っていた。しかし、今巻で少し考え方が変わったよ。もしかしたらマリみては、祥子様の卒業近辺で祐巳と瞳子がスールの契りを結んで、それで終わるんじゃなかろうか。そもそもマリみては祥子様と祐巳が姉妹になるかどうかって話で幕を開けたわけだ。スタートは「祐巳が妹になる」ことをテーマにしていた。ラストは「祐巳が姉になる」ことで完結するのでは?

最終巻のことを考えたら少し寂しくなってしまった。

とにかく、今回も大満足のストーリーだった。
「緒雪先生。大変でしょうが、次も期待しております。」