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ニア  「その発想が異常だと思うよ」

マレーシアを見て日本の移民問題を考える

2020-10-29 15:00:47 | Diary_7
今日では日本の事を指して、単一民族国家という言い方はあまりされなくなってきた。

センシティブな問題をはらんでいるので、公の場で使われることは少なくなったと思う。
政治家がこの手の発言をすると失言扱いになったりする。
アイヌ系、琉球系、朝鮮系等々の問題があるからね。
まあ、理解はできるよ。

でもさ、建前はともかく本音で語ればやっぱり日本は単一民族国家だよ。
それも極端なレベルで。

日本においては、普段の生活の中で何系民族とか考えない。
日本に住んでいる人は、日本人でなければ全て外人だ。

そもそも「日本民族」という民族がいるかどうかは置いておいて
概念的には日本人=日本民族と考えてもほぼ間違いではない。

その点、多民族国家マレーシアは違う。
大きく分けると3種類のマレーシア人がいる。

マレー系マレーシア人
中華系マレーシア人
インド系マレーシア人

この3グループはもちろんお互いを同国籍者とは考えているけど、
一方でお互いを同国人というよりは異邦人として見ている節があるんだよね。

まず何と言ってもはっきりと見た目が違う。
お互いが異人種であるということは遠目にも一発でわかる。

母国語も違う。

マレー系にとってはマレー語が母国語だけど、
中華系、インド系の人たちにとってマレー語は、公用語ではあっても母国語ではない。
彼らももちろんマレー語はネイティブに使いこなせるけど、
普段家で喋っている言語は違ったりする。

学校も民族毎に固まっているケースがほとんどらしい。
学校の授業で使われる言語について、私立学校はもちろん公立学校においても、その民族の言語を使うそうだ。
つまりマレー系が通う学校はマレー語で、中華系、インド系が通う学校は中国語やタミル語で授業をするわけだ。
余談だけど、全民族が集結する大学では英語で授業をするらしい。

暮らしぶりも全く違う。

マレー系の人たちがイスラムな暮らしをする一方で、
中華系の人たちは豚肉も食べれば、酒も飲む。
インド系の人たちは手でカレーを食べているよ。

言葉も違う、生活習慣も違う、宗教(お祝い)も違う。
それを同じ国籍だからという理由だけで同胞と考えられるかと言ったら、多分難しいんじゃないかな。
少なくとも私が見た範囲では「民族」の方が「国籍」よりも上位概念と写る。

極端な話、例えば中華系マレーシア人にとっては、
マレー系マレーシア人よりも、シンガポール人や香港人の方により強い同胞意識を持っているように見える。

でも、マレーシアという国は、それならそれで良いと考えているようだ。
学校制度もそうだけど、他にも例えばイスラム系、中華系、ヒンドゥー系、それぞれの記念日を公式な祝日として制定していたりもいる。
バラバラでも良いじゃない。
お互い干渉しないで上手くやっている(やろうとしている)わけだ。

まさに多民族国家。

そういうのを見て改めて、日本において移民は無理なんじゃないかと思うようになった。

日本人は移民希望者が日本に来れば、その移民は「日本人」になるものと思っている。
移民の目的や理念をからすれば間違ってはいない。辞書的な意味では正しい。

でも、当の日本人自身、この「日本人」という言葉の意味を正しく認識できていない。
単一民族国家ゆえに「日本国籍保持者」と「日本民族」を分けて考えることに慣れていない。
日本人が一般的に考える「日本人」とは、多民族国家基準でいえば「日本民族」の概念だ。

移民者に対して、土着日本人は無邪気に
「(日本に移民したから)これで君も同じ日本人(日本民族)だね」なんて言うわけだ。

日本社会にうまく溶け込めた移民対して「あなたは日本人より日本人らしいね」、
逆にうまく溶けこめない人には「郷に入っては郷に従え」なんて言うかもしれない。

でもこれって要するに「同化政策」だよね。
中国がチベットに対してやっている事と本質的には同じだ。

実際のところ現行の帰化条項も、
ぶっちゃけて言ってしまえば「日本民族」になるか「日本人の配偶者」を持つ事だから、
中国の同化政策となんら変わるところがない。

違いがあるとすれば、中国のように強制しているわけではないという事だけだ。

そして一番の問題は、日本人自身がそれを同化政策、民族浄化とすら感じていないことだ。

そんなマインドセットのまま移民なんか入れたりしたら、絶対に大きな軋轢が生じると思う。
ベテランの多民族国家ですら民族問題は難しい課題なのに、
そもそもそういう感覚に乏しい日本で民族問題をマネジメントする事は不可能に思える。

そういう事を考えると俺は移民には反対だな。

1000年以上「日本人=日本民族」でやってきている以上、一朝一夕ではこの民族感覚は変えられないよ。
これは良い悪いの問題ではない。出来る出来ないの話だと思うわけです。

小銭入れ問題

2020-10-20 20:35:44 | Diary_7
お金の問題。

俺は財布とは別に小銭入れを使っている。
普段は、財布をカバンの中にしまっていて、小銭入れをポケットに突っ込んでいる。
小銭入れはポケットに入れるのに小さくて使いやすいものを使っている。

ところがこの小銭入れ。マレーシアでは使いにくいことが分かってきた。
問題となるのが貨幣の価値。

日本の場合は最高額硬貨はもちろん500円で、以下100円、50円、10円、5円、1円と続いていく。
普通に生活していると、小銭入れにはだいたい500円〜1000円ぐらい入っていると思うのよね。
それぐらいあれば普段のちょっとした買い物には十分。つまり小銭入れで「普段使い」が賄えるわけだ。

一方でマレーシア。
最高額硬貨は50senで以下20sen、10sen、5sen、1senと続く。
50senより上は紙幣になって、100sen=1リンギット=約25円 となる。

硬貨の価値が低すぎるのだ。

最高額硬貨といえでも日本円で約13円ぐらい。
小銭入れに入っているお金を全て足し合わせても、せいぜい100円程にしかならない。
いくらマレーシアの物価が日本より安いと言っても、さすがにこれだけではどうしようもない。
普段使いでもお札が必要になってくる。つまり財布が必要になってくるわけだ。

小銭入れで「事足りる」からこそ、小銭入れは便利なわけで、
常に財布も必要となると、入れ物が二つになるだけで余計面倒くさいだけだ。

抜本的にシステムを変えないとどうしようもない。

キャッシュレス決済の導入と、お札も入るタイプの大き目なコインケースを使う事を検討中。
実際外国に暮らすといろいろなことが分かってくるわ。

オタラジとアニメ

2020-10-17 15:14:56 | アニメ
社会人になると放送されているアニメを全て観ることは難しくなる。時間的にも気力的にも。
だけど別にアニメ自体は嫌いじゃない。なんか一歩が踏み出せないだけなんだ。
きっかけがあれば観たい。動機付けがほしい。

最近、通勤時なんかに録音したオタク系ラジオを聞いているんだけど、
これがこの「動機付け」に最適であることに気づいた。

まず大前提。
単純にパーソナリティがリスナー投稿を読みながら好きなアニメについて語っているのを聞くのは楽しい。
知っている作品はもちろん、自分が知らない作品でも楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
そんな会話を聞いているうちに、自分でも観てみたいと思うようになる。

映像がない。
実はこれが大きいポイントかも。
映像がない分作品に対する先入観を持たずに済むんだよ。

人間自分で考えている以上に先入観があるもの。
パッと映像を見ただけで、「あ、これは俺向きじゃない」とか思っていたりするんだよね。
一度そう思っちゃうと、そのあとにいくら説明を聞いても心に響かない。
そこ行くとラジオは音声だけなので、視覚情報に左右されることなくフラットな気持ちで話を聞ける。

最近だと、山口放送の「なりカル!」で話されていた「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を観たよ。
名前ぐらいは知っていたけど、なかなか観る気になれなかった。
そんな自分の背中をラジオが押してくれたわけだ。

音楽の力も忘れてはならない。
ラジオで流れる未視聴アニメのアニソンから、
「お、このアニソン良いじゃん」って刺激を受けることもある。
ラジオのオンエアきっかけでは「放課後ていぼう日誌」を観た。

こんな事を書いていて思い出した。

今や世界中どこでも平等にアニメを観ることができる時代になったけど、
一昔前って関東でしか観られないアニメだらけだったよね。
自分自身も地方民としてアニメ格差をいやというほど味わった。

そんな地方民の心の拠り所がアニラジだったんだ。
韓国だか北朝鮮だかの電波に邪魔されながらラジオの遠距離受信をしていたよ。
そこで話される地元では視聴不可能のアニメ話に恋焦がれたものだったなあ。

昔はラジオを聞いてアニメ飢餓感を煽られたけど、
一周回って今はアニメのお腹を空かせるためにラジオを聴く。
これぞ飽食の時代(?)の贅沢な楽しみなのかもね。

最近オタク活動のフットワークが鈍くなっている人。
ラジオは良いぞ!