★Massy’s Opinion
・さて、昨今我が母校の慶応義塾の「広告研究学研究会」の活動停止が発表された。
凄く長い歴史の有る研究会なので、真に残念だ。昔は「広告研究会」と言って居たが、「学」入ったらしい。
・戦後の慶應の歴史と言うか、風土は銀座よりも、逗子、葉山の所謂逗葉慶應族に引っ張られてきた方が大きいだろう。その原因は学制改革で塾高が日吉に移り、石原裕次郎が生まれ、加山雄三が生まれたことも、又、藤沢に環境学部等が開かれたり三田より湘南地区に密着度が増えたことも大きな要因だろう。
・僕も学生時代、特に一部の金持ちの学生が、森戸や一色の海岸で遊びまわって居るのが、羨ましくて仕様がなく遂に大学3年~4年の時に、遊び仲間4人で長者ヶ崎の石屋さんの家の8畳を7月1ヶ月6万円で借りたのである。当時は森戸や一色海岸程混雑しておらず、葉山御用邸の外れに連なる本当に静かな海岸だった。特に水が綺麗で小さな防波堤の上からサングラスを落としてしまったが、折からの満潮で見えなくなってしまった。翌朝、潮が引いた時にもう一度探しに行ったらチャンと落とした所に在って拾う事ができた。砂浜は小さいが岩場もあり、2キロ位先?には青島と言う小さな島があり、後に国木田独歩の「武蔵野」?かな岩波文庫の本を読んだら、「長者ヶ崎にて」と言うタイトルで短文が書かれているので、凄く嬉しくなったものである。
・さて、其処に一軒だけ「海の家」があった。その海の家は慶應の「広告研究会」が運営管理していたものである。僕ら4人が、「葉山に家を借りたよ」と言ったら、東京から「泊めてくれ」幾つものグループが押し掛けてきたが、勿論女の子のグループである。一泊一人3000円を貰った。部屋は3尺の廊下が付いていたが、蚊帳は一つ、勿論、ごろ寝で、お風呂は五右衛門風呂、多い時には15人位になったがお金を取っている手前、一杯の時には、僕ら借主は、慶應の広告研究会の海の家へ忍び込んでごろ寝をして過ごしたものである。あの頃、学校が遣っている「海の家」なんか他に無かった。1955年頃の事である。
・学校も大きくなったし、「広告研究会」屹度、色々な分科会に分かれているだろう。それにしても顧問の部長先生は居る筈だし、今度の事件でその責任先生のお咎めは無いのだろうか?大体、今は部活には、男女学生が参加して居る筈だし、例え報じられているように「イベントの後かたづけ」といっても、一人で行き、一杯でもテキーラを飲む女子学生もおかしい。又一人で行くことを許すような教育をしている母親も可笑しい。僕らの若い時代とは、考え方が違っていることは充分に解かっているつもりだが、所詮、男女の問題。しかも、年頃、若し、1~2年生なら18歳未満飲酒は禁止の筈。此の問題で、あの綺麗な長者ヶ崎の海岸と澄んだ海を思い出しながら、「あの海の家でよく酒を飲まなかったな?」と思い返してみた。真面目と不真面目が混在していても超えては成らない一線は皆が判っていたのだろう...何とは無しに1ヶ月、4週間が無事に過ごせたのかも知れない。教育と言うものは学校だけがする物ではなく、基本的には家庭だと思う。
・兎に角、「良し、悪し」が解かっていない。小さい時に教育されていないのだ。今回の事件、歴史ある「海の家」が無くなる事は本当に残念だ。屹度、誰かが「学校と関係無しの非公認サークル」で海の家を遣るだろうな?その方がモット危険だな。体育会、文化活動含め女子学生と母親の問題、学校側の問題、(告示のみ)」体育会、文化活動含めて担当教授や研究会のOBが部の実態を良く見て、放任にならないようにそして、大きく強い独立を損なわない様な指導に当たることを望みたい。
て