がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

抗がん剤の大まかな分類

2007年12月31日 | Weblog
2007年12月31日 10時50分記載

抗がん剤には大まかに言って以下のような種類がある。



1.アルキル化剤

2.代謝拮抗剤

3.抗がん性抗生物質

4.白金製剤(プラチナ化合物)

5.微小管阻害剤

6.トポイソメラーゼ阻害剤(5と6を総称して、植物アルカロイドと呼ぶ場合もある)

7.分子標的薬



1.のアルキル化剤とは、アルキル基と呼ばれる原子のかたまりを細胞のDNAに付着させ、二本のDNAを異常な形で結合させて、DNAの複製を阻害し、以ってがん細胞を撲滅することを企図した抗がん剤である。代表的なものとしては、イフォマイド(イフォスファミド)、シクロフォスマイド(シクロフォスファミド)、ダカルバジンがある。



2.の代謝拮抗剤とは、細胞分裂の際に生成される代謝物に似た分子構造をもつものを紛れ込ませ、細胞分裂を阻害することを以ってがん細胞を撲滅することを企図した抗がん剤である。いわば偽パーツを細胞内に紛れ込ませるのである。

代表的なものとしては、5-FU(フルオロフラシル)、メソトレキセート(メトトレキサート)、ゲムシタビンがある。



3.の抗がん性抗生物質とは、細胞の細胞膜を破壊したり、DNAまたはRNAの複製・合成を阻害することを以ってがん細胞を撲滅することを企図した抗がん剤である。代表的なものとしては、アドリアマイシン(塩酸ドキソルビシン)、ブレオマイシン、アクチノマイシンDがある。



4.の白金製剤(プラチナ化合物)とは、アルキル化剤などと同様に、DNAの二重らせん構造に結合してDNAの複製を阻害することを以ってがん細胞を撲滅することを企図した抗がん剤である。代表的なものとしては、シスプラチン、カルボプラチン(パラプラチン)、オキサリプラチンがある。



5.の微小管阻害剤とは、DNAが複製される際に機能する微小管の働きを阻害し、以ってがん細胞を撲滅することを企図した抗がん剤である。代表的なものとしては、ビンクリスチン、ドセタキセル(タキソテール)がある。



6.のトポイソメラーゼ阻害剤とは、二重螺旋構造を持つDNAがからまり断裂した際に、当該DNA断裂を修復する働きを持つ酵素の働きを阻害し、以ってがん細胞を撲滅することを企図した抗がん剤である。代表的なものとしては、イリノテカン、エトポシドがある。



7.の分子標的薬は、がん細胞だけが持つ特徴を分子レベルで捉え、その分子の機能を抑え、以ってがん細胞を撲滅することを企図した抗がん剤である。代表的なものとしては、ハーセプチン、イレッサ、グリベッグがある。



上記1~7の抗がん剤を用いた治療を抗がん剤治療ないしは化学療法と言い、また、抗がん剤治療にホルモン治療を加えて、化学療法と呼ぶ場合もある。

病院では抗がん剤治療と呼ぶことは稀で、化学療法を省略した「化療(カリョウ)」と呼ぶことが多い。

これは、個人的な感想だが、「抗がん剤」という言葉のインパクトが強いため、あまりインパクトのない言葉を使っているのではないかと思う。



がん細胞は狡猾で、姿形を様々に変化させ生き残りを図ろうとするので、上記1~7のうちのいくつかを併用して様々なタイプのがん細胞を撲滅しようとする手段が採られることが多い。このような何種類かの抗がん剤を使用して治療する方法を多剤併用療法(カクテル療法)という。

医師は「いいとこどり」のつもりで多剤併用療法を採用しているという意識が強いように思うが、それは裏を返すと副作用の「悪いとこどり」でもあることを忘れないでいてもらいたい。




墓碑銘

2007年12月30日 | Weblog
2007年12月30日 17時17分記載

この一年に亡くなった方で、私の記憶に強く残っている方を挙げさせて頂く。肩書は世間一般で用いられているものを使う。



・城山三郎(作家)

・山本孝史(政治家)

・池田晶子(哲学者)

・長嶋亜希子(長嶋茂雄氏の妻)

・藤原伊織(作家)

・坂井泉水(歌手)

・長井健司(ジャーナリスト)

・伊藤一長(前長崎市長)

・粕谷友介(憲法学者)



人間は死ぬという余りに当たり前の、余りに当たり前であるが故に忘れがちな、事実を改めて認識させられる。



心より哀悼の意を表明する。


抗がん剤の起源とその後の展開

2007年12月29日 | Weblog
2007年12月29日 00時21分記載

抗がん剤開発のスタートは、第一次世界大戦に遡る。第一次世界大戦では塩素、ホスゲンなどの窒息性ガス、青酸などの血液ガス、イペリット、ルイサイトなどのびらん性ガスが毒ガス兵器として使用された。それら毒ガス兵器の殺細胞効果をガン細胞撲滅に使えないかと研究が始まった。



そして、1927年、ロックフェラー財閥とドイツのイーゲーファルベンという巨大化学産業トラストが手を結ぶことにより本格的な抗がん剤開発がスタートする。



ロックフェラー財閥が医薬品業界に進出したのは次の3つの理由からであると言われている。1つは、巨額の利益を上げ続ける同財閥への批判をかわすため。もう1つは、ロックフェラー財閥の創始者であるジョン・デイヴィソン・ロックフェラーの父が医師であったこと(一説には薬の行商人)。そして何より、製薬事業が今後もっとも儲かる分野と考えたためである。



その巨額資本を投下できるロックフェラーと第一次大戦で毒ガス兵器を製造した経験を持つイーゲーファルベンが手を組むことにより、抗がん剤開発は静かにではあるが、着実に発展していく。その主要な舞台は、ロックフェラーが1927年に買収したニューヨークにあるメモリアル病院である。(メモリアル病院の前身は19世紀末に設立されたニューヨーク・ガン病院で、アメリカで初めて設立されたガン治療を主たる目的とした病院である。)



この後、抗がん剤開発は1939年に勃発した第二次世界大戦により中断を余儀なくされたかに見えた。メモリアル病院のローズ院長が陸軍化学兵器局代表者に引っ張られてしまったからである。

しかし、戦争は大規模な人体実験を躊躇なく行わせる格好の舞台でもある。第二次大戦までに、イペリット(=マスタードガス)には抗ガン効果があることが確認されていた。このマスタードガスの構造式中の硫黄を窒素に置き換え、マスタードガス特有のからし臭さを除いたナイトロジェンマスタードが開発された。

このナイトロジェンマスタードをローズ院長・陸軍化学兵器局代表者は、160人のがん患者に投与するという人体実験を行い、抗がん効果を確認した。最初の抗がん剤「ナイトロジェンマスタード」の誕生である。しかしこれは、軍事機密に属し、ナイトロジェンマスタードの存在が公にされたのは戦争が終わった1946年になってである。



ナイトロジェンマスタードはアルキル化剤に分類される。アルキル化剤は、蛋白質やDNAの窒素と反応し(これをアルキル化反応という)、その構造を変化させたり、DNAのアルキル化により遺伝子を傷つけたりすることで殺細胞効果を発揮する。このアルキル化剤を先頭にその後続々と抗がん剤が開発されていくことになる。



1947年にはアミノプリテンが、その後、アメトプリテンが、代謝拮抗物質と呼ばれる抗がん剤として登場する。そして更に、現在でも使われる5-FUが続いた。



また、抗ガン作用を持つ抗生物質探しも熱心に行われた。1958年にマイトマイシンCが、1963年にブレオマイシンが開発された。



1971年12月、ニクソン大統領が連邦ガン法に署名し、ガン克服国家戦略がアメリカでスタートしたことにより抗がん剤開発は更に加熱する。

同年、アドリア海の浜辺で発見された微生物から生成されたことからアドリアマイシンと名付けられた抗がん剤が、1978年には、白金に抗ガン作用があることがわかったことから白金製剤シスプラチンが開発された。



日本政府が本格的なガン克服に乗り出すのは1980年代に入ってからである。医療分野に限らないが、我が国の重い腰は、欧米に遅れること10年で上げられることがほとんどである。この時もアメリカのニクソン政権を中曽根政権が真似しただけである。



おおよそ上記のような経過を辿り、現在も微生物、化学物質、レアメタル等、ありとあらゆる物質がその抗ガン性の有無を確認されている。








今回この記事を書いたのは次の内容を伝えたかったがためである。



抗がん剤は、その起源を毒ガスに持ち、その毒ガスと同程度に細胞を殺傷する能力を持つ物質であるということであり、外見からはごく普通に生活しているように見えても、抗がん剤の投与を受けた者はその心身に大きなダメージを負っている。周りに抗がん剤の投与を受けた人が居る方々は、その人は戦場で毒ガス兵器を浴びてきたのと同様の状態であり、出来るだけ労りの気持ちを持って接してあげて欲しい。(別に自分にそうしてくれと言っているわけではない。)



そういう目に見えないものを感じ取り、思いやれる社会となってくれることを切に願う。




読売新聞記者 福元竜哉氏への質問

2007年12月28日 | Weblog
2007年12月28日 16時24分記載

本ブログにて、2007年12月9日に、読売新聞記者 福元竜哉氏記載記事及びそれに対する私の見解を掲載した。(参照URL http://ameblo.jp/shiratasan-daisuki/page-35.html )



記事中で福元氏は「都市再生機構は安価な賃貸住宅を提供しており、そこには、低所得のお年寄りらが多く住んでいる。同機構を民営化すれば老朽化した物件の建て替えや賃料の値上げなどで、いわゆる「生活弱者」が住めなくなる可能性がある。」と書いている。



他方、昨日紹介した読売新聞記事により、都市再生機構(UR)には、給与所得者の平均年収435万円を越える人々が半数以上住んでおり、かつ、65歳以上の高齢者は35%住んでいるということが判明した。



ここで、福元氏にお聞かせ願いたいのは、「低所得」を年収いくら未満と考えているのか、「低所得のお年寄り」とは、年収いくら未満かつ何歳以上なのか、「低所得のお年寄りらが多く住んでいる」との記載中の「多く」とは何%以上を指しているのかということである。是非とも見解を伺いたい。



私は民間のマンション・アパートに住んでいる人達の年収割合及びお年寄りが住んでいる割合と、都市再生機構に住んでいる人達のそれとは、ほとんど変わらないと思っている。(多分間違いない。)その意味で、都市再生機構が独自に存在すべき理由は全く無い。(民間と同じことしかしていないので。)



天下の読売新聞に記名記事を掲載する程の人物である。根拠の確実なデータとともに、都市再生機構が独法として存続し続けなければならない理由を是非明確にしてもらいたい。そのうえで、小泉政権及び安倍政権が強力に推し進めていた独法改革を強く否定してもらいたい。そして、福田首相に「3年後の見直しは必要なく、ずっと都市再生機構は存続するべきだ」と進言してもらいたい。


本日の読売新聞29面

2007年12月27日 | Weblog
2007年12月27日 15時56分記載

都市再生機構に借りでもあるのかと思わせるくらい、都市再生機構存続の必要性を必死に伝える記事をまた読売が書いている。内容は以下の通り。



「独立行政法人・都市再生機構(UR)は26日、所有・管理する団地などの賃貸住宅の戸数を現在の約77万戸から2018年度までに72万戸に削減する計画を発表した。

 団地の老朽化や将来の人口減少を見込んだ措置で、48年ごろには現在の7割程度まで減らす。1955年に日本住宅公団として発足し、住宅難を解消するため全国で団地の建設・運営を担ってきたURが戸数の削減に踏み切るのは初めてだ。

 計画では約77万戸について周辺の人口、立地条件などを考慮し、約20万戸を対象に、建て替えや地方自治体、土地所有者への譲渡などの再編を行う。このうち約8万戸を削減する一方、建て替えで引っ越す人向けに3万戸を新設する予定で、削減数は差し引き5万戸となる。

 再編対象は、1960年前後に建てられて老朽化した団地や、交通の便が悪かったり、人口減で空室率が上昇し採算が採れなくなったりした団地で、URは年明けから住人や関係自治体などへの説明を始める。

 現在、入居世帯の半数が年収450万円未満で、65歳以上の高齢者がいる世帯は35%に上る。募集時の優遇策によって、高齢者や子育て世帯が重点的に入居できるようにするほか、転居を強いられる住民には、転居先の確保や引っ越し代の支払い、家賃減額などを行う。

 URの所有・管理から切り離される5万戸に、そのまま居住できるかどうかは微妙だ。地元自治体に受け入れてもらう団地は、1戸当たりの年間赤字額が平均16万円に上り、財政が厳しい地方自治体との交渉は難航が予想される。土地所有者へ返還する団地も、所有者が団地運営を引き継ぐかどうかは不透明だ。」



ここで大事なのは第五段落の「現在、入居世帯の半数が年収450万円未満で、65歳以上の高齢者がいる世帯は35%に上る」の部分で、これは裏から言えば、「入居世帯の半数は年収450万円以上であり、65歳以上の高齢者がいない世帯は65%ある」ということである。



給与所得者の平均給与は430万円である。読売は「URには低所得者や高齢者が多くいる」と喧伝しているが、実はURに入っている世帯の過半は低所得者ではなく、3分の2は高齢者ではないということである。読売が低所得者を年収いくらと設定しているのかわからないが、年収270万円未満の世帯を低所得者とした場合(生活保護受給世帯の平均年収が180万円なので、その1.5倍の金額までを低所得者と私はした)、低所得者の入居割合は2割程度ではないだろうか。(読売さん、その辺のデータがあったら出して。)



私が独法を廃止するよう強く主張しているのは、政府が医療費を削減し、姥捨て山政策を実行し、生活保護費を引き下げようとしているからである。生活保護について更に言えば、水際作戦を殺人省(=厚生労働省)が推奨し、生活保護を受けさせないようにしたり、打ち切ったりし、いわゆる「生活弱者」を殺そうとしているからである。そんなことをするならまずは税金を兆単位で投入している独法の廃止・民営化が先だろうと。生活保護制度を十全なものとし、各地域の最低賃金を底上げし、低所得のお年寄りには直接的な手当てをすれば、都市再生機構は全く必要ない。そういう方法の方が、ざるの独法に兆単位の金を流し込むより余程いい。



物には順序がある。順序を弁えろ。




頂いたコメントについて27

2007年12月27日 | Weblog
2007年12月27日 15時44分記載

頂いたコメントに言及する。頂いたコメントは以下のとおり。

「ブログ開設1周年、おめでとうございます(^∇^)

仰るとおり、ブログは発信主体になりがちなツールですが、発信しなければ絶対に伝わらないこと、たくさんあります。誰かが声を大にして異議を唱えなければ、知らないうちにみんなが間違った方向へ誘導されてしまうかもしれない。
あなたのブログを拝見してから、私は社会の矛盾について、以前よりも考えるようになりました。

同系統の病気と闘っている(いた?)あなたのブログ、私はとても楽しみにしています。
自分の思いや意見と全く同じで心底共感することもあるし、たまに少々意見が異なる時もありますが(笑)・・・それをひっくるめて。

これからも無理のない範囲で、更新してくださいね。欠かさずチェックしてますから。

メリークリスマス・・・と言いたいところですが、過ぎちゃいましたね。
早くも 『独立の憂き目(?)』 の(?)は取れました(笑) 毎日、寝るのはこんな時間です。
でも(残念ながら)長澤まさみ似ではありませんが、大学生バイトが二人入ったので、少しは楽になれるかな~」



私が現在のように考えるようになったのは、高校一年生の時に担任の先生に言われた以下の言葉が強く影響を与えている気がしています。

「人間は不完全な生き物です。その不完全な人間が作る社会もまた必然的に不完全なものになります。その不完全さに気付いた時、非合理性を感じた時の対応の仕方が、その人の人生のスタイルを決めるのだと思います。より良い進路選択をしてくれるものと信じています。」



今より30kg痩せていた(関係ありませんが・笑)若かりし頃の私はこう考えました。「非合理性、矛盾と直面した場合の人の生き方は3通りある。一.非合理性、矛盾に気付きすらしない生き方。二.非合理性、矛盾を抱えているのが人間だとして、非合理性、矛盾を呑み込む生き方。三.非合理性、矛盾を弁証法でいう所の止揚していく生き方。自分は三の生き方をしていきたい」と。



今、自分が上記三の生き方をしているのか否か明確な評価を下せませんが(おそらく死ぬ瞬間までわからないだろうと思っています)、年月を経た今も上記三の生き方をしていきたいと思っています。



非合理性や矛盾に対し鈍感であることだけは避けて、自分なりの止揚の仕方を探りながら生きて、そして死んでいきたいと思います。



ところで、もし差し支えなければですが、新しいバイトさんは芸能人で言うと誰に似てますか?(笑)ホント差し支えなければでいいんですよ・笑


感銘力

2007年12月26日 | Weblog
2007年12月25日 21時59分記載

「感銘」という言葉を聞いた場合、法律学を専攻しなかった人には、日常的に使われる「深い感動を受ける」という意味が想起されることだろう。

しかし、法律の分野で「罰則の威嚇力、感銘力」といった形で使用される場合、違う意味を持つことになる。

法律の分野で「感銘力」という言葉が使われた場合、その意味する所は、事後法令違反を行わないよう動機付けする力というような意味になる。

罰則には、事前予防のための威嚇力(こういう法令違反をしたらこういう刑を科しますよといわば脅すこと)と感銘力(こんなに罰金・課徴金を払うことになるならもう二度と法令違反をしないようにしようと思わせること)が欠かせない。



上記の威嚇力・感銘力が官僚には全く働いていないことが、薬害肝炎に代表される官僚の「罪」が絶えない原因だと私は思っている。



政治家には選挙で落とされるという威嚇力・感銘力が働いている。だから国民世論の高まりさえあれば薬害患者救済案を作らせることが出来る。謝罪も盛り込ませられる。しかし、選挙の無い官僚にとってはそんなもの痛くも痒くもない。また薬害を繰り返すだけである。(事実そうして薬害は繰り返されてきた。)



ではどうすべきか。厚生労働省の解体という罰を与えたい。厚生労働省は厚生省と労働省をくっつけただけのものなので、労働省であった部分は切り離し、地方の労働基準監督署等に移管できるものは移管し、どうしても中央に残さなければならないものは法務省等の他の中央省庁の下に置く。本丸・主犯の旧厚生省部局は、全て民間人に担わせるのが理想的だが、すぐに全員クビというのは法的にかなり難しいだろうから、最低限旧薬務局の部分だけは民間の医師・薬剤師等にすげかえてもらいたい。

さらに、所管の独立行政法人、公益法人等を可能な限り廃止し、どうしても残ってしまったものについては、旧厚生省の人間を一切天下りさせないよう立法府で厳しく監視してもらいたい。



犯した「罪」に相応する「罰」がなければ社会は絶対に悪くなる。薬害被害者救済法を作るのは当たり前のことで、謝罪・責任の文言を挿入するのも当然だ。しかし、これは旧厚生省の人間には痛くも痒くもないことである。旧厚生省の人間に厳しい罰が与えられなければ絶対にまた薬害は繰り返さされる。



腐りきった旧厚生省官僚・厚生労働省官僚を組織ごと駆逐したい。犯した「罪」に比較すれば軽すぎるくらいである。




もうすぐ本ブログ開設1周年

2007年12月25日 | Weblog
2007年12月25日 10時42分記載

誕生日とか記念日といったものを過ぎてから思い出すことが多くなってきたので、覚えている今、タイトル記載の件についての記事を書いておく。



本ブログを書き始めたのは昨年末、会社が年末年始の休みに入り、少し時間が出来たことによる。その頃はまだ厳しい治療を終え退院してから1年4ヶ月の時点で、フルタイム勤務をしていたこともあり、長くは続かないのではないかと思いながら書き始めた。

しかし、当初の想定を越えて、今でも続いている。嬉しい誤算というべきか。



私として喜ばしかったのは、発信主体という性質を備え持つ「ブログ」にあって、同病・同系統の病気の方々等との関わりを持ちながらブログ作成を進められたことである。

人間の行為は詰まるところ自己満足であり、それは当ブログも変わらない。しかし、そのような当ブログであっても、ほんのいくばくかは誰かしらの何かしらに役立ったように思う。(他方で、強い言い切りで多くの人々を傷付けたろうとも思っている。)



誰かしらの何かしらに役立ったというのは私の誤解かもしれないが、アクセス解析を見て、読んでいてくれている人がいる間は、細々とではあるが続けていきたいと思う。



後半はブログタイトルと大分ずれ込んできてしまっているが、テーマを見て読み分けて頂けたらと思う。


NEWS23~生活破壊~

2007年12月25日 | Weblog
2007年12月25日 00時14分記載

いや~身につまされる。核兵器よりもよっぽど怖い。



うつ病や失明、リストラ等で仕事を失い、ギリギリ以下の所で生きている人が紹介されていた。最後の所は生活保護で手を差し伸べるべき国が、地方自治体が、手を引っ込める。



姥捨て山政策と同様、国は社会保障費の圧縮に躍起である。生活保護費も例外ではない。自治体の窓口では「水際作戦」という作戦を立てて生活保護受給申請者を暴言・罵詈雑言で追い払う。「ネットカフェで暮らせば?」と担当者に言われた受給申請者も紹介されていた。



確かに不正受給はある。暴力団員が受給しているという不適切な実態もある。しかし、それらは全体の1.2%に過ぎない。その1.2%を追い払うために社会権の正当な行使である生活保護受給申請を排除してはならない。明確な法令違反であり、誤った法令の運用である。



今、我が国に年収200万円以下で暮らす人々は1022万人。貯蓄の無い世帯は23%。OECD加盟30ヵ国の中で昨年生活実態を調査した17ヵ国中、貧困率は第2位。国の政策、間違ってないか?



今は「勝ち組」だと思って他人事だと考えているそこの貴方!実は未来の貴方の姿かもしれませんよ。

なぜなら、自分も病気になるまでは「勝ち組」に分類されると思っていたから。「負け組」に入るのはアッという間ですよ。




「自己責任」という言葉について筑紫さんが多事争論で語っている。それを見て・読んで、「自己責任」の意味についてよくよく考えてみてもらいたい。


ハマコーとナベツネ、そして小沢

2007年12月24日 | Weblog
2007年12月24日 21時10分記載

ハマコーとナベツネの2人が好んで口にするのが国家の安全。民主党政権になると国家の安全が脅かされると盛んに喧伝している。ホントか?



我が国は核兵器を持たない、持ってはいけないことになっている。日本が核武装することに賛成する他の国家はおそらくない。同盟国のアメリカであっても反対するだろう。

では、独裁国家北朝鮮、核を持つ中国・ロシアがごく近い所に存在するにも拘わらず、核兵器を持たない・持てない我が国の安全をどう保つか。アメリカの核の傘に守ってもらうしかない。現にそうしている。これが民主党政権になると変わるか?到底そうは思えない。自民党政権下でも民主党政権下でも日米安全保障条約はそのまま有効に維持され、日米同盟に依るという日本の安全保障政策に変化は生じない。万が一日米同盟が破棄された場合、日本は核武装する道を選ぶ可能性がある。そんなリスクをアメリカが取るとは思えない。日本の技術力からすると簡単に核兵器は作れる。アメリカに落とすことも可能である。アメリカがそれをわからないわけがない。従って、やはり日米同盟に依って日本の安全が維持されることは自民党政権であっても民主党政権であっても変わらない。



我が国の安全が脅かされるのであれば民主党政権を認めるわけにはいかない。しかし、我が国の安全保障政策に変化が生じないのであれば内政政策に優れる民主党に政権交代させることが日本国民の利益になると私は思う。



なお、小沢の安全保障に対する考え方は国連を日本国より上位に置くものであり、現行憲法では違憲となるし、合憲・違憲を問わず採用すべきではない考え方であるとも思う。そして、小沢が個人としてその安全保障政策に固執したとしても、それに追従する議員はごくわずか(民主党内であっても)であるとも思う。



小沢とナベツネが政治の世界から消えてくれるともう少しマシな政界になる。(ハマコーは政界引退済み)


手紙

2007年12月24日 | Weblog
2007年12月24日 14時48分記載

東野圭吾原作の映画「手紙」を見た。簡単に言うと、強盗殺人犯の弟の話。



差別や偏見について問いかける、心を抉られる話。自分に重なる部分もあって重たい気分にさせられた。



差別や偏見は、就職や結婚といった人生における大きな局面ではっきりと顔を覗かせる。

普段は差別や偏見を持っていないように振る舞っている人間も、就職や結婚といった場面では剥き出しの差別・偏見を持ち出してくる。



自分の子供が強盗殺人犯の弟と結婚すると言った時に、何等の差別・偏見を持たずに素直に祝福できる人間がどれだけいるだろうか。

生存率30%のがんと告げられている人間を採用する企業はどれだけあるだろうか。



自分はそういった差別・偏見と戦っていく気持ちは持っているし、多少の知恵は回るのでなんとか戦っていける気はする。

しかし、戦う術を持たない者も少なからずいる。そのような人達が生きていくのはどれだけ大変なことだろうと思わずにはいられない。



「白夜行」もそうだったが、東野圭吾の作品はぐりぐりと心を抉られる。しかし、読まずには、見ずにはいられない。


山本孝史参議院議員死去

2007年12月23日 | Weblog
2007年12月23日 14時38分記載

本ブログ7月29日掲載の記事(→ http://ameblo.jp/shiratasan-daisuki/archive2-200707.html )で紹介した山本孝史参議院議員が胸腺がんのため昨日亡くなった。享年58。有為な国会議員が一人居なくなってしまったことに国民の一人として大変残念に思う。心よりご冥福をお祈りしたい。



山本議員を支え、また、支えられた人々が、氏の遺志を継ぎ、がん対策をはじめとした氏の手掛けた諸政策を少しでも前進させてくれるものと思う。



私に何が出来るのかわからないが、今生きている人間として、一人のがん患者として、出来ることは私もしていきたい。 



参照URL http://www.ytakashi.net/

http://2nd-opinion.eee.ne.jp/




訃報

2007年12月23日 | Weblog
2007年12月23日 14時01分記載

大学のゼミでお世話になった粕谷友介先生が心不全のため20日に亡くなった。享年68。

先生は憲法学者であると同時にキリスト教神父でもあり、憲法学とキリスト教に奉げた一生だったと言ってもいいかもしれない。



先生とは所々考え方が違い、今よりさらに青臭い学生時代には、種々論争をしたことが思い出され懐かしい。



憲法改正の限界について先生は、法実証主義の考え方に基づいて無限界説を唱えてらっしゃったが、自然法思想に強い親和性を感じていた私は限界説を唱え、強く反論していた。

また、憲法判断の効力に関しても、先生は一般的効力説を支持してらっしゃったが、個別的効力と考えるべきではないかとする私がこれまた強く反論していた。

そのように書生気質丸出しの私に対し、「君も粘るね~」と笑いながらおおらかに対応してくれていた姿が思い出され懐かしい。



先生は佐藤功先生の直弟子で、内閣法制局参事官として日本国憲法制定に深く関わった佐藤功先生から聞いた憲法制定過程の裏話を教えてくれ、大変興味深かった。



佐藤功先生は昨年亡くなられ、後を追うように今年粕谷先生が亡くなられた。

天国で師匠と出来の悪い弟子(自嘲気味によくそう仰っていた)としてまた憲法について語りあっているのかもしれない。



心よりご冥福をお祈りする。



なお、告別式は2008年1月9日(水)13:30より、上智大学内にある、聖イグナチオ教会主聖堂で執り行われる。


本日3度目のナベツネ批判

2007年12月22日 | Weblog
2007年12月22日 22時42分記載

やっぱりどうしてもナベツネが許せないので、しつこいのは承知しつつ、記載させて頂く。



2つ前の記事で紹介した今日10:30から日テレで放送していた「なかそね荘」を見たんだけど、この中でナベツネが何を言ってるかというと、2つ前の記事で紹介した内容は勿論喋ってるんだけど、他に何言ってたかというと、出来るだけ次の衆院選を先延ばしにしようって言ってるの。衆院選やっちゃうとほぼ間違いなく与党で3分の2の議席が取れないから。そうすると再議決が出来なくて自民党が通したい法案を通すことが出来なくなるから。



だからこいつバカだっていうの。国民は福田内閣を信任してないの。福田康夫を総理にして政権を任せようと思って先の総選挙で投票した有権者は殆どいないの。不存在の証明は出来ないから断定は出来ないけど、郵政選挙やった時に多分誰も福田康夫が総理になるとは思ってなかったの。(小泉は選挙前から次期自民党総裁選で身を引くと言っていたから、ギリギリ安倍までは国民が信任していたと言えなくもない。本来的にはおかしいんだけどね、小泉が任期を4年与えられる衆院選で勝利してるのに途中で総裁選をきっかけに総理の座を譲るのは。だけど、国民がそう言っていた小泉を勝たせちゃったから仕様がない。)



で、この状況を考えた場合、まともな人間だったら、総選挙をして国民が誰に、どの政党に政権を与えるかを国民に問いましょうって話になるはずなのに、ナベツネの馬鹿は衆院選は出来るだけ先に延ばしましょうって言ってるわけ。国民が信任していない政権を出来るだけ長く続けましょうって。こんだけ国民軽んじてる奴いないでしょ。これが大新聞の主筆って名乗ってるんだからね。そりゃこの国もおかしくなるよ。党利党略に走ってる三下議員そのものだもん、こいつ。



小泉と福田がやってることは真逆だよ。小泉は「民間で出来ることは民間に」って言って、郵政を民営化し、独法もその殆どを廃止・民営化しようとしてた。道路特定財源も一般財源化するって言ってた(今も言ってる。)。翻って福田がやってるのは独法見直しの先送り、国交省官僚・道路族議員・建設族議員の思惑通りの道路特定財源の温存。その結果としての揮発油税等の暫定税率の暫定続行(もはや「暫定」とは呼べないけど。)。



ここまで違うことするんなら総選挙で民意を問わなきゃ。それで福田が(自民・公明が)過半数以上を取れば独法残すのも、暫定税率ずーーっと続けるのも全然問題ない。それが国民の意思だから。



ナベツネの言ってることを正当化する唯一の方法は民主主義を否定すること。ナベツネくんには是非とも民主主義に代わる統治制度をお聞かせ願いたいね。