がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

mandate(マンデート)

2007年12月10日 | Weblog
2007年12月10日 08時20分記載

mandate(マンデート)という言葉を最近耳にしたのは、定例記者会見で町村信孝官房長官が舛添厚生労働大臣の言動を批判した際である。

mandate(マンデート)と言われて、その正確な意味が把握できる日本国民はどのくらいいるであろうか。



mandate(マンデート)とは、町村が使った文脈では「権限」という意味が一番近いと思うが、町村よ、お前はどこの国で何をしている?日本国の内閣官房長官ではないのか?なぜそこで英語を使う必要がある?



これは些細なことであるように見えるが、実ははとても大きな問題だと私は思っている。為政者が誰を対象に、どのような考えで政治を行っているかが読み取れるからである。

我が国の政治家は当然我が国国民に選任され、その選任を受けて負託された権限を行使する。為政の対象は当然に我が国国民である。我が国の公用語は言うまでもなく日本語であり、英語とあまり関わりなく暮らしている国民も多い。それなのに、官房長官としての公式記者会見で前後は日本語でありながら、わざわざ「権限」と表現すべき箇所だけ「mandate(マンデート)」という必要はない。より多くの国民が理解できる言葉で話すべきある。



このような言葉遣いをする人間は、自分がインテリで、理解できない方が馬鹿だいう驕った精神を隠し持っている可能性がある。英語くらいは話せて、自分の話す内容を理解できる人間だけを相手にしてやる、という姿勢が感じられる。そうではないというのならば、せめて公式の会見ぐらいは多くの国民が理解できる平易な日本語で話すよう直ちに改めよ。カタカナ語、英語を全く使うなと言っているのではない。カタカナ語が一般に通用すると思うものはカタカナ語で構わない。どうしても日本語では表現できないものや英語で伝えた方がその正確な意味が伝わると判断する場合には英語で構わない。しかし、そうでない場合はより多くの国民が理解できる日本語で話すよう心掛けよ。最近驕りがあからさまに見えるようになってきたので早めに町村には言っておかなければならない。



言葉はそれを発する人間の精神性をよく反映する。国民は政治家がどのような言葉で語りかけるのかを注視し、その政治家の精神性を見極めるようにしておかなければならない。




生活扶助基準額は現状維持 生活保護費で政府方針

2007年12月10日 | Weblog
2007年12月09日 23時19分記載

当たり前である。



生活保護費の標準的金額は月額15万円である。ここからさらに2千円ほど政府は引き下げようとした。しかし、予想以上の国民の反発にすぐに引っ込めた。どれだけ我が国政府がいい加減に行政を行っているかがよくわかる。信念も何もない。あるのは場当たり的・泥縄的思いつきだけである。

政府は「たかが2千円」と考えた。しかし、月額15万円、年収180万円で暮らす人間にとっての月額2千円、年額2万4千円はとてつもなく重い。それが政府の人間にはわからない。当たり前である。そういう暮らしをしたことがないし、そういう暮らしをしている人に思いを馳せたことすらないのであるから。



以前に本ブログで述べたが、我が国に手帳の交付を受けている障害者は665万人いる。そのうち労働者として就労しているのは50万人に過ぎない。就労可能な人口は250万人と推測されているので、就労可能な障害者の失業率は80%である。



就労不可能な障害者415万人は障害年金や生活保護を受ける等して暮らしている。(というか暮らさざるを得ない。)

就労可能であっても就労先が見つからない200万人の障害者も生活保護を受ける等しながら暮らしている。

そういう人々を政府は狙い打ちにしようとした。理由は相も変わらず財政支出の削減である。



ちょうど今はボーナスのシーズンである。民間企業に勤める人間の平均ボーナスは約43万円である。一方で、税金で養ってもらっている公務員の平均ボーナスは約70万円である。これを削って生活保護で暮らさざるを得ない人達をサポートしてもらえないか?さんざん税金で食わしてもらって、さらに独立行政法人に天下って食んでいる禄(=公金)を放棄して「生活弱者」と呼ばれる人達に回してもらえないか?



これは単なる私の個人的な嫉妬であろうか?