がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

米紙、原発安全神話に皮肉 PR施設「ファンタジー」

2011年06月26日 | Weblog
2011年06月26日 15時46分11秒


http://sankei.jp.msn.com/world/news/110625/amr11062518060008-n1.htm



「2011.6.25 18:04

 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は24日、福島第1原発事故に関連し、日本には原発の「安全神話」があると指摘、大金をかけた宣伝活動や教科書を使った学校教育を通じ、官僚や政治家が国民に原発の安全性と必要性を信じさせたと報じた。

 また、各地の原発に併設されたPR施設を取り上げ「ファンタジー(夢想)でいっぱい」と皮肉った。

 記事は、志賀原発(石川県)の併設施設では「不思議の国のアリス」の少女アリスが「原発は資源のない日本に最適」と話し、東通原発(青森県)ではフィンランド語で森の妖精を意味するという「トントゥ」がテーマになっていると説明。

 こうした施設を調査した学者の話を基に、かつては「技術の話に興味がある成人男性」を対象にした簡素な施設が、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故を機に性格を変えたと分析した。(共同)」



まったくもってその通り。



「大金をかけた宣伝活動」に加担した、マスコミ、広告代理店がしらばっくれてるのが大問題。



なぜかと言えば、真剣な反省がないため、時間が経てばまた同じことを間違いなく繰り返すから。



法学館憲法研究所の記事のご紹介

2011年06月26日 | Weblog
2011年06月25日 22時10分08秒

法学館憲法研究所(URL http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20110606.html  )のサイトに「比例定数削減は民主主義の危機だ」との日隅一雄弁護士・NPJ 編集長の記事が掲載されている。その中で特に注目したい部分をここに紹介させて頂く。全文については、法学館憲法研究所のサイトで読んで頂きたい。



「最後に、選択するのに必要な情報を選挙民はきちんと得ていないという問題があります。
 一つには、選挙運動が厳しく制限されていることです。たとえば戸別訪問が禁止されています。本当に世界でも稀な例です。戸別訪問があれば夕食のときに家族で政治の話しをする一つのきっかけになり得ます。日本では家庭に政治の話を持ち込まないようにされていると言えるでしょう。これだけネットが発達しているのに、ネット運動が解禁されていないのも大きな問題です。
 二つ目として、表現の自由が制約されています。典型的なのは、ビラまきの違法判決です。住居侵入罪になります。他の国では考えられないことです。
 さらに、マスコミの問題があります。私は、08年に「マスコミはなぜ『マスゴミ』と呼ばれるのか 」という本を書きました。日本のマスコミが置かれている状況は異常です。
 第1に、ラジオ・テレビという放送事業は電波が有限なので免許制にせざるを得ないのですが、外国では独立行政委員会が設置されています。しかし日本では1952年に吉田首相の時に廃止したままになっており、政府が直接免許を与えます。そのため政府や政治家が放送内容に圧力をかけることが可能になり、現にNHKの番組改編事件のようなことが起きています。これでは権力監視機能を果せません。
 第2に、全国紙とキー局が系列化されています。これも日本にしかありません。そのため、言論の多様性が失われたり、新聞とテレビ・ラジオ相互の間で批判がなくなり権力との癒着がより強固になっています。
 第3に、広告代理店における1業種1社制がないことです。例えば、トヨタ、ホンダ、日産の広告をすべて電通が請け負うことができます。企業秘密が守れないので他の国では考えられないことです。こうしてマスコミの財布を握る巨大な広告代理店ができて1企業では不可能な大きな圧力をかけることが可能になっています。

 では、どうしたら日本の選挙制度を改善することができるのでしょうか。
 まず、日本の選挙制度は異常だという認識を共有することから出発しなければなりません。ところが、これまで見てきたように、これをマスコミに期待することはできません。やはり、インターネットという新しい情報伝達手段を大いに活用することです。エジプトなどで起きていることはこのことを教えています。」



谷垣氏「原発再稼働は必要」

2011年06月26日 | Weblog
2011年06月25日 20時46分25秒

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110625/stt11062517040005-n1.htm



「2011.6.25 17:02

 自民党の谷垣禎一総裁は25日、鹿児島市内で開いた記者会見で、停止中の原発再稼働について「時間がたつとすべての原発が止まってしまう。動かさなくていいという前提をつくれば電力供給は回らなくなる」と述べ、再稼働は必要との認識を示した。その上で「国が責任を持って安全を確認しなければならない」とも指摘した。」



2割の電力供給能力がそがれるならば、残りの8割で暮らしていくようにすればいいだけの話。



これだけの大惨事があった(ある)以上、従前の生活を維持しようというのは無理な話。



今回の福島の大惨事ではっきりしたことは、日本政府は原子力発電所をコントロールする能力を持たないということ。

そうであれば、日本としては原発を手放すほかなく、電力が削減される割合に沿って暮らしを再構築するしかない。



[がん共生時代]ブログの力(1)患者つながり仲間の輪

2011年06月26日 | Weblog
2011年06月22日 00時43分47秒

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=42016



「「よお、元気だった?」

 仲間と再会の握手を交わしながら、夕暮れのトラックをにぎやかに1周する。肺がん闘病中の三浦秀昭さん(55)(横浜市在住)は、今年も仲間と歩ける喜びをかみしめていた。

 5月14日、茨城県つくば市の公園で約600人が集まった「リレー・フォー・ライフ(RFL、命のリレー)」。がん患者が家族や支援者と歩いて連帯感を強め、がん対策に使う寄付金を集める。米国生まれのこのイベントを初めて日本で開催したのが、三浦さんだ。

 大手信販会社の社員だった三浦さんが肺がんと診断されたのは、2003年4月。新規事業を開拓する「戦略事業部」のリーダーになったばかりだった。

 抗がん剤と放射線治療を受けて復職を果たしたが、転移のために再び入院。2年後に仕事を辞め、自宅で抜け殻のようになっていた時、闘病の支えとなった患者のブログを思い出した。

 一般的にブログは、個人的な身辺雑記をつづる「インターネット上の日記」だが、患者たちのブログは新薬の必要性を訴えたり、禁煙運動に取り組んだり。患者自身が医療の環境を変えようと働きかける姿に、いつも鼓舞されてきた。

 「自分にも、まだできることがあるんじゃないか」

 05年4月、以前の職場名にがん戦略の意味を込め、ブログ「戦略事業部の挑戦」を開設。翌月、がん患者の集会で紹介された米国のRFLに感動し、日本での開催をブログで呼びかけた。

 その思いに揺さぶられ、共に国内開催の実現に奔走したのが、川崎市の中尾秀樹さん(57)夫妻だ。がんが進行していた妻の浩子さんは寝たきり状態だったが、「どうしても参加したい」とリハビリに励み、実行委員にもなった。

 「2人とも『がんでも、内にこもらずに表に出てつながろう』という三浦さんのメッセージに共感したんです。特にキャリアウーマンだった妻は、がんになっても社会に貢献できることに希望を感じたのでしょう」。中尾さんは振り返る。

 06年9月、つくば市で国内初の開催が実現した。当日、妻はトラック1周を歩き切った。自信を得たのか、その後一時復職もしたが、翌年春、息を引き取った。中尾さんはその後もRFLに参加し続け、全国に仲間ができた。

 「このつながりを大事にすることで、妻の命をつないでいる気がします」

 三浦さんは最近、新たな計画をブログで発信した。がん患者によるがん患者のための株式会社の設立だ。今度はどれほど仲間が集まるか。「戦略事業部」の挑戦は続く。(2011年6月10日 読売新聞)



情報プラス
 三浦秀昭さんのブログ「戦略事業部の挑戦 肺がんとの壮絶な闘い」は、こちら(http://plaza.rakuten.co.jp/senryaku/ )から、見ることができます。



 三浦さんは、医師との治療方針の相談を「戦略会議」と呼び、Ustream(ユーストリーム)という動画共有サービスを使って配信する動画を、「戦略ライブ」と呼んでいます。今、福島県立医大で、毎月入院しながら免疫療法を続けている三浦さんは、3月11日、病院内であの大地震を経験しました。その直後の様子を文章で発信したほか、「戦略ライブ」で院内の様子を実況中継しています。



 記事の最後に書いた株式会社「がん患者」の設立会議も、この戦略ライブで行っています。ぜひ皆さんも訪れてみてください。」



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=42142



[がん共生時代]ブログの力(2)家族で喜び・不安を共有



「5月の新緑がまぶしい東京都内の公園。バーベキューを楽しむ家族や友人約20人の輪の中心で、千葉県柏市の「マミー」こと中村美由紀さん(54)がビール片手に豪快に笑っていた。

 「家族で楽しむこんな時間が免疫力を上げるのよ」

 2008年7月、末期の卵巣がんと診断された。家族皆でカラオケに出かけ、「闘うぞー!」と替え歌で大合唱して励まし合った。

 ブログ「マミーとその家族が綴(つづ)る癌(がん)闘病日記」を始めたのは、その直後。美由紀さんが「生きた証しを残したい」と開設を相談し、おいの佐藤慶臣(よしおみ)さん(34)がブログの管理人を引き受けた。

 夫の宏之さん(58)、一人娘の真生(まい)さん(27)も「家族皆で書いちゃうか」と盛り上がり、「マミー編」「ファミリー編」の2本立ての闘病ブログが誕生した。

 横隔膜や肝臓に転移したがんは、切除できなかった。抗がん剤も効かなくなり、09年6月から無治療を選んだ。何度も落ち込んだが、明るく前向きな「マミーらしさ」は失われなかった。

 抗がん剤の副作用で髪が抜けた時は、慶臣さんが美由紀さんの頭に目を描いて遊んだ様子の写真や、かつらを吹っ飛ばして坊主頭でおどける動画も公開した。

 昨年は24時間テレビの中で特別に企画された「仮装大賞」に家族全員で出場。結婚した真生さんには昨年11月、長女が生まれ、皆で喜びをつづり合った。読者からの応援コメントも増え、家族皆で励まされた。

 一方、その間も病状は進み、美由紀さんが痛みやつらさを訴える日も増えた。ブログは、普段は明るく過ごす家族が、面と向かって言えない本音や不安を伝え合う場にもなった。

 「マミーがたまに、『マミーが死んだら…』って話をしてくる。ちゃんと聞いてあげなきゃいけないんだけど、目をそらしてしまう。怖いんだ」(真生さん)。

 「分かってるよ。マイがマミーが逝ってしまうのが怖いこと。伝えたいことは『楽しんで! 子育ても、夫婦関係も』。笑顔を見せていれば、きっとなんでもうまくいく。乗り越えられる!」(美由紀さん)。

 最近、美由紀さんは夫がブログに書いた文も読んだ。「頑張るしかない、マミーが一番頑張ってるからな。俺らも、頑張らないと」。口べたであまり感情を表に出さない夫の本心を知って、うれしかった。

 「妻は家族の中心で必要な存在です。いなくなると想像するだけで怖くて、真剣な話題は避けちゃう。でも、文章だと書けることもあるんです」と宏之さん。

 喜びも不安も共有する家族のブログが、家族の絆をますます深めていく。(2011年6月14日 読売新聞)


情報プラス
 中村美由紀さん一家の書く「マミーとその家族が綴る癌闘病日記」はこちら(http://www.mummys-life.com/ )から読めます。
 
 マミー編、ファミリー編、どちらを開いても、右脇にかつらを吹っ飛ばしておどけるマミーの動画が出てきます。こちらもぜひご覧下さい。」

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=42216



[がん共生時代]ブログの力(3)被災患者に確かな情報



「テレビで被災地の映像が流れる度、千葉県に住む乳がん治療中の女性(40)は胸が痛んだ。

 「被災地にいるがん患者のために何かできたら」

 4月中旬、被災地の患者に送るかつらや帽子の提供を呼びかけるブログを読み、これだ、と思った。自分も抗がん剤の副作用で髪が抜け、かつらを使っている。使わずにしまっていた別のかつらを急いで発送した。

 ブログを運営するのは、がん患者6団体のネットワーク「J―CAN」(事務局・東京)。普段は、抗がん剤の承認の遅れなど、共通して抱える問題の解決を目指して活動している。

 ブログでは、治療中の患者が気を付けることや、受け入れ可能な医療機関、放射線被曝(ひばく)の影響など、被災地の患者に役立つ情報を掲載する。かつらなど物資を被災地に送るプロジェクトも、その一つだった。

 女性は昨秋、左の乳房の全摘手術を受け、現在抗がん剤治療中だ。震災当日、都内の会社から帰宅できず、体育館に1泊。寒い中、大勢の人と雑魚寝し、被災した患者への思いが募った。

 「病気で体調が万全でないのに、こんな状況が続いたらどんなにつらいか」

 ブログには、かつらなしで避難所で暮らす患者のことが書かれていた。見た目を気にしながら過ごすつらさはよく分かる。「私も『命が助かったんだから見た目はどうでもいいじゃない』とよく言われますが、心はそんなに単純じゃない。患者だからこそ分かる痛みもあるから、直接届く支援がしたかった」と話す。

 その後、プロジェクトの独自のブログが開設され、受け取った患者の喜びの声も読んだ。「ブログのおかげで、距離は離れていてもつながることができた」と女性は喜ぶ。

 J―CANには当初からホームページがある。なぜ別にブログを作ったのか。

 震災直後、医師らはネット上で被災患者へのアドバイスをバラバラに発信していた。根拠のない医療情報もすでに出回っていた。それに気づいた卵巣がん患者会代表でJ―CAN事務局の片木美穂さん(37)らは、「確かな情報を集約して提供したい」と考えた。

 ホームページだと更新作業に時間と手間がかかる。更新が簡単なブログの方が緊急時には便利なのだ。片木さんらは、震災翌日には突貫工事でブログを開設。おかげで、全国のメンバーが、信頼できる詳しい情報を次々に更新できた。

 被災地では閲覧できない人も多い、との批判もあったが、「支援者が正しい情報を得る道具にもなる」と片木さん。この情報で転院先が見つかった患者が何人もいる。14日現在、掲載情報は91本に上っている。(2011年6月15日 読売新聞)



情報プラス
J―CAN
 J―CAN(Japan Cancer Action Network)のブログはこちら から見ることができます。 J―CANのHPはこちら 。



One world プロジェクト

 被災地のがん患者にかつらなどの支援物資を送るプロジェクト「One world プロジェクト」は、被災地の薬剤師からの支援を求める声を受けて、J―CANの一員でもあるNPO法人「HOPEプロジェクト」代表の桜井なおみさん(乳がんサバイバー)や医師ら有志が始めたプロジェクトです。同プロジェクトが独自に作ったブログはこちら から見ることができます。」




http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=42336



[がん共生時代]ブログの力(4)家族も心の内吐き出す



「ブログは、がん患者だけでなく、患者の家族の支えとなることもある。

 川崎市に住む清水浩司さん(39)と同じ年の睦(むつみ)さんは、2009年3月に結婚した。翌月、妊娠が分かり喜びに包まれたが、5か月後、妻にリンパ節にまで転移した直腸がんが見つかった。

 3週間後に帝王切開で長男を出産し、抗がん剤と放射線治療に入った。その手術前日、夫婦で始めたのが、浩司さん発案のブログ「がんフーフー日記」だった。

 友人たちに日々の状況を伝えられるし、同じ経験をしている誰かの参考になるかもしれない。何より、浩司さん自身が一つ残らず記録したいと思った。「絶対忘れちゃいけないことが目の前で起きている」。そんな感覚が常にあった。

 息子へのあふれる愛情、妻の実家のある福島県いわき市で、友人らが内緒で用意してくれた手作りの結婚式。輝きが増す日々をブログに刻む間も病状は進み、書き手は夫だけになった。

 仕事と看護で疲れ、むずかる息子を窓の外に放り出したくなった夜のこと。死の恐れに沈む妻に、かける言葉が見つからないこと。

 病状が悪化した昨年5月には、看護する側の葛藤もありのままにつづった。

 個室を勧められたのに、費用のことを考えて妻に切り出せなかった。今後の治療をいわき市に移した場合、自分の雑誌編集の職や育児はどうするかを相談した看護師から、仕事を辞めるという選択肢を提案され、迷った。妻のために何でもしてあげたいのに、決心できない自分を責めた。

《自分に失望するのは、もういやだ。しかし、どこまで捧(ささ)げれば許されるのだろう?》(ブログより)
 「後で友人から、妻が読んで落ち込んでいたと聞きました。それでも書かずにはいられなかった。つらい時は書くことで衝撃を和らげ、その時々をしのいできた」と浩司さんは言う。

 転院した妻を追っていわき市に行く。そう決めて辞表を出した直後の昨年7月、妻は38歳でこの世を去った。その後もブログは続けた。死の実感がわかなかったからだ。震災直後には、ブログや電話で福島の友人に安否を問いかけた。いつの間にか、友達思いだった妻のように行動していた。

 それまでのブログをまとめ、今年4月、「川崎フーフ」の筆名で「がんフーフー日記」(小学館)を出版。後書きにはこう書いた。

《彼女の死は愛する人の中で発酵し、芽吹き、新たなカタチとなって生まれ変わり生き続けようとしています。物語は終わりません。》
 今後の育児、本から生まれた新たな出会い、そのすべてに妻がいる。当分ブログはやめられそうにない。

(2011年6月16日 読売新聞)


情報プラス
 ブログ「がんフーフー日記」はこちら(http://ameblo.jp/gan22/ )から読めます。



このブログをまとめた本「がんフーフー日記」(川崎フーフ著、小学館)は、本が大好きで、結婚前に書店員として働いていた睦さんのために、浩司さんが「最高の墓を」という思いを込めて作りました。


 本のHP(http://www.shogakukan.co.jp/pr/fuufuu/ )から、浩司さん自身による前書きの朗読も聞くことができます。背景に流れる画像は、友人たちが内緒で用意してくれた結婚式の写真です。


 ブログで夫婦の毎日を追い、二人の気持ちを共有してきた友達だからこそ、こんな最高のサプライズを仕掛けることができたのでしょう。式の間中、ずっと泣いていた妻を見つめていた浩司さんは、「人の人生が報われる瞬間って、見たことがありますか?」とブログに書いています。


 ヨメ、ダンナと互いを呼びながら綴ったブログ。ヨメ・睦さんが書いたのは最初の方の数回のみでした。しかし、本には、睦さんが浩司さんに送ったメールや、手紙も収録されています。浩司さんは、妻の死の実感がないまま、9月に一度ブログをしめたのですが、その後うつを発症した時の様子を、本の後書き「それからのそれから」に書いています。「ヨメはもういない。ヨメは死んだんだ」と強い喪失感に襲われた浩司さんを救ったのは、睦さんの残した手紙でした。


 ここではその内容は書きませんので、ぜひ本を読んでください。」



http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=42383



[がん共生時代]ブログの力(5)「主」亡き後も大勢に希望



「ブログの主の死から半年たった今も、がん闘病のジャンルで人気1位の座を守るブログがある。「若年性乳がんになっちゃった! ペコの闘病日記」だ。

 「ここからです、ここから! ここから、ペコの奇跡の物語を皆様にお見せできればと思います」

 札幌市の藤谷ペコさん(筆名)がブログでこう書いたのは2008年12月。がんが心臓にも転移し、余命半年と告げられた直後だった。宣言通り、新たに投与した抗がん剤が効果を見せたものの、いつ心臓が止まってもおかしくない。医師は反対したが、夫(40)と香港旅行を決行し、その後も海外旅行を繰り返した。

 「妻の生きる力になったのは、がんであっても毎日を楽しむ気持ちと、『怒り』でした」と夫は語る。

 結婚1年目の07年3月、右胸の乳がんと診断された。34歳の時だ。母親を卵巣がんで亡くし、乳がん検診を毎年受けていたが、既にリンパ節に転移していた。

 全摘手術直前に始めたブログで、若い世代で見落としの可能性が高い乳がん検診の問題を何度も訴えた。

 手術から8か月後の08年7月、骨とリンパ節に再発。ホルモン療法や、分子標的薬という新しい薬が効かない乳がんのため、抗がん剤で命をつなぐしかない。保険で使える抗がん剤はすべて試したが、次々と効かなくなっていった。

 脳や甲状腺にも転移が広がった10年秋にはテレビ出演し、海外で広く使われている薬が日本で使えない「ドラッグ・ラグ」の解決を訴えた。「日本でなければもっと治療できるのに!」と何度も悔しがった。

 その番組でペコさんを知った乳がん闘病中のまつこさん(40)(筆名、北海道在住)はブログを見て驚いた。

 「こんなに具合が悪いのに旅行に行っちゃうの? 何でこんなに前向きなの?」

 昨年末に再発がわかったまつこさんも、抗がん剤が命綱となる同じタイプの乳がんだ。「薬がなくなり体が弱っても、ペコさんの気持ちは決して弱くならなかった。励まされました」

 今年1月、「ペコの奇跡の物語が終わりました」と夫がブログで報告した。読者の声350件以上が寄せられ、38歳の死を悼んだ。

 まつこさんはその後も度々ブログを訪れる。ペコさんが臨床試験でしか使えなかった抗がん剤が、保険で使えるようになったニュースもコメントで入れた。

 「少しでも思いを継ぎたいから」と、4月には自身のブログを開設、ドラッグ・ラグやがん検診について発信を始めた。ブログが、人から人へ生きる希望をつないでいる。(岩永直子)

(2011年6月17日 読売新聞)


情報プラス
 ブログ「若年性乳がんになっちゃった!ペコの闘病日記」はこちら(http://pecochan.at.webry.info/ )から読めます。


 今年1月19日、このブログをまとめた本「若年性乳がんになっちゃった!ペコの闘病日記」(藤谷ペコ著、北海道新聞社)も出版されました。ずっと作家になることを夢見ていたペコさんは、病院のベッドの上でこの本を手に取って、とても喜んだそうです。奇跡の物語が終わる、わずか二日前のことでした。


 大学は芸術学部に進み、演劇の脚本を書いていたペコさんは書くことがずっと好きだったそうです。ブログを書くことで、多くの人を励ましていましたが、全身に転移し、使える抗がん剤が尽きてしまったころは、夫のポコさん(ブログ内でペコさんはご主人をポコさんと読んでいました)に「痛い、苦しい」「早く病院に来て」と弱音をはくことも増えたといいます。


 それでも、ブログの中のペコさんは、いつも明るく前向きでした。「もちろん常に本音を書いてはいたのですが、同じように病を抱えて苦しい思いをしている人やそのご家族に希望を持ってもらえるように、言葉遣いには注意を払っていました」とポコさんは振り返ります。


 ペコさんが旅立った後、ブログはポコさんが引き継ぎました。パスワードは直前まで教えてもらえず、1月に入ってからようやく教えてくれた時、ペコさんは「ブログを守ってね」とポコさんに言ったそうです。


 ポコさんは、残された夫の思いのほか、「妻のようには書けないけれど、妻が書き残したことを、ずっと隣にいた者として書いていかなければ」と、闘病生活で気付いたことも綴り始めています。病人にとって、入院生活で一番の楽しみとなる病院食の味が残念ながら微妙なこと、QOLにとってペインコントロールが非常に大事であること、ドラッグ・ラグのこと・・・。「治療法は日進月歩で変わっていくと思いますが、病気に向き合う患者の気持ちは変わらないこともあります。妻と心の中で話し合いながら、思いを継ぐためにこのブログを生かしていきたい」と話しています。


 また、まつこさんのブログ「負けず嫌いのまつこの乳がん闘病日記です」はこちら(http://yaplog.jp/matsuko0201/ )から読むことができます。まつこさんは、ペコさんのブログでもこの筆名でコメントを投稿しています。」



「菅政権、すべてもの足らない」 経団連会長が改めて不満

2011年06月26日 | Weblog
2011年06月20日 21時57分30秒

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110620/biz11062018020021-n1.htm



「経団連の米倉弘昌会長は20日の会見で、菅直人政権について「実行力、判断力すべてもの足らない」と改めて強い不満を示した。

 政府の震災復興基本法案については「復興方針を決めただけで、特区や復興庁設置には新たな法律が必要になる」と指摘。「スピードが求められているときに何を悠長なことをしているのか」と批判した。税と社会保障の一体改革案についても、消費税率の引き上げ反対で成案を得られず、「復興のために国債発行をしなければならなくなることもある。いま消費税を上げずに2013年度からどうやって一体改革ができるのか」と不満を漏らした。

 6月上旬に退陣表明をした菅首相に対しては「国民の前で明言したのだから必ず実行すべきだ。若い人の教育上も具合が悪い」と切り捨てた。」



、「復興のために国債発行をしなければならなくなることもある。いま消費税を上げずに2013年度からどうやって一体改革ができるのか」



法人税を100%にしちゃえばいいんじゃない。利益にしかかからないうえに、各種租税特別措置やら、補助金やら、助成金やらで40%ぐらいにしかならないでしょ。



被災地の人にも、年金生活の人にも、病人にも、障害者にも、一律に何十%も消費税をかけるより、よっぽど人道的でしょ。



http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110614/biz11061419250041-n1.htm



菅直人首相は「お辞めにならねば日本没落だ」 米倉弘昌経団連会長



「米倉弘昌経団連会長は14日、フジサンケイビジネスアイのインタビューに応じ、今月上旬に退陣を表明した菅直人首相について「お辞めにならねば日本没落だ」と語り、次期総理には野田佳彦財務相か仙谷由人官房副長官がふさわしいことを示唆した。そのうえで「心機一転。そうなれば新しい政権を経団連はサポートする」と語り、早期に政権交代し震災復興を急ぐべきだと強調した。

 インタビューのなかで米倉会長は、「次期首相候補に野田、鹿野、仙谷各氏の名前が挙がっている」との問いに答え「まんなか抜けた二人ですね。実行力と責任感。野党からも信頼されるような人でないけない。信頼されて初めて協力関係ができる。党内からなんとか言われているようなひとは野党からも論外だろう」と語った。

 また「一刻も早く復興に着手してもらいたい。野党はいまのままでは絶対に協力しない。復興を1日も早くやってあげないと被災地のみなさんがかわいそうだ。菅さんじゃ無理で、何もしていないのと同じだ」と非難。「復興庁の設立が来年という話があるが、遅すぎる」と指摘したうえで復興支援のため、7月13日に宮城県塩釜市を訪れ、「経団連として何ができるのか、どういうことでお手伝いしたらいいのか、東北経済連合会と話をする。実際に見ることは全然違うと思う」と意欲を示した。



14日に閣議決定された東電原発スキームについては「賠償法がありながらそれに沿ってやっていない。理解に苦しむ。あのスキームから離れて法律にのっとってやるべきだ」と白紙撤回が望ましいことを改めて強調した。

 イタリアで原発継続は否決されたことについては「欧州全体にグリッド(送電網)があり、どこからも電力は手当てできる」と述べ、日本での再生可能エネルギーの普及には「時間とコストがかかり、当面は原発しかない」と述べた。

 7月上旬に欧州を訪ね、「エネルギー政策全般、とくに安全性をどう確保するかをやりとりする」と語り、「EUの政策担当者と意見交換し実現に向けて側面支援したい」と語った。」



おこがましいにもほどがある。総理に誰がいいとか言える立場にない。



総理は、国民の代表たる国会議員が選ぶものであり、一民間人が選ぶものではない。分を弁えろと言いたい。



何を得意になってしゃべっているのか。



最低賃金額より生活保護費が上回る?

2011年06月21日 | Weblog
2011年06月20日 14時00分10秒

http://www.hatarakuba-info.com/news_6RZEVy5Zq.html



「平成22年度の厚生労働省のまとめによると、ハローワークを通じて就職した障がい者は、雇用情勢が厳しいにもかかわらず、平成21年度の45,257件から大きく伸び、過去最高の52,931件となった。

しかし、障がい者の雇用が増加しても「労働能力が低い」として、最低賃金を減額され、生活は苦しいという声が絶えないという。

なかでも、知的障がい者の賃金は、一般の労働者ならびに身体障がい者と比較して明らかに低い額であることが多い。最低賃金より生活保護費が上回るというケースも少なくなく、

「障がい者とその家族は、単純労働で低賃金、劣悪な労働環境であっても、働く場が与えられていればうれしいと思わされている。最低賃金の減額は、公的に認められた人間性の否定だ」

と厳しく指摘する声もある。



最低賃金の減額の特例許可制度とは



最低賃金制度とは、最低賃金法に基づき国が賃金の最低限度を定め、使用者は、その最低賃金額以上の賃金を労働者に支払わなければならないとする制度である。

しかし、これには「最低賃金の減額の特例許可制度」というものがある。一般の労働者より著しく労働能力が低いなどの場合に、最低賃金を一律に適用するとかえって雇用機会を狭めるおそれなどがあるため、特定の労働者については、使用者が都道府県労働局長の許可を受けることを条件として個別に最低賃金の減額の特例が認められているというものだ。しかし、


「雇用時に最低賃金を要求すると、就労できない恐れがある。最初から減額ありきで、障害者は給与を安くして当たり前との意識が雇用者側にある」

と障がい者支援機関の担当者は言う。

過去、2007年には、神戸市内の知的障がい者の作業所が訓練と称して時給150円程度でクリーニングなどの作業をさせていたということが問題になった。

このような弱者の弱みにつけこみ働かせる悪質なケースもある。」



それはそうなんだけど、それを追認している行政機関もどうなのよ。



ハローワークの担当者もやる気ないのがいたしね。(もちろん熱心な人もいたけど。)



「精神障がい者は出ていってほしい」避難所の障がい者の現状

2011年06月21日 | Weblog
2011年06月20日 13時59分15秒


http://www.hatarakuba-info.com/news_6XFLO4TCG.html?right



「精神障がい者は差別されている



5月23日、内閣府の第32回障がい者制度改革推進会議で、東日本大震災の避難所での障がい者の現状について報告された。

障がい者の中でも、精神障がい者にとってはプライバシーのない過酷な避難所生活は耐えられないことであり、これが更に症状を悪化させ、大声を上げたりして「避難所から精神障がい者は出ていってほしい」と差別されていることが報告された。

何百人といる避難所では、重度の知的障害のある男性が夜中に走り回ったり所構わず排泄をしたりするなどの行為が続き、「安心して寝られない」との不満が相次いだという。

見えない障害のため、周りから障害を持っていると気付かれにくいという点も状況を悪化させている。避難所で小さくなって孤立していく障がい者とその家族たちの苦悩が浮き彫りとなった。



多くの避難所「障害者はいない」「特別な支援はいらない」
実際、避難所には多数の障がい者がいるにもかかわらず、多くの避難所では、「障害者はいない」「特別な支援はいらない」と言うそうだ。

障害者といっても、避難所側が考える障がい者は、車椅子などを利用している重度の障がい者であることから、内部障害や難病、精神障害などを想定していない。このギャップが支援の遅れを招いている。

見えない障害という点では聴覚障がい者も苦労している。一部の報告では、ある難聴者が補聴器のハウリング音がうるさいと言われ、終日避難所の外で時間を過ごし、寝るときだけ避難所に戻るという生活を送っているという。

また、避難所では食事時間や入浴時間などの重要な連絡がマイクを通して知らされるため聴覚に障害がある人には伝わらないという現状も報告されている。

日にちが経つほど各地の避難所では、一般の避難者はもとより障がい者の疲労の色が濃くなっている。」



6月20日付 編集手帳

2011年06月21日 | Weblog
2011年06月20日 01時36分52秒

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20110619-OYT1T00763.htm



「神々からの罰として主人公が巨岩を山頂に運び上げるが、岩は常に頂からころげ落ちてしまう――フランスの作家、アルベール・カミュによる「シーシュポスの神話」の有名な一節だ◆3か月余に及ぶ福島第一原子力発電所の事故対応の困難さを見ていると、この不条理な苦行の神話さえ連想される。無論投げ出す訳にはいかない。一日も早い事故収束へ政府は全力を挙げてほしい◆今回、日本の原発で重大事故は起きないという「安全神話」が崩壊した。だからと言って、原発の安全確保が不可能であるかのような「危険神話」に陥り、「脱原発」に走るのは別の意味で危うい◆既に多くの教訓がある。政府が国際原子力機関(IAEA)に提出した報告書には28項目の安全強化策が示された。津波の想定規模の再検討や非常用電源の多重化、炉心冷却機能の確保などだ。まずは、この対策を着実に実行したい◆真理は中庸にありと言われる。「安全神話」にも「危険神話」にも与(くみ)せず、安全性を高めた原発を使い続ける。それが日本の英知を結集し、目指す道だろう。神話とは、人間が克服すべき対象なのだから。(2011年6月20日01時17分 読売新聞)」



「安全性を高めた原発を使い続ける。それが日本の英知を結集し、目指す道だろう。」



いやいやいやいや。そんなことないって。



日本の英知を結集し、自然エネルギーによって暮らしていくことこそが、目指す道でしょ。



「神話とは、人間が克服すべき対象なのだから。」



何言ってんだかわからない。神話ってそういう種類のものだっけ?



首相退陣時期 会期延長を延命手段にするな(6月18日付・読売社説)

2011年06月21日 | Weblog
2011年06月18日 14時33分12秒

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110617-OYT1T01201.htm



「政府・与党が国会を90日程度延長する方向で野党と調整に入った。

 東日本大震災対策で課題は山積している。国会の会期を延長して、本格的な復興を急ぐことは必要だ。

 だが、国会会期延長と菅首相の退陣時期は、切り離して考えるべきである。首相に退陣引き延ばしの口実とさせてはならない。

 早期退陣は野党だけでなく、岡田幹事長、仙谷由人官房副長官ら“身内”でさえ、求めている。

 首相だけが延命に執念を見せているのは異様だ。再生可能エネルギー買い取りを電力会社に義務づける法案に突然意欲を示し、「菅の顔を見たくないなら、この法案を通した方がいい」と早期退陣論を挑発したのも見苦しい。

 首相は、赤字国債の発行を認める特例公債法案や第2次補正予算案を成立させるため、野党に協力を求めたいという。それなら、退陣時期を明確にするのが筋だ。

 第2次補正予算案は、原発事故の賠償の政府負担金や、二重ローン対策などに充てる。いずれも重要な政策ではある。

 だが、小ぶりな補正の編成作業が本格的な復興のための第3次補正を遅らせかねない。予算編成に当たる桜井充財務副大臣が「本来大事なものまで先送りされるようなことになると本末転倒」と批判したのも理解できる。

 一度退陣を口にした首相の下で国政は円滑に進まない。「人災」を広げるだけではないか。外交にも大きな成果は期待できない。国際社会から相手にされる政治体制を立て直すことが急務だ。

 民主党は、首相の進退問題を早急に決着させ、後継の代表選へ向けた準備を急がねばならない。

 ねじれ国会で、非常時とも言える事態に対処するには、強力政権が必要だ。「救国」を使命とする自民、公明両党などとの期限付き大連立や、閣外協力といった新体制を築くことが望ましい。

 代表選は、そのための重要な手続きでもある。新代表が、破綻した政権公約の堅持に固執する党内の勢力と決別しなければ、野党とは連携できまい。

 自民、公明など野党側は、内閣不信任決議案が否決された以上、首相を退陣に追い込む手段を欠いている。当面の震災対策や緊急性のある政策には協力するのが、責任ある態度だろう。

 野党側にも新しい政治体制構築に向けての戦略が求められる。(2011年6月18日01時45分 読売新聞)」


第三者による客観的な論評というよりも、当事者による感情的な文章という感じ。まるで自民党政治家のよう。

憲法に書いてある通り、内閣総理大臣を辞めさせたいのであれば内閣不信任決議案を可決(or内閣信任案を否決)すればいいのであって、読売は衆議院議員に内閣不信任決議案を可決(or内閣信任案を否決)するよう働きかければいい。

主観的に、つまりは菅総理が気に入らないからという理由で総理の退陣を求め続けるのであれば、公正・公平な報道との社是は取り下げた方がいい。


東日本大震災:知的障害者、相次ぐ急死…避難先で発作など

2011年06月21日 | Weblog
2011年06月17日 17時54分03秒

毎日jp配信記事( http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110617k0000m040096000c.html )



「東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で避難した高齢者らが慣れない避難先で死亡する「災害関連死」が問題化する中、原発周辺の入所施設から避難した知的障害者の死亡が相次いでいる。毎日新聞の調べでは少なくとも11~67歳の男女4人が死亡し、中には津波で夫が行方不明となった妻が知的障害者の長男を災害関連死で失うケースもあった。専門家は「知的障害者は苦痛を伝えにくい上、多くは持病などを抱え、長時間の移動や環境の変化が致命的影響を与える場合もある」と警鐘を鳴らす。【野倉恵】



 ◇苦痛伝えにくく



 原発から約5キロの福島県富岡町の知的障害児施設「東洋学園」に入所していた小野卓司さん(当時23歳)は震災翌日の3月12日、入所者ら計約200人と同県川内村の系列施設へ避難し、避難指示範囲の拡大に伴い夜に村内の小学校へ移動。周辺住民と一緒の慣れない環境からか落ち着かない入所者が相次ぎ、13日に同県田村市の通所施設(定員40人)に移った。28日夜、持病のてんかんの発作が起き、服薬で収まったが、間もなくあおむけのまま動かなくなり、29日正午過ぎ、救急搬送先で死亡。逆流した食物でのどを詰まらせたとみられる。

 「本当に(頭の中が)真っ白になりました。3週間で2人が……」。同県新地町に住む母みね子さん(55)は嘆く。漁師の夫常吉さん(56)も震災当日に海へ漁船を見に行ったまま戻ってこない。

 卓司さんは幼いころ呼びかけても振り向かなかった。障害が判明した時、夫婦は「一緒に育てよう」と励まし合ったが、卓司さんは外に飛び出しては家に戻れなくなった。小学校に上がる時、東洋学園に入所。障害は重く、成人後も着替えや入浴に介助が必要だったが、みね子さんは学園行事に必ず出かけ、盆や正月の帰省時は常吉さんが車で連れ出した。車中や母の手料理の並ぶ食卓で卓司さんはいつも笑顔だった。

 「ずっと続くと思っていた」日々は震災で一変した。「でも、私は2人に守られた気がするんです」とみね子さん。多くの家が津波で流された中、自宅は無事だった。今、卓司さんと一緒に施設にいたやはり障害者の次男(22)が気がかりだ。「いつもお兄ちゃんが近くにいた。今あの子はぽつんとしているのじゃないかと」

 東洋学園では他に千葉県鴨川市の青年の家に集団で再避難した20日後の4月27日、小学6年の久保田菜々さん(当時11歳)が授業中に施設前の海でおぼれて死亡している。

   ■

 福島県相馬市の障害者支援施設「ふきのとう苑」では大内恵美子さん(当時54歳)が急性循環不全で急死した。原発事故で協力病院の医師らが避難したため3月23日、他の入所者と群馬県渋川市の施設へ6時間かけて車で移動。30日午前7時過ぎ、受け入れ先の職員がたん吸引した際は異常なかったが、同8時ごろ朝食を運ぶと動かなくなっていた。

 「何で、と最初は思いました」と、福島県飯舘村の姉美恵子さん(62)。恵美子さんは長年同村の実家で暮らし、美恵子さんの3人の娘も「えみちゃん」と慕った。歌や踊りが好きで、村の盆踊りで3年連続で仮装の賞をとったこともある。

 40代になるとてんかんの発作が頻繁になった。両親が相次ぎ亡くなり、風呂場やトイレでも倒れて目が離せなくなり施設に入所。骨折で車椅子に乗り、声も十分出なくなったが、美恵子さんが週1度訪ねる度に笑いかけてきた。「恵美子は今は、両親のところへ行ってゆっくりしているのだと思いたい」と美恵子さんは言う。

 他にも富岡町の知的障害者施設「光洋愛成園」の67歳男性が3月12日に福島県三春町の避難所に移動、4月15日に群馬県高崎市の国立障害者施設に入り、5月5日に高熱のため病院に入院して6日未明、肺炎のため亡くなった。厚生労働省は障害者施設利用者の災害関連死を「把握していない」としている。

毎日新聞 2011年6月16日 21時50分(最終更新 6月17日 10時18分)」



6月15日付 よみうり寸評

2011年06月21日 | Weblog
2011年06月17日 00時54分47秒

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column2/news/20110615-OYT1T00632.htm



「「あの日本で、安全確保ができなかったのだから、イタリアが管理するのは難しい」――原発再開の是非を問うイタリアの国民投票は「NO」の脱原発派が勝った◆14日、開票を終え投票率は54・79%、原発再開に反対票は94・05%。「あの日本で……」は、ローマの広場で女性の声。歓喜の踊りの輪の映像の後だった◆日本の技術水準を評価したような弁はありがたくもあるが、ちと買いかぶり、と思うと喜べない。無論、日本の「原子力ムラ」の存在などイタリアの有権者は知るはずもないこと◆原発反対派の勝因は「フクシマ」に違いない。東電福島第一原発事故の発生と拡大にかかわりのある「ムラ」関係者は猛省すべし◆これで欧州ではスイス、ドイツに次いでイタリアが反原発の方向を固めた。イタリアはドイツ同様、原発大国フランスから電力を買うなど日本とは事情が大きく違う◆が、イタリアの反原発圧勝を軽視して「集団ヒステリー」などと言ってはいけない。首相の求心力の低下は両国とも同じことだ。(2011年6月15日13時52分 読売新聞)」



この位自分のことを棚に上げられると生きていくのがラクだよな。

放射能汚泥 政府と自治体の協力で対策を(6月16日付・読売社説)

2011年06月21日 | Weblog
2011年06月16日 23時34分11秒

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110615-OYT1T01241.htm



「東日本の広範な地域で浄水場や下水処理場の汚泥から放射性物質が相次ぎ検出され、各自治体が頭を抱えている。

 汚泥は水を浄化した後に残るもので、主に放射性セシウムが検出されている。

 3月に起きた福島第一原子力発電所の水素爆発などで大気中に飛散し、雨に混じって地表に落下した。雨水管などを通じて処理場に集まったらしい。

 政府は当面の方策として、セシウムが検出された汚泥の施設内保管などを指示していた。

 しかし、保管量は増える一方で、東京都内、神奈川、埼玉、茨城県などの処理場では、月内にも、汚泥を詰めた袋で施設が満杯になることが懸念されている。

 政府は、汚泥対策に悩む関係自治体と緊密に連携して、対応を急がねばならない。

 放射性物質を含む汚泥については、これまで、廃棄物として処分するための明確な基準が定められていなかった。

 近く政府は、事故で発生した汚染廃棄物について、放射性物質の量が1キロ・グラム当たり8000ベクレル以下の汚染なら、他の産業廃棄物などと同様に処分できるなどとした新たな基準を示す方針だ。

 これにより、各地にたまった汚泥も、相当量が処理場から持ち出し可能になるとみられている。

 セメント原料や園芸用土などとして汚泥を引き受けていた業者が、受け入れを断るケースも続出していた。こちらも再開につながると期待されている。

 ただ、極めて少量でも、放射性物質が含まれた汚泥の扱いに不安を抱く住民も少なくないだろう。政府や自治体は、安全性の根拠を丁寧に説明し、理解を求めて行く必要がある。

 政府の試算では、管理の厳しい処分場なら、新基準の1キロ・グラム当たり8000ベクレル以下の汚染廃棄物を埋設しても、周囲に放射線による影響が出る恐れはない。

 処分場から外部に漏れた場合の人体への影響も年間10マイクロ・シーベルト以下で、日常生活で浴びる放射線の100分の1以下だという。

 今後も、汚染地域の土壌除去作業などで、様々な汚染廃棄物が発生する。これらについても処分策を早急に決めねばならない。

 福島第一原発の敷地内や周辺では、がれきなど、極めて高濃度の汚染廃棄物も大量に出ている。多種類の放射性物質が含まれ、処分方策を決めるデータもない。

 その研究と対策の検討にも、政府は早急に着手すべきだ。(2011年6月16日01時30分 読売新聞)」


「政府の試算では」って、この「政府の試算」が全く当てにならないから、福島の事故とその影響が各地に広がってるわけじゃない。

政府と一緒になって国民を騙すなよ。

それと、政府や自治体に安易に対策をとるよう要求するけど、それら全部税金、即ち国民の金だからね。そのコストも考え合わせたうえで、原発推進論を展開してくれよな。そういう費用も含めたら、原発のコストは全然安くないから。


イタリアの選択 欧州の原発依存は変わらない(6月16日付・読売社説)

2011年06月21日 | Weblog
2011年06月16日 23時15分03秒

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110615-OYT1T01255.htm



「スイスやドイツに続いて、イタリアが「脱原発」の継続を選択した。

 欧州ではその一方で、原発大国フランスや英国のほか、フィンランド、スウェーデン、チェコ、ポーランドなど北欧、東欧諸国が原子力発電を推進している。

 原発を放棄できる背景には、近隣国の原発による電力を、送電網を通じて輸入できるという欧州ならではの事情がある。実態として欧州の原発依存は変わらない。

 イタリアの国民投票で原発の再導入を目指す政府の方針が、94%の反対で拒否された。ベルルスコーニ首相は「結果を受け入れる」と、原発との決別を約束した。

 ドイツに比べてイタリアは、風力や太陽光など再生可能エネルギーの開発・普及が遅れている。代替エネルギー開発をどう進めていくのか、イタリア政府は早急に明らかにする責任があろう。

 2008年に発足した現在のベルルスコーニ政権が原発再開を目指したのは、電力供給体制の脆弱(ぜいじゃく)さを痛感したからだった。

 イタリアは1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故後、国民投票で原発廃止の道を選び、90年には主要国で唯一、稼働原発のない国となっていた。

 だが、電力需要の15%を輸入に頼るうえ、総発電量の8割以上を占める火力発電の燃料の高騰で、産業用電気料金はフランスの約2倍になった。隣接諸国と結ぶ送電線の事故で大停電も経験した。

 イタリアでは過去10年間、先進国では例外的に、1人当たりの国内総生産(GDP)も労働生産性も低下した。財政赤字は膨らみ、経済は低迷している。将来、ユーロ圏経済の波乱要因になりかねないと指摘されている。

 このため、原発4基を新設し、2020年までに稼働させる方針を掲げたのだが、福島第一原発の事故という逆風にさらされた。

 原発再開を起点にしたベルルスコーニ政権の成長戦略は抜本的な変更を迫られている。もし、イタリアが過去10年の負の遺産を解消していくことができなければ、景気回復の足かせとなる。欧州経済への打撃も大きい。

 その影響は、欧州を重要な輸出市場とする日本にも、当然、及んでこよう。

 日本は震災からの復興に向け、自国のエネルギー戦略を再構築するとともに、欧州諸国のエネルギー政策も注視する必要がある。(2011年6月16日01時30分 読売新聞)」


大きなお世話第二弾。イタリア国民の判断にまでチャチャ入れてる。


読売の記事を読んでいて思うことは、「ダメな子」の典型だということ。否定的な要素ばかり挙げ連ねている。それじゃ前には進めない。

イタリアの国民投票の結果は、未来への意思であって、今すぐ世界中の原発を廃止しようとするものではない。10年かかるか、20年かかるかはわからないが、福島の悲劇を繰り返さないように、将来的には原発を廃止し、自然エネルギーに転換しようというものである。その考えは間違っていない(と少なくとも私は思う。)


一連の記事を読んでいると、読売の考えははっきりしている。経済的利益のためには、原発による惨禍は甘受すべきというものである。


それに対して、脱原発の立場の人達の考えもはっきりしている。経済的デメリットを甘受しても、原発を廃棄・放棄するべきというものである。


どちらが正しい考えかは、そう遠くない時期に明らかになる。


反原発、「集団ヒステリー」=石原自民幹事長

2011年06月15日 | Weblog
2011年06月14日 18時15分48秒

http://www.jiji.com/jc/zc?key=%c0%d0%b8%b6&k=201106/2011061400416



「自民党の石原伸晃幹事長は14日の記者会見で、福島第1原発事故後の反原発の動きについて「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」と述べた。表現が不適切との批判も出そうだ。
 石原氏は、代替エネルギー確保や製造業への影響など原発を止めた場合の課題を挙げて「『原発推進なのか、反対なのか』という問いがあるが、簡単な話ではない」とも語った。(2011/06/14-13:12)」



えらい言われようだね(苦笑)



お宅の親父は一年中ヒステリックだけどね。


「原発重視」発言に化石賞 温暖化交渉で日本政府に

2011年06月15日 | Weblog
2011年06月12日 22時32分13秒

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110612/dst11061213210009-n1.htm



「ドイツ・ボンで開催中の気候変動枠組み条約の特別作業部会の会場で、各国の環境保護団体でつくる「気候行動ネットワーク」は11日、地球温暖化対策として引き続き原発を重視する姿勢を示したとして、日本政府に対し、交渉で後ろ向きな発言をした国を対象とした「化石賞」を贈った。

 京都議定書では、先進国が発展途上国で実施した事業によって削減した温室効果ガスを、自国の目標達成向けにカウントできるCDMという制度を定めている。化石賞の授賞理由は「CDMを改正し、原発も対象にすべきだとの従来の主張を繰り返した」という点。原発がCDMの対象になると、温暖化対策を理由に原発導入が進む可能性がある。だが原発は事故の危険があり、放射性廃棄物がたまるため、対象にすることに否定的な意見も強い。」



経団連にも、読売にも、産経にも「化石賞」を送りたいね。「腐った水賞」でもいいね。