がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

足利事件、読売新聞報道を検証…DNA一致発表疑わず

2009年06月27日 | Weblog
2009年06月27日 22時42分記載
URL http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090626-OYT1T01176.htm  



「逮捕から17年半ぶりに、菅家利和さん(62)の再審開始が決定した「足利事件」。当時の読売新聞は、事件をどう報じたのか、今につながる教訓は何か。

 取材に携わった10人以上の記者から聞き取り、一連の紙面を検証した。

 ◆指紋なみ捜査革命◆

 「幼女殺害 容疑者浮かぶ」。読売新聞は1991年12月1日朝刊1面で、足利事件の容疑者の取り調べが間近に迫ったことを伝えた。

 菅家さんが逮捕されたのは、翌2日午前1時すぎ。同日朝刊1面は「元保育園運転手を逮捕」との見出しで、菅家さんがDNA鑑定の結果を突きつけられて自供したことなどを報じた。

 DNA鑑定については、1日朝刊の1面記事で「ほぼ同一人物の遺伝子」と説明、2日朝刊の社会面では「捜査革命と言われるほど画期的な技術」と解説した。

 この中で、「科学的な証明度がどれくらいあるかが問題」とする土本武司・筑波大名誉教授(当時は教授)の談話を紹介。国内のDNA鑑定の生みの親とされる石山いく夫(お)・帝京大名誉教授(同)が「鑑定だけを決め手にするのではなく、他の物証の支えとして利用する方がいいのではないか」と指摘したことも書いた。(いくは日の下に立)

 警察庁が89年に導入したばかりのDNA鑑定は「MCT118型検査法」と呼ばれ、証拠として提出された事件で、当時まだ判決は出ていなかった。「新しい捜査手法を、専門家はどう見ているか、読者に伝えるべきだと考えた」と、当時、宇都宮支局で栃木県警を担当していた記者は話した。

 しかし、記事の見出しでは「『指紋』なみ捜査革命」とプラス評価だけを強調したため、精度は100%ではないという事実を十分印象付けられなかった。

 DNA鑑定の精度に関しては「足利市周辺でも該当者が数十人はいる」という指摘もできたはずだった。

 「DNAが一致したという警察の発表で、捜査に問題はないと思いこんでしまったことは否定できない」

 東京本社で記事のチェックにあたっていた記者の一人はそう振り返る。

 ◆「少女趣味」など予断を招く記述◆

 逮捕を伝える2日朝刊社会面では、「ロリコン趣味の45歳」の見出しで、菅家さんが週末を過ごしていた借家について「少女を扱ったアダルトビデオやポルノ雑誌があるといい、少女趣味を満たすアジトになったらしい」との記事を掲載した。

 記事は、県警担当の記者が菅家さん逮捕の約1週間前、県警幹部から取材をした情報がもとになっていた。別の複数の捜査幹部からも「逮捕できるだけの直接証拠ではないが、状況証拠の一つだ」との感触を得ていたことから、菅家さんの逮捕直後に記事にした。

 しかし、県警の捜索で少女を扱ったアダルトビデオなどは発見されなかった。このため、翌3日の朝刊社会面の記事で「ロリコン趣味を思わせる内容のものはなかった」と修正したが、菅家さんについての予断や偏見を読者に与えた可能性はある。

 栃木県版でも、菅家さんの生活ぶりなどを報じた。

 「おとなしく、きちょうめん」「酒はあまり飲まず、趣味らしいものはなかったようだ」。記事中の関係者の談話などに、菅家さんを犯人と決めつけるような表現はなかったが、菅家さんが週末を過ごしていた借家については「一人ビデオを楽しむなどの“孤独癖”が浮き彫りになっている」と表現した部分があった。

 ◆再鑑定への動き節目ごとに取材◆

 菅家さんは93年7月、1審・宇都宮地裁で無期懲役判決を受け、東京高裁は96年5月に控訴を棄却した。

 読売新聞では、この二つの記事で、弁護側がDNA鑑定に疑問があると主張していることに触れ、97年10月には、弁護団が独自鑑定でDNAが一致しなかったとして最高裁に再鑑定を求めたことも報道した。

 2008年10月には、再審請求の即時抗告審で、東京高裁がDNA鑑定の再鑑定を認める可能性が出てきたと報じるなど、機会がある度に、逮捕当時のDNA鑑定に問題があるとの弁護側の指摘を記事にしている。

          ◇

 読売新聞が昨年3月から運用を始めた「事件・事故 取材報道指針」では、容疑者や被告が真犯人であるという予断や偏見を読者に抱かせる「犯人視報道」を戒めている。そのために、情報の出所をできる限り明示し、容疑者や被告の言い分を可能な限り記事に盛り込む「対等報道」に努めている。

 足利事件を巡る一連の報道では、導入されたばかりのDNA鑑定への過大評価があった。日々進化する科学捜査に対する客観的かつ冷静な目を持つ。事件で得た教訓を重く受け止め、今後の取材・報道に生かしていきたい。(社会部次長 星春海 地方部次長 谷口透)

(2009年6月27日07時29分 読売新聞)」

こんな小学生の反省文みたいなもん書いたって、菅家さんの17年は帰ってこないんだよ。


言うだけ虚しいけど、報道機関の役割は権力機関の監視。裁判所・検察庁・警察庁には国民を殺す権限が与えられている。その認識が余りに薄すぎる。

間違っても無辜の国民が命を奪われないように、人生を棒に振らないように、権力を監視することが、絶対に揺るがせにしてはいけない報道機関の第一の使命。その使命が果たせずに、記者クラブで仲良しごっこやってるなら、新聞記者辞めろ。


公的年金の積立金運用、赤字10兆円…過去最悪に

2009年06月27日 | Weblog
2009年06月27日 21時43分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090627-OYT1T00033.htm



「公的年金の積立金の2008年度の市場運用実績が10兆円の損失となったことが26日、分かった。

 単年度の赤字は2年連続で、赤字幅は過去最大となった。08年9月の米証券リーマン・ブラザーズの破綻(はたん)に端を発した金融危機による株価下落や円高が要因で、運用利回りもマイナス10%台に落ち込んだ。厚生労働省は「単年度の赤字で長期の年金給付にすぐ影響がでるわけではない」としているが、今後の年金制度のあり方にも影を落としそうだ。

 公的年金の積立金の運用は、厚労相からの委託を受けた「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」が行っている。国民年金と厚生年金を合わせた積立金は約140兆円で、そのうち約90兆円を市場で運用している。運用割合は6割超が国内債券、2割が国内・外国株式、残る1割が外国債券となっている。

 08年度は、第1四半期(4~6月)のみ1兆円の黒字を確保したが、以降は株価下落などの影響を受けて、赤字に転落。第2四半期(7~9月)が4兆円、第3四半期(10~12月)は5兆円と大幅赤字を記録していた。

 厚労省が今後100年の年金財政を検証した「財政検証」では積立金の運用利回りを4・1%に設定した上で、厚生年金の給付水準が「現役世代の収入の5割以上」を確保できるとしている。今回のマイナス10%は目標と大きく乖離(かいり)した結果となっており、このまま運用の低迷が続けば、厚労省の計算通り年金資金が確保できず、将来の給付カットにもつながりかねない。「現役世代の収入の5割以上」は政府・与党の公約でもあり、給付カットとなれば、年金不信がさらに深刻化する恐れもある。

 ただ、今年度に入ってから、株式市場は回復基調にあり、運用実績は改善しつつあるとの指摘もある。

(2009年6月27日03時10分 読売新聞)」

もう、腹立つよなあ。


積み立てる必要もねえのに積み立ててる厚生労働省にも、運用する能力もねえのに運用している「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」にも、そういう問題を知りもせず、知ろうともしない国民にも、そして何より、「ただ、今年度に入ってから、株式市場は回復基調にあり、運用実績は改善しつつあるとの指摘もある。」って、誰に対して何が言いたいのかわからねえ駄文を付け加えてる読売に。

なんでみんな腹立たないのかなあ。もう、やんなっちゃうよなあ。

今年度に入って株式市場が回復したからってなんなんだよ。そもそも積み立てが要らねえじゃねかよ。積立金で年金賄うなら、社会保険料の徴収止めろよ。賦課方式で年金回してんだろうよ。だから俺達から金取ってんだろうよ。ふざけんなよ。

なんでこんな国になってんだろうな。やんなっちゃうよな。もう絶望まであと一歩だよ。


本日の定期検診結果のご報告

2009年06月20日 | Weblog
2009年06月19日 21時31分記載

お陰様で、転移・再発、感染症の徴候、いずれも認められず、順調な経過を辿っています。これで、原発巣切除から丸5年が経過し、一層生存の確実性が高まったと思います。



ただ、残念だったのは、人工関節を支えているボルトの1つが折れてしまっていたことでした。すぐにどうこうということはないのですが、補装具の作り直しが必要となりました。



また、もう1つ残念だったのは、主治医が変更となったことです。今日からは「タニヤン」という入院中からお世話になっていた先生が経過観察を担当してくれることになりました。「タニヤン」とは入院中から色々な話をし、今日もCTの画像を見ながら、冗談交じりに「残念ながら何回見ても何も見当たらないんだよねえ」と言われるぐらい、くだけた話の出来る間柄なので、「タニヤン」自体に何の不満もないのですが、やはり「ヒゲさん」に会えなくなるということには一抹の寂しさを感じざるを得ません。



「ヒゲさん」の自宅は、そう遠くないので、「ヒゲさん」の好きな甘い物でも持って遊びに行きたいなと思っています。



【西松事件公判】小沢氏秘書の弁護人が「狙い撃ちは明らか」と大反論

2009年06月20日 | Weblog
2009年06月19日 19時32分記載

URL http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191613021-n1.htm



「西松建設前社長、国沢幹雄被告(70)の初公判を受け、政治資金規正法違反の罪で起訴された小沢氏の公設第1秘書、大久保隆規被告(48)の弁護人は、大久保被告に関係する部分の所感として、コメントを発表した。コメント全文は次のとおり。

     ◇

 本日の国沢氏の公判に関し、特に大久保隆規氏に関係すると思われる部分について、弁護団としての所感を申し上げます。



 1 西松関係の2つの政治団体による政治献金やパーティー券購入の相当部分は、他の団体へのものも相当あるにもかかわらず、国沢氏の起訴事実は、陸山会と民主党岩手県第4区総支部に対する献金だけに限られています。

 政治資金規正法上、献金を行うことの違法性は、献金を受ける側が違法と思っていたかどうかとは全く関係ありません。検察官が、ダミーによる、西松建設株式会社自身の献金と断じる多くの部分を不問に付し、特定の団体分のみを起訴したことに正当な理由があるのか、先日報道された東京検察審査会のご指摘にもありますが、疑問と言わざるを得ません。



 2 また、献金を受けた側から見ても、本日の公判における検察官の冒頭陳述については、検察審査会が自民党関係の政治団体の事件に関し指摘した事項がそのまま当てはまります。

 すなわち、係る団体ほか自民党関係の団体が西松関係の政治団体から献金を受けた事実については、検察官は、証拠が十分にあるにもかかわらず、その実態を明らかにしておりません。

 結局、大久保氏のみを狙い撃ちしたものであることは誰の目から見ても明らかです。このような冒頭陳述は、大久保氏にとって欠席裁判に等しいだけでなく、著しくバランスを欠くものであり、到底容認できるものではありません。

 3 検察官は「特に岩手県下の公共工事については小沢事務所の意向に基づいて受注業者が決定され」ていたなどと主張しました。一部の者の一方的供述に基づくものであり、その主張内容もそれ自体が極めて抽象的です。大久保氏が、具体的な工事について、検察官の言う、小沢事務所の「決定的な影響力」なるものをいつ、いかに行使したのか、そもそも公共工事における「決定的な影響力」とは何であったのか、全く具体性を欠いています。検察官主張のように、大久保氏が公共工事の受注者を決めていたなどという事実は一切なく、大久保氏がこの点に関する取調べを受けたこともありません。現に、本日の証拠の要旨告知においても、大久保氏の調書に関する限り、この重要な点について、何も触れられていません。



 4 結局、検察官の主張は、ゼネコン関係者の一方的な供述に基づくものに過ぎません。しかも、受注業者の選定に決定的な影響力、などという、極めて抽象的な内容に終始しています。それを具体的に裏付ける証拠も何一つ出されていません。

 大久保氏の裁判に関する当方の主張は、また公判廷において明確にして参ります。

   以上

   2009年6月19日

   大久保隆規氏弁護人

   弁護士 伊佐次啓二」



財政再建新目標 消費税引き上げから逃げるな(6月14日付・読売社説)

2009年06月20日 | Weblog
2009年06月15日 22時24分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090613-OYT1T01134.htm  



「日本が抱える財政赤字の深刻さが、改めて浮き彫りになった形だ。

 政府の経済財政運営の指針となる「骨太の方針2009」原案に、財政再建に関する新しい目標が盛り込まれた。

 財政の健全度を示す国と地方の基礎的財政収支を、19年度に黒字化するのが新目標の柱である。

 これまでは11年度での実現を目指していた。だが、度重なる財政出動などで、基礎的財政収支の赤字が09年度末で40兆円近くに膨らむ見通しとなり、一気に8年後へ先送りせざるを得なくなった。

 しかも黒字化は、年1~2%の経済成長や従来の歳出削減努力だけでは不可能で、消費税率を11年度から毎年1%ずつ合計7%引き上げて、12%にする必要があるとの試算が公表された。

 税率を5%引き上げて10%にするだけでは、黒字化は21年度にずれ込んでしまうという。

 試算とはいえ、これだけ厳しい現実が明らかになった以上、消費税率の引き上げから、与野党とも逃げるわけにはいくまい。

 将来的に重い負担を国民に求めざるを得ない背景には、危機的なわが国の財政事情がある。

 09年度の国の予算は、補正を合わせ44兆円もの国債を発行する計画だ。年間税収に匹敵する規模である。09年度末の国債残高は600兆円に近づく。

 国と地方を合わせた債務残高の国内総生産(GDP)比は約170%に及ぶ。欧米の主要国が60~80%にとどまっているのに比べ、際だって高い。

 この状況を放置すれば、国債の暴落と金利上昇を招き、経済的な大混乱を引き起こしかねない。新しい目標を立て、財政再建に向けて努力するのは当然のことだ。

 政府・与党は、景気の動向を注視しながら、景気が回復すればすぐ消費税率の引き上げに取りかかれるよう、今から準備を進める必要がある。

 民主党も、政権奪取を標榜(ひょうぼう)する以上、財政の厳しさを再認識し、消費税率引き上げに、正面から向き合うべきではないか。

 消費税に焦点が当たるのは、財政再建のためばかりではない。少子高齢化の進展で膨らみ続ける社会保障費を賄う財源として欠かせないからだ。

 財政再建と社会保障充実という二つの問題を同時に解くカギは、消費税が握っている。税率の引き上げが、むしろ生活の安定につながることを、国民は頭に入れておく必要があろう。

(2009年6月14日01時41分 読売新聞)」

存在自体が迷惑な会社。そんなに消費税率引き上げたかったら政党でも結成して選挙に出て主張しろよ。

政治家が、与党も野党も問わず、消費税率引き上げを掲げられないのは、逃げてるわけじゃないんだよ。国民が消費税率引き上げを容認していないことを、選挙区で有権者と対話することで、肌身で知ってるからなんだよ。

それをジャーナリト気取りの人間は、ポピュリズムだ、衆愚政治だと非難するかもしれないけど、民主政治っていうのは、衆愚政治になる可能性を認識しつつも、衆に判断を委ねる政治形態なんだよ。(前にも書いたけど。)

これも以前に言ったことだけど、欧米主要国に「年金積立金」なんて貯金はないからね。それをまず先に使えよって話。5兆も6兆も運用損出してる場合じゃねえだろっつーの。

それでも税収が足りないなら、金融資産に課税しよう。これ以上はもう金持ちに負担してもらうしかないって。金持ち以外にはもうこれ以の上税負担・社会保険料負担は出来ないって。世の中見ててわかんない?新聞記者のくせに何見てる?


民主「西松」報告 検察・報道批判は的はずれだ(6月11日付・読売社説)

2009年06月14日 | Weblog
2009年06月13日 16時27分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090610-OYT1T01223.htm



「これが第三者委員会の名に値する公正な報告なのか。はなはだ疑問と言わざるを得ない。

 小沢一郎・前代表の公設第1秘書が逮捕・起訴された西松建設違法献金事件を受けて、民主党が設置した有識者4人による第三者委員会が報告書を発表した。

 検察当局や報道機関への批判に重点を置き、小沢氏の説明不足には軽く触れただけ――という印象がぬぐえない。

 さらに、法相に捜査中止の指揮権発動を求めるかのような表現も盛り込まれている。一方的に小沢氏の側に立った報告書と言われても、仕方あるまい。

 民主党の対応については、小沢氏の政治家個人の立場と、政党の党首としての立場を切り離さずに対応した「危機管理の失敗」と指摘するにとどまった。

 的はずれもいいところだ。小沢氏に持たれた疑惑の核心部分はもっと別のところにある。

 秘書が西松建設幹部と相談し、ダミーの政治団体からの献金額や割り振り先を決めていたとして、検察当局は悪質な献金元隠しと認定した。

 小沢氏はこれまで、「献金の出所は知る術(すべ)もないし、詮索(せんさく)することはない」「秘書に任せていた」などと繰り返してきた。

 だが、同様に献金を受けた他の与野党議員と比べても巨額だ。出所や趣旨を吟味するのは、政治家として当然の責任だろう。

 小沢氏は今なお、疑惑に正面から答えようとしていない。代表辞任で、国民が求める説明責任を免れることはできない。

 委員会も、小沢氏から事情聴取したが、小沢氏は「資金をどう捻(ねん)出(しゅつ)したか尋ねるのは失礼」と従来の主張を繰り返しただけだった。委員が突っ込んだ質問をしたようには見受けられない。

 鳩山代表は、こんな報告書で、今回の問題に幕を引けると思っているのだろうか。既に保釈されている秘書から事情を聞き、事実関係の解明に取り組むこともできるはずである。

 これから西松事件の公判が始まる。報告書が疑問点として挙げたことは、検察も公判の中で丁寧に答えていく必要がある。

 報道のあり方について、報告書は「検察情報に寄りかかった報道」などとしている。

 しかし、報道機関は、検察当局だけでなく、さまざまな関係者への取材を積み重ねている。客観的かつ正確な報道を期すためだ。批判は当たらない。

(2009年6月11日01時51分 読売新聞)」

何を言ってんだか。


「小沢氏に持たれた疑惑の核心部分はもっと別のところにある。
 秘書が西松建設幹部と相談し、ダミーの政治団体からの献金額や割り振り先を決めていたとして、検察当局は悪質な献金元隠しと認定した。」



なぜ「疑惑の核心」を、公判が開かれていない事件で、捜査機関の人間でもない人間が把握できるのかを問題だと言ってるんだよ。



「秘書が西松建設幹部と相談し」たとなぜ断言できる?誰に聞いた?秘書の言い分は聞いた?一方当事者に情報源が偏ってない?



「ダミーの政治団体」の定義は?ダミーとダミーでないことの違いは何?



法治国家において、事実認定をするのはどこ?裁判所ではなく、検察庁?裁判所の事実認定前に事実認定をして有罪を推定しても構わない?


裁判所の判断の前に、自分達が「正義」だと勘違いして、有罪推定報道をしていることが問題なんだよ。


ネット接続は基本的人権…仏憲法評議会

2009年06月12日 | Weblog
2009年06月12日 14時07分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20090612-OYT8T00275.htm  

「【パリ=林路郎】フランスの違憲審査機関・憲法評議会は10日、音楽や映画の著作権を守るため、インターネットからの違法ダウンロードを繰り返した利用者が3回警告されると、行政機関がネット接続を強制切断できるとした新法に違憲判断を下した。

 民主政治への参加や自由な意見表明の手段にネットが不可欠となり、「その接続は憲法が保障する人権にあたる」とした。

 新法は、CDやDVDの販売がこの5年で半減し、雇用不安に発展した音楽・映画関連産業の嘆願を受け、サルコジ政権が「ネット空間は無法地帯たるべきではない」と制定を主導、5月に成立した。政府が新執行機関を設立し、違法ダウンロードの常習者を追跡。特定の違反者への警告が3回に達すると、同機関がプロバイダーに強制切断を命令できるという内容だった。

 野党などは「違法行為の監視は警察国家への道」「ネット接続を奪うのは人権侵害」などと反発し、違憲審査を求めていた。

 憲法評議会の決定は、1789年のフランス革命直後に採択され、憲法の前文となった「フランス人権宣言」が基本的人権の一つとして定める通信・表現の自由には、「広範に普及したネットへの接続が含まれる」と明記。切断の可否は行政機関でなく、裁判所の判断に委ねるべきものとした。

 アルバネル文化通信相は10日、法改正に着手する方針を表明したが、政権はネット上の海賊行為の取り締まりは必要との考えだ。(2009年6月12日 読売新聞)」


読売新聞 6月11日付 よみうり寸評

2009年06月12日 | Weblog
2009年06月12日 13時20分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column2/news/20090611-OYT1T00457.htm  



「その時、東京拘置所の調べ室にいた検事たちは、次々に休憩室に集まり互いに口をきくわけでもなく、ただぼうぜんとしていた◆検事正は涙を浮かべ、部下に頭を下げた。検事たちの心の中に無念の思いがじわじわと広がったと伝えられている。戦後ただ一度、〈指揮権発動〉が行われたその日の検察の情景である◆それは1954年4月21日のこと。当時の犬養健法相が造船疑獄の捜査に関し、検事総長に対し指揮権を発動した。これで佐藤栄作自由党幹事長への捜査はストップ。法相は辞任した◆以来、発動はない。ずっと抑制の姿勢が貫かれてきた。半世紀以上も前の古い話を民主党の第三者委員会の報告で思い出した◆「西松事件」について何と「法相が政治的配慮から指揮権を発動する選択肢もあり得た」とある。検察・報道批判の色が濃く、「第三者」の報告というよりは鳩山、小沢両氏の代弁のようだ◆検察の捜査が政治的思惑に左右されてはなるまいに。この半世紀、指揮権発動の勧め?など聞いたことがない。

(2009年6月11日13時54分 読売新聞)」

こういう情緒を前面に出した報道はよろしくないなと思うのだが、法務大臣は個別の事件について指揮することが出来ないのだから、造船疑獄の時も、今回の西松事件でも、検察が法と証拠に基づいて行動を取りたいと思えば、検事総長が、法務大臣から指揮権を発動された時に、「従えません」と言って辞表を提出すればいいだけで、
次に任命された検事総長も同様の行動を取ればよく、どこまで行っても、検察に、もっと言えば検事総長に覚悟・確信さえあれば、検察の進める刑事手続きに対しての政治介入は排除出来る。
「涙を浮かべ、部下に頭を下げた」とか下げないとかの問題ではない。指揮権発動を受け入れた造船疑獄当時の検察は、政治の圧力に屈したというだけのことである。


そのような検察の行動が正しいのか、指揮権を発動した政治の行動が正しいのかは、後に国民が判断すればいい。(造船疑獄の際は、結局時の吉田内閣は総辞職に追い込まれた。)


検察庁法14条:法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。



小沢氏に一定の理解、検察・報道に問題…民主第三者委

2009年06月12日 | Weblog
2009年06月12日 11時57分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090608-145056/news/20090610-OYT1T00939.htm



「西松建設の違法献金事件を受け、民主党が今年4月に設置した「政治資金問題をめぐる政治・検察・報道のあり方に関する第三者委員会」(座長=飯尾潤・政策研究大学院大教授)は10日、報告書をまとめ、岡田幹事長に提出した。

 報告書は、民主党の対応について、小沢代表代行(前代表)の「政治家個人としての立場」と「党首としての立場」を切り離さず、混然一体として対応したことが事態の悪化を招いたとして、「政党の危機管理対応という観点から問題があった」と総括した。

 小沢氏の説明責任については、「(政治資金が)どういう目的で使われるのか、例を挙げるなどして説明することがあってもよかった」と指摘した。ただ、「検察に会計関係の書類がすべて押収されているので、現時点では(政治資金)収支報告書の支出の内訳以上の開示は困難だ」と小沢氏の対応に一定の理解を示した。

 一方で、検察の捜査については「そもそも違反が成立するか否か、罰則を適用すべき重大性・悪質性が認められるか、自民党議員等に対する寄付の取り扱いとの間で公平を欠いているのではないかなど多くの疑念がある」と批判し、「野党第1党党首を辞任に追い込む重大な政治的影響を生じさせたことに検察は説明責任を負っている」とした。「本件のような重大な政治的影響のある事案について、法相は、高度の政治的配慮から指揮権を発動する選択肢もあり得た」と、法相の指揮権発動にも言及した。

 報道のあり方についても、NHKや産経新聞などの具体例を挙げたうえで、〈1〉検察やその関係者を情報源とする報道が大きく扱われた〈2〉政治とカネの問題について「巨額献金事件」などの決めつけをはじめ「有罪視報道」が展開された〈3〉検察の捜査のあり方への批判が十分に行われなかった――などとして「多くの問題があった」と指摘した。

(2009年6月10日22時18分 読売新聞)」


URL http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090612-OYT1T00389.htm  


記事タイトル:指揮権発動言及「看過できない」…森法相が強い不快感


「森法相は12日の閣議後の記者会見で、西松建設の違法献金事件を受けて民主党が設置した第三者委員会の報告書で、法相の指揮権発動に言及したことについて、「看過できないものがある」と述べ、強い不快感を示した。
 法相は、民主党が東京地検の捜査を「国策捜査」と批判したことに触れ、「公党の姿勢として大いなる疑問を感じざるを得ない」と強調した。その上で、「私は検察に全幅の信頼を置いて、その独立性・中立性を尊重したい」と強調した。

(2009年6月12日11時26分 読売新聞)」


「やってません」13時間…菅家さん、絶望の「自白」

2009年06月10日 | Weblog
2009年06月09日 21時45分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090608-OYT1T00013.htm



「4歳の女児が誘拐・殺害された「足利事件」の容疑者として逮捕されて17年半。今月4日に無期懲役刑の執行が停止され、釈放された菅家(すがや)利和さん(62)が6日夜、読売新聞の単独インタビューに応じ、「自白」の経緯などを明かした。

 暴力的な取り調べを受けたのは逮捕当日だけだったが、その後も「犯行ストーリー」を作り続けてしまったという菅家さん。なぜ「虚偽の自白」に追い込まれたのか。足利事件は、取り調べのあり方について改めて問題を投げかけている。

 「今から考えると自分でも分からないが、話をしないと、調べが前に進まない。早く終わらせたかったんだと思う」

 菅家さんは「自白」の経緯をこう振り返る。

 栃木県警の捜査員が自宅を訪れたのは1991年12月1日午前7時頃。「いきなり上がり込んできて、『子供を殺したな』と迫られ、女の子の写真を示され『謝れ』と言われました」。その日は知人の結婚式だったが、求められるまま警察署に向かった。

 署では「やったんだな」「やってません」といった押し問答が夜まで続いた。体液のDNA鑑定結果などを示されてもすぐには認めなかったが、「日は暮れ、心細くなって、このまま家に帰れないかもしれないと思うようになった」という。

 気持ちが折れてしまったのは、取り調べが始まって約13時間たった午後9時ごろ。「刑事の両手を力いっぱい握りしめ、泣いてしまった」

 「刑事は私がやったから泣いたと思ったらしいが、本当は、いくらやっていないと言っても聞いてもらえなくて、悲しくて泣いた。やけになってしまった」。容疑を認めたのは、その後だ。後は「何か(話を)作らないと前に進まない」と、報道された内容に想像を交えて、犯行状況を話した。

 「小さい時から、人からものを言われると何も言えなくなってしまう。相手の機嫌を損ねることが嫌い」と自己分析する菅家さんについて、弁護人の佐藤博史弁護士は、「捜査官に納得してもらわないといけない、と迎合的に考える傾向がある」とみる。その上で2007年に富山県氷見市の男性の冤罪(えんざい)が発覚した婦女暴行・同未遂事件との類似性を指摘、心理学者などを交えての事件の検証を訴える。

(2009年6月8日03時14分 読売新聞)」

本件を機に、読売グループ全社を挙げて、取り調べ過程の全面可視化を推進してもらいたい。


無理か・・・。


足利事件の教訓

2009年06月08日 | Weblog
2009年06月07日 12時46分記載

中山研一の刑法学ブログ(URL http://knakayam.exblog.jp/ 2009-06-06 10:01)



「1990年に栃木県で起きた幼時殺害事件で、無期懲役が確定し、千葉刑務所に服役中の菅家さんが、再審を待たずに釈放されたという記事が最近の新聞で大きく取り上げられています。しかも、その理由がDNA鑑定によるもので、これは紛れもなく「冤罪」であることが判明したのです。問題は、そこからどういう教訓を引き出すべきかという点にあります。
 まず、この明白な「冤罪」を作り出したのが国家権力であり、その責任が警察・検察の捜査機関だけでなく、裁判所、しかも最高裁判所にまで及んでいるという事実を忘れてはなりません。誤判の原因がDNA鑑定の技術の進歩の差にあったという形で矮小化してしまうのは、表面的な言い逃れに過ぎず、真っ先になすべきは、この冤罪事件に関わった国家機関が公式に反省・謝罪し、責任者を処分した上で、以後このような人権侵害を繰り返さないための「制度的な保障」を確立することでなければなりません。
 この事件では、DNA鑑定が有罪の証拠とされただけでなく、嘘の「自白」を引き出すために利用されたという事実に注目すべきです。誰もが不思議に思うのは、無期懲役にも当たるような重大な犯罪について、真犯人でない者がなぜ嘘の「自白」したのかという点です。菅谷さんは、DNA鑑定を突きつけられて自白を迫られ、暴行も受けたとして、当時の警察・検察官を絶対に許さないと語っています。今こそ、「代用監獄」における密室の長期間にわたる取調べそのものを廃止する決断が必要なのです。
  ところが実際には、この期に及んでも、警察は取調べ状況の録画の拡大を検討するというだけで、「全面(可視化)」というわけではないと断っています。「自白は証拠の王」として重視されてきた伝統が、裁判員制度にも及ぶという危惧は、決して杞憂ではなく、この機会にこそ、捜査機関による取調べの「全面可視化」を実現しなければなりません。」



他に参考となる文章として、「植草一秀の『知られざる真実』」(URL http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/ )6月5日(金)掲載記事「足利事件冤罪本質はDNA精度でなく警察の体質」がある。



読売新聞 6月5日付 編集手帳

2009年06月08日 | Weblog
2009年06月07日 12時13分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20090604-OYT1T01227.htm  



「「横」というのはかわいそうな字で、横領、横流し、横恋慕…好ましからざる言葉に縁がある。日本郵政の人事をめぐる鳩山邦夫総務相と西川善文社長の確執も、「横」の押しつけ合いと言えなくもない◆重い不祥事にけじめをつけないまま続投の意思を固めた西川氏を鳩山氏は「横暴」の人と見、認可権限を盾に人事に口を差し挟む鳩山氏を西川氏は「横車」の押し手と見ているのだろう◆経営責任の説明もなしに再任の流れが出来上がったのは多くの国民に納得のいきかねるところで、筋論では鳩山氏の押す車に相応の理がある◆与党内の続投擁護論も分かりにくい。「三顧の礼で迎えた人をクビにできない」という。神聖にして侵すべからざる経営者というのも珍しい。「“民営化の象徴”西川氏が去れば、民営化路線が崩壊してしまう」という。一人転べば皆転ぶとは、何とも頼りがいのある路線である◆鳩山氏は大臣の職を賭す覚悟という。麻生首相はこれまで、「総務相が適切に判断すると思う」と涼しい顔をしていた。混迷の根は「横暴」や「横車」ではなく、首相の「横着」にあったのかも知れない。

(2009年6月5日02時09分 読売新聞)」


こういう政府・与党を続けさせたい理由は何?


生物多様性 我々の暮らしの源を守りたい(6月7日付・読売社説)

2009年06月08日 | Weblog
2009年06月07日 12時11分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090607-OYT1T00095.htm  



「動植物の絶滅を防ぎ、生態系を維持する。それは人間の豊かな暮らしにもつながるという意識を持つことが大切だ。

 政府は、初めてとなる生物多様性白書をまとめた。森林の伐採などにより、動植物の絶滅が世界的に進んでいることに警鐘を鳴らしている。

 自然界は、多種多様な生き物がいるからこそ成り立っている。昆虫はカエルに、カエルは蛇に食べられるといった食物連鎖などでつながりを持ちながら、生態系は維持されている。

 種の絶滅が進み、生態系のバランスが崩れれば、自然界から食物を得ている人間の生活にも大きな影響が及ぶ。白書を契機に、生物の多様性を守っていくことの重要性を考えたい。

 日本でもかつて、国土の開発が急速に進み、自然破壊が顕在化したが、近年は自然保護に配慮した開発が一般化したといえよう。喫緊の課題は、里山の保全・再生ではないだろうか。

 樹木を伐採して炭にする。落ち葉を肥料に活用する。日本人は人里近くの野山に手を加え、生活に役立ててきた。里山は人間と自然の共生の象徴といえる。

 だが、近年、山間部の過疎化などで里山の手入れが行き届かなくなった。竹に侵食された里山も少なくない。里山は、日本固有の動植物の生息の場でもある。その荒廃は、生態系に大きな影響を及ぼしている。

 環境省は、保全・再生が必要な里山のリストアップと再生事業の事例調査を進めている。効果のある再生事業を広く推し進めていく工夫が求められる。

 ブラックバスなど、外来種の繁殖も大きな問題である。ペットとして飼われていた外来種が捨てられ、繁殖するケースも多い。

 外来種を駆除するには費用がかかる。駆除をやめると元の状態に戻ってしまう。有効な解決策を見つけるのは容易でない。

 日本は食料の多くを輸入に頼っている。食卓に上る魚介類や肉、穀物などは、世界各地の多様な生物の恵みそのものといえる。世界的な視点で生態系の維持を考える必要がある。

 「2010年までに生物多様性の損失速度を顕著に減少させる」――。日本も批准している生物多様性条約の締約国は、この目標を掲げている。来年10月には、名古屋市で締約国会議が開かれる。

 生物の多様性を守っていくには国際協調が欠かせない。その方策を探っていかねばならない。

(2009年6月7日01時53分 読売新聞)」

生物の多様性を守っていくのも大事だけど、何より、言論・表現の多様性を大事にしてもらいたいね。


生命は 詩人・吉野弘

2009年06月06日 | Weblog
2009年06月06日 12時14分記載

生命は自分自身で完結できないようにつくられているらしい


花もめしべとおしべが揃っているだけでは不充分で


虫や風が訪れてめしべとおしべを仲立ちする

生命はすべてそのなかに欠如を抱きそれを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分他者の総和


しかし互いに欠如を満たすなどとは知りもせず知らされもせず



ばらまかれている者同士無関心でいられる間柄


ときにうとましく思えることさも許されている間柄


そのように世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?

花が咲いている


すぐ近くまで虻の姿をした他者が光りをまとって飛んできている

私も あるとき誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき私のための風だったかもしれない


足利事件 決め手となったDNA再鑑定(6月5日付・読売社説)

2009年06月06日 | Weblog
2009年06月05日 20時43分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090604-OYT1T01233.htm



「検察が再審の開始を認め、受刑者を釈放した。無期懲役となった根拠が崩れた以上、当然の対応である。

 東京高検が、「足利事件」の再審開始を容認する異例の意見書を東京高裁に提出した。

 高裁がDNAの再鑑定を行ったところ、無期懲役が確定した男性の型と、殺害された女児のシャツから検出された型が一致しなかったためだ。男性は犯人ではない可能性が極めて高くなった。

 検察は、男性の刑の執行を停止し、釈放した。前例のない事態である。検察が事実上、無罪を認めたものといえよう。

 裁判所は速やかに男性の再審開始を決定すべきである。

 事件は1990年に栃木県足利市で起きた。警察は翌年、捜査線上に浮かんだ男性のDNA鑑定を実施した。結論は、女児のシャツから検出されたDNA型と一致するというものだった。結果を聞き、男性は犯行を自供していた。

 最高裁は2000年、男性の上告を棄却した。DNA鑑定に証拠能力があると認めた初めてのケースだった。

 捜査当局や裁判所に、DNA鑑定への過信があったことは間違いあるまい。取り調べにも疑問が残る。徹底した検証が必要だ。

 事件当時は、DNA鑑定が導入されて間もないころだった。精度は今より格段に低かった。精度が飛躍的に向上したのは、新たな分析装置が導入された03年以降だ。それ以前に実施されたDNA鑑定は4000件を超えるという。

 今回の問題により、他の事件でも、鑑定の信ぴょう性に疑念が生じることもあるだろう。裁判所や検察は、再鑑定の実施などについて柔軟に対応していくべきだ。

 精度が向上したDNA鑑定が、捜査の有力な武器であることに変わりはない。犯人の割り出しとともに、冤罪(えんざい)を防ぐ防波堤の役割を持つことも忘れてはならない。

 警察が、決定的な証拠を得るために、進歩する科学技術を捜査に取り入れるのは欠かせない。

 だが、科学捜査の結果に過度に依存するのは危うい。特に、導入間もない技術については、信用性を慎重に判断する必要がある。今回の問題の教訓といえよう。

 科学捜査による鑑定結果が、公判の争点となることもある。裁判員制度が始まり、裁判員も鑑定結果が信用できるかどうか、判断を迫られる局面があるだろう。

 一つの証拠にとらわれず、すべての証拠を総合判断する。裁判員にはそれが求められている。

(2009年6月5日02時09分 読売新聞)」

しれっとよく言うよな。


「取り調べにも疑問が残る。徹底した検証が必要だ。」


だから、後から検証できるように、取り調べ過程の全部録音・全部録画をしようって言ってるんじゃない。


反対しておきながら「徹底した検証が必要だ」なんて、どの口が言うかね。


今回はDNA鑑定がメインで取り上げられてるけど、我が国刑事司法の一番の問題は、代用監獄での密室での取り調べで、そこで行われた強要・脅迫・拷問・違法な司法取引によって無理矢理こさえられた員面調書・検面調書が証拠とされて、冤罪が生み出されてるってことでしょ。


そこを問題にせずに素通りしておいて、「取り調べにも疑問が残る。徹底した検証が必要だ。」なんて、へそが茶を沸かすよ。