がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

参院の正当性を取り戻せ~「選挙は違憲無効」と全選挙区で提訴

2013年07月23日 | Weblog
2013年07月23日 13時41分55秒

http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130723-00026621/



江川 紹子 | ジャーナリスト 2011年7月23日0時34分




「7月21日に実施された参院選は、住んでいる場所によって投票価値に最高4.77倍の格差があり、憲法違反であり最高裁判決に反する、として升永英俊弁護士らのグループが47選挙区全ての選挙区選挙の無効を求める裁判を14の高裁・同支部に起こした。升永弁護士らは、「国会での多数決が正当性を持つのは、各議員が同じ数の有権者を背負っているから。今回の選挙結果には正当性がない。正当性のない者が国家権力を担うことがあってはならない」と厳しく指摘している。




「4増4減」で解決済み、ではない
このグループは、2009年の第45回総選挙(いわゆる政権交代)以降、2010年の第22回参院選挙、昨年12月の衆院選挙と、いわゆる「一票の格差」を巡って裁判を起こしてきた。そのうち、前回参院選については、昨年10月17日に最高裁が次の2点を判示している。

1)参院選挙は衆院選より一票の格差が開いてよい、という理由はない。

2)都道府県を参院選挙の選挙区の単位とすべきとの憲法上の要請はない。

それまでは、参院選挙は衆院より格差が大きい状態を認めてきた最高裁が、判断を変えたことになる。

ところが国会は、この判決後の昨年11月に、都道府県を選挙区の単位としたまま、「4増4減」の公職選挙法改選をしただけ。自民党は今回の参院選公約集の中で、「『4増4減法案』を可決させ、一票の格差問題を解消しました」と言い切り、問題がすでに解決済みとの対応だ。

その結果行われた今回の選挙では、最高5.00倍だった前回に比べてやや改善したものの、鳥取県と北海道では、一票の価値に4.77倍がついた。これは、昨年12月の総選挙での一票の格差2.43倍よりはるかに大きい。この状況は、最高裁が示した2点に明らかに反する、と升永弁護士らは指摘する。

全選挙区で提訴したワケ
今回の裁判の特徴は、全選挙区で提訴したこと。それは、升永弁護士らが起こした昨年12月の総選挙についての裁判で、14の高裁・支部が格差を違憲・違憲状態としながら、選挙を「無効」としたのは、広島高裁岡山支部の判決1つに留まり(※注)、他の13の判決は「事情判決の法理」なる理屈を持ち出して、選挙の有効性を認めたためだ。それはこういう理屈だ。


裁判では、訴えられた選挙区についてのみ、違憲か合憲かを判断する。たとえば東京高裁では、東京1区の選挙の違憲性が問う裁判となった。この裁判で、選挙「無効」の判決が出れば、東京1区の議員は失職する。そうすると、裁判の対象にならなかった選挙区の議員だけで新たな区割りを決めることになり、東京1区の代表者は加われなくなるという「不都合」が生じる、と裁判所は言う。行政訴訟では、行政処分や裁決が違法であってもそれを取り消すと著しく公益を害する「事情」がある場合には取り消さなくてもよい規定があり、一票の格差訴訟にもそれを準用。かなり無理筋の理屈だが、そうやって区割りは「違憲」だが選挙は「有効」との結論をひねくり出した。

今回は、全選挙区の裁判を起こすことで、裁判所が再びこの理屈を持ち出すのを封印。そのために、一票の価値が最も高い鳥取県選挙区についても、裁判を起こした。

これにより、「詰め将棋で言えば、もう詰んでいる状態」と升永弁護士は自信を見せる。

憲法は最高法規
そもそも「事情判決の法理」は、憲法98条に反する、と升永弁護士らは指摘する。同条には、こう書かれている。

〈憲法98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。〉

にも関わらず、憲法違反の国務行為(=選挙)を「有効」とすれば、憲法より高い判断基準を認めることになってしまい、憲法が最高法規でなくなってしまうという事態になる(下図参照)。この矛盾を、弁護士らは突く。


「本来、無効とされるべき選挙で議員になった人が、6年間、法律を作り、予算を執行する。資格のない人が、6年間国家権力を行使する。こんな事態はとんでもない」と升永弁護士。

裁判官には憲法を尊重し擁護する義務がある
提訴後の記者会見で、同グループの久保利英明弁護士は、「憲法99条も忘れてはいけない」と述べた。


〈第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。〉

「裁判官は憲法を擁護しなければならない。憲法に縛られている裁判官が、『事情判決の法理』を使って憲法を縛ろうとしている。これは、憲法99条違反だ。それをはっきりさせるために、全選挙区で裁判を起こした。憲法を守るのは、裁判官の義務だ」

同じく伊藤真弁護士は、「昨日行われたのは、民意を反映していない選挙であり、茶番だ」と断罪。

「有権者の35%未満が選挙区の過半数を選んでしまっている。民主的正当性がない全くない代表者が選ばれた。すべての活動に民主的正当性がない。4増4減は、憲法の要請に応えていない。最高裁の判決にも応えていない。憲法改正を言う前に、今の憲法を守れ、と言いたい」

定数削減よりまずは格差解消を

今回の参院選の有権者の一票の価値が低い10選挙区を挙げてみると…(数字は鳥取県の有権者が持っている投票価値を1した時の各選挙区の一票の価値と格差)

価値    格差

北海道 0.21 4.770

兵庫  0.21 4.730

東京  0.22 4.490

福岡  0.23 4.290

愛知  0.25 4.080

埼玉  0.25 4.080

神奈川 0.26 3.830

大阪  0.27 3.700

千葉  0.28 3.510

岐阜  0.29 3.490

これを見れば分かるように、一票の価値が低いのは、都市部だけではない。なぜ北海道の人たちが鳥取の人々に比べて0.21票分の価値しか持てないのか、どうして岐阜の人たちが0.29票分なのか、合理的な説明ができる人はいないだろう。

参院選に関しては、かつて西岡武夫議長(故人)が全国を9ブロックに分ける区割りの叩き台 を発表した。これによると、一票の価値は1:0.94、格差は最大でも1.066倍。これだけの改革案が出されたのに、西岡氏が亡くなって以降、まったく議論が進んでいない。

政治改革は、定数削減より、まずは一票の価値を限りなく等しくし、住所によって差別されている状態を改善することだ。そのうえで、県単位で選挙区を決めているために地方が軒並み1人区となっている状況など、議論すべき点は多い。そのためにも、参院選挙については、お蔵入りにされている西岡案をもう一度取り出し、ここを始点にして速やかに議論を始めるべきではないだろうか。



(※注) 昨年暮れの衆院選挙を巡っては、他に、山口邦明弁護士のグループが起こした裁判で、広島高裁が「違憲無効」の判決を出している。同弁護士のグループでは、今回の参院選についても、広島県選挙区の選挙無効を求める裁判を、広島高裁に提起した。」



衆議院も参議院も違憲議員で構成されている以上、最高裁が区割りを作って「これで選挙をやり直せ」と命じれば済む話だが、我が国最高裁の日和った裁判官はそうはせず、違憲状態などとわけのわからないことを言って誤魔化すだろう。



その時、我々日本国民は、この国には法の支配が存在しないことを改めて確認することになる。


「政府方針に従う」県外原発の再稼働で森氏、県内は廃炉強調

2013年07月23日 | Weblog
2013年07月23日 01時20分47秒

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130722-00010022-minyu-l07



福島民友新聞 7月22日(月)16時27分配信



「参院選福島選挙区で再選を果たした自民党現職の森雅子氏(48)は21日、当選後の報道陣の取材で県外原発の再稼働について「政府の方針に従う」と述べた。
 森氏は選挙戦の訴えなどで県内全原発の廃炉を強調しているが、県外原発については、安倍政権の原発再稼働推進の立場に同調する姿勢を明確にした。
 ただ再稼働の判断については「(原子力規制委員会の)安全基準をクリアした上で地元の理解を得ていくこと(が必要)」との見解を示した。「被災地選出の議員として原発事故の被害の悲惨さをしっかり伝え、安全な避難路の確保や対処法を訴えていく」とも述べ、東京電力福島第1原発事故の教訓を生かすよう提言する考えを示した。
 一方、県内の原発について、森氏は福島民友新聞社のインタビューに対し「福島県で(再稼働に)地元理解が得られるわけがない。廃炉作業も国が前面に立つよう主張していく」と述べ、閣内で全基廃炉を訴える姿勢を示している。」



どういう頭の構造してるとこういう話が出来るのかね。政治家の頭の構造・精神構造は想像を絶するわ。



自分が出馬した県の原発は全廃だけど、他の都道県は再稼働で構わないと。



どういう理屈だよ。



福島県民だけが被害者か。他の都道県は1回被害に合うまでは原発のリスクを負えってか。悲惨な目に1回は合えってか。

維新・アントニオ猪木氏の当選確実…比例選

2013年07月23日 | Weblog
2013年07月21日 21時03分58秒

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130721-00000582-yom-pol



読売新聞 7月21日(日)20時35分配信



「比例選で、元プロレスラーで日本維新の会のアントニオ猪木氏の当選が確実となった。

 子どもの頃に移住したブラジルで力道山にスカウトされ帰国。プロレスラーになった。1976年にボクシングのヘビー級世界王者、モハメド・アリと対戦し、異種格闘技の先駆けとして注目された。

 スポーツ平和党を結党し、1989年に参院選比例選で初当選。90年には湾岸危機の最中にイラクを訪問し、邦人人質の解放交渉にあたった。95年の参院選で落選した。

 数度にわたる北朝鮮訪問の経験から独自のパイプを持っていることを強調し、拉致問題解決に意欲を見せている。

 今回の選挙戦では、スポーツを通じての世界平和をテーマにした「闘魂外交」の重要性を訴えた。」


消費税に延髄切り、国会に卍固め、素晴らしい政治が繰り広げられるんだろうね。


法廷で無断録音、ネットで公開 再生回数1千回以上

2013年07月23日 | Weblog
2013年07月07日 22時12分04秒

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130707-00000021-asahi-soci



「威力業務妨害事件をめぐる大阪地裁の法廷でのやり取りが無断録音され、動画サイト「ユーチューブ」で半年以上にわたり公開されていることがわかった。録音を原則禁じた裁判所法に触れる疑いがあり、地裁は削除を求めるとみられる。

 無断で録音されたのは、JR西日本への威力業務妨害容疑などで昨年12月に逮捕された男性(40)の勾留を認めた理由について地裁が開示した法廷。男性は東日本大震災による「震災がれき」の大阪市搬入に反対するデモをJR大阪駅構内でしたとされたが、3月に不起訴になっている。

 動画サイトでは、裁判官が「釈放すると共犯者らと口裏合わせをする恐れがある」と勾留の理由を説明したり、男性の弁護人が「罪証隠滅の恐れはなく、勾留を取り消すべきだ」と主張したりする音声が36分ほど公開されている。笑い声やため息も交じっており、傍聴した人物が傍聴席で録音したとみられる。

 公開され始めたのは1月で、これまでに1千回以上再生された。法廷での録音を認めるべきだとする書き込みもあった。弁護人は取材に「コメントのしようがない」と話している。

 報道機関は重大な裁判などの開廷前の様子を撮影しているが、これは「裁判官は法廷の秩序を維持するために必要な処置をとれる」とした裁判所法に基づいて映像のみ許可を得ている。(岡本玄)

朝日新聞社」


裁判所の隠蔽体質が諸悪の根源。いつまで偉そうに権威者ぶってんだよ。冤罪だらけのくせしやがって。


裁判の「公開」とは何か~法廷メモを解禁させたレペタさんに聞く

2013年07月23日 | Weblog
2013年07月05日 21時44分22秒

http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130704-00026182/



江川紹子 ジャーナリスト 2013年7月4日 19時26分



「日本の裁判所では、かつて傍聴人のメモが禁じられていたことを知っているだろうか。許されていたのは、司法記者クラブ用の「記者席」に座った記者だけ。フリーランスの記者やノンフィクション作家を含めた一般傍聴人は、開廷中、メモも取らずにじっと座っているしかなかった。この状況を変えるために立ちあがったのが、アメリカ人の弁護士で日本の司法制度を研究していたローレンス・レペタさんだった。それから30年。法廷で公開された映像をNHKに提供した弁護士が懲戒請求をされるような日本の現状に、レペタさんは「日本は30年経っても変わりませんね」とあきれ顔だ。

メモの騒音で裁判ができない?!
レペタさんは、日本の国際交流基金から奨学金を受けるなどして、日本の経済法を研究していた。その一貫として、仕手集団「誠備グループ」の脱税事件に注目し、裁判の傍聴を重ねた。日本語でメモが取れる語学力はあった。ところが、裁判所はレペタさんにメモを禁じた。7度にわたって許可の申請をしたが、裁判所はいつも何の理由も述べないまま却下。法廷で裁判長に”直訴”もしてみたが、返ってきたのは、これ以上発言をすると退廷させる、という脅しだった。


やむなく、裁判を起こしたのは1985年3月。メモを妨げたのは、憲法21条(表現の自由)と憲法84条(公開の裁判)に違反するとする国家賠償訴訟だった。国側は、憲法21条や84条は、法廷においてメモをする権利まで認めたものではない、とし、メモをとられることで証人が萎縮する「おそれ」とか、法廷の静謐(せいひつ=静けさ)が害される「おそれ」などを並べて、メモの制限の正当性を主張した。メモを取ることで、審理に影響するような騒音が発生するのか…。こんな失笑したくなるようなバカバカしい主張が真顔で展開されたのだ。

裁判は、一審の東京地裁、二審の東京高裁とレペタさんの訴えは退けられた。レペタさんは最高裁に上告。その上告審の途中、最高裁が調査研究などの公益目的に限って、事前申請をした場合はメモを認める方向で検討中、という情報が流れた。だがレペタさんは、「傍聴人のメモは原則自由であるべきで、特別な場合のみ許すのは本末転倒。公益性があるかどうかを権力機関である裁判所が事前に審査するのは、検閲にあたる」と批判。あくまで、誰もがメモを取れる状況を求めて戦いを続けた。

最高裁が認めるや全国一斉に解禁
そして1989年3月8日、最高裁判決は、「上告棄却」で損害賠償は退けつつも、判決理由の中でメモ禁止は間違っていたと認めた。

〈傍聴人のメモが訴訟の運営を妨げることは通常はありえず、特段の事情がない限り、これを傍聴人の自由に任せるべきであり、それが憲法21条1項の規定の精神に合致する〉

〈裁判所は、今日においては、傍聴人のメモに関し配慮を欠くに至っていることを率直に認め、今後はこれに配慮しなければならないことを認める〉

午前10時に出されたこの判決は、たちまちのうちに全国の裁判所に通知されたらしく、各法廷前に掲げられている「傍聴についての注意」から、メモ禁止の表示が一斉に削除された。今、私たちが当たり前のように傍聴席でメモを取れるのは、レペタさんと代理人となった弁護士たちの戦いの成果だ。

人々から隠しておく仕組みが…
そのレペタさんと弁護士たちが書いた『MEMOがとれない・最高裁に挑んだ男たち』(有斐閣)には、こんな記載がある。


〈法定内メモに対する制限によって引き起こされる問題点のいくつかは、法廷記録を確かめることによって解決することができたはずである。しかし、ここで私は、もう一つの不可思議な障害を発見した。すなわち、日本では、裁判の当事者以外は、審理中の刑事事件の法廷記録を確かめることもまた禁止されていることを知ったのである。裁判所のシステムは、それがどのように働いているのかを日本の人びとから隠しておくように、注意深く仕組まれているようにさえ思った〉

刑事訴訟法では、確定後は「何人も」記録を閲覧できることになっているが、刑事確定訴訟記録法が出来てからは、閲覧が非常に難しくなった。同法が「公の秩序又は善良の風俗を害することとなるおそれ」「犯人の改善及び更生を著しく妨げることとなるおそれ」「関係人の名誉又は生活の平穏を著しく害することとなるおそれ」など、様々な「おそれ」を列挙して、その場合は閲覧させなくてよい、としたからだ。

残されたほとんど唯一の道は、当事者(もしくは弁護人)から記録を見せてもらうことだ。しかし、これも2007年の刑事訴訟法改正で閉ざされた。検察官が開示した証拠については、訴訟準備など以外で使う「目的外使用」を禁止する条項が加わったからだ。この禁止は、審理中だけでなく、確定後も続く。弁護士に関しては営利目的でない限り罰則はないが、当事者の場合は一年以下の懲役。それまでは、私も冤罪事件の取材で捜査段階の調書を読んで、その矛盾や変遷を検証することができたが、今ではそうした取材が非常に困難になっている。「目的外使用」とされるのを怖れて、弁護士が見せてくれないか、見せてくれたとしても、それが分からないようにしなければならない。

レペタさんが言う「裁判所のシステムがどのように働いているかを人々から隠しておく仕組み」は、以前よりさらに巨大かつ巧妙になり、国民の知る権利はどんどん狭められているのだ。

今は明治大学で特任教授として教鞭を執るレペタさんに、改めて日本の司法手続きについて尋ねてみた。

レペタさんに聞く
ーー4月のボストン・マラソン爆発事件では、アメリカの裁判所の対応にびっくりしました。ケガをしていた被疑者の病室を裁判官が訪れ、黙秘権などを告げる手続きを行った時には、その日のうちに速記録 がネットで公開されていたんです。

「びっくりしないで下さい。手続きは公開なんですから」

ーー捜査当局も、FBIが被疑者に対する告発状 をホームページで公開していました。当局が把握した事実を詳細に記した捜査官の宣誓供述書も添付されていて、本当に驚きました。

「手続きは公開なんですから、当然です」

米国では誰でも記録にアクセスできる
ーーアメリカでは、裁判所の手続きの公開はどうなっていますか?

「実際に確かめてみましょう。レッツ・トライ・グーグル。"court recors access"で検索すると、バーッと出てきます。たとえば、上の方に出てくるMinnesota州を見てみましょう。"Minnesota Rules Of Public Acces To records of The Judicial Branch"の"general policy"を読むと書いてあります。裁判所の担当者の所に行って、口頭でいいからこここれの記録を見せてくれ、と言えばいいのです。そうすれば、刑事でも民事でも記録は見られるし、コピーもできます。基本的にはすべて公開。ただし、DV事件の記録や法廷に証拠として出されなかった個人情報など、非公開のものもあります。例外については具体的に決められています」

ーー日本では全く見られません。

「30年前、それを知ってびっくりしました。メモが取れないのも信じられませんでしたが、それ以上に、記録を見ることができないのは問題だと、当時から考えていました。メモをとるより、裁判所の記録の方が詳細で正確なわけですから。それが見られないのでは、公開された手続きとは言えません。公開された裁判であれば、傍聴が自由にできるだけでなく、手続きの記録が誰でも見られるのが当然です」


「ところで、これを知っていますか(と、左の新聞記事のコピーを取り出す)。平成13年に大阪の裁判所で刑事裁判を受けている被告人が、自分の裁判の記録をインターネットで公開しました。僕は、この記事を見て、『素晴らしい!』と思いました。無罪を訴えている被告人が、自分の運命がかかっている裁判が公正な手続きで行われているのか、できるだけ多くの人に見てもらってコメントが欲しい、という気持ちになるのは当然でしょう。

ところが、裁判所は『記録は裁判のみに使われるべき』と行って、弁護人に管理を徹底するように、と言うんですね。この当時は、目的外使用禁止の規定がなかったので、何の問題もないのに、裁判官は『弁護人の管理が悪い』と。そうすると、依頼人である被告人に記録を渡さない弁護人も出てくるでしょうし、いったいこの国はどうなってるの?と思いましたよ」

証拠が全て開示されなければ公正な裁判はできない
ーー裁判員裁判の導入に伴って、公判前整理手続きが行われるようになり、その際、証拠開示の幅を広げるのと引き替えに、「目的外使用」禁止の規定が入れられてしまいました。

「そもそも、国が被告人に有利な証拠を持っているのに弁護人に見せないなんて、これほどアンフェアな手続きはありませんね。アメリカでは、絶対に許されません。公正な裁判ができるはずがないじゃないですか。これでは、ラスベガスのカジノと一緒。必ずカジノが勝つようになってるんですよ。公判前整理手続きが出来て、前よりは改善されましたが、今でもすべての証拠を見せる義務はないようですね。これでは、フェアな裁判はインポッシブルです」

「『目的外使用』で驚いたのは、僕が法科大学院で教えていた時のこと。弁護士が中心となって法律相談所を作ったんですね。相談にくる依頼者を、弁護士の指導に基づいて学生が対応する。ところが、刑事事件をやる時に、弁護士が検察庁に証拠の開示を求めたら、『学生には見せないと約束しない限り、開示できない』って言われたんですね。実践的な教育は最も価値が高いのに、記録を見なければ何もできません」

ーーアメリカでは、どうなってますか?

「もちろん記録は見られます。検察とpublic defender(公設弁護士)の両方に学生がついていて、法廷に出て主張をすることもやります。検察庁には常にロースクールの学生がアルバイトのような形でアシスタントとして働いています。現場で、資格を持っている人のもとで教育されるのが普通です」

ーーそういうことも、日本では「目的外使用」と…

「信じられません(苦笑)」

日本は「非公開」が原則?!
ーー日米で、裁判の「公開」の意味が全然違うようですね

「アメリカでは、原則公開で、ちゃんとした理由がある時だけ例外的に非公開。日本は逆です。原則は非公開。できるだけ非公開にする。ただ、憲法82条に裁判は公開にすると書いてあるので、仕方なしに傍聴人は入れて、最小限の公開をしている、と思います。だから僕が30年前に裁判所に行った時に、傍聴席に座ってもいいけど、『メモ?何考えてるんだ。そんなのダメだ』と。そういう考え方。素晴らしい弁護士がすばらしい準備書面を書いて、やっと憲法21条に照らして傍聴人のメモは尊重しなければならない、となったけれど、記録を見るところまではいかない。ジャーナリストに記録を見せちゃいけないなんて、実際は非公開と同じですね。『裁判の公開』は、裁判という手続きを公開するんですよ。法廷という部屋のドアを開けておけばいい、というものじゃない。記録を見られなければ、どういう証拠が出たのか分からないじゃないですか」

ーー大阪の弁護士が、法廷で再生された取り調べのDVDをNHKに提供したのは「目的外使用」だとして、検察に懲戒請求されました。すでに無罪が確定している事件です。


「この弁護士がNHKにDVDを提供したのは、立派なことだと思います。NHKで放映されれば、多くの人が日本の刑事裁判について理解できます。刑事裁判の目的は公正な裁判で有罪か無罪を決めることですが、もう一つ、それを公開することによって公正な手続きが行われるか市民がチェックすることも大切です。この弁護士は、市民が刑事裁判や手続きを理解できるよう、大きな貢献をしました。検察官は、どうして刑事裁判を公開しなければならないか、よく考えて欲しい。一人ひとりの検察官は一生懸命仕事をしていると思うけど、一般の人が刑事手続きを信用するためには、できる限り公開にして、公務員は、どういう裁判が行われているかを説明する義務があります」

ーー記録をオープンにすると、関係者のプライバシーや名誉毀損の問題がある、と言われます。

「法廷はプライベートな場所ではありません。道を歩いていてプライバシーを期待できないのと一緒です。もちろん例外はあります。しかし、原則は公開です。名誉毀損に対しては、民法があります。名誉毀損は不法行為ですから、ちゃんと処理ができるような法律が日本にはあるんです。ひょっとしたら不法行為があるかもしれないから、すべて非公開にしますというのは、全く適切ではありません。特に今回の出来事は、裁判は終わっていて、放映したからといって裁判の邪魔になることはありません」

「目的外使用」禁止は「知る権利」に反する
ーー被告人だった人も、DVDが放送に使われることは了承していたそうです。


誰も困らないじゃないですか。その一方で、一般の人が裁判について理解を深められるという利点があります。『目的外使用』の禁止は、国民の知る権利と矛盾しています。裁判は主権者である国民がちゃんと理解して、監督できるような形で公開されなければなりません。検察の対応は憲法21条に反していると思います。あなたのようなジャーナリストは、ちゃんと記録を見なければならないでしょう?」

ーーでも、こうやって弁護士に圧力をかけて、情報の手口を閉めちゃうんです。

「記者が報道しなければ、一般の人は刑事裁判がどうなっているのか分かりません。だから、こういう時、NHKは戦わなければならない。戦って欲しい。検察官も裁判官も神ではない。人間です。間違うこともある。悪いことをする人も出てくる。それはどこの国でもあります。だからこそ、そういうことが起きないためにも、できるだけ手続きは公開されていなければならない。ジャーナリストができるだけ情報にアクセスして報道できるようにしなければ、民主主義社会は機能しません」」


TOKYO人権啓発センター TOKYO人権 第56号(平成24年11月27日発行)

2013年07月23日 | Weblog
2013年06月26日 00時02分04秒

http://www.tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho56_interview.htm



インタビュー:自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと



「新生児仮死の後遺症により脳性まひの障害を持つ熊谷晋一郎さん。“健常な動き”を身につけるため、物心つく前から厳しいリハビリを受けました。しかしそれは、彼にとって「身体に合わない規範を押し付けられる」という体験でした。成長とともにリハビリをやめ、自分らしいあり方を模索。大学進学をきっかけに親元を離れて一人暮らしを始め、試行錯誤しながら自立生活を確立していきました。医学部を卒業後、小児科医となった熊谷さんに、障害を持って生きていくことについてお聞きしました。



脳性まひとはどういう障害ですか?



出生時に呼吸が止まるなどのアクシデントが起きて、その後遺症で運動機能や姿勢を維持する脳機能に障害が生じた状態のことです。基本的に、症状がそれ以上進行することはありません。アクシデントにはさまざまな原因があり、脳のどの場所が傷んだか、障害の表れ方も人それぞれなのですが、十把一絡げに「脳性まひ」と診断されます。私の場合は、「痙直型(けいちょくがた)」といい、言語障害はそれほど重くはないですが、常に身体が緊張していて、うまく体が操れないというタイプです。



子どもの頃のリハビリは壮絶だったそうですね。


 物心つく前から厳しいリハビリを受けていました。私が幼かった頃は“心に介入するリハビリ”の全盛期。脳性まひは身体そのものではなく「脳」の問題であるということが、「心や人格」の問題に拡大解釈されていました。それで、リハビリがうまくいかないのは私自身の努力が足りないだからだと。意志の問題だから天井なしに目標を設定され、延々と続く“ がんばり地獄”の状態。親やトレーナーに一挙手一投足を監視され、「心」を指導され続けました。家ではもちろん、定期的に泊りがけのリハビリキャンプに参加するなど、“健常な動き”ができるようにと、自分の身体には合わない動きを強いられるリハビリ中心の生活でした。

 けれども、小学生まではリハビリに一日何時間もかけていたのが、成長とともに徐々に減っていき、高校生の頃には体をほぐす程度のストレッチだけで、リハビリキャンプにも通わなくなりました。当初、母は親心から「息子を苦労させたくない」「人並みの体にしてあげたい」という思いがとても強かった。でも私が成長するにつれ、「この子は絵を描くのが好きらしい」「勉強している時の方が楽しそう」と、リハビリ以外の私の様子にも目を向けるようになりました。それで「何が何でも健常者のようにしなきゃいけない」という思いは徐々に薄れていったんじゃないかなと思います。





一人暮らしを始めたいきさつは?


小学生の頃、ふと、「親が先に死んでしまったら、自分は生きていかれない」と気づきました。当時の私は、生活全般、食事をするのも学校に行くのも、何でも親の介助を受けていましたから。この不安は年齢を重ねるにしたがって大きくなっていきました。親なしで暮らせる“実験”を早めにしておかないとまずいと思っていました。それで、高校を卒業し東京の大学へ進学するのをきっかけに親から離れるというのが、最初で最後のチャンスになるような気がしたんですね。親は当然、猛反対しました。うまくいかなかったら帰ってきなさいとも言っていましたが、自分の中では、ダメだったら実家に帰るという選択肢は無かったですね。
 地域で一人暮らしをしている先輩障害者の姿を、子どもの頃になんとなく見ていたこともあって、「自分にもできるはずだ」という確信があったのも大きかったと思います。具体的にどうやっているのかは分からないけど、明らかに自分より障害の重い人が一人暮らしできている。その事実が背中を押してくれました。

 一人暮らしを始めて、まず困ったのはトイレでした。最初はなにも手を加えていないトイレで、介助してくれる人もいなくて、失禁してしまった。でも、こう体を動かしたらうまくいくんじゃないかとか、ここに手すりを付けたら使えるんじゃないかとか、試行錯誤していくのは楽しい実験でしたね。私も物に合せて動きを変えるし、物も私に合せて形を変える。どちらかが一方的に譲歩するんじゃなくて、物と私が「互いに歩み寄る」。一人暮らしの体験は、生まれて初めて世界と直接交渉することができた、そんなわくわくする感じがしました。それまでは世界と私の間には、いつも親が挟まっていて、「向こう側がよく見えない、じれったい!」みたいな感じでしたからね。




“自立”とはどういうことでしょうか?




一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ。
 東日本大震災のとき、私は職場である5階の研究室から逃げ遅れてしまいました。なぜかというと簡単で、エレベーターが止まってしまったからです。そのとき、逃げるということを可能にする“依存先”が、自分には少なかったことを知りました。エレベーターが止まっても、他の人は階段やはしごで逃げられます。5階から逃げるという行為に対して三つも依存先があります。ところが私にはエレベーターしかなかった。

 これが障害の本質だと思うんです。つまり、“障害者”というのは、「依存先が限られてしまっている人たち」のこと。健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。“健常者である”というのはまさにそういうことなのです。世の中のほとんどのものが健常者向けにデザインされていて、その便利さに依存していることを忘れているわけです。

 実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。障害者の多くは親か施設しか頼るものがなく、依存先が集中している状態です。だから、障害者の自立生活運動は「依存先を親や施設以外に広げる運動」だと言い換えることができると思います。今にして思えば、私の一人暮らし体験は、親からの自立ではなくて、親以外に依存先を開拓するためでしたね。




最近の障害者介助について、どう感じていますか?


昔に比べて障害者の介助の現場は「メニューが増えた」と思います。以前は制度自体がなく、生活を組み立てるときには限られた人・ものを活用しながら、なんとか手作業で作り上げていく感じでしたね。それに比べると、自立支援法成立以後はそういったことが自動化して、制度に乗ってさえしまえば介助者を見つけるのには苦労しなくなりました。
 ところが、震災が起きたときに誰も様子を見に来てくれないとか、あるいはそこまで大きいことでなくても、失禁したときに介助を頼もうにも誰にも電話が通じないということがこれまで何度もありました。失禁は不測の事態の顕著な例で、なるべく早くなんとかしたいわけです。それなのに、そういう時にかぎってシステムが全然機能しない。以前に比べて、不測の事態に融通が利かなく、使い勝手が悪くなったと思います。

 システムに乗らないものを許さない風潮というか、制度どおりにおこなわれているかどうかを監視するのに、現場が忙殺されているような状態です。それに、あらかじめ決められていること以外は許されないので、介助者との人間関係が深まらなくなった感じがします。心の通じない相手がしてくれる介助は痛いから、怖いんですよね。

 何でもカテゴリー化して制度を作っていくだけでは、制度に乗りきらない人たちが永遠に生み出され続けていくことになります。首尾よく乗れた人も窮屈に感じるんじゃないでしょうか。メニューがそろって自己選択できるのだけど、いったん選択するとそれに従わざるを得なくなるような圧迫感があります。障害者の自立生活運動では「施設から地域へ」がスローガンだったのに、窮屈な施設から飛び出した先の地域が“ 施設化”していた、という感じです。

 一言で言うなら「揺らぎが無くなった」「揺らげなくなった」ということでしょうか。そしてそれは、世の中全体に着実に浸透しているような気がします。ガチガチに固定されているシステムは、揺らぐことができる「余白」、その場の状況に応じた選択・決定を可能にする余地や余裕がないために、リスクが高く、効率も悪いものです。「揺らぎ」がなくてはイノベーションも起きません。こういった「揺らぎ」や「遊び」という要素をどう維持していくかというのが、今後世の中のことを考えていく上での重要な課題になっていくだろうと思います。

絶望的な世の中に、どのように希望を見出せばよいでしょうか?
 「自立」と「依存」という言葉の関係によく似ていますが、「希望」の反対語は「絶望」ではないと思います。絶望を分かち合うことができた先に、希望があるんです。

 先日、当事者研究の集会に参加したときのことです。精神障害や発達障害を持ち、絶望を一人で抱えてきた大勢の人たちに会いました。そのとき感じた感覚はなんとも言葉にしがたかった。さまざまな絶望体験を互いに話し、共有することで、「もう何があっても大丈夫だ」っていう、不思議な勇気というか希望のようなものが生まれる。話や思いを共有できたからといって、実際には問題は何も解決していないのだけど、それで得られる心の変化はとても大きいんです。

 私は長い間、失禁の問題を誰にも話せず、心の中に抱え込んでいました。けれどある日のこと、外出先で漏らしてしまって、通りすがりの人にきれいに洗ってもらったことがあったんです。私は一人で抱えていた絶望を見ず知らずの他人と分かち合えたと思いました。このとき「世界はアウェー(敵地)じゃなかった!」という絶大な希望を感じたんです。たった一人で抱えてきたことを他人に話し、分かち合うことができるようになって、「もう大丈夫」と思えるようになったことは、私にとってとても大きかったですね。絶望が、深ければ深いほど、それを共有できたときに生まれる希望は力強いんですよ。

インタビュー/鎌田 晋明(東京都人権啓発センター)
編集/脇田 真也」