がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

術前補助抗癌剤治療1クール目

2006年01月25日 | Weblog
術前補助抗癌剤治療(術前補助化学療法という場合もある。細かな説明はいずれまたすることにする。)1クール目はシスプラチン200mg。この選択が非常に良かったと思うことになるのだが、いまだに骨肉腫に対する第一選択薬をメソトレキセートとしている病院が多い。完全に選択薬を間違えていると考える。単独の抗癌剤で20%以上の寛解率(寛解率についても後程詳しく説明する。)が実証されている薬剤はシスプラチン、アドリアマイシン、イフォマイド、メソトレキセートの4剤であるが、メソトレキセートは第4選択薬とするべきである。他の3剤を使い終わった後に使用するべきである。また、術後に使うべきでもある。術前に使うべきではない。理由は、まず、あまり効かないということ、次に、代謝拮抗剤(代謝拮抗剤についても後程説明する。)であるため効き目が現れるのが遅いためである。
効かなかった場合、その間病気が進行してしまうし、患肢を切断する可能性が高まる。まずは、スペクトルの広いシスプラチンやアドリアマイシンを使用するべきである。この点において私の転院は成功したと言える。
抗癌剤の量は、体重から割り出した体表面積を基に算出するが、私は体重が重かったため大量のシスプラチンが投与された。薬に対する感受性が人それぞれ違うのに、体重を基に算出した量を投与するのは、全く非合理的であると思うが、1人1人に多くの時間を割くことが出来ない現在の医療制度の下ではやむを得ないのであろう。医療制度は問題だらけだが、これもその1つであろう。国民のレベルが低い我が国ではこの位の医療制度しか持ち得ないのだろうと納得するしかない。政治がそうであるように、医療制度もまた国民の知能レベルを反映している。

骨肉腫と判明

2006年01月24日 | Weblog
平成16年3月31日職場近くの整形外科を受診。膝の水でも抜かれるかなと思っていたが、予想に反して、血液検査をされ、大きな病院でMRIを撮ってくるようにと言われる。翌日MRIを撮ると明らかに腫瘍が見られた。腫瘍には良性のものと、悪性のものがあるが、その時点では腫瘍と言われてもまだピンと来なかった。そのまま、そのMRI画像を持って、より大きな病院へ行くと、県立がんセンターへ行くようにと言われ、4月8日に受診。入院して病理組織検査のための手術=生検をして、良性腫瘍か悪性腫瘍かを確定させようということになり、入院の手続きを行う。骨肉腫に限った話ではないが、腫瘍の良性・悪性の判別を確実に行うには生検が不可欠である。はっきりしない腫瘍を抱えていて、はっきりとさせたい人には生検をお勧めする。真実を知りたくないひとは生検を受けない方がいい。
4月15日に全身麻酔下にて、生検が行われる。結果は4月22日に判明し、悪性腫瘍である骨肉腫と判明。4月23日に入院してすぐにメソトレキセートという抗癌剤を使って抗癌剤治療を始めようと言われる。
私はうたぐり深い性格なので、セカンドオピニオンを受けたいと言って、MRI画像、CT画像、腫瘍細胞の載ったパレート、診療情報提供書をもらって帰宅。私は元々冷静なほうなので、ショックは特になく、それよりも仕事をどうしようかという思いが強く、病院からの帰り道でも仕事に関する電話をしたりしていた。
4月26日に別の癌治療の専門病院でセカンドオピニオンを受ける。やはり結果は骨肉腫。治療をするか死ぬしか選択肢はなかった。まだ死にたくはなかったので、治療をすることにし、セカンドオピニオンを受けた方の病院に入院する。入院日は4月27日となり、翌日からシスプラチンという抗癌剤を用いての術前補助抗癌剤治療が始まることになる。

前提として

2006年01月24日 | Weblog
人間の考えは全て主観であり、当然私の記載する文章も主観によってつむがれるものである。そのことを忘れずにこのブログを読んでいただきたい。
それでは本題に入りたいと思う。

漫画「リアル」で、ある程度有名になった感はあるが、骨肉腫の発症頻度は100万人に2~3人で、我が国では、年間200人~300人が新たに骨肉腫となっている。確率としては非常に低い。
その骨肉腫に私がなったと判明したのは平成16年4月22日のことである。それから1年4ヶ月にわたる闘病生活がはじまった。
その兆候は平成15年12月に既にあった。右膝が非常に痛く、正座が出来なくなっていた。単に膝が痛いだけだろうと思って余り気に留めていなかった。