がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

みのもんたVS国会議員 ずばっとコロシアムⅣ

2007年12月22日 | Weblog
2007年12月22日 21時21分記載

いや~煽ってたね、みのさん。国民感情煽りまくりだね。私から見てもやりすぎじゃないかと思うくらい。

あれをあのまま国会に持ち込んじゃうのは危ないと思うけど、出演していた国会議員やこの番組を見ていた国会議員は、国民感情はあれに近い所まで来てるっていうのは意に留めておいた方がいいと思う。もう理性で制御出来ないくらい怒りに充ちちゃってる、国民は。あまりにいたぶられてきたから。



この番組では視聴者が携帯電話で参加出来るようになってるんだけど、その携帯電話投票の結果が国民の感覚に近いんじゃないかな。この番組を見てるってことは、みのもんたに多少の親近感を持っている人が多いだろうから、携帯投票の結果も少し割り引いて見なきゃならないと思うけど、大筋国民の感覚に沿っている気がした。



この番組では国会議員、とりわけ与党議員が責められてたけど、彼らを選んでいるのは我々国民だということを忘れちゃいけないね。後になって責めなきゃならないような人間を選出しないように十分注意しないと。



そのためには、前にも言ったとおり、議員であったものが、政党が、どういうことを過去にしたかをしっかり覚えておいて、その内容を吟味したうえで投票しないと。投票後に彼らの行動を制約することは国民には出来ないから。



ここでまたまたナベツネに触れるけど、ナベツネの危うさっていうのは、選挙の時には黙っていたことを急に持ち出してきて焚き付けること。選挙を無意味化させ、民主主義を引っくり返しちゃう。

大連立したっていいんだよ。だけどそれは、せめて可能性くらいは選挙の時に言っておかなきゃ駄目。選挙の時は相手方を手厳しく批判して、連立なんておくびにも出さないでおきながら、選挙が終わったら途端に大連立なんて絶対認められない。

「ねじれてるから大連立」なんて、ひどくシンプルな考えは政治の世界で用いちゃ絶対駄目。政治はもっと複眼的に俯瞰的に(場所的にだけでなく、歴史的にも)見て行わないと。ナベツネこそ国を誤らせる。



3回目になるけど、佐々木毅先生の考えを紹介しておくから、ナベツネくん、読んでよく勉強しといて。

参考 http://www.secj.jp/  現下の政治情勢に対する緊急提言



「単純さは罪である。」


本日の読売新聞4面記事のご紹介

2007年12月22日 | Weblog
2007年12月22日 16時35分記載

「読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長・主筆は、22日に放送される日本テレビ番組「なかそね荘」の中で、自民、民主両党による大連立構想が浮上した経緯に関する見解を明らかにした。

 発言要旨は次の通り。

 テリー伊藤氏(司会) 連立への思いを渡辺さんが福田さん(首相)に電話したのか。

 渡辺主筆 いや、小沢さん(民主党代表)の方からのアプローチだ。

 テリー 小沢さんから電話があったのか。

 渡辺 まあ、そういうことですね。(電話が)あったし、直接会いもした。(小沢さんは)「福田さんが持ちかけて、渡辺が仲介した。おれは受け身だった」ということを貫いているが、それは逆だ。なぜ(経緯を)書かないのかと、朝日新聞をはじめ盛んに僕を攻撃しているが、ニュースソース(取材源)に対する信頼を失ったら、将来、そのソースは切れる。まだ政治は動いている。今、全部暴露しろと言っても無理だ。僕は新聞記者の倫理を守るために、言っちゃいけないことは言わない。僕自身の倫理観と道徳感がある。

 小沢さんが言っている「福田さんが持ちかけてナベツネが仲介して」というのは事実に反する。むしろ、小沢さんの方が危機感を持って、「次の衆院選は厳しい。次の選挙でも民主党は衆院で少数党で、参院は多数党だ。このねじれがずるずる行ったら、国はおかしくなる」と認識しているから、そういう認識に基づいて行動を起こそうとした。

 ところが、あの人は秘密主義というか、自分の党の幹部にも一切言わなかった。抑えられると思っていた。ところが、造反されて党首辞任騒ぎまでいった。福田さんは何度も小沢さんに、「民主党は大丈夫か」と聞いている。小沢さんは「大丈夫だ」と断言した。福田さんは僕にも聞いてきた。僕が小沢さんに聞いてみると、「大丈夫だ」と言うから、本当に大丈夫かなと思っていたら、1時間か2時間たったらパーだ。小沢さんは裸の王様になっていた。自分が言えば、幹部会はただちに賛成と言うと思いこんでいた。これが、今度の大連立話を破壊した最大の原因だ。

 テリー 連立の条件は。

 渡辺 政策協議機関を作り、テロ対策特別措置法、消費税、社会保障、年金の問題などを片づけていこう。これが国民のために幸せだと、両方とも善意で会ったことは間違いない。いずれは(経緯を)全部書く。

 テリー 連立の中での小沢さんのポジションは。

 渡辺 小沢さんは無任所の副総理。これは決まったことだ。閣僚の数を(自民党)10対(民主党)6対(公明党)1で、6の中には国土交通相、厚生労働相、農相は入れてくれということで話はついていた。

 テリー 衆院解散は。

 渡辺 解散したら、ねじれは決定的になる。そうなったら、完全に国会はまひする。その時点で連立をまじめに考えなければならないし、考えるようになるだろう。

 ◆「そのようなことではない」小沢代表◆

 民主党の小沢代表は21日、読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長・主筆が、自民、民主両党による大連立構想が浮上した経緯について、「小沢さんの方からのアプローチだ」などと発言したことに関し、「党首会談に入っていない人の話をいろいろ問われても困る。私から論評する必要はない。いずれにしても、そのようなことではない」と述べた。

 党本部で記者団の質問に答えた。」

どっちが嘘ついてんのか、どっちも嘘ついてんのか、永遠に決着はつかない。

1つ言えることは、ナベツネは立候補して政治家になった方がいいということ。彼の言動は政治家そのもの。新聞社の主筆務めてちゃ駄目。

読売を「政府広報 読売」とか、「自民党機関紙 読売」とかにしてくれれば主筆で構わないんだけど。

中立っぽく偽装しちゃ駄目。不正表示だよ。



大野伴睦みたいになりたいのかな、彼は。



カンニング中島全記録

2007年12月22日 | Weblog
2007年12月22日 14時29分記載

本日13:30から1時間、タイトル記載の番組が日本テレビで放送された。



ご存知の方も多いかと思うが、中島さんは白血病で昨年12月20日に亡くなった。享年35。



中島さんの行動、気持ちが一々痛いほどよくわかる(気がする)。



中島さんは、白血病になってから日記をつけるようになった。そこには偽らざる中島さんの気持ちが記されている。そして、日記をつけていることを奥さんには言っていなかった。

私もこのブログが存在することを身内には言っていない。遺言になるかもしれないと思いながら書いている。

ひょっとすると中島さんもそう考えていたのかもしれないと想像する。



息子の翔太くん(3才)がまたかわいい。中島さんはこんなにもかわいいお子さんをこの世に送り出しただけでも十分価値のある人生だったのではないだろうか。僭越ながらそう思いたい。奥さんと共に息子の成長を見守りたかっただろうとは当然思うが。



奥さんが「家族のたからもの」という本を出版されている。読まれてみてはいかがだろう。


福田詐欺・強盗・殺人政権

2007年12月21日 | Weblog
2007年12月21日 22時12分記載

週刊文春が舛添を「やるやる詐欺」犯とする記事を書いていたけど、うまいこと言うね、文春さん。

ホントその通り。やる、やるって言葉ばっかり上滑りして、実際何にもやらない。神様がやったって出来ないって居直っちゃう。居直り強盗だよね、舛添。詐取したのは薬害肝炎患者の命、強取されたのは民間人の年金。



加えて、福田がまた酷い。都市再生機構改革は3年先送り、住宅金融支援機構は2年先送り。何にも決めない。楽だよなあ、福田ちゃん。残す必要があるならあるって言えよ。ないならないって言えよ。国民が判断出来ないじゃねえかよ。(福田が無責任だっていうことだけは判断出来るけど。)



予算案も酷いもんで、政府管掌保険の金が足りないからって違う保険から1000億円引っ張ってきちゃう。東京とか愛知から金ぶん取って来て地方に配っちゃう。何の思想も哲学も無い。「あそこにお金があるから持ってきちゃおう!」っていう子供じみた短絡的な発想しかしない。今時5歳児でもこんなこと考えない。

近代以降稀に見る稚拙で犯罪性の高い政権。



本日の読売新聞朝刊解説スペシャル

2007年12月21日 | Weblog
2007年12月21日 18時30分記載

本日の読売新聞朝刊15面に「解説スペシャル 薬害肝炎 和解協議」というタイトルで社会部の記者さんが記事を書いている。その記事に関して、私の思う所を記したい。(余談だが、私が嫌いなのは、ナベツネの影が色濃く見える政治部の記事で、社会部・社会保障部・医療情報部といった政治部以外の記者さんが書く記事は嫌いではない。)



「解説スペシャル 薬害肝炎 和解協議」中に法務省関係者の言葉として次の言葉が紹介されている。「司法が責任範囲を限定しているのに、行政がそれを超えることはできない。今後の同種の訴訟にも影響する恐れがあり、一律救済は決して認められない」。

だからね、原告団は政治決断を求めてるわけ。法治国家にあって行政府が司法判断を踏み越えることは確かに問題ある(ただ、今回は和解案を提示しているだけだけど。)だから、立法府の政治家が立法によって救済すればいいわけ。違憲立法をするなら格別、憲法に適合した立法によって薬によって被害を被った人を救済することは何の問題もないの。もう行政官が対応できる局面じゃないから、行政官は引っ込んでろよ。



また、「今後の同種の訴訟にも影響する恐れがあり、一律救済は決して認められない」との点について言えば、同種の訴訟が今後もいくつも出てくるような発言で、空恐ろしい発言。この発言の裏には、薬には必ず副作用があって、副作用が生じる度に賠償してたらきりがないって発想があるんだと思うんだけど、その認識が完全に間違ってる。さすが世間知らずの官僚君達。前の記事でも書いたけど、薬による副作用で困っている人がいたら(それが薬害であろうと国に故意・過失の無い場合であろうと)、それら全ての人を救済するのが国家として当たり前の姿。全員一律救済しか絶対認められない。

って、こういうこと言うと、「いくらかかるかわからない。国家財政がもたない。」とか言い出すのが、官僚君達の常套句。全く事実に基づかない、極度に抽象化した机上の空論。何にもわかってない。



薬は長い審査期間を経て認可される代物だから、被害補償が必要なほど重篤な副作用が出る確率は極めて低い。

骨肉腫患者に投与される薬を例にとって具体的に考えてみる。

まず、毒薬のシスプラチン。急性腎不全の発現する確率:0.1%未満。ショック、アナフィラキシー様症状の発現する確率:0.1%未満。脳梗塞の発現する確率:0.1%未満。心筋梗塞、うっ血性心不全の発現する確率:0.1%未満。間質性肺炎の発現する確率:0.1%未満。

次に、劇薬のイフォマイド。急性腎不全の発現する確率:0.1%未満。意識障害の発現する確率:0.1%未満。幻覚、錯乱、錐体外路症状の発現する確率:0.1~5%未満。脳症の発現する確率:0.1%未満。間質性肺炎の発現する確率:0.1~5%未満。



骨肉腫は悪性度の高いガンだから、使用する容量が致死量スレスレ(メソトレキセートに至っては一旦致死量を入れて、一定時間経過後に正常細胞だけが取り込める解毒剤を投与。)。それでも、上記の程度の確率でしか重篤な副作用は出ない。毒薬・劇薬でこの位の確率だから、市販されるような薬で重篤な副作用が出る確率はもっと低い。仮に、毒薬や劇薬よりも高い確率で副作用が出たとしたら、それは認可自体に問題がある。



国に故意・過失があろうがなかろうが国の認可した薬によって被害を被った人がいたら、全員救済するのが国として当たり前。国に過失が無い、国民にも過失が無い、という場合に責任を負担するべきは国。そういう対応をしたとしても支出しなければならない金額はたいしたものじゃない。そういう考えで政治家は立法をしていくべき。



「解説スペシャル 薬害肝炎 和解協議」は次の言葉で結ばれている。「薬には必ず副作用が伴う。いったん承認された医薬品について、その有用性を考慮しても、副作用の危険が高く問題だと分かった時、国がどの時点でどんな規制を行うべきなのか。国が「責任」を負う対象者の線引きにこだわるのは、薬事行政の根源にかかわる難しい問題をはらんでいるからである。」



確かに「国がどの時点でどんな規制を行うべきなのか」は難しい問題。(個人的には、副作用の説明をして自己責任で決定させればいいと思うけど。)

しかし、『国が「責任」を負う対象者の線引きにこだわるのは』全く理解できない。上記のとおり、国が全面的に責任を負えばいいだけの話。金額もたかが知れてる。問題があるのは、そう熱意と根拠を持って国民に説明せず立法を怠っている政治家と面子にだけこだわって小理屈こねくりまわしている官僚。



薬害肝炎原告団の福田衣里子さんは「おぎゃあ」と生まれてきた時に使われた止血剤クリスマシンによってC型肝炎に感染してしまった。一審では国に責任はないとして敗訴。こういう人に「残念でしたね。だけど、国に責任はないので自費でインターフェロンの治療を一生続けてください。先々肝硬変・肝がんになったとしても自力で頑張ってください。お気の毒に。」って言えってことなんだよね、国は。そんな国に税金を払っているのかと思うと情けないし、悔しいね。




溜め息しか出ないよね、我が国政府・与党には

2007年12月21日 | Weblog
2007年12月21日 08時47分記載
薬害肝炎の救済案を考えるうえで、大阪高裁の和解骨子案に矛盾抵触する判断は出来ないだって。

大阪高裁が出してるのは和解骨子案だからね。判決じゃないから。和解骨子案を越えて薬害肝炎患者救済案を策定することに何の問題もないでしょ。裁判所には、積極的な法定立機能はないし、そうすべきでもないから、立法府が救済できる形で立法をすれば済むだけの話でしょ。こんな時ばっかり裁判所の判断を利用するのはやめてもらいたいよね。普段は高裁判決なんて完全無視なのに。



発想の仕方が根本から間違ってるんだよね。全員一律救済を認めちゃったら、追加提訴者が膨らんだ時に膨大な金額がかかるとかって算盤勘定が先に来ちゃってて。無過失で苦しんでる国民は二の次でさ。

どこまで膨らんだって全員救済するんだよ。いくらかかったっていいんだよ。無過失の国民が苦しんでるんだから。

江利川毅厚生労働事務次官が2兆~3兆かかるって言ってるらしいけど(笹川尭自民党衆議院議員談)、構わないんだよ、2兆~3兆出せば(実際はその10分の1もかからないと思うけど)。2兆~3兆なんて消費税1%分でしょ。薬害肝炎被害者救済のためだけに使うって公約に掲げて消費税1%上げればいいんだよ。2割~3割の国民は反対するだろうけど、過半数は賛成に回るよ。(国民が賛成してくれなければ勿論できない。ただ、私としては日本国民はそんなに無情じゃないと思ってる。)ただ、それだけの話だよ。



少なくとも自分は、肝炎に限った話じゃないけど、薬害や薬害ではないけれど薬の副作用で苦しんでる人達のために使うなら(実際に目的税化して使途を限定するという条件付だけど)税金UPは構わない。(っていうか、役人減らせよ。役人の給料とボーナス下げろよ。おかしな手当なくせよ。それで十分賄えるよ。)

そういう目的のはっきりした税金払うより、毎年毎年上がり続けてる年金保険料の方がはるかに腹立たしい。



やっぱり、何をどう考えても、厚生労働省、とりわけ旧厚生省は要らない。



「小説新潮」本日発売

2007年12月21日 | Weblog
2007年12月21日 07時07分記載

本日発売される「小説新潮」に城山三郎さんの遺稿が掲載される。(来月書籍化される予定。)

城山さんが46年連れ添った奥様に対する思いが綴られているようである。楽しみである。



城山さんの作品には美しい日本人が登場し、読むと清々しい気持ちになる。しかし一方で、現代の、自分も含めた美しくない日本人との余りの違いに、読後感は複雑なものとなる。


バリアフリー法施行一年

2007年12月19日 | Weblog
2007年12月19日 22時08分記載

バリアフリー法とは、「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」の俗称である。昨年12月に施行された。

バリアフリー法は、その名前から想像が付くかと思うが、ホテルや公共交通機関のみならず、生活に関わるあらゆる場所での障壁を除去するよう義務付けたり、努力するよう求める法律である。その第1条には、目的として以下のことが掲げられている。

「この法律は、高齢者、障害者等の自立した日常生活及び社会生活を確保することの重要性にかんがみ、公共交通機関の旅客施設及び車両等、道路、路外駐車場、公園施設並びに建築物の構造及び設備を改善するための措置、一定の地区における旅客施設、建築物等及びこれらの間の経路を構成する道路、駅前広場、通路その他の施設の一体的な整備を推進するための措置その他の措置を講ずることにより、高齢者、障害者等の移動上及び施設の利用上の利便性及び安全性の向上の促進を図り、もって公共の福祉の増進に資することを目的とする。」



時間や費用がかかることは承知しているが、上記、法の目的が達成された社会が成立することを切に願う。(もちろん願うだけではなく、自らが出来ることはしていく。)



私自身入院中は車椅子に乗っていたので、今の日本社会では、車椅子を利用している人が生活していくのが難しいことは容易に想像がつく。実際、街中で車椅子に乗った人を見掛けることは殆どない。



心のバリアフリーというのも勿論大事だろうが、ハード面でのバリアフリーも同じ程度に重要である。

車椅子に乗ったお年寄りや車椅子に乗った障害者が、同じ人間として、同じ社会の中で暮らすことで、心のバリアフリーも進んでいくのだろうと思う。施設・設備のバリアフリーと心のバリアフリーは、いわば車の両輪で、両方揃って初めて、「高齢者・障害者も含めた『人間』が暮らす社会」という車が前に動くのだと思う。



健康で五体満足な人間だけが『人間』ではない。日本社会が『人間』の暮らす社会となることを願う。



「人間は社会的動物である。」(アリストテレス)

社会性を持ってこそ『人間』である。あらゆる人が社会と繋がりを持てる社会をこそ実現したい。



大腿骨を原発とする骨肉腫に対して行われる手術について

2007年12月19日 | Weblog
2007年12月18日 23時16分記載

骨肉腫の約7割が大腿骨遠位部(わかり易く言うと膝辺り)を原発巣とし、自らも当該箇所に発症したため、大腿骨遠位部に発症した骨肉腫に対し行われうる手術について自らの知る範囲で記したい。肩、体幹部といった他の箇所に発症した方々に対しては申し訳ないがご自分で調べてもらいたい。



まず、肢を残せるか否かで大きく分かれる。腫瘍が大きすぎる等で肢を残せない場合は、切断ないしは離断をすることになる。離断とは、関節の所で切り落とすことであり、足首・膝関節・股関節のいずれかで切り落とすことになる。切断とは、関節以外の所で肢を切り落とすことである。医師は「アンプタ」と言ったりする。amputation(切断)の略である。



次に、肢を残せるとなった場合、様々な種類の手術から最も適する手術が選択されることになる。



最もポピュラーなのは人工関節置換術ではないだろうか。自分もこの手術を受けている。(人工関節置換術については本ブログテーマ「手術」を参照されたし。)



人工関節置換術以外には、ローテーション(回転形成術)というものもある。漫画「リアル」の主人公である戸川清春が受けた手術がこれに当たる。ローテーションの場合、見た目がかなりショッキングな感じになる。漫画「リアル」では、作者である井上雄彦の絵のうまさもあって、それ程ショッキングな感じで描かれてはいないが、実際の写真・VTRを見ると、かなりショッキングである。しかし、この手術法の良い点は、神経や下肢動脈の切断を回避することが出来る点である。離断・切断した場合、下手をすると一生強い幻肢痛に悩まされることになるので、それを避けるためには、ローテーションを選択した方がいいだろう。



ローテーションに似た手術法としては、turn up法(ターンナップ法)というものがある。ローテーションと違うのは、足首から先を切り落とす点であるが、医師が言うには、大腿や膝関節で切断・離断するよりも、幻肢痛が出る可能性が低いそうである。私は、次回、感染症になった場合、この方法を選択するつもりでいる。



その他に、金沢大病院等が実施している骨移動術がある。(参照URL http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/saisin/20071207-OYT8T00477.htm )



金沢大病院では、カフェインを併用した抗がん剤投与等、先進的な医療に取り組んでいる。その姿勢自体非難するつもりはないが、効果だけでなく、副作用等もしっかり説明してもらえるようお願いしたい。

これは金沢大病院に限った話ではないのだが、医療情報は、どうも良い方の側面だけが伝えられがちな感じがしている。裏に潜んでいるマイナスの要素も忘れずに説明してもらえるよう願いたい。(確たるエビデンスに基づく感染確率やカフェインを併用することにより眠れなくなるという副作用が出る等。)



腫瘍が出来る場所、大きさ、抗がん剤の効果等により、受けうる手術が決まってしまうことが多いかと思うが、複数選択可能な場合は、受ける手術により得られる利益と当該手術に潜むリスクを冷静に比較考量し、自らにとってベストな選択をしてもらいたい。




史上最低最悪の総理大臣 福田康夫

2007年12月15日 | Weblog
2007年12月15日 16時13分記載

どの点において最低最悪かというと、日本国民に対する無関心さにおいてである。



私の知る限りでは、歴代総理大臣は日本国民、日本国に対するいくらかの関心を持ってその任に当たっていたように思える。私から見れば間違った関心の持ち方・使命感であっても、いくばくかの関心を持ってその地位にあったように見える。しかし、そのような関心を福田康夫からは全く感じない。侮蔑的意味合いで使う「評論家」そのものである。国民生活に何の興味も関心もない。

「評論家」という言葉を、職業の肩書としてではなく、侮蔑的意味合いで使う場合、その意味する所は、当事者意識を欠いていて、無責任で、無内容なことをしているという意味である。まさにそのものである。

だから、「公約を覚えていない」と言えるし、事ここに至っても「肝炎訴訟の詳細を把握していない」と言えるし、肝炎被害者に「会っても構いませんよ」と言える。全て他人事である。



一昨日、猿渡瞳さんのメッセージを紹介した。猿渡瞳さんはそのメッセージを残した2ヶ月半後にこの世を去った。喩えでもなんでもなく、文字通りの命懸けのメッセージである。13才の女の子の命を懸けたメッセージである。

それに比べて、福田康夫の弛緩しきった精神性はどうであろう。お前こそ命懸けで職務を遂行しなければならないのではないか。



恥を知れ。


猿渡瞳さん(享年13歳) 命を見つめて

2007年12月13日 | Weblog
2007年12月13日 23時01分記載

骨肉腫患者の間では余りに有名なため、ご存知の方も多いかと思いこれまで紹介してこなかったが、医龍2を見ていて、子供がどのような気持ちで病気と向き合っているかについて改めて考えさせられたため、本ブログでも猿渡瞳さんの「命を見つめて」を紹介させて頂く。(参照URL: http://www.aflac-ikiru.com/?banner_id=live69 )



猿渡瞳さん 「命を見つめて」(全文)



「みなさん、みなさんは本当の幸せって何だと思いますか。実は、幸せが私たちの一番身近にあることを病気になったおかげで知ることができました。それは、地位でも、名誉でも、お金でもなく「今、生きている」ということなんです。

 私は小学六年生の時に骨肉腫という骨のガンが発見され、約一年半に及ぶ闘病生活を送りました。この時医者に、病気に負ければ命がないと言われ、右足も太ももから切断しなければならないと厳しい宣告を受けました。初めは、とてもショックでしたが、必ず勝ってみせると決意し希望だけを胸に真っ向から病気と闘ってきました。その結果、病気に打ち勝ち右足も手術はしましたが残すことができたのです。

 しかし、この闘病生活の間に一緒に病気と闘ってきた十五人の大切な仲間が次から次に亡くなっていきました。小さな赤ちゃんから、おじちゃんおばちゃんまで年齢も病気もさまざまです。厳しい治療とあらゆる検査の連続で心も体もボロボロになりながら、私たちは生き続けるために必死に闘ってきました。

 しかし、あまりにも現実は厳しく、みんな一瞬にして亡くなっていかれ、生き続けることがこれほど困難で、これほど偉大なものかということを思い知らされました。みんないつの日か、元気になっている自分を思い描きながら、どんなに苦しくても目標に向かって明るく元気にがんばっていました。

 それなのに生き続けることができなくて、どれほど悔しかったことでしょう。私がはっきり感じたのは、病気と闘っている人たちが誰よりも一番輝いていたということです。そして健康な体で学校に通ったり、家族や友達とあたり前のように毎日を過ごせるということが、どれほど幸せなことかということです。

 たとえ、どんなに困難な壁にぶつかって悩んだり、苦しんだりしたとしても命さえあれば必ず前に進んで行けるんです。生きたくても生きられなかったたくさんの仲間が命をかけて教えてくれた大切なメッセージを、世界中の人々に伝えていくことが私の使命だと思っています。

 今の世の中、人と人が殺し合う戦争や、平気で人の命を奪う事件、そしていじめを苦にした自殺など、悲しいニュースを見る度に怒りの気持ちでいっぱいになります。一体どれだけの人がそれらのニュースに対して真剣に向き合っているのでしょうか。

 私の大好きな詩人の言葉の中に「今の社会のほとんどの問題で悪に対して『自分には関係ない』と言う人が多くなっている。自分の身にふりかからない限り見て見ぬふりをする。それが実は、悪を応援することになる。私には関係ないというのは楽かもしれないが、一番人間をダメにさせていく。自分の人間らしさが削られどんどん消えていってしまう。それを自覚しないと悪を平気で許す無気力な人間になってしまう」と書いてありました。

 本当にその通りだと思います。どんなに小さな悪に対しても、決して許してはいけないのです。そこから悪がエスカレートしていくのです。今の現実がそれです。命を軽く考えている人たちに、病気と闘っている人たちの姿を見てもらいたいです。そしてどれだけ命が尊いかということを知ってもらいたいです。

 みなさん、私たち人間はいつどうなるかなんて誰にも分からないんです。だからこそ、一日一日がとても大切なんです。病気になったおかげで生きていく上で一番大切なことを知ることができました。今では心から病気に感謝しています。私は自分の使命を果たすため、亡くなったみんなの分まで精いっぱい生きていきます。みなさんも、今生きていることに感謝して悔いのない人生を送ってください。」


公務員の年金はどうなっているか

2007年12月13日 | Weblog
2007年12月13日 11時47分記載

年金は、ごくざっくり言うと、自営業者が受給する国民年金、サラリーマンが受給する厚生年金、公務員・私学教職員が受給する共済年金に分けられる。

国民年金・厚生年金は社会保険庁により管理(もはや「管理」とは呼べないが)され、ボロボロにされた。それでは公務員の共済年金はどこが管理しているか。

国家公務員については国家公務員共済組合連合会が、地方公務員については地方公務員共済組合連合会が(加えて言えば、私立学校教職員については日本私立学校振興・共済事業団 共済事業本部が)国民年金・厚生年金とは別枠できっちりと管理している。記録漏れなど殆ど見られない。



いや~エグイよね、やることが。



社保庁があれだけ好き勝手なことが出来たのは、自分達・厚生労働省の人間の年金はそこには無いとわかっていたから。仲間であるお上の人間の金はそこには無いとわかっていたから。自分達の年金保険料が入っていたらこんな事態には絶対なってないね。



どこまで国民を愚弄すれば気が済むのかね、あいつらは。


ここで気を付けて見ておかなければならないこと

2007年12月13日 | Weblog
2007年12月13日 11時36分記載

政府・与党は年金に関わる一連の不祥事による失地回復の方便として、肝炎患者の全面救済という「政治決断」を持ち出してくる可能性があることに注意が必要である。

肝炎患者の全面救済は、それ自体当たり前のことだと私は考えているので、そうすべきであるが、そのことをもって政府・与党の責任が軽減されることは微塵もないということを国民は意に留めておかなければならない。



何でも誤魔化そうとする我が国政府・与党である。気を付けなければ騙されかねない。



今、政治家に望むこと

2007年12月12日 | Weblog
2007年12月12日 18時30分記載

厚生労働省(以下「殺人省」という)を解体してもらいたい。



現在、殺人省の組織はこうなっている→ http://search.e-gov.go.jp/servlet/Organization?class=1020&objcd=100495



感情的には、すぐに潰して殺人省の小役人どもに明日からハローワークに通わせたいところだが、国家公務員法等との絡みでそれは難しいだろうから、せめて組織の解体ぐらいはやってもらいたい。



私がイメージしているのはこうである。上記PDFに記載されている各部局の要・不要を細部にわたって検証し、どうしても必要な組織だけを他の中央省庁に引き取ってもらうか、地方に権限委譲して地方に任せて、殺人省をバラバラにしてもらいたい。

組織だけ無くなっても人が減らなければ意味が無いというのは全くもってその通りなのだが、法律的には殺人省の職員全員を即時解雇するのは難しいだろうから、止むを得ない。(とりあえず法治国家なので。しかし、それでも、少なくとも事務次官、官房長、審議官等、数人は減らせるだろう。それだけでもやって欲しい。)



薬害や年金の余りに杜撰な管理のペナルティが殺人省には与えられていない。殺人省はペナルティが与えられないことを知っているから適当にしか仕事をしない。中央省庁であっても、これだけの不始末をしでかしたら組織の解体に遇うということを教えなければならない。不始末には必ずその不始末の程度に見合ったペナルティがあると。



殺人省はこれまでに薬害で何人殺したかわからないし(少なくとも数十人)、1千万件単位の国民の重要な情報をぞんざいに扱った。民間なら絶対に倒産する事態である。これだけのことをして生き残れる企業は存在しない。



他の省庁に緊張感を持たせられるような形で、是が非でも殺人省を解体してもらいたい。



なお、政治家については選挙で落とすということが出来るので、舛添や町村、安倍・福田といったところは選挙で落としたい・落としてもらいたい。



会見で居直ってる舛添も問題だが、そこに出てこないで裏で舌を出している小役人どもが私は余計に許せない。


本日の読売新聞社説

2007年12月12日 | Weblog
2007年12月12日 09時05分記載

本日の読売新聞朝刊社説:年金記録漏れ 自ら受給権を守るしかないのか

「ずさんな年金記録問題の解決は、困難であることがはっきりした。厚生労働省と社会保険庁の責任は極めて重い。

 基礎年金番号に統合されていない記録漏れの「宙に浮いた年金」5000万件の全容が、初めて明らかになった。

 社保庁のコンピューター上で記録を照合する「名寄せ」作業により、1100万件は持ち主がほぼ判明した。一方で、持ち主の特定が難しい記録が全体の約39%、1975万件ある。このうち、社保庁の入力ミスなどが原因の945万件は特定できない可能性が高い。

 総務省の年金記録問題検証委員会によるサンプル調査で、難航しそうな記録が4割近くある、と予測されてはいた。

 とはいえ、2000万件近い数字を突きつけられてみると、問題の深刻さに改めて驚く。舛添厚労相は「ここまでひどいとは想定していなかった」と他人事のように言うが、厚労省、社保庁の責任をかみしめるべきだ。

 政府・与党は安倍内閣以来、「最後の1人、最後の1円まで記録を統合する」と宣言してきた。

 1000万件近くも未統合の記録が残るようなら、国民は到底、納得しないだろう。記録を統合し、年金がきちんと受給できるようにしなければならない。

 厚労省は、国民あての「ねんきん特別便」を来週から発送する予定だ。

 年金記録の回復作業はむしろ、ここからが本番であり、正念場であろう。

 名寄せで判明した記録1100万件の持ち主を手始めに、来年10月までに、すべての年金受給者と加入者約1億人に対し、過去の保険料納付記録が届く。

 一人ひとりが、自分の記録をつぶさに点検し、不備があれば訂正を申し立てる必要がある。コンピューターで名寄せしきれなかった記録は、個人からの申し立てと照合することによって、名寄せを進めるしかない。

 予想される膨大な数の申し立てに対して、厚労省と社保庁は、丁寧に対応することが重要である。

 問題は宙に浮いた5000万件のみにとどまらない。社保庁や自治体の職員、勤務していた企業が保険料を着服していれば、納付記録そのものが存在しないからだ。ねんきん特別便を丹念にチェックすることで、こうした不正もあぶり出せるだろう。

 厚労省と社保庁の積年の不始末に対して、国民が憤るのは当然だ。しかし、それだけでは貴重な年金を確保することはできない。これから先は、自分で年金の受給権を守ることも大事だ。」



最終段落以外はほぼ理解できる内容だが、最終段落については同意しかねる。



自らの貴重な年金を確保するための唯一の方法は、国に取られないようにして自分で積み立てることである。それ以外に自らの年金を守る方法はない。我が国政府というブラックボックス・伏魔殿に一度入ってしまった金の追及をしていくことは出来ない。記録の追及は出来るかもしれないが、何十年か後に「給付するお金自体がありません」と言われた時に、国民には為す術がない。



読売が「これから先は、自分で年金の受給権を守ることも大事だ。」と結んでいるということは、政府を疑ってかかれということであろうから、それなら年金の強制加入・強制徴収自体をまず止めさせるべきである。



無様で無能な我が国政府を信頼するか、全てのリスクを抱えて自ら運用するかの究極の、不幸な二者択一しか残されていないのが日本国民の悲劇であり、喜劇である。