がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

「国会は誰のためにあるんですか!」熱血東大教授・児玉龍彦氏

2011年08月24日 | Weblog
2011年08月24日 00時27分42秒

http://gendai.net/articles/view/syakai/132209



「<「マスコミも学会も機能不全」と一刀両断>

 国の放射能対策の怠慢をめぐり、「満身の怒りを表明します!」と国会で議員らを叱り飛ばした東大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授(58)。このときの映像は動画サイトで54万回も視聴され、話題を呼んだのは日刊ゲンダイ本紙も報じたとおりだ。その児玉教授が22日、東大先端科学技術研究センターで緊急会見を開いた。
 今月15日、菅首相の意向で官邸に呼ばれた児玉教授が、菅や細野原発事故相にどんな進言をしたのかをマスコミに詳しく説明するためである。
 児玉教授によると、菅への提言の論点は大まかに3つ。(1)放射線や地下水への漏出を遮断できる障壁「人工バリアー」を地下に建設し、セシウム汚染土壌の処分場とする(2)ガンマカメラやCCDカメラを使ったベルトコンベヤーによる食品検査システムの開発と加速化(3)無人ヘリコプターを使った地上10メートルからの放射能汚染マップの作成――。
 いずれの実現にも国策としての取り組みが絶対不可欠だが、児玉教授は「その後の進捗については懸念している」と言い、こう訴えたのだ。
「菅総理に会ったときに、これはぜひやってくださいとお願いした。しかし、総理がそのことについて動かれたかというと、私はまだ存じていません」「汚染土壌の処分と保管は、すぐさま国策としてやるべき問題なのに、国会の会期が閉会するという。私には全く理解できない! 国会は一体、誰のためにあるんですか! 同じことを、きょうも申し上げなければならないことに……」

 こう言って声を詰まらせ、目を真っ赤にした児玉教授。これまで国会や勉強会でも熱血漢ぶりを見せてきたが、今回、その憤りは、連日バカ騒ぎが続く民主党代表選とマスコミにも向けられた。
「民主党は政権党だから代表を選ぶことをやっても構わないが、国政は国民のためにあるのではないのですか!……(再び声を詰まらせ)マスコミの報道も大きな疑問です。これだけ福島県や関東各地で原発事故による異常な事態が進んでいるのに、まったく住民本位の報道がなされていません」「妊婦や子供の安全を守り、国土をどこまできれいにするかという問題が、総理選びの基準になっていない。小沢派か仙谷派かなんて、どうでもいいことだと思います。政府だけでなく、学会やマスコミも機能不全を起こしています」
 児玉教授はまた、こうも主張している。
「現在の原子力政策および、原子力災害に対する決定がほとんど原子炉関係者によって行われている。しかし、今までの失敗に責任を持つ人が、これからの政策を決めるのはやめてもらいたい」
 今後はゲノムやイメージング(視覚化)、コンピューターなど各分野の研究者、民間企業も含めた「清新でチェック可能な専門家委員会」の設置を主張するのだ。
 児玉教授と会った翌16日に本屋を訪れ、今さらのように「緊急解説!福島第一原発事故と放射線」を買った菅に、児玉教授の訴えが届いているのかどうか。」



民主代表選:宮城知事 代表選候補者の増税慎重に苦言

2011年08月24日 | Weblog
2011年08月22日 22時52分50秒

毎日jp配信記事( http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110823k0000m010096000c.html )



「宮城県の村井嘉浩知事は22日の会見で、民主党代表選の候補予定者たちが相次いで増税に慎重な姿勢を示していることについて「『臭いものにふた』は良くない」と苦言を呈した。村井知事は、政府の復興構想会議で、消費税を増やす「災害対策税」創設を提唱しており、「『批判を受けるものは表に出したくない』という(予定者の)思いが透けて見える」とも語った。【平元英治】

毎日新聞 2011年8月22日 22時11分」



「臭いものにふた」じゃない。経済情勢と被災状況を鑑みての判断。



消費税増税したいなら、そう主張して国政選挙に出て。


被災障害者の今(下)行政を縛る“公平”の建前

2011年08月24日 | Weblog
2011年08月21日 23時36分36秒

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110821/trd11082120340012-n1.htm



「「やっと、気兼ねせずに暮らせる場所に落ち着きました」。2人の弟に知的障害がある宮城県石巻市の会社員の女性(42)は、地元の社会福祉法人「石巻祥心会」が建設した障害者向けの「福祉仮設住宅」に入居でき、胸をなで下ろした。安堵(あんど)の表情は、行政が手がける福祉仮設住宅がわずかしかない厳しい状況の裏返しでもある。

 女性は津波で自宅が流され、父親が死亡、母親は行方不明に。しばらく親族宅に身を寄せていたが、弟は身の回りのことが十分にできず、両親がいなくなったショックもあり、親族に気を使う日々だった。

 石巻祥心会は、日本財団(東京)から約1億7千万円の資金援助を受け、津波で壊滅的な被害を受けた沿岸部に近い場所に、障害者とその家族40世帯が入居できるケア付きの仮設住宅と、単身の14人が入るグループホームを建設。6月末から入居が始まり、待ちわびていた人たちで部屋はすべて埋まった。

 管理者の鈴木徳和さん(36)は「ほかの人に迷惑をかけたくないと避難所を去る障害者と家族は多く、できるだけ早く安心できる環境を設けたかった」と話した。

福祉仮設住宅は出入り口の段差をなくし、浴室に緊急ブザーを付けるなど、障害者、高齢者に配慮されている。グループホームのような共同住宅で、入居は抽選ではなく福祉事務所などが申込者の健康状況をみて判断する。

 厚生労働省によると阪神大震災では神戸市や芦屋市などで1885戸が建設され、障害者の生活再建に一定の役割を果たした。

 ところが、東日本大震災では、一般の仮設住宅に比べて整備は立ち遅れている。厚労省は4月15日、福祉仮設住宅の建設を進めるよう、被災3県などに求めたが、岩手県では7月上旬に、宮城県でも8月上旬にやっと完成し、入居が始まったばかりだ。

 岩手県県土整備部の担当者は「厚労省の通知があるまで、福祉仮設住宅の建設は念頭になかった」と弁明するが、被災した障害者や支援団体からは「阪神大震災の教訓が全く生かされていない」という疑問の声すら上がっている。

 石巻祥心会では、地震で行き場がない障害者らを大勢受け入れており、石巻市に対し、一般の仮設住宅に障害者らが優先して入居できないか尋ねたが、「入居に優先順位を付けるのは市民の理解を得られない」との答えだった。同会では、運良く日本財団から資金援助を受けられたため、建設に踏み切ることができた。

多くの障害者は「公平な支援は大事だが、障害者と健常者にまったく同じ対応をされては生きていけない」と口々に語る。

 支援の必要性が高い障害者が優先的に入れる仮設住宅の整備が遅れている実情は、被災地での障害者支援のもろさを象徴している。「平等な支援」を建前に対応が遅れる行政に対し、目の前にいる人の支援に奔走する民間団体やボランティア。その民間の活動で徐々に障害者の生活実態が把握できるようになってきたが、多くはいまだに支援の手が及んでいない。(この連載は高瀬真由子が担当しました)」



被災障害者の今 (中)「動くだけで迷惑がかかる」と避難所去る

2011年08月20日 | Weblog
2011年08月20日 23時31分25秒

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110820/trd11082018510015-n1.htm



「被災した障害者は自宅で耐えていた。

 「うちに帰っても何もなかったけど、その方がまだ生活しやすかった」。全壊した自宅で暮らす宮城県石巻市の鈴木明美さん(51)は、ぽつりと言った。

 鈴木さんは6年前、多発性硬化症という難病を発症。視神経など中枢神経系に炎症を繰り返す病気で、目の前のものがほとんど見えなくなり、しばしば右半身がしびれて立ち上がることすらできなくなる。

 震災で自宅が津波にのまれ、近くの避難所に向かった。しかし薄暗い体育館では介助がなければ歩くことができなかった。「道を覚えていればゆっくりでも歩けるが、広い体育館に人の頭や足、ストーブがあったりで、どうしようとパニックになってしまって」

 トイレを我慢すればいいと考えたが、水を控えると体調を崩し、体が動かなくなった。家族を失った人や自分より高齢の人が協力して避難所を運営しようとしているなか、「自分が動くだけで誰かに迷惑がかかる」と思うとつらくてたまらなくなり、震災から2日後、泥まみれの自宅に戻った。

 2人の息子は独立して今は夫と2人暮らし。自宅は「明るい方が見えやすいから」と昨年大きな窓にリフォームしたばかりだった。基礎が崩れ、1階は床上1・8メートルほど浸水。壁には穴が開いた。必需品もほとんどが流されていた。自宅に残った食料と、近所の人が分けてくれたものでしばらく命をつないだ。

 4月に入り、通っていた難病支援センターの職員が連絡をくれ、支援団体につないでくれた。一方で石巻市が派遣した保健師が来てくれたのは6月。「高齢者や障害者のサポートはないんですか」と尋ねると、「避難所でないと支援は受けられない」と言われた。

今も支援団体が持ってきてくれる食料や生活用品に頼っている。4月下旬に申し込んだ仮設住宅はまだ当たらず、余震のたびに自宅は少しずつ傾いていく。

 震災で適切なケアが受けられなくなり、症状が悪化した人もいる。

 「車いす、本当は手放したいんだけどね」。石巻市中心部から離れた福祉避難所で生活する高橋伸之さん(34)は、慢性関節リウマチで右足が自由に動かない。それでも震災前は、つえをつかって歩けた。

 自宅は震災で半壊。トイレや風呂には車で外に出なければならず、両親や兄弟に負担をかけたくないと、自宅の庭に止めた車の中で生活した。助手席のシートを倒して足を伸ばし、寝泊まりする日々が3カ月ほど続いた。

 震災前はリハビリのため仙台市内の病院に週2回通院し、関節をほぐし、歩行訓練をしていた。しかし、震災後3カ月間通院できず、薬も手に入らなかったことで、車いす生活を余儀なくされた。

 石巻市の職員が自宅を訪問し、介護の必要な高齢者や障害者を受け入れている福祉避難所に入ったのは7月10日。今は、デイサービスで軽い運動や入浴はできる。だが、「もう少し早く気づいてもらえなかったのか」という思いは消えない。」



被災障害者の今 (上)見えぬ全容「どこに避難しているのだろうか」

2011年08月20日 | Weblog
2011年08月20日 23時17分59秒

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110819/trd11081920480017-n1.htm



「日焼けしていた顔に疲れがにじんでいた。炎天下、仮設住宅を一軒一軒訪ねて回る男性たち。支援を待っている障害者を探しているのだ。

 宮城県のほぼ中央の沿岸部にあり、東日本大震災で180人以上が犠牲になった多賀城市。大阪府からボランティアで現地入りしている宮内孝文さん(30)も連日、足を棒のようにして歩き回っているにもかかわらず、誰にも出会えない。「どこに避難しているのだろうか」。力なくつぶやき、また別の仮設住宅に車を走らせた。

 宮内さんは、仙台市で4月、NPO法人など14団体が集まり発足した「被災地障がい者センターみやぎ」の活動に参加。センターでは、障害の状態に合わせたきめ細やかな支援の必要性を自治体に訴え、どこにどのような障害者がいるのか情報提供を求めてきた。が、自治体の担当者は異口同音に「個人情報保護法があるから」と言って情報提供を拒んだ。

 だから、助けを求めながらも声に出せない障害者を探すことから始めなければならない。地元の授産施設などを訪ね、利用していた障害者が今、どこにいるのか、職員らから教えてもらうのだ。やっと自宅を探し出し、避難所や仮設住宅を1カ所ずつ回りながら安否を確認し、必要な支援を把握する。その作業は震災から5カ月以上もたった今も続いている。

 阪神大震災の被災障害者を支援する活動で実績があり、同センターとも連携を取るNPO法人「ゆめ風基金」(大阪市東淀川区)。その理事の八幡隆司さん(53)は「とりわけ自宅で暮らしている障害者は支援の手からもれている可能性がある」と表情を曇らせる。

 八幡さんは震災1週間後後の3月18日から被災地に入り、避難所の見回りを続けてきた。しかし、障害者はほとんどおらず、目にしたのは自宅で耐えている障害者とその家族だった。



「東北では関西に比べて家族や地域で障害者を支えるケースが多く、福祉サービスを提供する事業者が少ない」と八幡さんは福祉基盤に違いを感じた。このため被災しても誰にも頼れずに孤立するケースも相次いでいた。

 来る日も来る日も障害者を探し、片道2時間かけて向かった避難所で一人の障害者にも出会えないこともある。八幡さんは「私たちの目的は支援であって、調査ではない」と、いらだちを隠さない。

 障害者手帳を持つ人は、被害が甚大な宮城県の沿岸部15市町で約7万2千人、岩手県では12市町村で約1万9千人、福島県では相馬市など13市町村で約3万2千人に上る。しかし大震災で被災した障害者の人数はいまだに明らかになっていない。

 全国13の障害者団体でつくる「日本障害フォーラム」も障害者が置かれている状況の把握に努めてきたが、7月までに接触できたのは宮城県で1435人。手帳を持つ人の約2%でしかない。

 同フォーラムの原田潔さん(46)はこう訴えている。「数字によって可視化されないと支援につながっていかない。人数はすべての活動の基礎になる。行政側は公式なデータを出すべきだ」







 東日本大震災から5カ月余りが経ってもなお、支援の手が届かない障害者が大勢いる。取り残されている被災地の障害者の実情に迫る。」



川島、「フクシマ」コールに怒り 「冗談にできることではない」

2011年08月20日 | Weblog
2011年08月20日 15時21分42秒

http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110820/scr11082010480005-n1.htm



「リールスのGK川島は怒りが収まらなかった。相手チームのサポーターが「フクシマ」と連呼して川島を挑発。東日本大震災による原発事故に心を痛めていただけに「他のことは許せるが『フクシマ』と言うのは、冗談にできることではない」と憤慨した。

 川島の抗議を受けて、後半には主審が試合を一時中断した。再開後に失点して今季初勝利もお預けとなり、後味の悪い試合になった。(共同)」



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110820-00000311-soccerk-socc



川島が侮辱的行為に涙…相手ファンが「カワシマ!フクシマ!」と挑発



「19日に行われたベルギーリーグ第4節のゲルミナル戦に先発出場したリールスの川島永嗣が、悲しみに打ちひしがれた。ベルギーやオランダ、フランスなど複数のメディアが報じている。

 ゲルミナルのサポーターは川島を、「カワシマ!フクシマ!」と挑発。チャントと同時にビールのコップを投げつける者もいた。東日本大震災に見舞われた福島を揶揄するようなチャントに激怒した川島はファンと審判に猛抗議。試合は一時的に中断し、1-1で引き分けた後に、川島はロッカールームで涙を流していたという。

 川島はオフシーズン、被災地へと足を運び、震災の爪あとを目撃。被災した人々とも交流を持っていただけに、福島を侮辱するチャントに心を痛めている。」



川島の言う通り。言っていいヤジと言ってはいけないヤジがある。



ベルギーのサッカー協会は、「フクシマ」と連呼したサポーターのサッカー場への入場禁止等、然るべき措置を採ってもらいたい。



ベルギーのサッカー協会がそうしないなら、日本のサッカー協会が、ベルギーのサッカー協会にサポーターへの制裁をするよう抗議してもらいたい。


経産省 税金ドロボー3人組 大問題になってきた割増巨額退職金

2011年08月20日 | Weblog
2011年08月19日 14時02分49秒

http://gendai.net/articles/view/syakai/132100



「海江田大臣はなぜ返上させないのか 泣いたり散り際を探ってる場合じゃないゾ

 原発事故の対応をめぐって、12日に更迭された経産省の最高幹部3人の退職金が6000万円とか7000万円になると分かって、猛烈な非難が起きている。
 しかも更迭でクビなのに、退職金が1000万円以上も上積みだから、「ふざけるな」「返還しろ」と、怒りの声が噴出しているのだ。
 最高額をもらうのは、経産省の松永和夫事務次官(59)。1100万円が上積みされて退職金は約7500万円のベラボーだ。同じ経産省の寺坂信昭原子力安全・保安院長(58)と細野哲弘資源エネルギー庁長官(58)も6500万円程度だ。これだけ、原発事故で国民生活と日本経済に大迷惑をかけておきながら、まさに官僚天国のやりたい放題。いただくものはシッカリいただく無反省、破廉恥には、タメ息しか出ない。
「東大法卒の超エリートである松永次官は、ずっとエネルギー畑を歩み、保安院長もやったバリバリの原発推進派、電力利権擁護派の親玉といわれている。福島原発事故のことを考えれば、それだけでもA級戦犯ですし、九電や中部電のヤラセ動員問題、保安院の西山審議官の女性スキャンダル更迭、エネ庁幹部のインサイダー事件と不祥事が尽きない。トップとして自らハラを切るのが当然なのに、退職金の割り増しのことを会見で質問されると、“規定にのっとって処理されています”とシラーッと答えていた。呆れた神経です」(マスコミ関係者)
 呆れた神経だから、原発被害者たちの悲痛や貧窮にも、心が痛まないのだろう。だから平気で巨額退職金をせしめられる。
 それだけに、余計に海江田経産相のモタモタ対応が腹立たしいのだ。
 自分の進退をめぐって国会で女々しく泣いたり、いつ辞めたら効果的かなんて考える前に、この税金ドロボー3人組の巨額退職金を強制的にスパッと召し上げたらどうなのか。
 経産省内では「新事務次官以下、後継人事は全部、松永次官が仕切った。海江田大臣は“更迭”と言っているが、松永次官は退任後も経産省の陰の天皇ですよ」なんて囁かれているのだ。
 一回くらい、男を上げなよ、海江田大臣!」

国民を、とりわけ福島県民を犠牲にして、これだけの退職金がもらえるなんて、おいしくて官僚やめられないね。


公務員の退職金は、全労働者の退職金の平均値または中央値でいいと思うんだけどな。「全体の奉仕者」なわけだし。なんでこんなにもらわなきゃならないのかなあ。


石原知事「あいつら日本人じゃない」 全閣僚靖国参拝見送りに

2011年08月20日 | Weblog
2011年08月15日 15時43分44秒

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110815/trd11081513230015-n1.htm



「東京都の石原慎太郎知事は15日、靖国神社を参拝した。石原知事は参拝後、報道陣に対し、首相と全閣僚が靖国神社に参拝しない方針を示したことに「あいつら日本人じゃないんだ」と激しく批判した。

 この日は、都の戦没者追悼式典に出席後、靖国神社に直行。「国を救ってくれって言った」と話した上で、報道陣から菅政権による政治の混迷を問われると「自業自得だよ。日本人が堕落したからこんなことになったんだ」と述べた。」



その堕落した日本人に選ばれてお前は知事をしていると。



石原は、天皇・皇后両陛下が靖国参拝しないことをどう考えてるのかね。まさか、天皇・皇后両陛下も日本人じゃやないなんて、さすがに言わないよね?




靖国行ったから日本人、靖国行かなかったから日本人じゃないなんて馬鹿なことあるかよ。




終戦に思う―今、民主主義を鍛え直す

2011年08月20日 | Weblog
2011年08月15日 15時18分28秒

asahi.com配信記事( http://www.asahi.com/paper/editorial.html )



「「進歩のないものは決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。……今目覚めずしていつ救われるか」。青年士官がつぶやく。

 戦艦大和(やまと)は昭和20年春、帰還のあてない特攻出撃を命じられた。青年士官とともに乗艦した吉田満(みつる)が一部始終を書いた「戦艦大和ノ最期」にある。

 青年士官は、無駄死にを強いたに等しい国でも、せめて、未来には希望を託したのだろう。

 しかし、私たちは、進歩し、目覚め、救われたのだろうか。明日、敗戦から66年。

■今目覚めずしていつ

 敗戦間際の8月、学徒出陣で見習士官になった若者が鹿児島県薩摩半島にいた。中隊を率い米軍との決戦に備えていた。

 守る場所を「イチコロ陣地」と呼んだ。配備された4門の大砲に砲弾はわずか72発。撃ち続ければ数分ももたない。「これでどうやって戦うのか」と問うと、上官の少佐は、その場しのぎに「いざという時にはうなるほどの砲弾が来る」と言った。

 若者は戦後、旧大蔵省に入りエリートと呼ばれる身となる。磯辺律男元国税庁長官(89)は戦時中のエリート、職業軍人らをこう見る。「自分の階級を上げることしか関心がなく、国のため、国民のために自らがどうあるべきかを考えなかった」

 既に日中戦争の泥沼にはまっていたのに新たな敵を求めた。石油など資源の供給元だった米国相手の太平洋戦争への突入はあり得べからざることだった。

 それを自存自衛と都合よく言い換え、追い立てたのは軍人たちだった。国民も当初の勝利に浮かれ、軍人をもり立てた。

 なぜ、自滅への戦争を選んだのか。今年12月、映画「山本五十六(いそろく)」が公開される。山本連合艦隊司令長官を演じての思いを役所広司さんに尋ねた。

 「この国にはエリートが自分たちに都合よく回しておけばいい、という歴史があり、今も続いている。一方で国民はビジネスや金もうけは真剣だが大事なことを忘れていく」と答えた。

■負の構図再び

 戦後も繰り返された。

 バブル経済は、金余りを放置した官僚たちと、それに乗じて土地や株を買いあさり、本来の価値以上につり上げた国民の責任だ。揚げ句、暴落し多額の不良債権が発生したが、官僚は実態の公開を渋り解決が遅れた。

 「国破れて道路あり」。公共事業に大盤振る舞い。農道空港や豪華な箱もの施設など無駄な投資が積み重ねられた。宴(うたげ)の後に膨大な財政赤字が残った。

 そして福島第一原発の事故。原子力村の自己過信が招いた物語でなかったか。

 世界有数の地震国。大津波も襲う大地に54基もの原発を造った。さらに2030年までに14基以上増やし、総電力中の原子力を5割以上にする計画を立てていた。原発依存の過剰さが放置、容認されてきた。

 経済産業省や電力会社は、地震国の真実に目を塞いだ。都合のいい情報は伝えるが不利なデータは隠す。さらにやらせ質問で世論を誘導。ウソを重ねた軍部の「大本営発表」顔負けだ。

 でも原子力村だけの責任か。

 朝日新聞が設けた「ニッポン前へ委員会」の神里(かみさと)達博委員(東大特任准教授)は原発事故の真因として「原子力について民主的な熟議を怠ってきた」とし、「閉鎖的な専門家システム」と「大半の国民の無関心」という共犯関係によって生じたと指摘している。

 国を守る力もエネルギーも必要な機能だ。しかし国民が自らの生命や財産まで官僚や専門家集団に委ね、ある時は傍観、ある時は狂奔した。この人任せと無責任が、度重なる失敗の根底にあるのではないか。

■自らの意思で守る

 生命や財産は、国民一人一人が守り抜くという意思を持ち、その意思を実現できる人物を政治家に選び、働かせる。国民と政治家が問題の価値やリスクをチェックできる仕組みを作り上げる、すなわち民主主義を真っ当なものに鍛え直すしかない。

 死活的に重要なのは情報だ。東洋文化研究者アレックス・カーさんは「情報が官僚や一部の専門家に握られ、決断も彼らがしてきた。本来、政治家や国民が果たすべき役割がなおざりにされてきた」と指摘する。

 彼は2002年の著書「犬と鬼・知られざる日本の肖像」で、既に利権政治と官僚主導に加え原子力村の情報操作を日本の暗部として書いていた。「この構造は戦争から福島まで変わらない。変えるには情報独占を打ち崩すしかない」と話す。

 健全で利害から独立したジャーナリズムが果たすべき責任と役割は重い。情報を官僚らに独占、操作させず、生命や資産が脅かされる可能性のある人全員が共有する。失敗の歴史を忘却せず使命を果たしてゆきたい。

 そうしてこそ大和の青年士官に答えられる。「私たちもようやく、目覚め救われるように、一歩前に出ます」と。 」



「健全で利害から独立したジャーナリズムが果たすべき責任と役割は重い。」



その通りなんだけど、それが出来るのかね。おおいに不安なんだけど。



まず朝日単独でもいいから、記者クラブから離脱してくれないかな。省庁に記者クラブを置いている限り、どうしても官僚の情報に操作されているとの疑念が拭えないんだけど。



しかし、今日は新聞休刊日ということで、新聞社はどこも横並びでお休み。そういう所から直してもらえないかな。いつまで独禁法の適用除外に甘える気かな。特権を与えられなければ行使できないジャーナリズムなんてジャーナリズムとは言わないでしょ。(特権があると、その特権を維持し続けようとして政治に近付いていっちゃうしね。その意味でも特権は返上するべき。)



震災復興は「千載一遇」=野田財務相

2011年08月20日 | Weblog
2011年08月14日 16時06分50秒

時事ドットコム配信記事( http://www.jiji.com/jc/zc?key=%cc%ee%c5%c4&k=201108/2011081400059 )



「野田佳彦財務相は14日午前のNHKの討論番組で、デフレ脱却について「(東日本)大震災という状況の中で復興需要をどうやって満たしていくかという観点からすると、まさに千載一遇のチャンスだ」と述べた。
 野田氏は長引くデフレに関し「需給ギャップが原因だった。需要が足りなかった」と指摘。復興需要の拡大が経済成長につながるとの期待感を示したものだが、野党から不適切な発言などと批判を受ける可能性がある。(2011/08/14-11:14)」



政治家辞めてビジネスマンにでもなったらいいよね。経団連会長なんて適任なんじゃない。



原爆忌の菅首相 「脱原発」にふさわしい場か(8月7日付・読売社説)

2011年08月20日 | Weblog
2011年08月14日 15時26分36秒

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110806-OYT1T00855.htm



「原爆忌の6日、広島市で開かれた平和記念式典で、菅首相が東京電力福島第一原子力発電所の事故に言及した。

 広島大学など関係者による放射線の測定や被(ひ)曝(ばく)医療チームの福島への派遣といった支援を得て、事態は安定してきていると述べた。

 原爆医療の経験と実績が、福島でも役立ったのは確かである。

 これに続けて、首相は、「原発に依存しない社会」を目指す考えを改めて表明した。

 だが、「脱原発依存」はそもそも個人的な見解だったはずだ。世界の注目する記念式典で持ち出したのは、原爆と原発事故を重ねることで自らの主張をより効果的にアピールしたかったのだろう。

 鎮魂のセレモニーのいわば“政治利用”ではないか。

 首相はその後の記者会見で、先月末、関係閣僚によるエネルギー・環境会議が原発への依存度を下げていくことを理念とした「中間整理」をまとめたことを挙げ、自らの発言は、政府方針と一致するとの考えも明らかにした。

 しかし、中間整理は首相の「脱原発」宣言を修正したものだ。

 とりまとめに当たった玄葉国家戦略相も、原発を活用しながら減らす「減原発」とし、国民的論議を経て、原発の最終的な姿を決める考えを示している。首相の意向と一致しているとは言えまい。

 退陣を表明した首相が、具体的な根拠を欠いたまま、国家の根幹にかかわるエネルギー政策の変更に道筋をつけようとするのは、無責任に過ぎよう。

 世界の経済が景気後退の危機に瀕(ひん)している今、日本が生き残るために、原子力エネルギーの平和利用はなお欠かせない。

 原発事故を確実に収束し、原発の安全性を高めていくことは、日本の信頼回復への道でもある。

 一方、広島市の松井一実市長は、記念式典の平和宣言で、2人の被爆者の体験談を紹介し、平和への思いを世界に伝えたいと述べた。さらに、すべての核保有国に核兵器廃絶に向けた取り組みを強力に進めることを求めた。

 2年前にオバマ米大統領が掲げた「核兵器のない世界」に向けての国際社会の動きは、停滞している。北朝鮮の核兵器開発の動きを止めることも出来ていない。

 核軍縮・核不拡散・原子力の平和利用の分野で、日本が国際的に果たすべき役割は大きい。外交を立て直し、強力に推進するためにも、「ポスト菅」体制を早期に築かねばならない。(2011年8月7日01時17分 読売新聞)」



「原爆と原発事故を重ねることで自らの主張をより効果的にアピールしたかったのだろう」と読売は言うが、読売の人間には、原爆と原発事故は重ならないのだろうか。



私には、原爆が落とされた広島・長崎の光景は、原発事故後の福島にそっくりに見えるし、政府が情報を隠蔽し、被曝者が置き去りにされている状況も、大本営発表という虚偽の情報発信により、戦争に加担させられ、被爆させられてしまい、その後死ぬまで苦しめられ続けた(続けている)広島・長崎の人達に重なる。



さらに言えば、そのような事態に直面してもなお、原発を推進しようとする読売は、本土決戦を辞さず、最後の一人が死ぬまで戦争を継続しようとした軍部の姿に重なる。



当時の政府・軍部が1度目の広島の原爆投下で気付けなかったように、読売も、もう1度、大地震・大津波が来て、どこかの原発が事故を起こし、収拾不能な事態に陥らなければ、自らの過ちに気付けないのだろう。



核燃サイクル 無責任な首相の政策見直し論(8月10日付・読売社説)

2011年08月13日 | Weblog
2011年08月12日 22時45分09秒

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110809-OYT1T01147.htm



「トラブル続きで運転停止中の高速増殖炉「もんじゅ」について、菅首相が衆院予算委員会で、廃炉を含めて検討する、との意向を示した。

 原子力発電所から出る使用済み核燃料の再処理を含め、日本がエネルギー政策の柱と位置づけてきた「核燃料サイクル」路線も、根本から見直すという。

 民主党は2009年にまとめた政策集で「再処理技術の確立」を掲げ、核燃料サイクルを支持してきた。それ以降、今日まで、この問題が党内で本格的に論議された形跡はない。

 自ら主張する「脱原発依存」の延長にあるとの認識だろうが、退陣を表明した首相が、場当たり的に口にしていい問題だろうか。

 核燃料サイクルは、ウラン資源の有効活用を目指している。

 使用済み核燃料は再処理し、燃え残りのウランや燃料に使えるプルトニウムを回収する。高速増殖炉では、燃えないウランをプルトニウムに変換して使う。

 新たな核燃料を生産でき、長期的に「準国産エネルギー源」を得るのに等しい、とされてきた。これを放棄して他に本格エネルギー源を見つけるのは困難だろう。

 青森県六ヶ所村では、日本原燃の再処理工場が建設中だ。福井県敦賀市にあるもんじゅは、2050年の実用化をにらんだ開発拠点に位置づけられている。

 政策転換で、これらの施設が凍結・廃止になれば、六ヶ所村の工場では、運び込まれた使用済み核燃料約3000トンの処理が宙に浮く。全国の原発に保管中の使用済み核燃料も行き場がなくなる。

 ただ、再処理工場は最終工程でトラブルが続き、稼働には至っていない。もんじゅも、1995年のナトリウム漏れ事故以来ほとんど運転できていない。それぞれ2兆円、1兆円の巨費が投じられていることにも批判がある。

 しかし、短絡的な廃止では、この投資が全て無駄になる。

 近隣国に目を転じれば、原子力は一層、存在感を増している。

 中国は先月から高速増殖炉の発電運転を開始した。韓国は、日本と同じく再処理を始める、との方針を示している。北朝鮮は、核兵器開発に固執している。

 日本は、平和利用を前提に、核兵器材料にもなるプルトニウムの活用を国際的に認められ、高水準の原子力技術を保持してきた。これが、潜在的な核抑止力としても機能している。

 首相の無責任な言動には、こうした配慮がうかがえない。(2011年8月10日01時18分 読売新聞)」



賭けてもいいんだけど、「もんじゅ」が安定的に運営される日は永遠に来ないよ。



もう実証されてるじゃない。議論の余地なんかないと思うんだけどね。



「核燃料サイクルは、ウラン資源の有効活用を目指している。

 使用済み核燃料は再処理し、燃え残りのウランや燃料に使えるプルトニウムを回収する。高速増殖炉では、燃えないウランをプルトニウムに変換して使う。

 新たな核燃料を生産でき、長期的に「準国産エネルギー源」を得るのに等しい、とされてきた。これを放棄して他に本格エネルギー源を見つけるのは困難だろう。」



夢物語、誇大妄想もいいところ。自然エネルギーの方がよっぽど現実味がある。



「再処理工場は最終工程でトラブルが続き、稼働には至っていない。もんじゅも、1995年のナトリウム漏れ事故以来ほとんど運転できていない。それぞれ2兆円、1兆円の巨費が投じられていることにも批判がある。

 しかし、短絡的な廃止では、この投資が全て無駄になる」



こういう体質が勝てもしない戦争にのめり込ませるんだろうなと深く納得。



損切りするしかないって。無駄にした3兆が5兆、10兆、20兆になっていくって。



「近隣国に目を転じれば、原子力は一層、存在感を増している。

 中国は先月から高速増殖炉の発電運転を開始した。韓国は、日本と同じく再処理を始める、との方針を示している。北朝鮮は、核兵器開発に固執している。

 日本は、平和利用を前提に、核兵器材料にもなるプルトニウムの活用を国際的に認められ、高水準の原子力技術を保持してきた。これが、潜在的な核抑止力としても機能している。」



読売はここにも重きを置いてるんだろうね。いざとなったら核兵器を持つと。



果たして日本国民はそれを望むのかな。得意の世論調査で聞いてみてもらいたいな。



東京新聞 コラム 筆洗

2011年08月13日 | Weblog
2011年08月08日 15時35分58秒

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011080102000018.html

「「七万人が自宅を離れてさまよっている時に国会はいったい何をやっているのですか」。火を吐くような気迫に衆院委員会室は静まり返った。先週、厚生労働委員会に参考人として呼ばれた東京大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授の発言だ▼教授の試算は衝撃的だった。福島第一原発の事故で漏出した放射性物質は広島原爆の約二十個分。一年後の残存量は原爆の場合、千分の一に減るが、原発から出た放射性物質は十分の一程度にしかならないという▼福島県南相馬市で自らが手掛けている除染活動を通じ、内部被ばくから子どもを守ろうとする責任感が伝わる発言だった。国会の怠慢を厳しく批判する先には、動きがあまりにも鈍い国への憤りがある▼細野豪志原発事故担当相は日本記者クラブでの記者会見で「除染作業こそ国家的プロジェクト。福島の皆さんに希望を持っていただける」と語っている。今後、除染作業が兆単位の公共事業になるのは間違いない▼児玉教授は、民間の技術を結集し直ちに国の責任で除染研究センターを設置するよう求めた。避難住民を無視した利権まみれの公共事業にしてはならない▼「人が生み出した物を人が除染できないわけがない。福島におけるセシウム除染は、次の世代への日本の科学者の責任である」。教授は医学雑誌にそう記した。学者の良心に希望を感じる。」



東日本大震災:福島第1原発事故 放射線、安全性議論の前に 児玉龍彦氏に聞く

2011年08月13日 | Weblog
2011年08月08日 15時19分26秒

毎日jp配信記事( http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110808ddm012040044000c.html  )



「◇測定・除染を急げ--児玉龍彦・東大アイソトープ総合センター長

 「7万人が自宅を離れてさまよっている時に、国会は一体何をやっているのですか!」。東京大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦さん(58)が7月下旬、衆議院厚生労働委員会で国の放射線対策を厳しく批判したことが反響を呼んでいる。がん治療薬開発のかたわら、「行動する研究者」として福島県南相馬市で除染活動を続ける児玉さんに、政府がなすべきことを聞いた。【聞き手・青野由利論説委員】



 ◇安全性議論の前に



 --今回の汚染はこれまでの考え方では対応できないと指摘していましたね。

 ◆私たちの推計では、福島第1原発からの放射性物質の放出量はウランに換算して広島原爆20個分に上ります。しかも、原爆に比べて放射線の減り方が遅い。少量の汚染ならその場の線量を考えればいい。でも、総量が膨大な場合、粒子の拡散を考える必要があります。これは「非線形」という難しい科学になり、予測がつかない場所で濃縮が起きる。だから、稲わらによる牛肉のセシウム汚染や、お茶、腐葉土の汚染といった問題が次々出てくる。

 --食品の汚染にどう対応すればいいですか。

 ◆最先端技術を使えば、たくさんの食品の汚染を一度に画像で判定できます。こうした分野で日本の技術は世界一です。メーカーに聞くと3カ月でできるという。それなのに政府は何の対策も打っていない。これから、コメや海産物の問題も出てくるでしょう。食の安全を支えるために、最新の測定装置を緊急に開発し、各自治体に多数並べ、流れ作業で検知するといった対策が必要です。

 --子どもがいる人は家の周りや学校の放射線にも不安を抱えています。

 ◆被災地のすべての自治体に「測定すぐやる課」と「コールセンター」を置くことを提案します。電話を受けたら、20~30分でいいから、家の周りや子どもが行く場所を一緒に見て回る。線量が高い場所はパッパと除染する。南相馬では、子どもだけを避難させ、家族がばらばらになっている人たちがいますが、海側などでは線量が低く、子どもがいても大丈夫な所はある。それをきちんと見て、緊急避難的な除染は「すぐやる課」が手伝うことです。

 --低線量による内部被ばくの問題は専門家の間でも意見が異なり、混乱が生まれています。

 ◆がんは何十年かの間に複数の遺伝子変異が重なって起きます。チェルノブイリ(原発事故)でも、子どもの甲状腺がんの増加が統計学的に確かめられたのは20年後です。時間がたたないとわからないので、今「安全」か「危ないか」に決着をつけるより、「測定と除染」に徹することが大事です。

 --国会では、局所的な緊急避難的除染と、地域全体を対象にした恒久的除染を分けて実施するよう主張しました。

 ◆子どもたちが安心して暮らせる環境を作るために、幼稚園などで緊急避難的に除染をしています。でも、側溝を洗った水は環境中に残る上、線量を下げるのにも限界がある。これらを根本的に解決する恒久的除染は巨大な事業になるので、「除染研究センター」を作り、まず問題点やコストを評価する。そして日本の総力を挙げ、最高の除染技術を福島に結集する。除染の方法などは住民の意見を取り入れて決める。利権がらみの公共事業にしてはだめです。何十兆円も出して「これしか除染できませんでした」ということは、日本の財政状況では許されません。

 --緊急事態に、国の動きは遅すぎますね。

 ◆私たちは、除染した後の土を残しておけず、ドラム缶に入れて持ち帰っていますが、本来は法律違反です。現行法が今回のような事態を想定していないからです。旧来の法律で手足を縛られたままで、どうやって子どもが守れるでしょう。まき散らされた放射性物質を減らすために、法整備をしてくださいと言ってきました。それを4カ月もやらずに、国は何をやっているんですか、ということです。「食品の汚染検査」「測定すぐやる課とコールセンター」「緊急の除染」「恒久的な除染」、この四つをぜひ進めてください。



 ◇「国会何やってる」 委員会発言、ネットで話題



 児玉さんは東大医学部卒業後、内科医として臨床と研究の両方に携わってきた。96年から東大先端科学技術研究センター教授としてシステム生物医学を研究、11年からは同大アイソトープ総合センター長を兼務している。

 アイソトープ(同位元素)を使ったがん治療薬開発に取り組んでいるため、内部被ばくにも詳しい。原発事故後、福島県南相馬市の依頼で毎週末、現地に足を運び、幼稚園などで放射線量測定と除染作業を続ける。

 7月27日、衆院厚生労働委員会に参考人として出席。食品の放射能汚染で不安が広がる中、食品の放射線量測定に全力を注がず、子どもたちを守るための法整備も怠っていると、国の怠慢を厳しく批判。「放射性物質を減らす努力に全力を挙げることを抜きに、どこが安全だという議論をしても国民は絶対信用しない」と訴え、対策を具体的に提言した。その様子が動画投稿サイトなどで紹介され、話題となっている。

毎日新聞 2011年8月8日 東京朝刊」


訃報:中山研一さん 84歳=京都大名誉教授、刑法学専攻

2011年08月13日 | Weblog
2011年08月07日 20時54分36秒

http://mainichi.jp/select/person/news/20110802ddm041060077000c.html



「中山研一さん 84歳(なかやま・けんいち<本名・乾研一=いぬい・けんいち>京都大名誉教授、刑法学専攻)7月31日、肺がんのため死去。葬儀は4日午後2時、京都市南区西九条池ノ内町60の公益社南ブライトホール。喪主は長男乾一郎(いぬい・いちろう)さん。

毎日新聞 2011年8月2日 東京朝刊」



中山研一先生が亡くなられていたことを昨日知りました。



私が先生のご見識に触れるのは、運営されていたブログ( http://knakayam.exblog.jp/ )からが多かったのですが、確かな知識と経験に基づくそのご見識に、これまで以上には触れられないと思うと残念でなりません。



しかし、私が言うまでもないことですが、先見力ある先生のご見識はこれからの未来においてもその力を失うことはないので、私の勝手な願いは、どなたかに先生のブログを引き継ぐか書籍化する等してもらって、今後も先生のご見識に触れる機会を維持してもらいたいということです。




中山研一先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。